第2話 どうしてここに?
ここに引っ越してきてから、誰かが訪ねてきたことはほとんどない。
一度、引っ越す時に両親が手伝ってくれたくらいだ。それ以外は宅配くらい。
だから家に人がいるのは変な感じがしたし、しかも相手はお互いにほとんど知らない義妹だ。
違和感と混乱で固まっていると、そんな義妹――夕月が眉をひそめた。
「……そんな見られると困るんだけど」
「わ、悪い」
硬い声で言われて、反射的に謝ってしまう。
「……一年ぶり、くらいか?」
「たぶん」
素っ気なく言われる。
少し会ってないだけだったが、俺の中の印象よりも少し大人びて見えた。
全体的に無愛想な雰囲気は変わらない。でも背は伸びているし、ショートの髪はいつの間にか落ち着いた紺に染めている。オーバーサイズな服装も洒落ているし、耳にはイヤリングも見える。
少し帰らないだけでずいぶん雰囲気が変わるものだ。
「なんで……夕月がここに?」
「助けてってLINEしたの兄さんでしょ」
ほとんど他人みたいなものだが、彼女は俺のことを兄と呼んでくれている。
「そうだけど、雪子さんは?」
「お母さん、今朝は寝てたから。うちに私しかいなかったの」
「学校は……」
「今日、祝日」
短く返事をされ、目を逸らされる。やっぱり嫌われているんだろうか。そう思うが、でも額にあった冷却シートを貼ってくれたのはたぶん夕月だ。
リビングを見渡すと、さっきまでフローリングに落ちていた服が無くなっていた。浴室の方からは元気に稼働している洗濯機の音が聞こえる。
「夕月が色々やってくれたのか? このシートとか、洗濯物とか」
「起きるまで暇だったし。あとすごい汚かったし」
「……すまん」
夕月は息を吐いて、テーブルに置いていたビニール袋を広げ始めた。
「……これ。風邪の人の看病とか初めてだから、よくわかんなくて色々買ってきた。そしたらなんかすごい増えちゃったんだけど……」
複数のビニール袋から色々と物がテーブルに並べられる。風邪薬と、スポーツドリンクが二本、インスタントのお粥、味噌汁、のど飴、はちみつ、納豆、ヨーグルト。十秒でチャージできそうな感じのゼリー飲料……。
「本当にだいぶ買ったな」
「……よくわかんないって言ったじゃん」
夕月の頬が薄っすら赤くなって、ちょっと不機嫌そうな声で言われる。照れているのかもしれない。まぁたしかに、ネットで調べた物を片っ端から買ってきたようなラインナップだ。
でもうちは常に物が不足してるような状況だし、こういう補給はむしろありがたい。邪魔になることはないだろう。
「ありがとう。お金いくらだった?」
「それは後でいいけど。まず体調はどうなの?」
「あー……そうだな。まだ微妙だから、薬飲んでもう一回寝る」
「何か食べた?」
「いや何も……」
「じゃあ薬飲む前に何か食べた方がいいよ。あんまり空腹の時に薬って飲まない方がいいって言うじゃん」
かもしれない。だいたいの薬は食後に飲むよう説明書きされているイメージだ。
夕月が一瞬だけためらうような間を置いて、口を開いた。
「私、お粥作ろっか」
「え」
「あっためるだけのやつ、ちょうどあるし」
「いいのか?」
「……別に。あっためるだけだから」
夕月は曖昧に視線を外して、お粥のパッケージを手に持ってキッチンに回る。
ちょっと意外な気持ちでお湯を沸かすのを見ていたら、顔をしかめられた。
「なに。見られてるとやりづらいんだけど」
「……悪い」
「暇なら着替えとかしてたら?」
「……了解」
たしかにこのまま見ていても仕方ない。頷いて寝室のクローゼットへ向かう。
のろのろと歩いて寝室のドアを開けたところで、床に落ちていた紙に足を滑らせて体勢を崩した。
「――っ」
肩から壁にぶつかって、どん、と大きな音が鳴った。
いてえ。けど、音が大きいだけでそこまでの痛みではない。
「ちょっ、大丈夫!?」
そこに夕月が血相を変えて駆け寄ってくる。
「っ、ああ。だ、大丈夫だ。肩打っただけだし」
「なんだ。よかった……」
夕月がほっと息を零した。しかしすぐにはっと元の不愛想な表情に戻る。
「……着替えもできないなら言ってよね」
「……悪い。ちょっとふらついた」
「もういいからベッドにいてよ。病人は病人らしくしてて」
そう言い放ってキッチンに戻ってしまう。
残された俺は夕月の背中を見送って、ゆっくりと首を傾げた。
(……心配されてたな、今)
言いつけ通りにベッドへ座る。リビングから微かに夕月の足音が聞こえる。
不思議だ。
これまで、夕月との関係性はほとんどゼロに近かった。向こうは会いたくないだろうと思っていたのだ。でも今、こうして世話を焼かれている。甲斐甲斐しいと言えるくらいだ。なぜだろう。俺は嫌われてるのではなかったか。もしかしたら、これも風邪の時の夢なんだろうか。
そんなことを思っていると、夕月が湯気の立つ器を持ってきてサイドテーブルに置いた。
「熱いから気を付けて。あと味付けはそのままだから変だったら言って」
「これ、夢じゃないよな」
「……何言ってんの。まだ熱ある?」
ぼうっとしていたら心の声が漏れてしまった。
首を振って、お粥を口に運ぶ。……うん。美味しい。夢でもない。塩気の効いた味と共に、弱っている時に人がいることのありがたさが身に染みた。
夕月はそんな俺をじぃっと見つめている。
……見られてるとちょっと食べづらいんだが。
「……この機会に、兄さんに聞きたい事があるんだけど、いい?」
「ん?」
視線について切り出そうとした時、夕月が言い出しづらそうに口を開いた。
「仕送りで私の分も追加で家に送ってるって、本当?」
急に予期しないことを言われて、むせた。