「時の庭」(SFヒューマンドラマ)
その庭には、いつも朝露の香りが漂っていた。
リクは、ゆっくりと小径を歩く。木漏れ日が足元に揺れて、空気はどこか懐かしい匂いを含んでいる。風が吹くたび、庭の奥に立つ大きな時計塔の鐘が微かに鳴った。
いつからここにいるのか、よくわからない。ただ、この庭はどこか温かく、心を落ち着かせる場所だった。
ふと、小さな声が聞こえた。
「おはようございます」
振り向くと、少女がいた。白いワンピースを着た彼女は、にこりと微笑む。
「ここは、時の庭。あなたの時間を育てる場所です」
「……時の庭?」
少女は頷き、リクの手をそっと握る。その瞬間、庭の景色が柔らかく滲んだ。
――どこかで見たことがある風景。
暖かな午後、母の手を引かれて歩いた公園。
夕暮れの帰り道、友達とふざけあった記憶。
夜の静けさの中で、誰かの優しい声が響いていたこと。
リクは思い出す。この庭は、自分の記憶の断片でできているのだと。
「ここは、あなたの時間が流れ続ける場所。でも、ずっと同じ時間にいるわけではありません。どんなに大切な時間でも、形を変えながら、少しずつ消えていくのです」
「……消えてしまうの?」
少女は、わずかに寂しそうな表情を浮かべた。
「時間は、留めておくことはできません。でも、その代わり――」
少女が指差した先に、一本の木があった。リクは見覚えがあった。
子どもの頃、家の庭にあった木だ。そこには、小さな傷が刻まれている。
「これは……」
「あなたが大切にしていた時間は、ここで形を変えて生きています」
リクはそっと木に触れる。指先に、やわらかい温もりが伝わる。
――この木は、かつて祖母の家にあった木と同じ感触だった。
「時間は、ただ消えるわけじゃない。変わるだけ。だから、あなたはまた新しい時間を育てていくのです」
少女は穏やかに微笑んだ。鐘の音が響く。リクは目を閉じ、静かに息を吸い込んだ。
次に目を開けたとき、庭は少しだけ違う風景になっていた。
---
リクは、「時間はただ消えるのではなく、形を変えて続いていく」ことを知る。
この庭は、彼の記憶が織りなす空間であり、新たな時間を育てる場所だった。
そして――物語は、また始まりへと戻る。