序盤
※テスト的な意味を込めて投稿しています。そのため、本分の内容は加筆修正される可能性があります。
「お疲れ様です! お先に失礼します!」
「お疲れ様~。今日はありがとうね~」
「いえ! それでは!」
バイトのユニフォームから私服に着替えて、駅に急ぐ。
急いだ甲斐あってか、ちょうど今着いた電車に乗ることができた。
「お、ラッキー」
壁に寄りかかって揺れに備える。
電車が動き出して、揺れが安定してきた。
俺はスマホを取り出し、時間を確認する。
14:43。
「これなら遅刻の連絡いらなかったな」
授業の開始は15:00。
うん。なんとか滑り込めそうだ。
LINEを起動し、グループの一覧から「声優科 秋学期(23)」を開く。
俺はすぐにメッセージを送った。
「お疲れ様です。唯乃です。遅刻しそうでしたが間に合いそうです」
少し待つと返事が送られてきた。
送り主はヒロキ。
「急いだ方がいいぞ。先生もう来たから」
おいおい……マジかよ。
いつも時間ぴったりに来るのに、今日に限って早いとは。
「なるたけ急ぐ」
返事を書くと、俺はすぐにスマホをポケットにしまった。
そして、代わりにSuicaの入ったケースを握った。
電車が目的地に着くなり一目散に駆けだした。
急げ! 授業開始までもう3分切ってる!
「ハッ……ハッ……。チクショッ……せっかく間に合うはずだったのに……こんなことで遅刻してたまるか!」
もう少し……。
そこの角を曲がれば……。
その瞬間、目の前をトラックが通過した。
「うおっと!」
慌てて止まる。
危ない……。もう少し反応が遅ければひかれていたかも……。
「って! 急がなきゃ!」
歩けば良い程度の距離も走る。
少しの時間も惜しい。
歩いて1,2分の道のりも、走ればものの数十秒だ。
よし、ついた。
玄関を通り抜け、教室に駆け上がる。
「唯乃 仁也さん~」
「!」
教室から漏れた声が聞こえた。
やべえ、出欠始まってる!
「唯乃さ~ん? あれ? お休みですかね?」
「そういえばさっき、LINEで遅れるって言ってました」
「なるほど。では遅刻……」
「います! いますいます!」
ドアをバンとこじ開けて教室に入った。
教室ではちょうど先生が出席を取っていて、生徒はそれぞれパイプ椅子に座って聞いていた。
「おいおい遅刻か~? ただのん?」
ヒロキがどやしてきた。
「いや、しょうがないんだって! ホントは14時までだったのに、バイト来ないヤツいたから代わりに出てたんだよ!」
「ホントかぁ~?」
「ホントだよ!」
「はいはい、わかったわかった」
俺とヒロキのやりとりに先生が割って入った。
「唯乃くん。間に合って良かった。遅れた理由はまた後で聞くとして……準備してきな?」
「はい!」
俺は返事をして、準備を始めた。
リュックから諸々(もろもろ)の道具一式をだす。
えっと……。
教科書と、前回もらったプリントと、飲み物と、筆記用具……。
よし。
空いてる席は……。
「愛川みなみさ~ん」
「はい」
聞き流していた出席確認だったが、愛川さんの番になって耳にとまった。
チラッと、バレない程度に愛川さんを眺める。
長髪の似合うキレイな人だ。
見ているだけで赤くなってしまう。
近くにいると緊張するから、あまり近づきたくはない。
お近づきにはなりたいけど、物理的に近づけないというか……。
もどかしい。
「あ……」
よく見てみると、愛川さんの隣しか席が空いてない。
……よし。俺は気合いを入れて席についた。
すると、愛川さんが話しかけてきた。
「惜しかったね? もう少し早かったらセーフだったのに」
「いや、セーフだから! 遅刻じゃないし!」
「フフッ……そうだったね」
うっわ緊張した……。
ちゃんと返事できてたよな? 不自然じゃないよな?
