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「黒備えの武士」(時代劇)


 夜の江戸は、静寂に包まれていた。


 提灯の灯りがぼんやりと揺れ、石畳を濡らした雨が月光を反射する。しとどに濡れた木戸の前で、ひとりの侍が立ち尽くしていた。


 黒漆塗りの甲冑に、深々と被った兜。


 それは、かつて「黒備え」と呼ばれた戦国の武者の装いだった。



「おかしなことがあるんです」


 その日の昼下がり、北町奉行所の同心・松坂源四郎は、古馴染みの岡っ引き・新吉にそう告げられた。


「黒備えの武士が、夜な夜な江戸の町を歩いているんでさ」


「黒備え?」


「ええ。戦国の世ならいざ知らず、今は泰平の時代。そんな甲冑姿で出歩くなんざ、異様ってもんで」


「何か悪事を働いたのか?」


「いえ、妙なことに、誰も手出しを受けていない。ただ……」


「ただ?」


「目撃した者が、皆一様にこう言うんでさ。『あれは、死んだはずの武士だ』ってね」



 その夜、源四郎は町を巡回していた。


 そして、件の黒備えの武士を見た。


 路地裏に立つ姿は、まるでこの世の者ではないかのような威厳を漂わせている。


「そなた、何者だ?」


 源四郎が声をかけると、武士はゆっくりと振り向いた。


 その顔を見た瞬間、源四郎の全身に戦慄が走った。


「……まさか」


 それは、二年前に死んだはずの男だった。



「松平信綱――いや、そなたは確かに、二年前の御前試合で討たれたはず」


 源四郎は動揺を抑えつつ、相手を見据えた。


「御前試合で敗れた者が、その後どうなるか、知っているか?」


 武士の声は、湿った夜気に溶けるように響いた。


「知らぬはずがない。切腹を命じられたはずだ」


「左様。しかし、私は死ななかった」


「何?」


「私は、影武者だったのだ」



 松平信綱――江戸幕府の隠密として知られる彼は、数多くの戦を影から操った名将である。その名を継ぐ者は、たびたび影武者を用いると噂されていた。


「将軍家への忠義のために、私は死を演じた。しかし、主君はすでに亡き人。ならば私は、何のために生きている?」


 武士は静かに刀を抜き、源四郎に向けた。


「……果たすべきは、最後の使命」


「何をする気だ?」


「幕府の闇を暴く」



 源四郎は、その瞬間すべてを悟った。


 黒備えの武士は、幕府が闇に葬った者たちの怨念そのものだったのだ。


「貴殿が何を見たかは問わぬ。だが、これは忠義のためではない。もはや己の執念のためだ」


 武士は微笑み、そして、夜闇へと消えていった。


 翌朝、町のどこにも、黒備えの姿はなかった。


(終)


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