表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/237

『白い花の咲く頃』(ヒューマンドラマ)

 私は刑務所の医務官として、死刑囚の健康管理を担当している。


 今日も、独房の前に白い花が供えられている。面会に来る老婆が毎週欠かさず持ってくる花だ。死刑囚の母親である彼女は、息子の罪を認めながらも、最期まで寄り添おうとしている。


「先生、私の息子は本当に悪人なのでしょうか?」


 老婆の問いかけに、私は答えられない。確かに、彼は凶悪な殺人事件を起こした。しかし、私が知る彼は、穏やかで礼儀正しい男性だ。


 死刑囚は、かつて小児科医だった。末期がんの子供たちの苦しみを見かねて、安楽死させたという。被害者は五人。全員が余命わずかで、激しい痛みに苦しんでいた子供たちだった。


「私は彼らを救ったんです」


 そう語る彼の目には、悔いはない。ただ深い悲しみだけが宿っている。


 事件の詳細を調べるうち、私は不可解な事実に気づく。被害者の家族の多くが、彼を許していたのだ。むしろ、子供の苦しみから解放してくれたことに()()()()()()()()()()()


 しかし法は、それを殺人と断じた。


 独房の中で、彼は今日も医学の本を読んでいる。死を待つ身でありながら、なお医療について学び続けている。


「もし生まれ変われるなら、また医者になりたい」


 その言葉に、私は胸が締め付けられる。


 ある日、私は彼の診察中に尋ねた。


「後悔していないのですか?」


「後悔はしています。でも、それは行為自体ではありません。もっと別の方法があったかもしれない。でも、当時の私には、それしか選択肢が見えなかった」


 その言葉は、私の中で長く響き続けた。


 死刑執行の日が近づいてきた。面会に来る老婆の足取りが、日に日に重くなっていく。


 そして、ある出来事が起きた。


 私の担当する末期がんの少女が、激しい痛みの発作に見舞われた。医療で対処できる限界を超えていた。


 少女は私の手を握り、震える声で言った。


「先生、もう、痛いのはいやです」


 その瞬間、私は彼の選択の意味を理解した。


 しかし、私にはその選択を取ることはできない。それが正しいか間違っているかに関係なく、法がそれを許さないから。


 結局、少女は苦しみながら息を引き取った。


 その夜、私は独房を訪れた。


「あなたの選択が正しかったとは、今でも思えない。でも、間違っていたとも言い切れない」


 彼は静かに頷いた。


「真の悪とは何でしょうね。苦しむ者を見過ごすことなのか、それとも生命を断つことなのか」


 その問いに、誰も答えることはできない。


 執行の朝。

 独房の前には、いつもの白い花が供えられていた。


 彼の最期の言葉は、こうだった。


「私は医師として、最善を尽くしたつもりです」


 今でも私は考える。

 真の悪とは何なのか。

 正義とは何なのか。

 そして、私たちは何を守るべきなのか。


 答えは見つからない。

 ただ、白い花は今年も咲き続けている。

 その純白の花びらには、人間の善悪では測れない、何かの真実が隠されているように見える。


 医務官としての私の仕事は続く。

 そして時々、独房の前に供えられる白い花を見るたびに、私は立ち止まって考える。


 私たちは本当に、()()()()()()()()()()()()()()()

 その問いは、永遠に答えの出ない宿題として、私の心に残り続けている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