第14話 お料理教室は大変です
突如始まったお料理教室は、とても波乱に満ちていた。
◇
「兄さん、持ち方が怖すぎ。刃の下に指入れないで」
「……でも玉ねぎって転がっていかないか?」
「まずヘタのところ切り落とすの。皮も剥きやすいし、そこから刃も入れやすいし。こうやって持ってさ……」
「おにーさんふぁいとー! ゆっくりでいいっすよー!」
「紬、静かに。……今の兄さん、どこか違うとこ切りそう」
「よし。……じゃあ、切るぞ」
「…………」
「…………」
「……切れた」
「うおー! やりました! ナイスです! 拍手!」
「なんで盛り上がってんの。まだヘタ切っただけだから。紬は黙って。兄さんは集中して」
「……はい」
「はい! おにーさんがんば!」
◇
「じゃがいもは一回切れ目入れて茹でておくと後で剥きやすいからお湯を沸かす」
「……はい」
「人参はピーラーで剥くのがいいかも。皮も食べれるけど、食感の好みがあるから一応皮は取ろうかな」
「……はい」
「お兄さん、ラジコンって感じですねえ」
「……はい」
「うわぁ全然余裕ない」
「紬、暇ならお湯沸かしといてくれない?」
「あっ、はい。了解っす」
◇
「煮込んでる間は待機」
「……疲れた」
「すごい時間かかったね。まあやってれば慣れるよ。……たぶん」
「でもおにーさん、壊滅的にセンス無さそうっすね。あたしもめっちゃ不器用ですけど、おにーさんさらにやばそう」
「俺も薄々気づいてんだから言わないでくれ……」
「大丈夫。これからはどうせ私が作るし」
「たしかに。おにーさんは料理しない方が良さそうっすね」
「…………」
「あの、兄さん。冗談だから本気で落ち込まないで」
「そ、そうっすよ! まあ……任せた方が安全な気はしますけど……」
「いや……落ち込むというか……ちょっと聞いてもいいか?」
「なに?」
「はい?」
「ご飯って……用意すべきだよな?」
「あ」
「忘れてたっすね」
◇
およそ一時間半後……。
「できた……」
テーブルに並んだごくごくシンプルなカレーライスが三皿。
具材を切る時点で悪戦苦闘。煮込んでる間にカレーライスのライスが無いことに気づいてまた慌てて早炊きで用意する。突発的に始まったお料理教室は終始忙しない雰囲気で続いたが、最終的にはなんとかこうして形にすることができた。
そして、それぞれの皿の前には疲労困憊といった様子の俺たちが座っている。
「いやぁ~……」
紬さんが微妙な愛想笑いを浮かべる。
「まさかこんなことになるとは~……」
「……すまん。俺が下手くそすぎた。悪かった。本当に。もう二度と料理をしようとか言わないから……」
「だ、大丈夫っすよ! 料理できなくても人間生きていけますから!」
それは慰めにはなっていない。
「もう……なんでもいいから食べよ。お腹空いたし」
夕月の呆れたような軽い号令で、そうしようかという空気になる。俺も落ち込んでいる場合ではない。
いただきます、と声と手を合わせ、カレーライスに口を付けた。
味は素朴なカレーライスの味だった。初心者が作っても、なんとなく形にはなる。レトルトというのはすごいなと皿を見下ろしながら思う。
「おにーさん! この人参すごい分厚いっす!」
「ラッキーだな」
「でもお肉うっすい! 逆が良かった!」
「……取り替えようか?」
「マジすか!」
「兄さん、紬を甘やかさないで」
紬さんはだいぶはしゃいでいる。全然遠慮してこないから、こっちとしても雑な対応でいいのだろうなと思い始めた。楽しげにこっちを見て笑いながらスプーンでカレーを運んでいる。
「いいっすねえ。家族の食卓って感じで。……おにーさんも夕月先輩も、ちゃんと仲良しなんすね」
やけに神妙な声で呟いている。
もしかして、と思っていた事を尋ねてみた。
「紬さんは……今日は夕月が心配だったからうちに来たのか?」
「あはは。実はそうなんすよ~」
ばつが悪そうな顔で笑っている。
「……そうだったの? 心配ないって言ったのに」
「いやいや夕月先輩。急に家族の都合で別の家に住むって。しかもあんま会った事ない義理のおにーさんの家だとか言われて。そりゃこっちとしてはちょっと心配っすよ」
「……それは、そっか」
夕月が少し困ったような顔をしている。
同じ心配を俺もしたのだ。本当にうちでいいのか? そういう気持ちはまだかすかに残っている。夕月の家事の手際の良さからすれば、きっと両親がいない実家の方でも普通に暮らせるだろう。あえて見知らぬ義兄の家に来なくたっていい。
紬さんがにこやかに笑った。
「でも、今日来てみて安心したっす! おにーさんも変なことはしなさそうっすね!」
「当たり前だ」
「カレーもちゃんと美味しくできてるっすよ。あたしのルーのチョイスのおかげっすね!」
「ルーはどれを選んでも大体美味しく出来るから」
味はほぼ完全にルーのおかげなので、そういう意味では間違ってないかもしれない。
「ちなみに、自分からはおにーさんのカレーへ100点を上げます」
「緩い採点だな」
「初心者ボーナスで90点っす」
「10点じゃねえか」
「夕月先輩はどーですか。何点?」
夕月はふっと顔を上げると真面目な声で言った。
「兄さん、今日のところはよくできました」
「……ありがとうございます」
「でも約束ね。絶対私の目が届かないところで作ろうとしないこと」
「……それはもちろん」
「じゃあ100点」
深々と頭を垂れる。今回の功労者は間違いなく夕月だ。料理初心者と野次馬を相手によく冷静に指導ができたものだと思う。夕月がいなかったら、あと数倍の時間がかかって、さらには怪我も避けられなかっただろう。
夕月なしで料理が作れるとは思えない。
「こうなるかもって思ってたから兄さんに料理させたくなかったんだよね」
たいへんごもっともだ。
その後も主に紬さんに話を振られつつ、珍しい面子での昼ご飯を食べるのだった。