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「言葉の届かない場所で」(不条理)


 男は、ある日、言葉をなくした。



 最初に気づいたのは、朝のことだった。


 妻に「おはよう」と言おうとしたが、声にならなかった。


 喉に違和感はない。舌も問題なく動く。しかし、言葉が形を成さなかった。


 妻は、何も気づいていないようだった。



 会社へ向かう電車の中で、男は試しに口を開いた。


「次の駅はどこですか?」


 だが、発せられたのは、まったく意味を持たない音だった。


 「あ、う……か」


 隣に座っていた老人が、一瞬だけ男を見たが、すぐに目を逸らした。


 誰も、異変に気づかない。



 会社につくと、同僚がいつも通りに話しかけてきた。


「昨日の会議、最悪だったな」


 男は返事をしようとした。


 だが、声にならない。


 「……う、か」


 それでも同僚は頷いた。


「だよな! あの上司、マジでどうかしてるよ」


 まるで、男が普通に話したかのように、会話が成立している。



 昼休み、男はさらに奇妙なことに気づいた。


 人々の会話が、すべて「音」としてしか聞こえなくなっていた。


 意味が抜け落ち、ただの音の羅列になっていた。


 **彼は、言葉の意味を失ったのではなく、世界が言葉の意味を失ったのだ。**



 それから何日経っても、状況は変わらなかった。


 彼は、毎日会社へ行き、何かを話し、何かを聞いた。


 だが、それはただの「音」だった。


 それでも、社会は問題なく回っていた。



 ある日、男は試しに、まったく無意味な音を発してみた。


「ぬふぅ……くる?」


 同僚は、頷いた。


「そうだよな。俺もそう思う」


 男は、会社の会議でこう言ってみた。


「ずぅぅるん、ぱっ!」


 上司は、「なるほど、その意見は重要だな」と答えた。



 世界は、言葉を失っても、変わらなかった。


 男はその日、静かに理解した。


 **言葉とは、ただの形式でしかなかったのだ。**


 人々は、言葉を使っているようでいて、実は何も伝えていなかった。


 ただ「音」を交換し合い、相手が発した音に適当な「意味」を当てはめているに過ぎなかった。



 それ以来、男は何も話さなくなった。


 ただ、微笑み、頷き、適当な音を発するだけで、人間関係は以前と変わらずに続いていった。


 ――言葉なんて、最初から必要なかったのだ。


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