『写真師の告白』(現代ドラマ)
明治時代の写真館は、黒い布に覆われたカメラと、重厚な背景幕が特徴的だった。私は祖父から受け継いだ硝子乾板を磨きながら、窓の外に広がる港町を眺めていた。真鍮の置時計は、正午を指している。
「お客様がいらっしゃいました」
助手が恭しく告げる。入ってきたのは、着物姿の老紳士だった。
「写真を撮りたい」
その声には、どこか切迫した響きがあった。
「ご家族の記念写真でしょうか?」
老紳士は首を振った。
「これを、写してほしい」
差し出されたのは、一枚の古い文書。見覚えのある印章が押されている。
「これは……」
私の手が震えた。15年前、祖父が最後に撮影した文書と同じ印章。
「そうです。かつての密約の証です」
老紳士の目が、壁に掛かった古い写真に向けられる。
「あなたの祖父は、この密約の存在を写真に収めた」
置時計の音が、重く響く。
「そして、その事実を、誰にも語らなかった」
私は黙って硝子乾板を手に取った。
「今度は、あなたの番だ」
老紳士が差し出した封筒には、大金が入っていた。
「これが最後の密約です」
私はカメラの後ろに立ち、黒い布を被った。レンズを通して見える文書には、国の行く末を左右する内容が記されていた。
「シャッターを切る前に、考えてください」
助手の声が、かすかに震えている。
「祖父は、なぜ沈黙を守ったのか」
私は深く息を吸った。そして、ゆっくりとレンズカバーを外した。
「これで、全てが終わりますよ」
老紳士の声が、静かに響く。
「いいえ、始まるのです」
私はシャッターを切らずに、カメラの後ろから出た。
「祖父は、真実を写さなかった。あえて隠したのです」
老紳士の顔が青ざめる。
「なぜなら、それが正しい選択だったから」
私は文書を老紳士に返した。置時計が1時を打つ。
「お帰りください」
老紳士は無言で去っていった。壁の古い写真が、静かに微笑んでいるように見えた。




