『雨を聴く機械』(気象SF)
私たちの街に雨が降らなくなって、もう15年が経つ。
「今日の人工降雨は18時開始です。窓とドアを確実に閉め、外出は控えてください」
アナウンスが街中に響き渡る。人工的に作られた雨は、かつての自然の雨とは全く異なる。それは完全にコントロールされ、定時に降り始め、定時に止む。
私の仕事は、雨を聴く機械の管理だ。
「レイン・リスナー」と呼ばれるその装置は、世界中の雨音を収集し、解析している。目的は、失われた自然の雨を取り戻すための研究データを集めることだ。
「今日も異常なしですね、ユキノさん」
同僚の佐伯が声をかけてくる。彼は私より10歳年下で、本物の雨を知らない世代だ。
「ええ、今日も人工雨のデータばかり」
私は淡々と応える。しかし、その時モニターに小さな変化が現れた。
「これは……!」
画面に表示された波形が、通常とは明らかに異なるパターンを示している。
「どうしました?」
「自然雨の痕跡……かもしれない」
私は慎重に言葉を選ぶ。というのも、自然雨の探知は厳重に管理されているからだ。発見した場合は即座に当局に報告する義務がある。
「本当ですか? でも、そんなの……」
佐伯の声が震える。自然雨は、いわば禁忌だった。人工降雨システムが完全に管理する現代社会において、制御不能な自然現象は、システムへの脅威とみなされる。
私はデータを詳しく見る。波形は確かに、祖母から聞いた本物の雨の特徴と一致している。場所は都市郊外、人工降雨の管理区域のすぐ外だ。
「報告、しないんですか?」
佐伯が小声で聞いてくる。
「……少し待って」
私は画面を切り替え、その地域の詳細データを呼び出す。すると、驚くべきことが分かった。その場所では、過去3ヶ月間、微弱ながら同様の波形が断続的に検出されていたのだ。
「これは……隠蔽されていたデータ?」
システムの深層から、意図的に無視されていた情報が浮かび上がってきた。
「ユキノさん、これは、まずいんじゃ……」
「佐伯くん、あなたは本物の雨を見たことがある?」
「いいえ。でも、それが何か……」
「私は覚えているの。空から降る水滴の音、匂い、そして自由」
私は決断する。キーボードを叩き、隠されていたデータを全て表層へと引き上げる。
「何をするんですか!」
「真実を明らかにするの」
アラームが鳴り響く。私の行動は即座に検知されただろう。
「ユキノさん、逮捕されます!」
「構わないわ。人々は知る必要があるの。自然の雨が、まだ存在するということを」
データは瞬く間にネットワークを通じて拡散していく。当局による削除が間に合わないよう、何重もの経路を通じて。
警備員が部屋に駆け込んでくる直前、私は最後のコマンドを入力した。全ての人工降雨システムを、一時的に停止させる命令だ。
「これで、少しは変わるかもしれない」
私は微笑む。腕を掴まれ、連行される間も、モニターには鮮明な波形が表示され続けていた。
それは、どこかで今も降り続ける、本物の雨の音。
管理社会に生きる人々の心に、小さな波紋を投げかける自由の音。
後日、私は拘束されたまま、興味深い光景を目にすることになった。画面越しではあったが、都市の上空に、制御されていない本物の雨雲が現れ始めていたのだ。
「やはり、自然は取り戻せるのね」
独房の小さな窓から、私は空を見上げる。そこには、15年ぶりの自然の雨を予感させる、濃密な雲が広がっていた。
人工降雨システムの停止から一週間。社会は少しずつ、しかし確実に変化を始めていた。人々は恐れながらも、制御されない自然の存在を受け入れ始めている。
これが終わりではない。むしろ、新しい始まりなのだ。




