「運命の塔の唄」(ファンタジー)
森の奥深くに、苔むした石塔が静かに佇んでいた。シエラはその前に立ち、風に揺れる金髪を押さえながら見上げた。運命の塔。旅の途中で耳にした噂では、ここで試練を乗り越えた者は望む未来を手に入れられるという。彼女はリュートを背に負い、意を決して扉を押した。
中は薄暗く、階段が果てしなく上に伸びていた。足音だけが響き、どこか現実から切り離された感覚が彼女を包んだ。やがて、一階の部屋にたどり着くと、黒いローブをまとった男が立っていた。
「ようこそ、吟遊詩人。ここは運命の塔だ。俺はカイル、この場所の守護者だ」
その声は低く、感情が感じられなかった。シエラは少し身構えたが、礼儀正しく頭を下げた。
「試練を受けに来たよ。どんな未来でもいいから、自分の道を見つけたいんだ」
カイルは無表情のまま頷いた。
「ならば、選択を始めよう。上に進むごとに試練が待っている。だが警告しておく。すべての選択は、お前を新たな迷路に導く」
シエラはリュートを手に持つと、最初の階段を上り始めた。一階ごとに現れる部屋では、奇妙な選択が彼女を待っていた。一つ目の部屋では、「剣を取るか、盾を取るか」を迫られた。剣を選べば戦士の道が開け、盾を選べば守護者の道が開けるという。彼女は迷った末、剣を選んだ。
次の部屋では、「友を救うか、敵を倒すか」を選ばされた。剣を持っていた彼女は、敵を倒す道を選んだが、その選択が新たな問いを呼んだ。「倒した敵が実は友だった場合、どうする?」とカイルが尋ねてきた。シエラは言葉に詰まった。
塔を登るごとに、選択は複雑さを増した。ある部屋では「過去に戻るか、未来を見るか」を選ばされ、別の部屋では「自分を犠牲にするか、他者を犠牲にするか」を迫られた。どの選択も一見解決に見えたが、次の試練で矛盾が露わになる。過去に戻れば未来が消え、他者を救えば自分が失われる。
そして、最上階にたどり着いた。そこは円形の広間で、壁一面に鏡が並んでいた。カイルが中央に立ち、静かに言った。
「最後の選択だ。右の扉か、左の扉か。右を選べばお前は自由になり、左を選べば世界が救われる。どちらか一方だ」
シエラは眉を寄せた。
「自由と世界の救い、両方を手に入れる道はないの?」
カイルの目がわずかに細まった。
「ない。それがこの塔のルールだ」
その時、鏡の中から低い声が響いた。影の声だった。
「お前が自由を選べば、世界は滅びる。お前が世界を選べば、お前は永遠にここに閉じ込められる。どちらも選ばなければ、何も変わらない……」
シエラはリュートを握り潰しそうなくらい強く抱きしめた。選択のパラドックスが彼女の心を締め付けた。自由を選べば罪悪感に苛まれ、世界を選べば自分の夢が潰える。選ばなければ、永遠にこの塔に囚われる。
「どうしてこんな試練なの!? 何を選んでも苦しむだけじゃないか!」
彼女の叫びが広間に響いた。カイルは冷たく答えた。
「それが運命だ。お前が求める答えは、選択そのものの中にある」
影の声が嘲笑うように付け加えた。
「選べないこともまた選択だよ、吟遊詩人……」
シエラは膝をついた。頭の中がぐるぐると回り、過去の選択がフラッシュバックした。剣を選び、敵を倒し、他者を犠牲にした。すべてが繋がり、彼女をこの瞬間に導いた。そして気づいた。どの選択も、完全な解決にはならない。パラドックスの輪は閉じているのだ。
だが、その時、彼女の中で何かが弾けた。リュートを手に取り、弦を鳴らした。澄んだ音が広間に響き、鏡が震えた。
「選択なんてしないよ。私がここで歌う。それが私の答えだ」
カイルが初めて表情を変えた。驚きだった。
「歌う? それはルールにない」
「ルールがなくても、私には歌がある。これが私の運命だよ」
シエラは目を閉じ、即興の旋律を紡ぎ始めた。歌詞は彼女の旅路を語り、迷いと希望を織り交ぜた。影の声が途中で消え、鏡が次々と砕けた。
やがて、歌が終わりを迎えた。広間は静寂に包まれ、カイルがゆっくりと口を開いた。
「お前は試練を破った。選択を拒み、新たな道を創った。塔はそれを認める」
次の瞬間、光がシエラを包んだ。目を開けると、彼女は森の入り口に立っていた。リュートはまだ手にあり、塔は遠くに霞んでいた。自由も世界の救いも選ばなかった彼女だが、なぜか心は軽かった。
風が吹き、木々がざわめいた。シエラはリュートを背負い直し、歩き出した。次に歌うべき場所を求めて。選択のパラドックスを超えた彼女は、もはや運命に縛られていなかった。




