表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

湧き上がる感情

 ディノンが子供と模擬戦をする――その事実に訓練をしていた兵士達はざわめき、その戦いを一目見ようと全員が手を止めて距離を取る。

 白髪が生えた燕尾服の男が対峙するのは一見して何か特別な物があるようには見えない子供だった。きっと、街中を歩けばそこら辺に居るであろう平凡な顔立ち。強いて戦う事が出来るんだろうな、と判断出来るのは左腰に差した直剣があるからに過ぎない程に凡夫な空気がある。


「あの子供が元近衛騎士のディノン殿と?」

「どうやらそうらしい……果たして、どれだけ持つのか」

「一度でも打ちあえれば御の字だろう。我らの騎士団長でさえそう何度も打ちあう事が未だに出来ない程の腕だぞ」


 周囲からそんな声が上がるが、当の本人――いや、コウもディノンもそんな声は耳に入っていなかった。コウはこれから戦える強敵に集中するために。ディノンは目の前に立つ少年から発せられる()()()に目を離す事も意識を他の事に向ける余裕もなかった。


(妙だ……コウ殿は間違いなく子供のはず。それなのに、こうして対峙してみると不思議な威圧感がある。それに……刃が無いとはいえ模擬剣で殴られれば大怪我をする事もあるというのに、それを一切怖がっていない)


 自分の考えを脳内で纏め上げ、ディノンは一つの結論を出した。


(そう……この威圧感は“戦士”から発せられるものだ。コウ殿はその歳に似合わない程に()()()()している雰囲気を持っている。そこが違和感なのだ)


 ディノンはコウが帯剣しているのを見ても、ソレが実戦で使われた事はないだろうと思っていた。何故なら、彼ら傭兵団が駐屯しているのは強力な魔物が跋扈する魔境であり、子供とは未来への希望だ。そんな希望を魔境で戦わせるなど常人になら考えられないものだった。


(まさか、ゴード様は自らの子供を実戦に―――)


 そこで、ディノンの思考は中断された。

 コウがゆっくりと剣を引き抜いたからだ。剣を挟んで見えたその瞳が紅く薄く輝くのを見てディノンは息を飲んで自らも剣を抜く。


(……不思議だ)


 息を飲んだディノンに対してコウの心は先ほどとは打って変わって静かだった。

 剣を抜き、柄の感覚を右手に感じ、自らが戦う敵を眼前に捉えながらもその心は波一つない水面のように澄んでいる。


『コウ―――戦うという事は命を賭けるという事だ。相手の命と自分の命を天秤に乗せて勝負をする愚かな行為だ。それでも、君は―――いや、私たちは戦う事を止められない。それしか、この世界に自分の存在を証明し続ける手段を知らないからだ。剣を握り、地面を踏みしめた時に私たちは戦士として目覚めてしまった。だから、そうやって生きていくしかないんだ』


 コウの脳内にいつもは飄々としている女性の真面目な声が響く。

 口を開けばくだらない事ばかり言っているのに、その時だけは真面目に、静かに、そして――悲しそうに言葉を紡いでいた。


『コウ、君には教えておこう。実戦における重要な事を。戦士と生まれてしまった君がせめて少しでも長生きできるように。いいかい? 心は冷たくあれ、だ。どれだけ憎い敵と戦うときでも、どれだけ心躍る敵と戦う時でも、心は常に冷たく――そう、そこの水面のようでなければならない。怒りに身を任せて剣を振るえば剣筋がブレるし、絶望を抱いたまま剣を振るえば足元を掬われる。だから、剣を振るうと決めた時は常に心は冷静であるべきだ』


「はい……師匠」


 剣を構える。眼前に据えるのは同じく剣を構えた執事姿の男。その構えを見てコウはすぐに公国王室剣術であり、ディノンが元近衛騎士だという事を見抜く。それはつまり、相手が剣豪級だという証明だった。


「……」


 鼻の奥に焦げ臭い匂いが充満する。

 脳内のどこかが焼き切れているんじゃないかと錯覚するほどの熱と匂い。だが、コウにとっては慣れ親しんだ実戦の空気だ。

 思考が高速で回転し、相手の一挙一動を見逃すまいと集中力が上がる。相手の出方を見るコウだったが、ディノンはコウの構えを見て目を見開いた。


(なんだ、あの構えは……)


 右腕を前に出し、左腕は口元を隠すように曲げられている。右足を軽く前に出し、左足を引くのはスタンダードと言えるが上半身が異質だった。

 ディノンも近衛騎士として様々な構えを見てきたが、その構えは見た事がない。もしも、そこら辺の剣士が同じ構えをしたら「ふざけているのか?」と怒っていただろう。だが、コウの構えた姿は堂に入っていた。


