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いろんなショートストーリー集  作者: 霧崎薫


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「桜の二重奏」(ラブサスペンス)


 桜が散る音が聞こえるなんて、詩人の戯言だと思っていた。でも、あの日、彼女と並んで歩いた公園の小道で、確かにその音を聞いた。風が花びらを巻き上げ、彼女の髪に絡まるのを見ながら、俺は言った。「春って、こんなにうるさいんだな」


 彼女——美咲は笑って、俺の手を握り返した。「うるさいのは君の心じゃない?」彼女の声は柔らかく、桜の淡い色に溶けそうだった。俺たちは付き合って半年。大学の文芸サークルで知り合った。俺が書いた短編に彼女が絵をつけてくれたのがきっかけだ。以来、彼女の描く桜のスケッチと、俺の言葉が寄り添うようになった。


 その夜、俺はいつものように原稿を書いていた。締め切り間近の恋愛小説だ。タイトルは「桜の下の約束」。主人公が桜の木の下で恋人にプロポーズする話——ありきたりすぎて、自分でも呆れるほどだった。美咲に読ませるのが恥ずかしくて、机の引き出しに隠した。


 翌日、美咲がアパートに来た。彼女は珍しく静かで、手にはスケッチブックを持っていた。「ねえ、これ見て」と差し出されたページには、桜の木の下で抱き合う二人が描かれていた。男の顔は俺に似ていて、女は美咲そのもの。だが、背景の桜が奇妙だった。花びらが赤く、血のように滴っている。


「不気味でしょ?」美咲は笑ったが、目がどこか遠くを見ていた。「夢で見たんだ。この絵の続き、君に書いてほしいな」


 その言葉が頭に残り、俺は原稿を書き直した。物語は変わった。桜の下でのプロポーズは、突然の別れにすり替わった。女が男に告げる。「君の春は、私じゃない別の誰かと咲くよ」。書き終えた時、胸が締め付けられるような痛みを感じた。美咲に読ませると、彼女は黙って頷き、「これでいい」と言った。


 数日後、美咲が姿を消した。電話も繋がらず、サークルの仲間も彼女を見ていないと言う。俺は慌てて彼女の部屋へ向かったが、そこは空っぽだった。机の上に残されていたのは、あのスケッチブックだけ。開くと、最後のページに新たな絵が加えられていた。桜の木の下で一人立つ俺と、その背後に立つ赤い花びらの女。彼女の顔はぼやけていたが、どこか美咲に似ていた。


 混乱した俺は、原稿を手に公園へ走った。桜の木の下で読み直すと、物語の最後に知らない文章が浮かんでいた。「彼女は桜の向こう側で君を待つ」。風が吹き、花びらが舞う中、俺は気づいた。美咲が消えた日から、俺の周りの桜が赤く染まり始めていた。


 その夜、夢を見た。美咲が桜の木の下に立ち、俺に手を振っている。だが、近づくほど彼女の姿が薄れ、代わりに赤い花びらが体を覆った。「君が書いた物語が、私をここに連れてきたよ」と彼女は囁いた。目が覚めると、枕元にスケッチブックが置かれていた。中には、俺が夢で見た美咲の絵。そして、その下に一言。「さよなら、私の春」


 翌朝、公園の桜は再び白に戻っていた。俺は原稿を手に、編集者に渡した。タイトルは「桜の二重奏」。編集者は感動しながら言った。「切ないけど、素晴らしい恋愛小説だ。彼女の別れがこんな形で昇華するなんて」


 俺は笑えなかった。物語の最後、主人公が桜の下で一人立つシーンは、俺自身だった。美咲が消えた理由はわからない。でも、彼女が言った「君の春は別の誰かと咲く」という言葉が現実になりつつある気がした。なぜなら、原稿の隅に書かれた「さよなら」の文字が、俺の手で書いたものじゃなかったから。


 桜の季節が終わり、俺は新しい恋を始めた。相手はサークルの後輩で、明るくて優しい子だ。彼女と歩く公園で、白い花びらが舞うのを見ながら、俺はふと思う。あの赤い桜は、俺が美咲を書いた物語だったのか。それとも、美咲が俺を書いた物語だったのか。


 風が吹き、花びらが散る。その音は、どこかで聞いた美咲の笑い声に似ていた。



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