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「音のない朝に」(恋愛)


 冬のパリは、思ったよりも静かだった。


 バルコニーの向こう、灰色の空に、白い鳩がふわりと飛んでいる。


 私はベッドの上で伸びをして、部屋の隅に目をやった。


 テーブルの上には、昨日飲みかけのワイン。グラスの底には、深い赤の色が残っている。


 そこに、彼女の姿はなかった。



 私と彼女が初めて会ったのは、東京のカフェだった。


 フランスから帰ってきたばかりだと言う彼女は、ガラス越しの街を見つめながら、カフェ・オ・レを飲んでいた。


「パリは、時間がゆっくり流れるんだよ」


「本当に?」


「うん、信号も、人の歩く速度も、日本よりずっと遅いの」


 彼女の話すフランス語は、波のように流れる音楽みたいだった。


 彼女の指先は、カップの縁をなぞるように動いていた。



 その後、私たちは一緒にパリへ行った。


 特に理由があったわけじゃない。


 でも、私は知っていた。


 彼女はどこか遠くへ行きたがっていたのだ。



 パリのホテルは、思ったよりも狭かった。


 でも、朝の光は柔らかくて、カーテン越しに射し込む陽の光が、彼女の髪を金色に染めた。


「ねえ、あなたが好きな音楽、何?」


 彼女は、ベッドに寝転びながら、そう聞いた。


「うーん……」


 私は少し考えて、彼女に答えた。


「たぶん、静かな音楽」


「静かな音楽?」


「うん。何も起こらないみたいな音楽」


 彼女は少し笑って、枕に顔をうずめた。


「なんだか、あなたっぽいね」



 朝、目が覚めると、彼女はいなかった。


 私は部屋を見回した。


 コートはなくなっていた。


 彼女が昨夜まで読んでいた本が、ベッドの横に置かれている。


 それだけが、彼女がここにいた証だった。



 私は、服を着て、靴を履いて、コートを羽織った。


 外は、冬の冷たい空気。


 カフェのテラスに座って、エスプレッソを頼む。


 遠くで、誰かがバイオリンを弾いている。


 そのメロディが、少しずつ風に消えていく。


 私は、それをただ聞いていた。


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