「それでは授業始めま~す。よろしくお願いします」
「「よろしくお願いします!」」
全員で起立して挨拶した。
そして席に着くと、すぐに授業が始まった。
「はい。それでは前回やった詩のコピーありますね? あれの続きをやっていきましょう」
「「はい!」」
「じゃあ……1段落目を唯乃さん」
「はい!」
トップバッターか。
後に読むヤツも、俺の読み方に引っ張られる事になる。
責任重大だな。
「あれ……?」
1段落目に丸をつけようと思い、ペンケースを手に取ったところで気づいてしまった。
ペンが入ってない!?
なんでだ? 昨日ちゃんと入れたろ!
それに、さっきバイト先で使ったんだぞ?
ちゃんと持ってきてるはず……。
まさか、バイト先に置いてきたのか……?
思い返してみれば、急いでバイト先を出た記憶はある。
しかし、ペンをペンケースに入れた記憶はない。
「嘘だろ~……」
やっちまった……。
音読なんて1人で何段落も読むことになる。
メモしないと、とても覚えられない……。
「6段落目を川岸さん」
「はい」
先生にペンを忘れたって言うにしても、もうタイミングを逃してるし……。
クソォ……どうしたら良いんだよ……。
「ねえ、唯乃くん」
愛川さんが話しかけてきた。
「もしかして、ペンないの?」
「えっ?」
何で知ってるの?
彼女は笑いながら言った。
「頭抱えてたから。隣にいれば分かるよ」
「あ、そっか……」
俺、頭抱えてたのか……。
「よかったら使う? これ」
そう言って、彼女はペンを差し出した。
「いいの?」
「うん。私、何本か持って来てるから」
「……ありがとう」
忘れて良かった。心の底からそう思った。
おかげで愛川さんとしゃべれたし、ペンも貸してもらえた。
「ホントにありがとう。このご恩は必ず……」
「アハハ、いいよいいよ。それぐらいさ」
彼女が女神に見えた。
いや、彼女こそ女神に違いない。
「ちなみに」
「ん?」
「メモするところ覚えてる? 唯乃君、5個くらい読むとこあるよ?」
「あ……。わからない……」
「じゃあ、コレ見て写しなよ。私、人のもメモしてるから」
「ありがとう……! ホントに言葉が出ないです……」
感動だ……。ここまで多く言葉を交わせたことが未だかつてあったか?
今日はツイてる。バイトはちょっと長引いたけど。
でも遅刻にもなってないし。今日はツイてるぞ!
今日は何でもできる気がする。
もし愛川さんに告白したら、OKもらえちゃったりして……って!
何考えてんだ俺は!
気を取り直して、授業に集中した。
―――
「お疲れ様でした」
「「ありがとうございました!」」
授業が終わった。
今までに感じたことのない充実感だ。
「唯乃」
帰る支度をしていると、声をかけられた。
声の主はヒロキだった。
「どうした?」
「実は……お前には話しときたいことがあって、さ」
「話しときたいこと? なに?」
「いや、ここじゃちょっと……」
「? 言いづらいことなのか?」
「まあ、そういうわけでもないんだが……」
ずいぶんと歯切れが悪い。
普段はもっとハキハキ喋るのに。
「ちょっと来てくれるか?」
「ああ、わかった」
ヒロキに連れられて裏通りに出た。
すると、そこには愛川さんがいた。
「愛川さん!?」
クラスには裏通りから帰る人なんていないと思ってたのに……。
「愛川さん。悪いんだけど、今からヒロキと話が……」
「いや、良いんだ。唯乃」
「へ?」
良いって、何が?
そう聞く暇もなかった。
「実は俺たち……つきあい始めたんだ」
そこからの記憶はない。
頭がボーッとして、何も考えられない。
2人にはおめでとうと言って戻った気がする。
戻った俺はリュックを持ってすぐに校舎を出た。
何が起こったんだろう。
何を言われたんだっけ。
普段は何気なく通る帰り道。
今日は、やけに手をつなぐカップルが目に映る。
――実は俺たち……つきあい始めたんだ。
つきあい始めた?
