第7話 気を使い過ぎ。
これから義妹との二人暮らしが始まるらしい。
正直、不安だ。
「兄さん、荷物置くのに寝室の端っこ使っていい?」
夕月が玄関に置きっぱなしにしていたスーツケースを引っ張ってきた。今はある程度の日用品を買い終えて、家まで戻ってきたところだ。雪子さんは家に戻っている。すぐに出発するから、向こうは向こうで準備があるらしい。
なのでうちにいるのは夕月と俺だけだ。
「……いいよ。もう家の中は適当に使ってくれ」
「ありがと」
夕月がスーツケースを引きずって寝室に持っていった。元々、寝室には余裕がある。というか家全体に余裕があり過ぎるくらいだ。高校生の一人くらい、抱え込んでもたぶんなんとかなる。……スペース的な話では。
ふと窓の外を見ると、もう暗くなり始めていた。
これから俺たちで二人暮らしをしなければならないのか。
そんな事実になんだか途方もなく巨大な荷物を背負ったような気さえしてくる。
「兄さん、向こうに荷物置いたから。漁らないでね」
「漁らない。というか夕月」
「なに?」
「うちに住むにあたってとりあえずルールとか決めないか」
これから二人での同居が始まってしまう。
俺は異性のことなんてわからないが、配慮は絶対に必要なはずだ。
そもそも俺の生活は夕月に眉をひそめられるレベルだったのだ。このまま俺のやり方で暮らすのは絶対に無理だ。むしろ夕月が過ごしやすいようにうちの生活を改革してほしい。
そう思っての言葉だったが、夕月に首を傾げられた。
「ルールなんて兄さん守れるの?」
「なんでだよ」
「だって兄さん、この前までルール無用って感じの暮らし方してたじゃん」
「…………まあ、それはそうなんだが」
返す言葉もない。
「もし私にやってほしくない事があったら言って。それで兄さんは好きに過ごしてていいよ。あんま気にしないし。兄さんがいない間は勝手に家事とかやるし」
「いやでも多少は決めないといけないこともあるだろ」
「どんな?」
逆に聞かれても困ってしまう。
「……洗濯物とか?」
「兄さんパンツ一緒に洗ってほしくないの?」
「逆だよ。お前が嫌じゃないかと思ってんだ」
「別に気にしないけど? わけるのめんどくさいじゃん」
さらっと言われて微妙な顔になった。お前の方が気にしてくれないとこっちとしては変な気分だ。
「ま、いいけど。決めよっかルール」
夕月がテーブルの対面に座って、頬杖をついた。
思ったより気にしないんだろうか。
高校生くらいだと、こういうのは気にすると思ってたが。
俺は昔買った適当なノートを広げ、『水野家ルール』と書き込む。
ひとまず、お互いの普段の生活から考えよう。
「……夕月って朝はどんな感じで過ごしてる?」
「えっと、だいたいは――」
◇
話を聞いて、俺たちの生活リズムを図に起こしてみる。横に伸ばした棒グラフのようなものを色分けしてみると、思っていたより被っている部分は多くない。
「家にいるタイミングが被るのは平日の朝と夜くらいなんだな」
「あとお休みね」
同居とはいえ四六時中ずっと家にいるわけじゃないのだなと改めて思う。社会人と学生では生活リズムが違う。
「じゃあ、この被ってる間……部屋分けるか?」
「……え?」
「そうしたら多少は一人の時間も取れるだろ。夕月は広い方……こっちのリビングの部屋の方を使ってもらっていい」
家にいる間、俺と夕月で空間を分けるという案だ。
1LDKの家だから残念ながらお互いの個室は用意できないが、こうすれば夕月も過ごしやすいだろう。
そう思って提案したのだが、夕月は怪訝な目を向けてきた。
「や、別に住む場所は完璧に分けなくてよくない? 大変そうじゃん。というか、分けるなら兄さんが広い方使うべきだし」
「……いいのか? 一人の時間とか……」
「いいよ別に。ここ兄さんの家じゃん。私は気にしないで好きな時に好きな部屋いればいいよ。私も気にしないし。もし兄さんが絶対一人になりたい人なら別だけど」
「……なるほど」
