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いろんなショートストーリー集  作者: 霧崎薫


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「階段を降りる」(不条理)


 朝、駅のホームへ向かうために階段を降りていた。


 何の変哲もない日常の一部だった。眠い目をこすりながら、足を一段ずつ運ぶ。コーヒーの香りが微かに漂い、スーツの男たちが急ぎ足で通り過ぎる。


 だが、違和感に気づいたのは、十段目を降りたあたりだった。


 降りても降りても、ホームに着かないのだ。



 最初は、ただぼんやりしているだけだと思った。寝不足のせいで、時間の感覚が狂っているのだろうと。


 だが、十五段、二十段と降りても、変わらない。


 同じ広告、同じ壁のシミ、同じ落書きが繰り返し現れる。


 背後を振り返ると、階段の上は薄暗く、どこまでも遠く感じられた。


 まるで、戻れない気がした。



 三十段目を降りたところで、見知らぬ男が立っていた。


 スーツを着ているが、顔がぼやけている。いや、細部がわからないのだ。目があるのか、鼻があるのか、判然としない。


「……おはようございます」


 男は静かにそう言った。


 私は反射的に会釈した。


「あなたも、降りているのですか?」


「ええ」


 男は軽く笑った。


「私も昔、ここを降り始めました。ずっと、降り続けています」



 六十段目を降りたところで、かすかに不安が芽生えた。


 この階段は、どこへ続いているのだろう?


 ホームではないことは確かだ。私は電車に乗るためにここを降りていたはずなのに、目的地を見失っていた。


 後ろを振り返る。だが、そこにはもう入り口はなかった。



 百段目で、子どもとすれ違った。


 ランドセルを背負い、楽しげに鼻歌を歌いながら降りていく。


「どこへ行くの?」


 私が尋ねると、子どもは不思議そうに笑った。


「行きたいところへ」



 何段目まで降りたか、もうわからない。


 途中で、立ち止まっていた老婆に声をかけた。


「この階段は、どこに続いているんですか?」


 老婆はゆっくり首を振った。


「それを知っている人は、誰もいませんよ」


「終わりはあるんですか?」


「あなたが終わりにするときが、終わりです」



 私は歩みを止めた。


 そういえば、なぜ降り続けなければならないのだろう?


 誰が決めたのだろう?


 駅へ向かうために降りていたはずが、いつの間にか「降りること」が目的になっていた。


 この階段は――人生そのものなのでは?



 私は、そっと目を閉じた。


 そして、一歩だけ、上がってみた。


 すると、風の匂いが変わった。


 次の一歩を踏み出したとき、目の前に駅のホームが広がっていた。


 振り返ると、階段はどこにもなかった。


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