『白い花の咲く頃』(ヒューマンドラマ)
私は刑務所の医務官として、死刑囚の健康管理を担当している。
今日も、独房の前に白い花が供えられている。面会に来る老婆が毎週欠かさず持ってくる花だ。死刑囚の母親である彼女は、息子の罪を認めながらも、最期まで寄り添おうとしている。
「先生、私の息子は本当に悪人なのでしょうか?」
老婆の問いかけに、私は答えられない。確かに、彼は凶悪な殺人事件を起こした。しかし、私が知る彼は、穏やかで礼儀正しい男性だ。
死刑囚は、かつて小児科医だった。末期がんの子供たちの苦しみを見かねて、安楽死させたという。被害者は五人。全員が余命わずかで、激しい痛みに苦しんでいた子供たちだった。
「私は彼らを救ったんです」
そう語る彼の目には、悔いはない。ただ深い悲しみだけが宿っている。
事件の詳細を調べるうち、私は不可解な事実に気づく。被害者の家族の多くが、彼を許していたのだ。むしろ、子供の苦しみから解放してくれたことに感謝の念すら抱いている。
しかし法は、それを殺人と断じた。
独房の中で、彼は今日も医学の本を読んでいる。死を待つ身でありながら、なお医療について学び続けている。
「もし生まれ変われるなら、また医者になりたい」
その言葉に、私は胸が締め付けられる。
ある日、私は彼の診察中に尋ねた。
「後悔していないのですか?」
「後悔はしています。でも、それは行為自体ではありません。もっと別の方法があったかもしれない。でも、当時の私には、それしか選択肢が見えなかった」
その言葉は、私の中で長く響き続けた。
死刑執行の日が近づいてきた。面会に来る老婆の足取りが、日に日に重くなっていく。
そして、ある出来事が起きた。
私の担当する末期がんの少女が、激しい痛みの発作に見舞われた。医療で対処できる限界を超えていた。
少女は私の手を握り、震える声で言った。
「先生、もう、痛いのはいやです」
その瞬間、私は彼の選択の意味を理解した。
しかし、私にはその選択を取ることはできない。それが正しいか間違っているかに関係なく、法がそれを許さないから。
結局、少女は苦しみながら息を引き取った。
その夜、私は独房を訪れた。
「あなたの選択が正しかったとは、今でも思えない。でも、間違っていたとも言い切れない」
彼は静かに頷いた。
「真の悪とは何でしょうね。苦しむ者を見過ごすことなのか、それとも生命を断つことなのか」
その問いに、誰も答えることはできない。
執行の朝。
独房の前には、いつもの白い花が供えられていた。
彼の最期の言葉は、こうだった。
「私は医師として、最善を尽くしたつもりです」
今でも私は考える。
真の悪とは何なのか。
正義とは何なのか。
そして、私たちは何を守るべきなのか。
答えは見つからない。
ただ、白い花は今年も咲き続けている。
その純白の花びらには、人間の善悪では測れない、何かの真実が隠されているように見える。
医務官としての私の仕事は続く。
そして時々、独房の前に供えられる白い花を見るたびに、私は立ち止まって考える。
私たちは本当に、正しい選択をしているのだろうか。
その問いは、永遠に答えの出ない宿題として、私の心に残り続けている。