ヒロキが? 愛川さんと?
「えぇ……?」
愛川さん……。
あんなに笑顔を向けてくれたじゃないか。
アレは何だったんだ?
ただのおすそ分け?
ヒロキに向けるついでに俺にもってこと?
というか、ヒロキとつきあってるって事は、恋人って事だよな?
ってことは、笑顔よりももっとスゴイ顔をヒロキにだけは見せてるって事か?
「……」
俺は間違いなく放心状態だった。
だからこそだろう。
「! おい危ねえぞッ!!」
ドゴン! という音と同時に、前進に衝撃が走った。
「!?」
自分が信号を無視して車道に出ていたことに気づいたとき、俺はすでに地面に転がっていた。
体が動かない。
地面に縛り付けられてるみたいだ。
歩行者信号が見える。
赤だ。
俺から広がっていく水たまりと同じ色だ。
いや、それよりはもうちょっと明るいか。
「……い! …れか警察……!」
「そのま…に救急……ろ!」
遠くから怒鳴り声と、スマホのシャッター音が聞こえる。
「おいキミ! しっかりしろ! もうじき救急車が来る!」
誰かが駆け寄ってきて何かを言ってる。
申し訳ないけど、俺には答えられる気力がない。
体中が痛い。
俺、死ぬのか?
視界がドンドン暗くなっていく。
なんだよ……。
死ぬ時って走馬燈を見るんじゃないのかよ?
声優目指して、バイトしながら練習して? あんだけ夢追っかけてたのに?
思い出す記憶もないのか?
視界はドンドン黒に近づいていく。
……いや。
俺は本当に夢を追っかけてたのか?
確かに養成所には通ってたけど、練習は授業日にしかしなかった。
演技の勉強も大してしてなかった。
ただ、なんとなくみんなと会って、なんとなく青春っぽいことをしてただけ……?
学生気分の延長戦をやってただけ?
……ハハ。
なんだ。そういうことか……。
俺の人生は、思い出す記憶すらない薄っぺらな人生だったってことね……。
視界が闇に包まれた。
何の意味もなかった……。
俺の人生は、無価値だった……。
闇の次は沈黙だった。
さっきまで聞こえていた騒がしさも、もう耳に入ってこない。
視界は真っ黒で、音もない。
そんな空間で、俺は意識を手放した。
―――
次に意識を取り戻したとき、やはり俺は闇の中にいた。
だけど、今度の闇は少し違う。
真っ暗ではあるが、わずかに明るい。
上から光が差してる?
「うわ……星だ……」
見上げると、木々の間から星が見えた。
そう。木々の間だ。
あたりを見渡すと木ばかり。
どうやらここは森らしい。
そして、頭上には美しい星空。
都会の空でないことは明らかだ。
「なんだか知らないけど、とんでもない田舎に来ちまったってことか……」
そもそも、なぜこんなところにいるんだったか。
思い出してみよう。
「まず今日はバイトがあって……。そんで、サボった奴がいたから代わりに出て……。その後、養成所の授業に出たよな? それで次は……」
次は……車にひかれたんだ。
ってことは……。
「ホントにあったんだ……。天国って……」
改めてあたりを見回す。
写真で見たことがあるような、何の変哲もない森。
見慣れない植物も特にない。
「……こうして見ると、天国も現実とそう変わらないんだな」
今、俺は間違いなく人類史に名を残すような発見をした。
しかし、それが誰かに伝わることはない。
「いくら天国を見つけたって、死んじまったら意味ないよな……」
近くにちょうど良い倒木があったので腰を下ろした。
「はあ……」
一息つく。
ロクな人生じゃなかったな。
結局、何にも残らなかった。
誰かの記憶に残るようなデカいことはできなかったな……。
俺の葬式で泣くヤツは何人居るんだろ。
家族は……まあノーカンだろ?
