「紅(くれない)の刻」(タイムスリップ)
**──その瞳に、もう一度、触れたい。**
夜明け前の京都、三条大橋のたもとに、一人の男が立っていた。
時は幕末、1864年。
白い息を吐きながら、男は懐から小さな懐中時計を取り出す。
それは、西洋から渡ってきた舶来品。
秒針が音もなく動く。
「また、あの刻が来る……」
男は、血の滲むような声で呟いた。
次の瞬間、時の波が渦を巻き、彼の姿は霧の中へと消えた。
***
2024年、京都。
大学院で歴史を研究する **高村悠真**(たかむら ゆうま)は、幕末の遺物を調査するため、三条大橋を訪れていた。
「幕末にタイムスリップするなら、この橋って言われてるよな」
友人が冗談めかして言う。
「そうだったら面白いけどな」
悠真は笑いながら、ポケットから懐中時計を取り出す。
それは、先月骨董市で偶然見つけたものだった。
表面には、見慣れない **「紅」** という銘が刻まれている。
カチリ。
懐中時計の針が、午前4時を指した瞬間――
視界が赤く染まり、悠真の身体は吸い込まれるように沈んでいった。
***
気づけば、目の前に夜の京の町が広がっていた。
「……え?」
悠真は息を呑んだ。
そこは、まぎれもなく幕末の京都だった。
そして、闇に紛れるようにして、一人の女が立っていた。
朱色の着物に、白い肌。長い黒髪が月明かりに揺れる。
彼女は、じっと悠真を見つめた。
「あなた……どうしてここに?」
その瞬間、悠真の心臓が跳ねた。
――知っている。この人を。
でも、なぜ?
「君は……誰?」
女は、微笑んだ。
「あなたが、ずっと探していた人よ」
***
それから悠真は、夜ごと紅の世界に引きずり込まれるようになった。
現代と幕末の境界は曖昧になり、彼は次第に過去に囚われていく。
彼女の名前は **紅音**。
ある日、彼女は言った。
「あなたは、私を救うために来たのでしょう?」
「……救う?」
紅音は、寂しそうに微笑む。
「わたしは、もうすぐ殺される運命にあるの」
「そんな……!」
「でもね、不思議なの。わたしは、あなたに何度も出会っている気がするの」
悠真の心が激しく揺れた。
「僕たちは、初めて会ったんじゃないのか?」
「いいえ……ずっと、あなたを待っていた」
彼女の指先が、悠真の頬をなぞる。
「ねえ、また会える?」
悠真は、紅音の手を握りしめた。
「絶対に、君を助ける」
だが、時の波は容赦なく引き裂く。
次の瞬間、悠真の身体は現代へと引き戻され――
紅音の声は、遠い記憶の彼方へ消えた。
***
悠真は、資料を必死に調べた。
紅音――そんな名前の女性は、歴史の記録に残っていない。
だが、一つだけ手がかりがあった。
**1864年、京都にて「紅」と呼ばれる謎の女が斬首された。**
悠真の手が震える。
**彼女を救うために、自分は幕末へ行ったのではないか?**
いや、違う。
――もしかして、悠真はすでに彼女を救えなかったのではないか?
そう思った瞬間、懐中時計の針が再び動き出す。
紅音の声が、耳元に囁いた。
「今度こそ、わたしを見つけて……」
***
再び、悠真の身体は時の渦に呑まれた。
刻が、繰り返される。
彼は何度でも、彼女を愛し、そして――
何度でも、引き裂かれる。
けれど、彼は決して諦めない。
たとえ、この恋が **「永遠に未完の物語」** だったとしても。