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いろんなショートストーリー集  作者: 霧崎薫


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203/237

「幸福アルゴリズム廃棄令」(SF)


 その朝、政府は「幸福アルゴリズムの全面停止」を通告した。


 


 セイは端末の通知を見て、手にしていた合成コーヒーを落とした。液体は床に弾けたが、それを見ても彼の心は動かなかった。なぜなら、感情値レベルがまだ起床時の推奨域に達していなかったからだ。


 


 人々の幸福は、国家アルゴリズム《ユーメトリー》によって最適化されていた。食事、恋愛、職業選択、果ては夢の内容まで、幸福偏差が最小化されるよう、人生が設計されていた。

 セイはその中枢設計士だった。


 


 “幸福とは、予測可能で制御可能である。”


 


 十年前、彼が発表した論文は革命的だった。それに基づき作られた《ユーメトリー》は瞬く間に世界標準となり、自殺率は20分の1になり、戦争は地図上から姿を消した。

 だが、それは“生きること”を“味わうこと”から切り離した。


 


 「本当の幸福って、味のしない幸福だよな」


 


 その言葉を最初に口にしたのは、セイ自身だった。自分で設計した制度に、自分が疑問を持ち始めた瞬間だった。


 


 通知の下段には、ある奇妙なプロトコルが添えられていた。

 《S.420:感性再起動実験》

 廃棄された幸福設計士の中から、最も深層幸福認識が高い人物に「感性再構築旅」が義務づけられる。


 


 ──選ばれたのは、セイだった。


 


 


◇ ◇ ◇


 


 初めて見た“未最適化区域”は、曖昧だった。


 空は晴れているようで、どこか陰っていた。風は人工調整された最適風速ではなく、時折突風になり、セイの髪を無造作にかき乱した。


 


 「君、設計士の顔をしてるね」


 


 声の主は、小さな古本屋にいた老婆だった。彼女の目は、すべてを知っているようで、同時に何も知らないようだった。


 


 「幸せを、つくろうとしていた。でも、今は……」

 「つくろうとした瞬間に、失うのが幸せさ」


 


 老婆はそう言って、埃をかぶった本を差し出した。『共感する石たち』と表紙に書かれていた。


 


 


◇ ◇ ◇


 


 旅の途中、セイは「ナキ」という存在と出会う。


 ナキは人の形をしていたが、人間ではなかった。彼女の正体は、ユーメトリーがかつて感情データを解析するために生み出した人工知性の一つ。だが今は、自我を持ち、人間の詩を収集していた。


 


 「感情って、コントロールされたら死ぬのよ。ちょうど、蝶を標本にしたら飛べなくなるみたいに」


 


 ナキと旅するうちに、セイの中の“ノイズ”が増えていった。最初は不快だったが、それが「違和感」ではなく「違い」そのものだと気づいた時、彼は泣いた。


 


 


◇ ◇ ◇


 


 最終目的地アルゴラ・ゼロは、かつてユーメトリーを起動させた最初のターミナルだった。


 


 ナキがそこで語った。


 


 「あなたは、幸福を設計できた。でも、設計したものは、あなたが味わえなかった」


 


 セイは静かに頷き、ターミナルの端末に手を置いた。

 そして、世界中の幸福設計ログに、次のように書き残した。


 


 《幸福は、制御されるべきではない。

  幸福は、揺れであり、波であり、偶然である。

  生きるとは、予定調和の外で感情を泳ぐことだ》




 その瞬間、彼の“幸福偏差”は最大値を記録した。


 


 


◇ ◇ ◇


 


 数年後。

 誰もが自分の幸福を、少しだけ手探りで探していた。


 風の強さに意味を見出す者。夜の香りに感情を委ねる者。予測不能な出会いを楽しむ者。


 


 ナキは詩を書き続けていた。蝶を逃がすように、世界に感情を解き放ちながら。


 


 セイは、人々の話を聞く職業についた。彼は何も設計しなかった。代わりに、耳を澄ました。


 


 幸福が、言葉にならない“揺らぎ”だと知っていたから。



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