幕間 夕月の回想
兄さんは全然まったくこれっぽっちも覚えていないと思うけど、兄さんとは昔会ったことがある。……もちろん、昔の事だし、覚えてなくても私は気にしてない。
全然。まったく。これっぽっちも。
ちょうど十年前くらいの話だ。
私の父親が不倫をして家から急に消えた頃、ちょうどその頃お母さんを亡くした"お兄さん"と出会ったのだ。
たぶん、覚えてないと思うけど。
兄さんが振り向いて声をかけてくる。
「夕月、次は何を買いに行くんだ?」
さっき二人で電車に乗って、ショッピングモールまでやってきた。兄さんの家で暮らすために必要なものを買いそろえているところだ。ちなみに、お母さんは出発の準備があるからと戻ってしまった。
後は何が無いだろう。
寝床は兄さんの家にある。部屋着は持ってきたやつでしばらくはなんとかなる。歯ブラシとか、お風呂のセットは買った。旅行の要領でだいたいは揃えたはず。
そうしたら……物を持たなさすぎな兄さんの家に必要な物を買い揃えるくらいかな。
「兄さんの家、たぶんお皿足んないよね? その辺見たい」
「たしかに。ええと売ってそうな店はどこだ……」
兄さんがショッピングモールの案内板を眺めている。
私は隣で店の名前を眺めるともなく眺めている。
さっき聞いたけど、ここに来たことは無いらしい。こんな近くに便利でお洒落な物も色々あるショッピングモールがあるのに、なんで兄さんは来ないんだろう。
(まぁ、興味が無いんだと思うけど)
兄さんはあんまり周りにも自分にも興味が無さそうだ。
……だから私のこともきっと気づいていない。
それは初めて会った時に私がすごく無愛想な対応をしてしまったせいでもあるけど……。
(だって気づけないじゃん)
最初に会った時、昔の"お兄さん"の姿と今の兄さんの姿が合致しなかった。ちらっと似てるなと思ったけど、流石におんなじ人だとは思わない。だってまさか、家族になるなんて。
――作馬くんってもしかして、昔遊んでくれてたお兄さんじゃない?
そうこっそり教えてくれたのはお母さんだ。たしかに、言われてみれば面影がある。
なのに、初めて会った時、すごく冷たい態度を向けてしまった。
(大失敗だ)
完全に自業自得だけど、ここから巻き返すのは困難だと思う。
昔のことを思い出してほしいけど、今の私への印象はあんまりよくなさそうだし。
そもそも兄さんのことだから、昔ちょっと会った小娘のことなんて覚えてないかもしれない。
今の私が迷惑だと思われている可能性すらある。
……昔のことを思い出して一人で盛り上がったせいで、急に抱き着いて泣いたりしちゃったし。
(……うざいとか思われてたら死ねるかも)
そういう不安はある。でも心配なのだ。兄さんは自分のことを気にしなさすぎだし、ほっといたら倒れてそうな気さえする。急にいなくなったら、それが一番怖い。だとすれば、私がここにいるのは正解だ。うん、たぶん、そのはず、きっと。……ちょっと重たいかな。どうだろう。
ともかく今は、兄さんの信頼を勝ち取ることから始めよう。
「……夕月?」
「っなに。兄さん」
気づいたら兄さんが顔を覗き込んでいて、びっくりして棘のある声が出てしまった。ああだめだ。兄さんも目を丸くしている。こういう無愛想なところは兄さんの前では直さないと。
「店見つけたけど、行くか?」
「……うん、行く」
「疲れてるなら通販とかでもいいけど」
……疲れてると思ってくれているらしい。
そういう風に急に心配されると、ちょっとどきどきする。
「……平気。でもあと食料品買って最後にしよ。遅くなっちゃうし」
「了解」
立ち上がり際、さっき買い物した荷物を持とうとしたら先に兄さんが持っていった。
特に何か親切をしたというような顔でもない。
そういうところも変わってない。
小さいことで、昔の優しいお兄さんだなと思う。
「ありがと、兄さん」
「え? ああ、うん」
久々に会った兄さんは、私に対して困った顔を見せることが多い。
そんな表情をもう少しリラックスした物に変えるところがまず最初の目標だ。
「食べたい料理とか、あったら教えて」
「あーそうだな……考えとく」
並んで歩きながら、私もこれからどんな物を作ろうかと頭の中のレシピを整理し始めた。