夕月の口調は、けっこうはっきりとしていて率直だ。だから今の言葉にも忖度のようなものは感じない。
だが少し不安になってしまう。いいんだろうか。俺がいたら邪魔じゃないのか。
「……なら寝る時は布団じゃなくてベッド使うか? 部屋を分けないなら寝室も使ってもらっていい。まあ、マットレスを天日干ししたいから明日からになるけど……」
「……ちょっとストップ」
椅子から体を浮かせ、手を立てて止められる。
しばし目を閉じ、何かを考えるような数秒の後、呆れたような顔で言われた。
「兄さんってさぁ……だいぶ不器用でしょ」
「……いきなりなんだよ」
「私に気を使いすぎ」
鼻に指先を突きつけられる。
「泊めてもらってるのに一個しかないベッドなんて使えるわけないじゃん。兄さんベッドの方が寝やすい人でしょ?」
「そうだけど……よく知ってるな」
夕月がぴたっと動きを止める。
「……お、お義父さんから聞いたの」
「なるほど」
それなら知っててもおかしくはない。
「……って今それはどうでもよくてさ。私は泊めてもらってる立場なんだから、もっと兄さんが我が儘してくれないと困るの。そんなに縮こまられてると気になるし。私なんて勝手に居候してるだけなんだから、もっと適当に扱ってくれていいんだよ」
じっと真っ直ぐに見てくる夕月にそう言われて困った。
気持ちはわからないでもないが、適当に扱えというのも難しい。
どうしようか、と思いながら押し黙ってしまう。そもそも俺が一緒に暮らした相手と言えば父くらいのものだ。異性と、しかも年下の義妹との関係などわかるはずもない。
夕月が頬杖を突き、ぽつりと言った。
「兄さんはたぶん、私のことよくわかってないんだよね」
「……それはそうだな」
「じゃあ、ルールとかよりまずそっちからやろうよ」
「そっち?」
「仲良くなる」
「な、仲良く……?」
呆然とする俺を置いて夕月が話を進めている。
「こういう時は、何か目的があるといいと思うの。例えば文化祭の準備とか一緒にやったら慣れてない子とも話せるようになったりするでしょ」
「……人によってはそうかもな」
自分の学生時代を思い返すが、そもそも文化祭期間中ほとんど誰とも喋ってないなと気付いた。
「だから兄さん、外出しよ。明日。日曜日だし」
「……は? どこに?」
「ドリームランドとか?」
「……ど、ドリームランド?」
ドリームランド。そこは夢と魔法に満ち溢れたメルヘンでファンシーな雰囲気の大人気テーマパークだ。こんなくたびれたサラリーマンが訪れていい場所ではない……わけではないが、俺のような人間には似つかわしくない場所だとは思っている。
「夕月と俺で?」
「当たり前」
呆れたように言われる。
「兄さんどうせ外出してないでしょ? この機会に行くべきじゃない? 行ったらけっこう面白いよ。たぶん」
いやいや。二人でドリームランドなんて言って何をするんだ? もちろん今まで一回も行ったことは無い。というか遊園地みたいな物にすら行った事も一度あるか無いか。
夕月が狼狽える俺を見て首を傾げた。
「じゃあ明日は二人で気まずく家で過ごすの?」
「……う」
たしかにこのまま明日を迎えたら、ひたすら気まずい状況で過ごすことになるかもしれない。
「共同生活ってスタートが大事だと私は思うけどな」
ぐらつく俺の天秤を夕月が緩く笑いながらつついてくる。しかしドリームランドに釣り合う分銅なんて俺は持っていない。結局、傾く先は一方しかないのだ。
「はぁ……行くか」
「よし」
夕月が微かに笑みを浮かべる。
「じゃ、計画立てよ」
「え、計画……?」
「そりゃそうでしょ。ちゃんと考えないと明日ぐだるじゃん」
「……家のルールは?」
「今度決めよ。あー楽しみ。明日は何着てこうかな……」
洋服とか、そのレベルから計画が必要なのか。
まだ見ぬドリームランドに若干の怯えを覚えるが、後の祭りである。
(明日家にいるのとドリームランド行くのどっちが疲れるか……)
夕月が立てる計画を聞きながらふとそんなことが思い浮かんだが、不毛になる気がして止めた。