『星降る夜の贈り物』(ヒューマンドラマ)
――届くはずのない手紙が、奇跡を運んできた。
年老いた郵便配達員の佐々木誠一は、古びた茶色い封筒を手に取り、宛名を確認した。
「高橋春子様……?」
聞き覚えのある名前だった。だが、彼の記憶の中では、それはもう遠い過去のものだった。
「これは、どこから?」
封筒の消印は三十五年前の日付になっていた。そんな馬鹿な、と思ったが、確かにそこには昭和六十四年のスタンプが押されている。
不思議な気持ちでいっぱいになりながらも、彼は自転車に乗り、その宛先へ向かった。
高橋春子は、佐々木にとって忘れられない人だった。彼が二十代のころ、毎朝の配達で顔を合わせ、何気ない挨拶を交わしていた。彼女の笑顔は優しく、どこか懐かしさを感じさせたものだ。だが、ある日を境にぱったりと姿を消した。
長い坂道を上ると、小さな平屋の家が見えてきた。庭先には洗濯物が揺れている。今でも誰かが住んでいるのだろうか?
恐る恐る玄関のチャイムを押すと、しばらくしてゆっくりと扉が開いた。
現れたのは、白髪混じりの女性だった。目元に刻まれた皺の奥に、かつての面影が残っている。
「……春子さん?」
女性は驚いた表情を浮かべた。
「はい、そうですが……あなたは?」
「郵便局の佐々木です。昔、こちらに郵便を配達していた者です」
「ああ……佐々木さん……!」
彼女の表情が一気に和らぎ、懐かしさがにじんだ。
「これは、あなた宛の手紙です。消印が古くて、どういうわけか今になって私の手元に届いたのですが……」
春子は封筒を受け取り、しばらくそれを見つめていた。震える指でゆっくりと開封する。
中から出てきたのは、便箋が一枚。
そこに書かれていたのは、三十五年前の彼女の息子からの手紙だった。
『お母さんへ
ぼくは元気ですか?
いま、ぼくは遠くの病院にいます。でも、ちゃんとごはんも食べてるし、先生もやさしいから大丈夫です。
お母さんに会いたいけど、お仕事がんばってるって聞いたから、がまんします。
お母さんがつかれたら、空を見てください。ぼくも、そこからお母さんを見ています。
だいすきだよ。
たかし』
涙が、ぽたりと落ちた。
「……この子は、私の息子です」
春子はそっと写真立てを取り上げた。そこには、五歳の男の子が笑顔で写っていた。
「たかしは、生まれつき病弱で……長くは生きられませんでした。でも、この手紙……ずっと届かなくて……」
佐々木は、彼女の震える肩を見つめた。
「きっと、今になって届いたのは……あなたに思い出してほしかったからかもしれません」
春子は、涙を拭いながら小さく笑った。
「ええ……そうですね……。きっと、あの子が『もう一度思い出して』って……そう伝えたかったのかもしれませんね」
夜になり、春子は手紙を抱いたまま、静かに夜空を見上げた。
冬の澄んだ空に、ひときわ輝く星がひとつ。
「たかし……ありがとう」
佐々木もまた、その星を見つめながら、自分の心に小さな温かさが灯るのを感じていた。
そして翌日、彼はそっと小さな封筒をポストに入れた。
中には、こう書かれていた。
『あなたの手紙を、ちゃんとお母さんに届けましたよ』
宛名は書かれていない。
けれど、佐々木にはわかっていた。
この手紙は、必ず届くだろう、と。