「……」

「……」


 互いに構えたまま見つめあったまま時間だけが過ぎていくが―――先に仕掛けたのはコウの方だった。

 鋭い踏み込み。自分の間合いまで二十歩以上はあった距離を一気に詰める。姿勢を地面スレスレまで低くした接近はコウの子供の身長という相乗効果もあって並の騎士ならば一瞬だけ見失ってしまう程のものだった。だが、ディノンは元近衛騎士で多くの戦場を経験しているためにその目は正確に迫りくる影を捉えていた。


(ここだ―――)


 踏み込みの鋭さには驚いたが、それでも動きが直線ならば読みやすい――ディノンはそう考えてコウが通過する場所に剣を振るう。

 経験からの予測で振るわれた剣はコウの体を確実に捉えるはずだった。だが、その剣は空を切った。


「―――っ!?」


 剣が当たる瞬間、その紅い両目が確かに刃を捉えていたのをディノンは見た。そこからの判断は早く、前後左右に避ける場所がないと判断したコウは――実際、どこに逃げても追撃出来るようにディノンは歩幅を調整していた――なんと、あろうことか上空に逃げた。

 剣士は剣を振るって戦う。そして、地に足が付いていなければまともに剣を振るう事なんて出来ない。長年剣士として生きてきたディノンの中にあったその固定概念が隙を生んでしまった。

 上空に逃げたのならもう相手に逃げ場はない。上空と言っても身体強化を使ったとしても人間が飛べる高さは決まっているし何よりもコウはそれほど高くは飛んでいなく剣が届く範囲だ。だから、すぐに追撃すればコウを地面に叩き落とす事が出来たはず。


「……っ!」


 くるりと空中で回転し、地面に着地したコウが鋭く剣を振るう。

 硬直から抜け出したディノンがその剣を受け止め、甲高い悲鳴のような音が周囲に響き渡るがそんな事を気にしている余裕はディノンにはなった。


(第二の矢が来る――!!)


 ディノンの視線は既に動き出しつつあるコウの左腕を見ていた。

 口元を肘関節で覆い隠すようにして構えられていた左腕が煌めき、静かに振られた。その瞬間、ディノンはそこに握られているはずがない剣を確かに見た。本能が警告を出し、死に対して全力で抗うように体が動いた結果ディノンは左腰に差していた愛用の剣を咄嗟に左手で抜いていた。


「ぐぅ……っ!!」


 無理な体勢での抜剣。それのせいで自身の口から苦悶の声が漏れるがそんなことよりもどうにかしてあの剣を防がねばならないという思考の方が強かった。

 結果として、防御するように立てられた愛用の剣が何かにぶつかる事はなかった。それもそのはずでコウの左手には何も握られてなどいない。それでも、確かにその瞬間にディノンは命の危機を感じていた。


「はぁっ!!」


 身長差を生かしてコウを押し込む事で下がらせ、お互いの間合いを外す。

 ディノンは目の前で自分と戦っている相手が子供だとは最早思えなかった。戦士だ――それも、多くの実戦を経験したベテランだ。使う剣術は見た事がある物と無い物のごちゃ混ぜだが、不思議と形になっていて不自然な所はない。コレを自分よりも生きていない子供が考えて作り上げたとは信じられなかった。


(私は一体何と戦っている……? 狼の子はやはり狼という事なのか?)


 困惑しつつも先ほどよりも研ぎ澄まされた感覚でコウの一挙手一投足を観察するディノンに対して、コウはどこまでも冷静であり、その奥底では歓喜していた。


「やっぱり、未完成ではダメか」


 わかっていた事だ。

 双剣を用いて扱う剣術を一本の剣でやる事は不可能だと。本来の持ち主である美しい少女のように綺麗に舞う事は不可能だと。


「試してみたい……」


 コウの内側でザワリとナニカが首を起こす。

 今の全力を――自分の実力というのを目の前の剣士にぶつけたくなる感情が大きくなる。これまで、自分なりに厳しい訓練をしてきた。実戦だって数えきれない程に経験してきた。そんな自分が今どの立ち位置に居るのかを知りたくなった。


「そうだ。相手は“抜いて”いるんだ……」

「なっ……」


 コウの手から模擬剣が零れ落ち、地面に当たって甲高い音を立てる。

 それと同時にゆっくりと動いたその腕は自身の左腰へと向けられ――――


「そこまで!!」

「「……!」」


 ―――左腰に差した愛剣の柄を握る前に鋭い声が訓練場に響いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