「鏡の庭の秘密」(ファンタジー)
庭園の奥に佇む古い石造りの泉からは、絶えず水がこぼれ落ちていた。陽光が水面に反射し、きらめく光が周囲の苔むした石を照らし出す。泉の縁には、小さな青い花が一輪だけ咲いており、そよ風に揺れている。庭の中央には、磨かれた鏡のような円形の石板が横たわり、その表面には何も映らない。ただ、遠くからかすかに聞こえる鳥のさえずりが、静寂を優しく揺らしていた。
「この場所、初めて見たのに懐かしい感じがするね」
草の上に座ったリナが、目を細めて泉を見つめた。彼女の声は柔らかく、風に溶けるようだった。
「偶然見つけただけだよ。地図にも載ってなかったし」
泉のそばに立つタクミが、手に持った革製の鞄を肩にかけ直した。彼の足元には、先ほど拾った小さな石ころが転がっている。
「でもさ、この鏡みたいな石、何のためにあるんだろう?」
リナが立ち上がり、石板に近づいた。彼女が手を伸ばすと、指先が触れた瞬間、石板に一瞬だけ青い光が走った。
「何!? 今、光ったよね?」
タクミが驚いて駆け寄ると、リナは笑いながら首を振った。
「私の気のせいじゃないよ。ほら、もう一回やってみる」
彼女が再び触れると、今度はっきりと光が広がり、石板に泉の水面が映り込んだ。二人は息を呑み、互いに顔を見合わせた。
昼下がり、庭園には不思議な静けさが漂っていた。リナは泉の縁に腰かけ、タクミは石板の周りを歩き回っていた。石板に映る泉の映像は、ただの反射ではなく、時折揺れて別の景色を見せる。木々の間を飛ぶ鳥や、見たことのない花が咲く風景がちらりと現れては消えた。
「これ、鏡じゃないよ。なんか……魔法みたいだ」
リナが呟くと、タクミはしゃがみ込んで石板をじっと見つめた。
「魔法って言うなら、この庭自体が変だよ。あの青い花だって、さっきからずっと同じ角度で揺れてる」
彼が指差すと、確かに花は風向きに関係なく一定のリズムで動いていた。リナが立ち上がり、花に手を伸ばそうとした瞬間、泉の水が急に波立ち始めた。
「待って、何かおかしい」
タクミが声を上げると、水面から低い音が響き、庭全体が微かに震えた。石板に映る映像が一気に加速し、森や川、空が目まぐるしく入れ替わる。そして、突然、二人の姿が石板に映り込んだ。だが、そこに映る彼らは、今とは違う服を着て、笑いながら手を振っていた。
「これ、私たちじゃないよね?」
リナが震える声で言うと、タクミは首を振った。
「わからない。でも、この石、俺たちが拾った石ころと似てる気がする」
彼がポケットから取り出した石を石板に近づけると、ピタリと映像が止まり、二人の姿が消えた。
夕暮れが近づき、庭園の空は茜色に染まっていた。リナとタクミは石板の前に座り、慎重に状況を見極めていた。泉の水は静かになり、青い花は動きを止めていた。タクミが持つ石ころを石板に置いた瞬間、光が再び広がり、今度は庭園全体が映り込んだ。だが、その映像にはもう一人の人物がいた。長いローブをまとった少女が、泉のそばで何かを手に持っている。
「誰だろう、この子?」
リナが呟くと、少女が突然こちらを見上げた。石板越しに目が合い、リナは思わず後ずさった。
「見られてる!? どういうこと!?」
タクミが慌てて石ころを手に取ると、映像が消え、石板は再びただの鏡に戻った。だが、その時、泉の水面が大きく揺れ、中から細い手が伸びてきた。
「逃げよう!」
タクミがリナの手を掴み、走り出そうとした瞬間、背後で声が響いた。
「待ってください。私を助けて」
振り返ると、泉から這い出た少女が二人を見つめていた。彼女の手には、タクミが持っていた石ころと同じ形の石が握られている。
夜が訪れ、庭園は月明かりに照らされていた。少女はエミと名乗り、泉のそばで二人に話しかけた。
「私はこの庭の守り手だった。でも、ある日、鏡に閉じ込められてしまったの。あの石は私の鍵だったけど、失ってしまって……」
エミの声は儚く、風に消えそうだった。リナがそっと尋ねた。
「じゃあ、私たちが拾った石であなたを解放できるの?」
エミが頷くと、タクミが石ころを差し出した。彼女がそれを受け取った瞬間、石板が眩しく輝き、庭全体が光に包まれた。青い花が一斉に咲き乱れ、泉の水が空へと昇っていく。
「ありがとう。私はやっと自由になれる」
エミが微笑むと、彼女の姿は光と共に消えた。石板は砕け、ただの石ころに戻った。
朝が訪れ、庭園は元の静けさに戻っていた。泉からは水がこぼれ落ち、青い花が一輪だけ咲いている。リナとタクミは立ち尽くし、手に残った石ころを見つめた。
「夢だったのかな?」
リナが呟くと、タクミが笑った。
「夢でもいいさ。でも、この石、持って帰ろうぜ」
二人が庭を後にすると、泉の水面に一瞬だけエミの笑顔が映り込んだ。そして、遠くからかすかに聞こえる鳥のさえずりが、再び静寂を優しく揺らした。




