表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いろんなショートストーリー集  作者: 霧崎薫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/237

「永遠の庭師」(現代ファンタジー)


 私が花屋「エデン」で働き始めたのは、ちょうど桜の散り始める頃だった。店主の老人――村人たちは彼を「永遠の庭師」と呼んでいた――は、いつも同じ緑色の作業着を着て、鉢植えの間を静かに行き来していた。彼の指先から溢れる生命力は魔法のようだった。枯れかけた花も、彼の手にかかれば翌日には鮮やかな色を取り戻すのだ。


「植物には魂がある」


 老人はよくそう言っていた。その声は乾いた大地に染み入る雨のように、静かでありながら確かな存在感を持っていた。


「だから僕たちは対話できるんだよ」


 最初、私はそれを年寄りの戯言だと思っていた。しかし、彼の手入れを受けた植物たちの生命力は、明らかに常識を超えていた。真冬に咲く桜、真夏に輝く紅葉、四季を無視して次々と花を咲かせるチューリップ。彼の温室は、自然の法則から解放された楽園のようだった。


 ある日、老人は私に小さな種を一つ渡した。


「これは特別な種だ。君だけに任せよう」


 その種は、見たこともない形をしていた。真珠のような白さと、ダイヤモンドのような硬さ。そして、わずかに脈打つような温かさを持っていた。


「毎日、君の言葉をかけて育ててごらん。思いを込めて」


 私は半信半疑ながらも、その種を特別な鉢に植えた。そして毎日、水をやりながら話しかけた。自分の日常のこと、夢のこと、時には悩みさえも。


 一週間が過ぎ、芽が出た。通常の芽とは明らかに違っていた。それは透明な水晶のような質感を持ち、中を流れる緑の生命力が見えるようだった。さらに一週間、その芽は私の身長ほどまで伸び、不思議な光を放ち始めた。


 そして一ヶ月後、花が咲いた。


 それは言葉を失うほど美しかった。花弁は虹色に輝き、風もないのに絶えず揺れ動いていた。そして、最も驚くべきことに、その花は音を奏でていた。かすかな、しかし確かにメロディを持った音楽が、花から流れていたのだ。


「よく育ったね」


 老人は微笑んだ。その表情には、どこか懐かしさと悲しみが混ざっていた。


「この花は『記憶の花』と呼ばれている。育てた人の記憶と感情を映し出すんだ」


 私は息を呑んだ。確かに、その花の奏でるメロディは、幼い頃に母が歌ってくれた子守歌に似ていた。そして花の香りは、忘れていた故郷の草原の匂いそのものだった。


「でも……どうして私にこんな貴重な種を?」


 老人はゆっくりと目を閉じた。


「私の時間はもう長くない。この花屋を託せる人を探していたんだ」


 その言葉に、私は胸が締め付けられる思いがした。確かに最近、老人の姿はより一層透明感を増し、時折、その輪郭がぼやけて見えることがあった。


「でも、あなたがいなくなったら、この不思議な植物たちは……」


「大丈夫」


 老人は優しく微笑んだ。


「君はもう、私と同じように植物と話せるようになっている」


 私は驚いて周囲の植物たちを見回した。確かに、今まで気づかなかった変化があった。葉の揺れる音が言葉のように聞こえる。花の香りが感情を伝えてくる。根の伸びる音が生命の鼓動のように感じられる。いつの間にか、私も植物の言葉を理解し始めていたのだ。


 その日から、老人は私に多くのことを教えてくれた。植物との対話の仕方、季節を超えて花を咲かせる秘訣、そして最も大切な――植物の「終わり」と向き合う方法。


「全ての植物には寿命がある。でも、それは本当の終わりではない」


 老人はそう言いながら、枯れた花を土に返した。


「見ていてごらん」


 土に還った花の場所から、新たな芽が出始めた。枯れた花とは全く別種の、新しい命だ。


「生命は形を変えて続いていく。それが自然の循環だ」


 翌週、老人の姿はさらに透明になっていた。彼が店内を歩くと、その足跡に小さな芽が生まれた。彼の吐く息は花の香りを帯び、彼の汗は朝露のように植物を潤した。


「もうすぐだね」


 老人は静かに言った。私は言葉もなく、ただ頷いた。


 その晩、老人は温室の中央に立ち、月光を浴びていた。彼の体は次第に輝き始め、その光は周囲の植物たちに吸収されていった。最後に彼は私に微笑みかけ、そして――消えた。


 翌朝、老人がいた場所には、見たこともない木が芽生えていた。それはまるで銀色の葉を持ち、幹は水晶のように透明で、中を流れる生命力が見えた。


 私は呆然と立ち尽くしていたが、不思議なことに悲しみはなかった。むしろ、静かな納得と安らぎを感じていた。それは老人――いや、今は「永遠の木」となった彼が、私に送るメッセージのようだった。


 それから数年、花屋「エデン」は私が引き継いで続けていた。老人から学んだ技術で、私も植物と対話し、季節外れの花を咲かせるようになった。村人たちは今度は私を「永遠の庭師」と呼ぶようになった。


 そして時々、私は店の奥の温室で、あの銀色の木に語りかける。すると木は葉を揺らし、かすかな音楽を奏でる。それは老人の声に似ている。


「いずれ私も……」


 そう思うと不思議と怖くはなかった。いつか私も土に還り、新たな命となる。そして別の「永遠の庭師」が現れ、この循環は続いていく。


 今日も新しい見習いが店にやってきた。緊張した面持ちの若者だ。桜が散り始める季節――老人が私を迎えた、あの日と同じ季節に。


「植物には魂がある」


 私は若者に語りかけ、小さな真珠のような種を一つ、彼の手のひらに乗せた。


「だから僕たちは対話できるんだよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