二話 噂の後輩
「――待って」
図書館に向かう途中、唐突に誰かを呼び止める声と共にくいっと制服の裾が引っ張られる。
特に校内で呼び止められるような事をした覚えは無いので一体何だろうかと思いながら振り向く。
誰が何の用で……と見てみれば、入学式の時に噂になっていた氷室有栖ではないか。
自分の一つ下の学年、つまりつい1週間前にこの学校に入学した生徒な訳だが、彼女は色んな意味で彼女は噂になっていた。
彼女を一言で表すとするならば、美少女という言葉が一番合っているだろう。テレビに出ている人気女優やモデルさんにも引けを取らないのではないかと思うほどの美少女っぷりは、入学して早々校内に知れ渡っていた。
それに加えて彼女は入試の成績も首席だったらしく新入生代表の挨拶を務めていたのだが、なんと「これから三年よろしくお願いします」とだけ言って壇上降りたのだ。
噂には疎い優佑ではあったが、目の前でそんなことをする生徒が居れば流石に覚えようとしなくとも記憶してしまう。
「えーっと……何か用でしょうか?」
そんな彼女が一体何の用で……と思いつつも、考え込んで無視してしまうのは良くないので返事を返す。
「ん、これ落とした」
と、手に持ったものをこちらに差し出しながら言うのでそれを見れば、俺の財布ではないか。
「ありがとうございます、助かりました」
「感謝されることでもない。……でも一つ気になった事がある」
「なんでしょうか……」
「どうして敬語なの?」
表情は最初から全く変えずに、何故だか分からないといった感じで首を少し傾けて彼女は聞いてくる。
「それは初対面なので――」
「でも貴方が先輩で私は後輩」
「……その理論で行くなら氷室さんは俺に敬語になるのでは?」
「む……でも私敬語は苦手」
完璧かと思われていた氷室さんにもどうやら出来ないこと……というより苦手なことはあったようだ。
偶に耳に入る噂には入学試験は満点だっただの、運動神経も抜群で運動部の3年生も顔負けだのと本当に俺と同じ人間か? と思うような事ばかりだったので、それを聞いてなんだか少しホッとする。
「私だって完璧な訳じゃない」
「……声に出てました?」
「別に、でも顔がそう言ってた。それと敬語はいらない」
完全に心を読み取られていたかのような返事だったのだが、本当に声に出ていなくて顔に出ていたのならさっきの俺は一体どんな顔をしていたのだろうか……
それに加えて彼女は余程俺に敬語を使われるのが嫌なようで、さっきよりもこちらを見る目がほんの少し細くなっている……ような気がする。
「あー……これでいいか?」
「ん」
観念して敬語を外せば満足げにこくんと頷いてくれる。
「というか氷室さんは委員会の集まり行かなくていいの? 俺はそろそろ始まる時間だから行かないといけないんだけど」
「あっ……でも場所がよく分からない」
「……案内してやるからどこに行きたいのか教えてくれ」
「でも案内してもらったら貴方が遅れることに――」
「1年生が遅れるのと2年生が遅れるのじゃ訳が違うだろ? 俺のことは別にいいからどこに行きたいのか教えてくれ」
俺がそう言えば彼女は少し悩む素振りを見せる。
(それにしても案外噂も当てにならないもんだな)
氷室有栖という人間はかなりのマイペースで、男子からの告白はすべて無視したり、女子が話しかけても碌に会話すらしなかったりというような噂ばかりだったのだ。
噂通りの彼女ならば、今俺が委員会に遅れる可能性なんて考えずに案内させれば氷室さんとしてはなにも問題無いはずだ。
しかし実際の氷室さんは俺が遅れることに対して心配してくれている。
どうやら彼女は人間離れした冷酷な人ではなく、優しい心を持った女の子だったようだ。
数秒悩んでいた彼女にもようやく結論が出たようで、彼女は少し眉を下げて口を開く。
「図書館まで連れていって欲しい」
……と。
明日からは午前1時頃に投稿予定です。