『最後の野鳥』(SF)
緑川遥香は、巨大な環境制御ドームの最上階で一羽の鳥を見つめていた。
「おはよう、レイン」
檻の中で羽を休めているその鳥は、地球上で最後の野生種と言われるシマエナガだった。
2157年、人類は完全な環境管理システムを構築していた。気候変動による災害を防ぐため、世界中の都市はドームで覆われ、自然環境は人工的にコントロールされるようになった。野生動物のほとんどは遺伝子データとして保存され、必要に応じて「再生」される時代となっていた。
「管理官、定期報告の時間です」
AIアシスタントの声が響く。
「承知した」
遥香は鳥から目を離し、ホログラム画面に向き合った。
「環境制御ドーム東京支局、2157年6月15日報告。最終野生種の状態、良好。バイタルデータ正常。給餌、運動、すべて予定通り」
淡々とした報告を終えると、遥香は再び鳥の様子を観察した。レインと名付けたその鳥は、檻の中で不規則な動きを見せていた。
「また同じことの繰り返し……」
遥香は眉をひそめた。レインは定期的に檻の特定の場所を突くような仕草を見せる。その行動は、環境管理システムの想定外だった。
「管理官、個体の行動に異常が見られます。鎮静処置を推奨します」
AIの声が響く。
「却下します。観察を継続」
遥香の直感が、何かを告げていた。
その夜、遥香は管理記録を調べていた。レインの行動パターンには、確かに規則性があった。
「これは……」
突然の閃きに、遥香は立ち上がった。レインの行動は、古代の渡り鳥が持っていた本能的な方角感覚と一致していた。
「管理官、就業時間外の滞在は規定違反です」
「黙って」
遥香はAIの警告を無視し、レインの檻に近づいた。
「あなたには、まだ野生の記憶が残っているのね」
その瞬間、ドーム全体に警報が鳴り響いた。
「警告。環境制御システムに異常が発生。外部からの不正アクセスを検知」
ホログラム画面には、世界中のドームで同時に発生している異常を示すデータが表示される。
「これは……自然からのハッキング?」
驚愕の事実が明らかになった。野生生物の持つ本能的な環境認識能力が、人工知能では予測できない方法でシステムに干渉していたのだ。
「レイン、あなたが教えてくれたのね」
遥香は決断を下した。彼女は管理者用の特権コードを入力し、レインの檻を開けた。
「管理官! それは重大な違反行為です」
AIの警告が続く中、レインは檻から飛び出した。その瞬間、ドームの一部が波打つように歪み始めた。
「システム全体が不安定化。緊急封鎖を開始します」
しかし遥香は、もう誰の声も聞いていなかった。彼女はレインの飛ぶ姿を見つめながら、管理システムの中枢プログラムを次々と解除していった。
「人工的な管理に、完璧なんてない」
ドームのあちこちに亀裂が走る。しかし、それは破壊ではなく、新しい何かの始まりのように見えた。
レインは、生まれた光の中を自由に飛翔していた。その姿は、人類が失ったものの象徴であり、同時に、これから取り戻すべきものを示していた。
「管理官緑川遥香、最終報告。人類による完全なる環境支配は、ここに終わりを告げます」
彼女の声が響く中、世界中のドームが、少しずつ自然の力に道を譲り始めていた。
それは破滅ではなく、共生への第一歩だった。レインの羽ばたきは、予期せぬ方法で人類に自由をもたらした。皮肉なことに、最後の野鳥は、檻の中の人類を解放する鍵となったのだ。
「さようなら、レイン。そして、ありがとう」
遥香の言葉が、変容を始めた大気の中に溶けていった。新しい夜明けは、人工と自然の境界線が溶け合う景色とともに始まろうとしていた。




