八話 ほら、大変なことになった
「――おー」
「飲み物は麦茶とオレンジジュースとコーヒーどれがいい?」
「じゃあオレンジジュース」
「分かった、そこのソファーに座って待っててくれ」
結局何のためらいも無しに家に入った氷室は、リビングにあるソファーに座りながらきょろきょろと部屋の中を見ている。
普段からこまめに掃除はしてあるし、見られて困るようなものは……自室にしかないし、その自室も綺麗にしてあるので特に問題ないだろう。
「はいよ、オレンジジュースな」
「ありがとう」
「今から俺は晩御飯の用意するためにキッチン居るから何かあったら呼んでくれ――ああそれと、待つのが暇なら漫画とかラノベなら貸せるけどどうする?」
「それは面白いの?」
そんな質問をするという事はもしかしなくてもライトノベルや漫画を読んだことが無いのだろうか。
ライトノベルだけならまだしも、漫画も読んだことが無いというのは現代の若者にしてはかなり珍しい部類だろう。
「ジャンルによって好き嫌いの個人差はあると思うけど、俺は面白くて好きだからそこそこの数集めてるな」
「じゃあ読んでみたい」
「オッケー、とりあえず色んなジャンルの1巻目を持ってくるからその中で気に入ったやつがあればそれの続きを持ってくるよ」
「ん、お願いする」
氷室の好みが全く分からないので、漫画とライトノベルでそれぞれ王道のファンタジー物やラブコメ、後はスポーツ系の物もいくつか持って行こう。
果たして気に入ってくれるかは分からないが、1、2時間の暇つぶしにはなってくれるだろう。
「とりあえず種類が違う1巻目のやつを色々持ってきたぞ」
「……」
氷室は待ちきれないと言わんばかりに目をキラキラさせて漫画やラノベを見ている。
まるで新しい物に興味津々な犬みたいだな。なんて思ってしまったがために、尻尾をブンブンと振っている氷室を想像してしまい慌ててそれをやめる。
「じゃあ俺はキッチンに居るから」
「……ん」
(この様子なら暇する事はなさそうだな)
これなら安心して料理に集中できることだろう。
「まあこんなもんか」
遠慮したのかそれともつまらなかったのかは分からないが、料理をしている約1時間の間氷室が俺を呼びに来る事は一度もなかった。
どちらにせよまだ少し晩御飯の時間には早いし氷室もまだ家にいるので、出来上がった料理にラップをかけてから氷室のいるリビングに向かう。
「お待たせ」
「……」
氷室は読んでいる本に夢中になっているのか、俺の声が聞こえている感じは無く真剣な表情で黙々と読み進めている。
そんな状況の彼女を邪魔するのも忍びないので俺も読みかけだった本を自分の部屋から持って来て氷室から少し離れた場所で読むことにした。
それから30分ほど経った頃だろうか、今読んでいる本が終わったであろう氷室が顔を上げる。
俺もちょうど区切りがいいところまで読み終わったタイミングで伸びをしようと顔を上げたところだったので、不意に目が合った。
「いつから?」
「ちょっと前だよ」
「ほんと?」
「本当だとも、真剣に読んでるのを見たら俺も読みたくなって読んでただけ」
実際そんなに時間は経ってないし、俺も気になっていた本の続きが読めたので有意義な時間を過ごせたといってもいいだろう。
「これ凄くおもしろかった」
「気に入ってくれて何よりだよ」
「また続き読みに来てもいい?」
「なんなら本を持ってってもいいぞ?」
毎回俺の家に来るのも嫌だろうと提案してみたのだが、それは求めていなかったのか氷室は首を横に振った。
「持って帰って無くしたり汚したりしたらダメだから、また来て読みたい」
「そう言うなら暇な時に来るといいよ」
「ありがとう」
「おう、それとそろそろ時間大丈夫か? ここに来てからもうすぐ2時間経つけど……」
時計を見れば、時刻はそろそろ19時になろうとしているところだった。
おじいちゃんとの約束があると言っていたので、そろそろ帰らないとまずい気がするのだが……
「ほんとだ、もうおじいちゃんも家に着いてる頃だから帰らないと」
「なら――送っていくよ」
窓から外を見てみれば、夕日はほとんど沈んでいたので今日も送っていくことにする。
絶対今日も氷室のおじいさんからなにか言われる事になるだろうが、夜道を一人で歩かせる方が問題だろう。
「でもご飯作ってまあまあ経つから冷めちゃう」
「レンジでチンすれば大丈夫だし、往復でも10分程度しかかからないんだから遠慮しないでくれ」
「……分かった、お願いする」
「よし、じゃあ行くか」
外に出てみれば真っ暗とまではいかないが、街灯がちらちらとつき始めだすくらいになっていた。
それにしても昨日の今日でまさか家に入れる事になるとは人生分からないこともあるもんだ。
昨日まではただの目立たない生徒Bくらいだったのに、今起きていることはそれこそまるで小説の主人公のような……
「そういえば、おじいちゃんに連絡とかしなくて大丈夫なのか?」
「……忘れてた」
「…………それって結構やばいんじゃ……」
昨日少し会っただけだが、彼は氷室の事を溺愛していた。
そんな彼女が家に帰っても連絡も無しに居なかったら……
「……良かった、有栖どこにも居ないから心配したぞ」
「ごめんおじいちゃん、連絡するの忘れてた」
「いいんだ、有栖が無事な、ら……」
とそこまで言って俺が目に入ったのか、有栖を見ていた時の目から一転、視線だけで人を殺せそうな程の目つきで俺の方を向く。
「おい貴様、どういう事か説明してもらおうか」
ほら、大変なことになった……