バイト仲間は泣かないだろうし、クラスの仲間もそうだろうな。
友達……っていうと,ヒロキくらいだな。
ヒロキは俺が死んで悲しんでくれるだろうか?
俺だったら悲しめるか分からない。
「愛川さんはどうなんだろう」
愛川さんは俺のために泣いてくれるだろうか?
いや、泣くほど親しくはなかったか。
俺が一方的に好きだっただけで。
でもそんな愛川さんも、もうヒロキの彼女。
俺が死んでも泣かないだろうけど、ヒロキが死んだら泣くんだろうな。
付き合ってんだから。
「はあ……。愛川さん……」
なんで死んでまで気が滅入ることようなことを考えなきゃいけないんだ……。
「あ~! やめやめ!」
俺は立ち上がった。
「せっかく天国に来たんだ! せめて現世ではできなかったような楽しみを見つけないと割に合わない!」
そうさ、俺はもう死んだんだ。
だからこれ以上生前の事で悩んでも仕方ない。
大事なのは今までじゃなくてこれからだ。
まずは他に人がいないか探そう。
まさか天国が貸し切りなんて事はないだろ。
森を出れば街があるかも知れないし。
とりあえず……
ズシン
……ズシン?
「何の音だ?」
今、すごい音が聞こえたような気がしたんだが。
音のした方に目を向けると、空の黒とは違う黒が見えた。
「あれ、煙か?」
煙ってことは、山火事か?
天国に山火事があるなんて……。人類史に名を残す発見その2だな。
「もし山火事ならさっさと逃げないと巻き込まれるな……」
煙は向こうから立ってるし、反対方向に進めば大丈夫か。
よし。いこう。
ズシィィン
「!?」
音が近づいてる?
なんだ?
音の方向を注目すると、煙の柱が増えていた。
「どうなって……」
ズシィィィィン
音と共に、今度は地面が揺れる感覚が伝わってきた。
「! 木が倒れてるのか……!」
火で燃えて倒れるような、そんな緩やかな倒れ方じゃない。
まるで、何かになぎ倒されるような……。
「! アレは……人?」
近づいてくる火の手に照らされて、人影が見えた。
走っている。
一目散にこちらへ向かっている。
「にげて~~!!!」
「え?」
女の声がした。
おそらく、あの人影の声だろう。
「逃げるってどういう?」
「いいから早く!」
「うわっ!」
彼女はすれ違いざまに俺の手首をつかんだ。
勢いに引っ張られて、俺も走り出す。
「なにすんっ……」
俺は自分の目を疑った。
彼女の横顔には見覚えがあったから。
「愛川さん!?」
「は!?」
「どうして愛川さんが!? まさか、キミも死んだのか!?」
「縁起でもないこと言わないで! 死なないわ! 私もあなたも!」
話がかみ合わない。
錯乱しているのか?
無理もない。こんな状況じゃ……。
……そういえば、今ってどういう状況だったっけ?
「ハァッ……なあ、落ち着いて話をしないか!? 走りながらじゃなくてッ!」
早くも息が切れてきた。
座って休みたい。
「言ったでしょ! 私もあなたも死なない! 死ぬわけにはいかないのよ私は!」
「死ぬってッ……ハァ、山火事なら焦らなくてもッ」
「私たちを追ってるのは山火事なんかじゃなくてド」
次の瞬間、俺のすぐ後ろの地面がはじけた。
小さな爆発が起きたのか、すさまじい熱と風が俺たちを襲う。
「キャッ!」
「うあッ!」
俺たちはなすすべもなく、吹き飛ばされた。
「いてて……」
日常生活じゃあり得ない転び方した……。
「クッ……! もうちょっとで街なのに……!」
愛川さんは後方の一点をにらみつけながらいった。
何を見ているんだろう、と同じ方を向いてギョッとした。
「グルルル……」
二本足で歩く巨大なトカゲ。
その姿はまさしく……。
「ど、ドラゴン……?」
天国にはドラゴンまでいるのか……何でもありだな。
「逃げて!」
「え?」
「ここからまっすぐ走って行けば街に着く! そこならドラゴンが来てもみんなが返り討ちにしてくれるわ!」
「キミはどうするんだ!」
「私は平気よ! 一人の方が逃げやすい!」
本当か?
