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『記憶の箱の中で』(ヒューマンドラマ)

 祖母の遺品整理をすることになったのは、梅雨の終わりが近づいた7月のことだった。私は実家の2階で、長年手付かずだった段ボール箱と向き合っていた。


「こんなに沢山残してたなんて……」


 私は箱を開けながら、懐かしい匂いに包まれた。埃っぽい空気の中に、かすかに残る祖母の香水の香り。


 最初に目に入ったのは、古びた写真アルバムだった。表紙には「1960年 夏」と祖母の几帳面な文字で記されている。


「おばあちゃんが20代の頃か……」


 アルバムを開くと、モノクロの写真が整然と並んでいた。海辺で微笑む若い女性。祖母に違いないのに、どこか見知らぬ人のようだ。


 次のページをめくると、一枚の写真が滑り落ちた。裏には「健一と 江の島にて」という文字。祖父の名前ではない。


「健一さん? 誰だろう……」


 私は写真を手に取り、じっと見つめた。祖母の隣で、爽やかな笑顔を見せる若い男性。二人は確かに恋人同士のように見える。


 段ボール箱の底には、黄ばんだ手紙の束が見つかった。差出人は「健一」となっている。手紙は丁寧に紐で束ねられ、大切に保管されていたことが分かる。


「読んでもいいのかな……」


 迷った末、私は最初の手紙を開いた。


 そこには、祖母の知らない人生が綴られていた。健一という男性は祖母の初恋の人だった。二人は結婚を約束していたという。しかし、健一は突然の事故で命を落とした。それは祖母が23歳の夏のことだった。


 手紙を読み進めるうちに、私の中で祖母の姿が少しずつ変わっていく。いつも穏やかで物静かだった祖母。その表情の奥に、こんな切ない思い出が隠されていたなんて。


 箱の中から、一通の未投函の手紙が出てきた。祖母が健一に宛てて書いたものだ。日付は健一が亡くなってから1年後。


「あなたへ。私は今日、大切な決断をしました。あなたとの思い出は、いつまでも心の中で生き続けます。でも、前を向いて歩いていかなければなりません。きっとあなたもそれを望んでいるはずです……」


 その後、祖母は祖父と出会い、結婚した。私の母を産み、普通の幸せな家庭を築いていった。でも、この箱の中には、もう一つの人生の可能性が大切にしまわれていた。


 私は手紙を元通りに束ね、写真と共に箱に戻した。窓の外では夕立が過ぎ去り、夕陽が差し込んでいた。


「おばあちゃん、私、分かった気がする」


 祖母は決して過去に囚われていたわけではなかった。むしろ、過去を大切に保管することで、現在を生きる力を得ていたのだ。


 その夜、私は母に健一さんのことを話した。


「ああ、そうだったの。お母さんも噂には聞いていたけど、詳しくは知らなかったわ」


 母の声には、どこか安堵の響きがあった。


「でも不思議ね。お母さんは、あの事故の後も前向きに生きていけた。私たち家族を心から愛してくれた。きっと、若い頃の経験が、お母さんを強くしたのかもしれないわ」


 祖母の遺品整理は、私に新たな発見をもたらした。人生には、表には見えない深い層があること。そして、過去は決して乗り越えるべき障害ではなく、現在を豊かにする糧になり得ることを。


 段ボール箱は、今も実家の2階に置かれている。時々、私はその箱を開け、祖母の若かりし日の写真を眺める。そこには、悲しみを超えて生きた一人の女性の、凛とした美しさが永遠に残されているのだった。

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