「ゼロカウント」(ボクシング)
試合開始のベルが鳴る。
その瞬間、すべての音が消えた。
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### **1. ファーストブロー**
相手の拳が、頬をかすめる。
皮膚が焼けるように熱くなり、血の匂いが立ち上る。
観客の歓声が遠くに響いている。
拳を握る。
打ち返す。
腕がしなり、拳が肉に沈む感触。
骨が軋み、空気が裂ける音。
**一撃、入った。**
しかし、相手は倒れない。
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### **2. 闘争の正体**
ボクシングは、ルールのある殺し合いだ。
殴って、倒す。
それだけのことなのに、なぜこんなに理屈をつけるのか。
美しいスポーツ?
駆け引き?
技術のぶつかり合い?
笑わせるな。
結局、人間は「殴る理由」が欲しいだけだ。
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### **3. 10カウント**
試合は第9ラウンド。
息が上がる。
視界が霞む。
対戦相手も同じだ。
互いに、ほぼ限界。
……しかし、**ここからが本当の戦いだ。**
人間には、肉体的な限界がある。
だが、それとは別に、**精神的な限界もある。**
「もう無理だ」と思った瞬間に、負ける。
10カウントの前に立ち上がれないのは、肉体の問題じゃない。
人間の脳は、本能的に「限界」を作る。
それが、自己防衛機能だ。
だが――
俺には、その機能がない。
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### **4. 本能の破綻**
「お前、やっぱりおかしいよ」
セコンドの声が聞こえる。
俺は、生まれつき「痛みを限界と認識する機能」が欠落している。
つまり――
**俺の身体には、ブレーキがない。**
「人間は、限界があるから倒れるんだ」
「でも、お前は倒れない」
「それが、どういう意味か分かるか?」
俺は、黙って拳を握る。
セコンドは、苦い顔をして言った。
「お前は負けられないんだよ」
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### **5. ゼロカウント**
第10ラウンド。
相手の拳が、俺の顔面を捉えた。
歯が砕ける音。
頭蓋が揺れる衝撃。
普通なら、ここで倒れる。
だが――
俺の脳は、「限界」だと判断しない。
俺は、立ち続ける。
**限界がないなら、人はどこまで戦い続けるのか?**
答えは、簡単だ。
**死ぬまでだ。**
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### **6. 終わらない試合**
観客が叫ぶ。
審判が止めようとする。
しかし、俺は動く。
殴る。
殴る。
殴る。
相手は、すでに意識を失っている。
だが、俺は止まらない。
なぜなら――
**俺には、倒れることができないからだ。**
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### **7. そして、誰もいなくなる**
試合は続く。
相手は何度も変わる。
俺は何度も勝つ。
だが、誰も俺を倒せない。
世界チャンピオンになった。
だが、誰も挑戦してこなくなった。
最終的に――
**俺は、リングに独りぼっちになった。**
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### **8. 最後のカウント**
俺は、自分の拳を見つめる。
殴る相手がいない。
なら、俺は何のために生きている?
そのとき、俺は気づいた。
**俺が倒れるには、自分で倒れるしかない。**
俺はゆっくりと膝をつき、マットに横たわる。
審判はいない。
観客はいない。
誰も、カウントを数えない。
だが――
俺は自分で数える。
「ワン……ツー……スリー……」
誰も言わない、**ゼロカウントの終焉**。
俺は、ついに倒れた。