たしかに、俺には戦闘能力がない。
一緒にいても足手まといになるだけかも知れないが……。
「逃げて!」
彼女は声を張り上げた。
逃げる?
俺は、逃げるのか?
逃げれば確かに、俺だけは助かる。
だけど、間違いなく彼女は……。
「モタモタしないで! 早く!」
俺が生き残ってどうなる?
また悔やむのか?
無意味な人生を送ったと。
それでいいのか?
無価値な人生で……。
「せめて意味が欲しい……」
「何をブツブツ言ってるの!?」
俺の人生はこのためにあったという意味があれば……。
例えば、大切な人を守るためにあったと思えれば、俺は今度こそ満足に死んでいける。
……たぶん、俺は死にきれなかったんだ。
ただ無意味に生きて、無意味に死んでいくのに耐えられなかったんだ。
そして今が、本当の意味で死ぬときに違いない。
その時に気づいた。これはチャンスなのだと。
だから俺は叫んだ。
「……逃げるのはキミの方だ!」
「は!? 何言ってんの!」
「ここからまっすぐ行けば街なんだろ? 俺は行ったことないからキミの方が早く着く! 違うか!?」
「それは……」
「立て! 走れ! 早く応援を連れてきてくれ! それまで俺が時間を稼ぐ!」
「……わかった」
彼女は少しためらいながら頷いた。
「必ず、生きてまた会いましょう!」
彼女は走り去った。
俺は彼女に背を向けて、ドラゴンに向き合った。
「さあ……来い……!」
ドラゴンがうなりを上げながら突進してきた。
俺はそれを横飛びで回避する。
ドラゴンのタックルが空ぶった。
しかし、ドラゴンはすぐさま尻尾を振り回す。
「ぐおっ!」
尻尾は的確に俺の体を打った。
右腕の骨が砕ける感覚と同時に、吹き飛ばされた。
「ぁぁぁぁ……!」
痛え……。
泣けてきた……。
もう嫌だ。もう立てない。
体はそう訴えかけてくる。
それでも、俺は立った。
「ぐぎっ……こいよ……!」
ここで俺が倒れれば、コイツは彼女を追いかけ、追いついてしまうだろう。
せめて彼女が街に着き、事情を説明できるくらいの時間は稼がなくては。
「こいボッ」
ドラゴンの爪が体をおそった。
体がビリビリに引き裂かれる感覚がしたが、手足はついたままだった。
「あがぅぅぅ……」
もう嫌だ。
いっそ殺してくれ。
できることならあらゆる手を使ってこの場から逃げたかった。
それでも俺は立ち上がった。
「……!」
ドラゴンの前に立ちふさがる。
尻尾、爪と順調にエスカレートしていた攻撃は一つのピークに到達した。
次に繰り出されたのは火球だった。
俺の全身を炎が包む。
「ああああああああああ!!!!!!!」
ここまで来ると、もはや他人事だった。
「あ、俺こんな声出るほどの元気があったんだな」なんて場違いなことを思った。
体中が痛くて重いが、どこか自分のことではないような気分だった。
「……」
コイツ、また立ってるよ。
自分の体なのに、自分の体じゃない気がする。
ドラゴンは次々と火球をはき出す。
俺はそれを全身で喰らい、倒れ、起き上がり、再び喰らい、倒れ、起き上がり、と繰り返し続けた。
痛みすら超越しだした頃。
「いた! まだ生きてる!」
「バカな……! 丸腰でドラゴン相手に7分以上も生きながらえるとは……」
「話は後だ! まずは片づけちまうぞ!」
「おお!」
人だ。それも大勢。
その戦闘に先ほどの少女の姿が見えた。
「あぁ……よかっ……」
