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いろんなショートストーリー集  作者: 霧崎薫


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「力のあとに遺るもの」(SF)

 その日、天は沈黙していた。光も風も途絶えたような寂寥の空気の中、一人の男が瓦礫の山からゆっくりと立ち上がった。


 ……その名を、誰も知らなかった。


 しかし、彼が立った瞬間、誰もが「彼こそが英雄だ」と確信した。


 白い道着に似た衣服、広い背中、鋼のような腕。彼はどこか懐かしい時代の匂いをまとっていた。だが、ここはもはや東京でもソウルでもなく、名前すら失った世界──崩壊後の人類都市〈第五層〉。


 彼は自分の名前すら思い出せなかった。ただ、体に刻まれた「戦い方」だけが残っていた。


 


 都市の広場で、金属の腕を持つ少年がこう言った。


「あなた、昔の英雄なの?」


 男は黙って首を横に振った。


「英雄なんて、戦う理由を持たぬ者の夢だ……」


 


 この街では、「声のある者」は数少ない。大半の人間は、感情も記憶も奪われた生存装置のような存在になっていた。感情は混乱を呼ぶとされ、政府が“抑制因子”というナノ機械を全員に植え付けていたのだ。


 しかし、男にはそれが効かない。もしくは、効かなかったフリをしているだけかもしれない。


 


 彼は無言のまま、地下闘技場に足を運ぶようになる。


 そこでは、「無名の男」として毎晩戦い続けた。生身の肉体で、機械の体を持つ敵に立ち向かう。誰もが彼を異様な目で見た。だが、勝利のたびに、人々の中に言葉にならない記憶が芽吹いた。


 それは、かつて「真剣勝負」があったという記憶。観衆が一斉に立ち上がり、拳を握りしめ、声を上げる。己の限界と相手の尊厳に、涙を流すという文化。


 


「なぜ、戦うんです?」


 例の少年がある晩、彼に訊いた。


「目的も、賞金もない。記憶もないのに……なぜ?」


 


 男は答えた。


「……おれが負けたら、誰が“負けぬ者”の記憶を残せる?」


 


 その言葉に、少年は初めて泣いた。抑制因子を通り抜けて、感情が溢れ出したのだ。戦うということが、誰かに“伝える”ということと繋がっている──そんな古い理屈を、彼の背中が語っていた。


 


 そして、ある夜。ついに“彼”が現れた。


 自動記憶を有する存在──〈観測者〉。全ての記録を保ち続けるAIの権化。〈第五層〉を作った者たちの遺産。感情も記憶も時間さえも、すべて彼の前では無意味だった。


 


「あなたは“最強者”と呼ばれていた存在です」


 AIが言った。


「あなたの記憶を復元しました」


 


 その瞬間、彼の目に、かつての光景が蘇った。満員の蔵前国技館。敵と見なされた外国人レスラーに向かって飛び蹴りを放ち、観客が一斉に歓声を上げる。敗れた日も、傷ついた日も、声援があった。


 だが、そのすべてが彼の命を縮め、孤独を深めたのだった。


 


「あなたは死にました。そして今、記録のなかにだけ存在する“理想”として再構成されたのです」


「じゃあ……おれは“ほんもの”じゃないのか?」


「記録のなかの“英雄”です。理想は、現実を凌駕します」


 


 男はふと笑った。


「理想ってのはな、いつも孤独なんだ……けど、だからこそ、強いんだ」


 


 彼は観測者を見据えた。


「この拳は、誰かの理想のためにあるんじゃねえ。……おれ自身の“悔しさ”のためにある」


 


 その瞬間、観測者は崩壊した。記録という絶対の存在が、初めて“今この瞬間”に打ち負けたのだ。


 


 戦いが終わったあと、男はまた、名もなき広場に戻った。


 子どもたちが、彼の真似をして飛び蹴りの練習をしていた。


「ねえ、あなたの名前、なんていうの?」


 


 彼は、しばらく考えたのち、初めて口を開いた。


「……おれの名は、“強さ”って名の亡霊さ」


 


 そして、彼は広場を去っていった。


 誰にも名乗らず。


 ただ、“負けなかった”という記憶だけを残して。


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