「消された昨日」(サスペンス)
目が覚めた。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、枕元のスマートフォンが6時30分を告げている。私は軽く伸びをして、寝ぼけた頭でスケジュールを確認する。
「今日は……火曜日?」
いや、違う。昨日も確か、火曜日だったはずだ。
おかしい。私は昨日、間違いなく火曜日を過ごした。でも、スマホのカレンダーは今日が火曜日だと表示している。
記憶違い? そんなはずはない。昨日のことを思い返してみる。朝、目覚めて、コーヒーを淹れて、会社へ向かい、上司と打ち合わせをして……
……して?
いや、待て。
昨日、私は何をした?
◆
落ち着こう。こういうときは、証拠を探せばいい。私はスマホの通話履歴を開いた。
昨日、会社の同僚・佐伯と電話をした記憶がある。ならば履歴に残っているはず。
――ない。
じゃあ、LINEのやり取りは?
――ない。
そんなはずはない。昨日の夜、佐伯と「今度のプロジェクト、大変だよね」とメッセージを交わしたはずだ。それがどこにもない。
私は震える手で、クローゼットを開けた。会社に着ていったはずのブラウスが、洗濯機の中にあるか確認するために。
――ない。
それどころか、洗濯機の中は空っぽだ。昨日の私は、何を着て過ごしていた? 何を食べて、誰と話した?
何も思い出せない。
◆
「おはよう」
リビングに入ると、夫の圭介がいつものように新聞を広げていた。
私は動揺を悟られないよう、ゆっくりと椅子に座る。
「ねえ……昨日って、何曜日だった?」
何気ないふりをして尋ねると、圭介は怪訝そうに顔を上げた。
「昨日? 月曜日だろ?」
私は思わず息を飲んだ。
「……え? でも、今日は火曜日だよ?」
「そうだけど?」
「昨日も、火曜日だった気がするの」
圭介は眉をひそめ、心配そうに私を見つめた。
「……寝ぼけてるんじゃないか?」
私は笑ってごまかしたが、内心、確信した。
何かがおかしい。
◆
会社に着くと、私はこっそり佐伯に話しかけた。
「ねえ、昨日ってさ、私と話したっけ?」
「昨日?」
佐伯は一瞬考え込み、首を横に振った。
「いや、話してないと思うけど……?」
私はぞっとした。
「でも、昨日LINEで――」
「LINE? してないよ?」
佐伯の表情に嘘はない。私の心臓が嫌な音を立てる。
――昨日、私は存在していたのか?
◆
帰宅後、私は圭介が風呂に入っている隙に、彼のスマホを開いた。
パスコードは知っている。彼に隠し事はないはずだ。
――でも。
通話履歴を遡ると、昨日の記録だけが抜け落ちていた。日曜日と、今日の火曜日の履歴はあるのに、月曜日がない。
……いや、違う。
「火曜日」が二日続いているのだ。
私は圭介のカレンダーアプリを開いた。そこにはこう書かれていた。
**「2月13日(火)」**
**「2月13日(火)」**
……昨日と、今日が、同じ日。
圭介が風呂場でシャワーを止める音が聞こえた。私はスマホを急いで元の場所に戻す。
――私は、「今日」をもう一度繰り返している。
◆
「ねえ、圭介」
眠る前、私は夫の隣でそっと尋ねた。
「もしさ……もし、『昨日』が消えていたとしたら、どう思う?」
「……何の話?」
「たとえば、ある日突然、世界の誰もが覚えていない日があったら」
圭介は少し沈黙した。そして、静かに言った。
「……そんなの、怖いな」
「うん。怖いよね」
「でも、それって……忘れる側の話だろ?」
私は息を飲んだ。
圭介は、私の手をそっと握った。その瞳には、言葉にできない何かが滲んでいた。
「……君は、大丈夫?」
私は、圭介の手の温もりを感じながら、そっと目を閉じた。
――私は、何を「忘れられた」んだろう?
(終)




