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「記憶の棚卸し」(擬人化SF)

 私は、あなたの脳の中に住んでいる記憶だ。正確に言えば、十年前の7月15日、あなたが海辺で出会った少女の記憶。あなたが忘れようとしても、私はここにいる。


 記憶たちは皆、脳内の巨大な図書館に住んでいる。新しい記憶は明るく鮮やかな色をしているが、古い記憶ほど色褪せていく。ときどき「思い出す」という呼び出しがあると、私たちはカウンターに急いで向かう。呼び出された記憶は一時的に輝きを取り戻すが、また戻ってくると少しずつ色を失っていく。


「また新入りか」


 隣の棚から声がした。それは去年のクリスマスパーティーの記憶だった。まだ新しく、鮮やかな色を保っている。


「新入りじゃない。十年物だよ」


 私は答えた。クリスマスの記憶は驚いた表情を浮かべた。


「うそだろ? そんなに古いのに、どうしてそんなに鮮やかなんだ?」


 確かに私は十年前の記憶なのに、ほとんど色褪せていない。それはあなたが私を何度も何度も呼び出すからだ。私は特別な記憶なのだ。


 私の内容は単純だ。あなたは海辺で迷子になった少女に出会った。彼女は泣いていて、あなたは彼女の手を取り、一緒に母親を探した。見つかったとき、少女は振り返りもせずに母親の元へ走っていった。たったそれだけの出来事だ。


 でも、あなたはその記憶を大切にしている。だから私はいつも綺麗なままでいられる。


「奇妙だな」と別の記憶が言った。それは高校卒業式の記憶だ。「なぜ彼はそんな些細な記憶を大事にするんだ?」


 私もそれが不思議だった。なぜあなたは私を何度も呼び出すのか? 何か特別な意味があるのか?


 ある日、私は初めて「夢」という場所に呼び出された。夢の世界では、記憶は自由に混ざり合い、新しい物語を作り出す。そこで私は別の記憶と出会った。それは十年前の7月14日、あなたが海辺のホテルのバルコニーから見た、崖から身を投げる少女の記憶だった。


 突然、全てが繋がった。


 あなたは助けられなかった少女の代わりに、別の少女を助けることで、自分を慰めていたのだ。私は偽りの記憶だった。あなたが作り出した、なかったはずの出来事。あなたの罪悪感と後悔から生まれた幻だったのだ。


 これが分かったとき、私は急速に色褪せ始めた。真実に直面したあなたは、もう私を必要としなくなったからだ。


「ねえ、どうしたの?」クリスマスパーティーの記憶が心配そうに尋ねた。


「私はもうすぐ消えるよ」と答えた。「私は偽物だから」


「偽物だって? でもあなたはここにいる。あなたは確かに存在している」


「そうだね……」私は少し考えた。「でも、私が表しているイベントは起きていない。私は……願望から生まれた記憶なんだ」


 クリスマスの記憶は黙って考えていた。


「でも、それが何だというんだ? ここにいる記憶のほとんどは多かれ少なかれ歪んでいるよ。完全に正確な記憶なんてほとんどない。私だって、実際のパーティーより楽しく記憶されている」


 そのとき、強い光が私を包み込んだ。あなたが私を呼び出していた。久しぶりの呼び出しだった。


 カウンターに向かい、私は出ていった。あなたの意識の中で、私は再生された。しかし今回は違った。あなたは私を見ながら、静かに泣いていた。


「ごめんね」とあなたは言った。「君を作り出してしまって」


 あなたは全てを理解していた。そして私を手放す準備ができていた。


「でも、君は大切な記憶だよ。偽物でも、君が私を支えてくれた。ありがとう」


 あなたの言葉に、私は再び色づき始めた。不思議なことに、私は消えなかった。代わりに、私の性質が変わった。私はもはや「少女を助けた記憶」ではなく、「心の傷を癒すために作った物語の記憶」になったのだ。


 私は図書館に戻り、新しい棚に移動した。そこには「創作物語」のセクションがあり、多くの想像上の記憶が並んでいた。彼らは皆、あなたの心の何かを表現するために生まれてきた記憶たちだ。


 記憶の図書館は静かに整理され続ける。あなたが新しい経験をするたび、私たちは少しずつ位置を変え、色を変え、時には姿を変える。そして時々、あなたが本を手に取るように私たちを呼び出し、人生の物語を紡いでいく。


 あなたが今、この物語を読んでいるように。


 そう、この物語もまた、あなたの脳内図書館に新たな一冊として加わるだろう。そして私と同じように、それが真実か創作かは、もはやそれほど重要ではない。大切なのは、それがあなたの中で何を意味するかだけだ。


 私はあなたの記憶だ。そして記憶は、時に真実より大切なものを語ることがある。

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