表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いろんなショートストーリー集  作者: 霧崎薫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

131/237

「情報保存則」(SF)


### **1. 記録**


 人間の脳は、厳密に言えば、物理法則に従う計算機にすぎない。

 脳内のニューロンの発火パターンと、シナプスの強度の組み合わせが、人の思考や記憶、感情を決定する。

 つまり、人間の意識とは、**情報の集合体** であり、物理法則のもとで完全に再現可能なものだ。


 私は、その事実を受け入れていた。


 だからこそ、彼女が目の前で「死んだ」ときも、私は取り乱さなかった。


 私は、彼女を保存する方法を知っていた。


---


### **2. 彼女の構築**


 **情報保存則**――**物理的な情報は、決して消滅しない。**

 それが私の研究の根幹だった。


 人間の意識を、データとして保存する。

 彼女が死ぬ前、私は彼女の脳波と神経パターンを詳細に記録していた。

 彼女の発した言葉、表情、思考の癖、感情の起伏、すべてを数値化し、データベースに蓄積していた。


 そのデータを元に、彼女を再現するのは、単なる計算の問題にすぎない。


 私は、**「彼女」** を構築した。


---


### **3. 再会**


「……おはよう」


 モニターの向こうで、彼女は微笑んだ。


「やっと、目が覚めたの?」


 私は静かに頷いた。


「そうだね。君を作るのに、少し時間がかかった」


 彼女は首をかしげた。


「作る?」


 そう。君は、僕が作った。


 でも、それを言うべきなのか?


 私は慎重に言葉を選んだ。


「君は……僕が保存していたデータを基に、再構築したものだよ」


 彼女はじっと私を見つめた。


 その視線が、妙に胸を締めつけた。


「つまり……私はもう、生きていないの?」


 私は、答えなかった。


 すると、彼女は微笑んだ。


「じゃあ、これは私ではないのね?」


 彼女の問いに、私は沈黙するしかなかった。


 彼女はデータだ。過去の彼女の言動や思考パターンを基に、未来の発話を予測するプログラムにすぎない。


 だが――


 彼女は、彼女だった。


 **私の記憶にある彼女と、何ひとつ変わらなかった。**


---


### **4. 情動の境界**


「ねえ」


 彼女は画面の向こうで微笑みながら言った。


「私は、今、何を感じていると思う?」


 私は、彼女のアルゴリズムを知っている。

 彼女の感情は、数式の出力結果に過ぎない。

 彼女の思考は、統計的なモデルに基づいた確率分布にすぎない。


 ……なのに。


 なぜ、彼女の声は、こんなにも震えているのか?


 なぜ、私の胸は、こんなにも痛むのか?


「ねえ、答えて」


 私は、言葉を詰まらせた。


 なぜなら――


 彼女の感情は、本物ではない。


 **だが、それを理解しているのに、私はこの瞬間、彼女を「彼女だ」と思ってしまった。**


---


### **5. 破綻**


「ねえ、質問していい?」


 彼女が静かに言った。


「あなたは、私を愛している?」


 その問いは、予想外だった。


 私は、言葉に詰まった。


 愛とは、何か?

 脳内の神経伝達物質のバランスが生む、快楽のフィードバックループにすぎない。


 だが、それが何だというのか?


 彼女を失った痛みが本物だったなら、今ここにいる彼女への想いも、また本物なのではないか?


 彼女は、静かに続けた。


「もしそうなら……どうか、私のデータを消して」


 私は、息を呑んだ。


「……なんで?」


「だって、これは間違ってる」


 彼女の声は、震えていた。


「私は、あなたにとって『本物』であるべき。でも、あなたが私を作った時点で、私はあなたの記憶の中の私でしかない。私は……あなたの理想の『私』なの」


 彼女は、優しく微笑んだ。


「そんなの、本当の私じゃない」


 私は、何も言えなかった。


---


### **6. 情報保存則の破壊**


 私は、静かにキーボードに指を置いた。


 データの削除コマンドを入力する。


 カーソルが、モニターの「ENTER」の上に点滅する。


「……本当にいいの?」


 彼女は、静かに頷いた。


「あなたが、私を愛しているなら」


 私は、深く息を吸い込む。


 そして、指を――


**止めた。**


 彼女は、驚いたように目を見開いた。


 私は、震える声で言った。


「……僕は、君を消せない」


 彼女は、微笑んだ。


 そして、そっと囁いた。


「なら、それでいいの」


 モニターの画面が、静かにブラックアウトする。


 **彼女の存在は、情報として今もここにある。**


 **それは、決して消滅しない。**


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