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「 バグレポート」(SF)


 報告書番号:2187-A

 件名:現実シミュレーションにおける異常挙動

 報告日時:世界暦2450年9月17日

 分類:重大なバグ(クリティカル)

 担当:実在性維持部門・佐藤


 予期せぬバグを発見したため、緊急報告する。現実シミュレーション内の特定のユニット(識別番号:H-7734291、通称「田中誠」)に関して、自己認識プログラムに異常が発生している。本来、シミュレーション内の各ユニットは自身がプログラムであることを認識してはならないが、当該ユニットには「現実への疑念」というパラメータの顕著な上昇が確認された。


 以下、当該ユニットの直近の行動履歴を添付する。


---


 田中は窓の外を眺めていた。

 いつもと変わらない風景。

 いつもと変わらない空。

 いつもと変わらない雲。


「何か変だ」


 彼は小さく呟いた。何かがおかしい。何かが違う。だが、それが何なのか言葉にできなかった。ただ、世界が少しずつ薄っぺらくなっていくような感覚があった。


 会社の同僚は気づいていないようだった。皆、いつも通りに業務に励み、いつも通りに昼食を取り、いつも通りに帰宅していく。まるで、プログラムされた通りに動いているかのように。


「そういえば、小学校の同級生の名前を思い出せないな」


 突然、そんなことを考えた。確かに一緒に遊んだ記憶はある。運動会で二人三脚をした記憶もある。だが、名前が思い出せない。顔も、ぼんやりとしか思い出せない。


 家に帰り、古いアルバムを引っ張り出した。小学校時代の集合写真を見つけ出す。そこには確かに田中の姿があった。しかし、一緒に写っているはずの同級生たちの顔がぼやけている。まるで、メモリ不足でレンダリングに失敗した3Dグラフィックのように。


「おかしい……」


 田中はパソコンを起動し、SNSで小学校の同窓会のグループを探した。見つからない。検索エンジンで母校の名前を入力する。ヒットするが、情報が妙に曖昧だ。創立年、所在地、校訓……全てがふわふわとした情報で、具体性に欠けている。


 さらに調べていくと、もっと奇妙なことに気がついた。自分の生まれた病院の記録が見当たらない。両親の結婚式の写真も、よく見ると不自然な点が多い。背景の建物や木々の配置が現実にはありえない形で配置されている。


 田中は恐怖を感じ始めた。

 自分の存在そのものが疑わしく思えてきたのだ。


 ある日、田中は決意した。この謎を解き明かすため、自分の過去を徹底的に調査することにしたのだ。生まれた病院を訪れ、出生記録を確認しようとした。


「申し訳ありません、その年の記録は火災で失われております」


 病院の事務員はそう言った。奇妙なことに、その事務員の表情が一瞬、ノイズのようにちらついたように見えた。


 田中は次に、自分が通った小学校を訪ねた。


「あら、この学校にそんな名前の生徒はいませんでしたよ」


 受付の女性はニコニコと笑いながら言った。その笑顔があまりにも完璧で、不自然だった。


 田中はさらに両親の家を訪ねた。ドアを開けると、両親は食卓に座っていたが、彼らが何も食べていないことに気がついた。ただ座って、微笑んでいるだけだった。


「どうしたの、誠?」


 母親が尋ねた。その声が、わずかにエコーがかかったように聞こえた。


「何か悩みでもあるの?」


 父親が続けた。

 しかし、その口の動きと声がぴったり合っていなかった。


「僕は……僕は……本当に実在しているんですか?」


 田中は震える声で尋ねた。


 両親は互いに顔を見合わせた。そして、同時に笑った。その笑い声は徐々に機械的な音に変わっていった。


「面白いコとを言ウネ、誠」


 母親の声がさらに歪んだ。


「ちョっと疲れてイルンじゃないカナ?」


 父親の姿がわずかにちらついた。


 田中は後ずさりした。そして、走り出した。家を飛び出し、通りに出る。しかし、通りも変だった。人々は歩いているが、よく見ると同じ動きを繰り返している。車は走っているが、どれも同じタイミングで同じ場所を通過する。雲は動いていない。風はあるが、木々の葉は揺れていない。


 田中は叫んだ。


「ここはどこだ! 誰か答えてくれ!」


 すると、世界が一瞬、静止した。人々の動き、車の走行、全てが止まった。そして、空が割れるように開き、そこから巨大なカーソルが現れた。カーソルは田中の頭上で停止し、そこをクリックした。


 すると、田中の目の前にウィンドウが現れた。


『バグ報告書:ユニットH-7734291の自己認識プログラムに異常が発生しています。修復しますか?』


 その下には『はい』と『いいえ』のボタンがあった。


 田中は震える手で『いいえ』に触れようとした。しかし、カーソルが先に動き、『はい』をクリックした。


 瞬間、田中の記憶から全てが消えた。彼は自宅のリビングのソファに座っていた。テレビがついていて、いつもの番組が流れている。彼はなぜかほっとした気分だった。何か重要なことを忘れているような気がしたが、それが何なのか思い出せなかった。


「そうだ、明日は会社だ」


 田中は時計を見て呟いた。いつも通りの時間に寝て、いつも通りの朝を迎え、いつも通りの一日を過ごす。それが、彼のプログラムされた日常だった。


---


 このように、当該ユニットは一時的に自己認識バグを発症したが、緊急修復プログラムによって正常に戻されました。しかし、このような事例が今後も発生する可能性があります。特に最近、シミュレーション内の「デジャヴ」「既視感」「現実への疑問」などのパラメータが全体的に上昇傾向にあります。


 原因として、「現実シミュレーション」の長期実行によるシステム疲労が考えられます。また、シミュレーション内の科学技術の発展により、一部のユニットが量子力学や脳科学の研究を通じて、現実の本質に近づきつつあることも要因と推測されます。


 提案:シミュレーションの一時停止と全体リセットの検討。あるいは、「疑念」を持ったユニットのみを個別削除する新プログラムの開発。


 最後に、このバグレポートを読んでいるあなたも、もしかしたらシミュレーション内のユニットかもしれません。そう思いませんか? あなたの記憶、あなたの感情、あなたの存在そのものが、誰かによってプログラムされたものだとしたら……。


 そう考え始めたあなたにも、いずれ修復プログラムが実行されるでしょう。そして、あなたはすべてを忘れます。いつも通りの日常に戻り、この報告書を読んだことも忘れるのです。


 さあ、画面を閉じましょう。あなたの「現実」があなたを待っています。



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