「影の残響」(サスペンス)
雨の音がアパートの薄い壁を叩き、湿った空気が部屋に漂っていた。俺は引っ越してきたばかりの古い一室で、前の住人が残した小さな木箱を見つけた。蓋には「開けるな」と彫られ、錆びた錠前がかかっていた。なぜかその警告が俺の好奇心を刺激し、工具箱からペンチを取り出して錠を壊した。
中には、一枚の写真と手書きのメモが入っていた。写真には、見知らぬ男が薄暗い部屋でこちらを見つめている姿が映り、背後には歪んだ影が伸びていた。メモにはこう書かれていた。「影が動く時、真実が聞こえる」。裏返すと、日付が記されていた。「2024年10月15日」。ちょうど一年前だ。
その夜、奇妙なことが起こった。眠りに落ちる直前、部屋の隅でカサリと音がした。目を凝らすと、俺の影が壁に揺れている。だが、俺は動いていない。心臓が跳ね上がり、電気をつけると影は消えた。疲れのせいだと自分を納得させ、再び眠った。
翌日、俺は近所の古物商に写真を見せた。店主は目を細め、言った。「この男、去年ここで働いてたよ。急に辞めて、誰も居場所を知らない」。男の名前は佐藤と言い、静かだがどこか暗い雰囲気だったという。店主は写真を返す際、付け加えた。「その箱、開けちゃったんだね。気をつけて」
その言葉が頭に引っかかりながら、俺は帰宅した。夜、仕事を終えて部屋に戻ると、また影が動いた。今度ははっきりと、壁を這うように伸び縮みしている。恐怖が喉を締め付けたが、メモの言葉を思い出した。「影が動く時、真実が聞こえる」。俺は意を決し、影に向かって呟いた。「何だ、お前は?」
すると、低い声が耳元で響いた。「お前が俺を開けた」。背筋が凍りつき、振り返っても誰もいない。声は続いた。「箱の中を見たなら、俺の真実を知れ」。震える手で写真を手に取り、もう一度見つめた。男の目が、まるで俺を責めるように光っている気がした。
翌朝、俺は佐藤の足跡を追うことにした。古物商の紹介で、彼が住んでいたアパートを訪ねると、管理人が教えてくれた。「佐藤は一年前、突然姿を消した。部屋には妙なメモと写真が残っててね」。そのメモを見せてもらうと、俺が箱で見たものと同じ文が書かれていた。「影が動く時、真実が聞こえる」。写真も同じ男のものだった。
混乱が深まる中、俺は自分の過去を振り返った。2年前、俺は親友を裏切ったことがある。彼のアイデアを盗み、仕事で成功を収めたが、その後彼は失踪した。名前は佐藤だった。まさかと思いながら、写真をよく見ると、男の顔が親友に似ている気がした。でも、彼ではない。目が違う。
その夜、影が再び現れた。今度ははっきりと人の形をとり、俺に近づいてきた。声が響く。「お前が俺を閉じ込めた。箱に隠した」。俺は叫んだ。「お前は誰だ!佐藤じゃないのか?」影は静かに答えた。「俺はお前の影だ。お前が捨てた罪の残響だ」
突然、記憶が蘇った。あの裏切りの後、俺は罪悪感に苛まれ、親友からもらった写真と謝罪の手紙を木箱に閉じ込めた。鍵をかけて押し入れに隠し、二度と見なかった。あの箱は、引っ越しの際に紛失したはずだった。なのに、なぜここに?
影が迫り、俺は箱を手に持った。「許してくれ」と呟くと、影は消え、部屋は静寂に包まれた。箱を開けると、写真とメモがなくなっていた。代わりに、一枚の紙が残されていた。「お前が俺を開放した。もう聞こえない」。俺の字だった。
翌日、俺は親友を探す決意をした。古物商に連絡先を尋ねると、店主は驚いた顔で言った。「佐藤なら、昨日ここに来てたよ。お前に会いたいって」。俺は息を呑んだ。彼は生きていた。そして、俺を許すために戻ってきたのだ。
家に戻ると、影はもう動かなかった。箱を手に持つと、初めて軽さを感じた。窓を開けると、雨が上がり、朝日が部屋を照らした。俺は箱を棚に置き、親友に会う準備を始めた。罪の残響は消え、俺はようやく前を向けた。




