「言葉の果実」(実験小説)
私は一つの単語だ。
「林檎」
そう、私は「林檎」という言葉。赤く、丸く、甘酸っぱい果実を表す記号。しかし今、私は奇妙な世界に迷い込んでいた。
周りを見回すと、無数の文字が宙を舞っている。A、B、C……。あらゆる言語の文字が、まるで銀河系のように広がっていた。
「ここは……どこだ?」
私の問いかけに、誰も答えない。いや、答えられる存在がいないのかもしれない。
ふと、目の前に一冊の本が現れた。表紙には「未完の物語」と書かれている。好奇心に駆られ、私は本を開いた。
すると驚いたことに、ページは真っ白だった。
「これは……」
私が戸惑っていると、白いページに文字が浮かび上がり始めた。
『私は一つの単語だ。「林檎」』
そう、まるで私自身を描写するかのような文章が現れたのだ。
「まさか、これは私の物語?」
疑問が湧いた瞬間、周囲の景色が歪み始めた。文字の銀河が渦を巻き、私は中心へと吸い込まれていく。
目が覚めると、そこは果樹園だった。無数の林檎の木が整然と並んでいる。しかし、その実は普通の林檎ではなかった。全て文字でできていたのだ。
「ようこそ、言葉の果樹園へ」
声の主は、一本の老木だった。幹には「物語」という文字が刻まれている。
「私は……どうしてここに?」
「君は物語の種なのだよ。ここで育ち、やがて新たな物語を生み出す」
老木の言葉に、私は困惑した。
「でも、私はただの「林檎」という言葉です。物語なんて……」
「全ての言葉は、物語の可能性を秘めている。さあ、成長するのだ」
老木の言葉と共に、私は地面に埋まっていく。恐怖を感じる間もなく、新たな芽が生えてきた。
時が流れる。
私は木となり、枝を伸ばし、葉を茂らせた。そして、実をつけ始めた。その実は、全て小さな本の形をしている。
「これが、私から生まれた物語?」
風が吹き、熟した本が枝から落ちる。開かれたページから、無数の文字が飛び出した。それらは新たな銀河を形作り、その中心に一冊の本が浮かび上がる。
『私は一つの単語だ。「林檎」』
そう、全ては元に戻ったのだ。いや、新たな始まりを迎えたのかもしれない。
私は再び「林檎」という言葉に戻り、未知の物語の世界へと飛び込んでいく。
そして読者よ、あなたもまた、この物語の中の一つの言葉となるだろう。
(終)
……チリンチリン。
風鈴の音が鳴り、物語は幕を閉じた。しかし、それは新たな物語の始まりでもあった。