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「歯の奥で鳴る音」(お仕事ヒューマンドラマ)

 あの女の口の動きが、気になる。


 正確に言うと、唇の形とか、舌の動きとかじゃなくて、噛みしめた奥歯が鳴る音。


 会議のたびに、それを聞いてしまう。


 くっ……かちっ……


 小さく、でも確かに、歯が軋んでる。



 最初は気のせいかと思った。


 でも、気づいたら私、その音を待ってるのよね。


 いつ鳴るかな、いつ鳴るかなって、意識の片隅で構えてる。


 で、鳴るのよ。


 くっ……かちっ……


 あの女が「そうですねえ」とか言いながら、作り笑顔を浮かべるとき。


 あの女が「でも、前例がないんですよねえ」とか言って、無駄に引き伸ばすとき。


 歯の奥で、微かに、くっと鳴らす。



 あの女――高田は、いわゆる「職場の女王」だ。


 この会社は女が多い。課長も、部長も女。女同士の派閥もあるし、どうでもいいマウント合戦もある。


 でも、高田は別格だ。


 彼女は「誰とも敵対しない」ことに全力を注いでいる。


「私ってそういうの、ほんと向いてなくて~」


「まあまあ、みんなの意見、ちゃんと聞かないとね」


 そう言いながら、常にどっちつかず。


 それなのに、なぜか一番評価される。


 上の男たちは「高田さんは調整能力がある」とか言うけど、ほんとバカじゃないの。


 彼女がやってるのは、全方位に愛想を振りまいて、適当に流してるだけ。


 それでも、誰よりも早く昇進する。


 で、あの歯の音。



 ある日、ふと思った。


 ――もしかして、高田、めちゃくちゃストレス溜めてない?


 彼女の笑顔は、歯の奥で軋む音を隠すためにあるんじゃないか。


 だって、私たちが会議で適当にやり過ごしてるとき、高田はずっと何かを噛みしめてる。


 くっ……かちっ……


 考えてみれば、彼女はランチのときも、プレゼンのときも、どこでも微かに歯を鳴らしている。


 その音に気づくのは、たぶん私だけ。


 私だけが、高田の「ほんとうの声」を聞いてる。



 昼休み、高田がコーヒーを飲んでいるとき、私はふいに言った。


「歯、痛くない?」


 彼女は、一瞬だけ固まった。


 そして、ゆっくりとカップを置く。


「……どうして?」


「いや、いつも鳴ってるから」


 高田の表情が、すっと凍る。


 それから、何かを噛みしめるように、小さく笑った。


「気づいてたんだ」



 次の日から、高田は会社に来なくなった。


 彼女は辞めた。


 理由は、よくある「一身上の都合」。


 みんな「あんなに順調だったのにね」なんて言っていたけど、私は知っている。


 高田はずっと、ギリギリのところで歯を食いしばってたのだ。


 くっ……かちっ……


 あの音は、いつか彼女を壊す音だったのかもしれない。



 そして、私は今日も、誰かの歯の音を聞いている。


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