「黒薔薇の迷宮」(ホラー)
**——その扉を開けてはならない。**
帝国の首都は、崩壊の瀬戸際にあった。
蒸気と煤煙が漂う石畳の街には、死臭と退廃の香りが満ちていた。夜毎に響くオルゴールの音色と、どこからともなく立ち上る花々の香りが、異様な不安を漂わせている。
アンドレ・ド・モンパルナスは、そんな街の片隅にある**「黒薔薇館」**の前に立っていた。
黒い鉄の扉には、奇妙な紋章が刻まれていた。蛇が薔薇を絡み取り、その棘で自らの身を傷つけている——**「エロスとタナトスの象徴」**。
「ここに、彼の『最後の作品』が眠っている……」
アンドレは、乾いた唇をなぞった。
### **《禁忌の芸術家》ルイ・ド・ヴィルモン**
**ルイ・ド・ヴィルモン——**
帝国史上、最も危険で異端の芸術家。
彼の作品は、見る者の魂を侵蝕し、肉体を狂わせると噂された。
最後の作品《黒薔薇の肖像》は、完成前に彼自身の手で封印されたという。それ以来、作品は行方不明となり、ヴィルモンは忽然と姿を消した。
「……私が見つけねばならない。」
アンドレは、ヴィルモンの狂気と美の境界に魅せられた知識人だった。
彼の求めるものは単なる芸術ではない。
**「人間の意識の奥底に眠る、美と狂気の交差点」**——そこに触れることだけが、彼の渇きを癒すのだった。
### **《黒薔薇館の迷宮》**
扉を開けると、黒薔薇の香りが鼻腔を満たした。
中には、鏡と絵画と彫刻が錯綜する迷宮のような空間が広がっていた。
「……ここは、現実か?」
アンドレは足を踏み入れた瞬間、自らの意識が微かに揺らぐのを感じた。
——鏡の向こうに映る自分は、微笑んでいた。
——壁の絵画に描かれた薔薇は、ゆっくりと枯れ始めていた。
——彫刻の瞳は、アンドレの動きを追っていた。
「ヴィルモン……お前は、何を見せようとしている?」
### **《迷宮の案内人》アルバート**
「ご案内しましょうか?」
突然、背後から声がした。
振り向くと、黒衣の男が立っていた。
「私はアルバート。この館の『管理者』です。」
彼の顔は、妙に白く、血の気がなかった。
「あなたは、ヴィルモンの『最後の作品』を探している……違いますか?」
アンドレは警戒を隠しながら頷いた。
アルバートは薄く微笑んだ。
「ならば、私が『真実』へと導きましょう。ただし——」
「その代償は、あなたの『魂』です。」
### **《黒薔薇の肖像》の秘密**
アルバートの導きで、アンドレは迷宮の奥深くへと進んだ。
そして、ついに彼はそれを見つけた。
**《黒薔薇の肖像》——**
だが、それは単なる絵画ではなかった。
それは、ヴィルモン自身の**「魂を封じ込めた鏡」**だったのだ。
「……これが、彼の『最後の作品』?」
鏡の中には、ヴィルモンの顔が浮かび上がっていた。
「見るがいい、アンドレ・ド・モンパルナスよ。」
声は鏡の中から響いた。
「私の魂は、ここに閉じ込められている。だが、お前がこの鏡を見ることで、我が芸術は完結する。」
アンドレは、鏡を見つめた。
——その瞬間、彼の意識は、**ヴィルモンの狂気と融合** した。
### **《狂気の選択》**
「さあ、選べ。」
ヴィルモンの声が囁く。
**「私の魂を解放し、お前自身が《黒薔薇》の一部となるか?」**
**「あるいは、このまま何も知らぬまま立ち去るか?」**
アンドレの指は、鏡に触れた。
——彼の瞳は、すでに**黒薔薇の色**に染まっていた。
(了)