「猫とレコードの午後」(日常)
夏の午後、窓から差し込む陽光が畳を温めていた。夏樹は古い家の一室で寝転がり、ぼんやりと天井を見ていた。手に持ったアイスキャンディーが溶け始め、指先を冷たく濡らしている。
「にゃー」
足元で、白い猫が小さく鳴いた。夏樹が拾ってきた野良猫で、名前はまだない。白い毛並みに青い目が特徴で、最近はこの家にすっかり馴染んでいる。
「お前、腹減ったのか? またかよ」
夏樹が起き上がり、台所へ向かうと、猫はトコトコと後をついてきた。冷蔵庫から魚の切り身を取り出し、フライパンで焼いてやる。香ばしい匂いが部屋に広がり、猫が待ちきれずに足元でウロウロし始めた。
「はいはい、できたよ。熱いから気をつけな」
皿に載せて床に置くと、猫は嬉しそうに食べ始めた。夏樹はその様子を眺めながら、アイスを舐め続けた。まったりとした時間が流れ、どこか遠くで蝉の声が聞こえる。
この家は、去年亡くなった祖父のものだ。両親が仕事で忙しく、夏休みの間、夏樹が一人で留守番がてら住んでいる。古い木造の家で、電気はつくけどエアコンはない。扇風機の風が頼りだ。
縁側に座り、猫と一緒に外を眺めた。庭には雑草が伸び放題で、祖父が大事にしていた小さな畑は今や荒れ果てている。でも、夏樹はその荒れた感じが嫌いじゃなかった。完璧すぎないのが、なんだか落ち着く。
「なぁ、お前さ。名前つけようか?」
「にゃう」
猫が顔を上げ、夏樹を見た。まるで返事したみたいで、夏樹は笑った。
「じゃあ……ミルクでいいか? 白いし」
「にゃー」
「了解。ミルクで決定な」
そんな他愛ないやりとりが、夏樹には妙に楽しかった。友達と遊ぶのもいいけど、こうやって猫と過ごす時間が、最近のお気に入りだった。
午後三時を過ぎると、夏樹は部屋の奥にしまってあった古いレコードプレーヤーを引っ張り出した。祖父が趣味で集めていたレコードが、棚にぎっしり並んでいる。埃をかぶったジャケットを手に取ると、知らない歌手の名前が書いてあった。
「これ、どんな曲かな……」
針を落とすと、ザリザリというノイズの後、穏やかなジャズが流れ始めた。サックスの音が柔らかく響き、部屋に懐かしい空気を運んでくる。夏樹は目を閉じ、音に身を委ねた。ミルクも近くに丸まって、眠そうな顔をしている。
「祖父ちゃん、これ聴いてたのかな」
夏樹は祖父のことをよく覚えている。無口で、でも優しかった人。夏樹が小さい頃、レコードをかけながら庭で一緒に遊んでくれた。あの頃は、この家がもっと賑やかだった気がする。
曲が終わり、次の曲が始まるまでの静寂に、夏樹はふと思った。自分もいつか、こんな風に誰かに覚えられるのかなって。でも、そんな重い考えはすぐに溶けた。ミルクが伸びをして、夏樹の膝に頭を乗せてきたからだ。
「お前、重いって……まあいいけど」
夏樹は苦笑いしながら、ミルクの頭を撫でた。柔らかい毛並みが気持ちよくて、つい笑顔になる。
夕方になると、少し涼しくなった風が部屋を通り抜けた。夏樹はレコードをもう一枚かけ、縁側でミルクと並んで座った。夕陽が庭をオレンジに染め、遠くの山が霞んでいる。
「なぁ、ミルク。明日もこうやって過ごそうぜ」
「にゃー」
ミルクの返事が、風に混じって小さく響いた。夏樹はアイスの棒を手に持ったまま、空を見上げた。雲がゆっくり流れ、どこかへ消えていく。急ぐことも、頑張ることもない。ただここにいるだけでいい。そんな時間が、夏樹にとって何よりの宝物だった。
レコードの針が最後まで進み、静かに止まった。夏樹とミルクは、その余韻に浸りながら、夕暮れをまったりと眺め続けた。