満足感に包まれて、俺は意識を失った。
―――
「……大丈夫です。死んでます」
「よし。念のため、心臓と頭を潰しておけ」
「はい」
ドラゴンを仕留めたことは確認できた。
であれば次は……。
「エリアミス! そっちの男は?」
「生きてるわ! 信じがたいけれど……」
生きてて良かった、と彼女は続けた。
それを受けて、青年は残りの者に指示を出した。
「ではこれより、森の鎮火作業に移る! 熱検知、索敵、水系スキル保持者は隊列を組め!」
整列した集団を率いて、青年は森の奥へと入っていった。
それを見送った少女は、地面に横たわる男に声をかけた。
「生きてまた会えたね……。良かった……本当に」
―――
「……ここは……」
俺はベッドで寝ていた。
体の至るところが包帯で覆われていて、ランタンのオレンジ色がそれを照らしていた。
窓の外は相変わらず真っ黒。
大して時間は経ってないみたいだ。
「気がついた?」
「! 愛川さん!」
ベッドのわきに愛川さんがいた。
全然気づかなかった……。
「アイカワ……ってなに? あんまり聞き慣れない単語だけど」
「え?」
自分の名前なのに、何を言ってるんだ?
「まあいいや。私、エリアミス。さっきは助けてくれてありがとう」
「エリア……? あ、いえ……」
「もし良かったら、あなたの名前を……」
「その辺にしておくんだ」
突然、俺たちの会話に乱入者が現れた。
ドアの方を見ると、そこには鎧をまとった男が立っていた。
「エリアミス。あまりなれなれしくするな。素性も知れない相手だぞ」
「それはそうなんだけどさ……」
男はゆっくり歩み寄ってくる。
暗闇に紛れていた男の顔が、ランタンの光で明らかになった。
その顔に、俺は見覚えがあった。
「!? ヒロキ……!」
その男は間違いなくヒロキだった。
どうなってる? 愛川さんに続いてヒロキまで……。
まさか。
「まさか……ドッキリか?」
「ドッキ……何?」愛川さんは聞き返した。
「……」ヒロキは無言だった。
「そうか……ドッキリか! 俺は死んだんじゃなくて、お前達に一杯食わされてたワケね! あ~。なるほどな~」
ということは、あのドラゴンは着ぐるみか何かだろう。
元々声優を目指してた連中だ。スーツアクターと知り合いでもおかしくない。
そして、舞台として雰囲気が合う森を選んだんだろう。
かなり金がかかった大がかりな仕掛けだ。
「なあ、あのドラゴンどうやって動かしてたんだ? 3人くらいじゃないと足りなッ!?」
「もういい」
フォン、という音がした。
それは、ヒロキが俺ののど元に剣先が突き立てる音だった。
「え……? ちょ……これ……?」
「ワケの分からん戯言を言ってるのか。それとも、精神錯乱者のフリをしているのか。答えようによっては、今ここで首をはねる」
「ちょっとフリオ!? 何してんの!」
エリアミスと呼ばれた少女が激しく抗議したが、男は俺から少しも目を離さず言った。
「さしたる問題はないはずだ」
「問題は大ありよ! あなたはためらいもなく人を殺せるわけ?」
「コイツが帝国の工作員で、俺たちを壊滅させようとしている可能性もある」
「いくら何でもギルド評議会は黙ってないわ!」
「そうだな」
短く区切ってから、男は愉快そうに唇をゆがめた。
「評議会で論点になるのは『飛び散った血の片づけを誰がやるか』だろう」
「フリオ!」
少女は男の肩を突き飛ばし、俺と彼の間に立った。
「……何のマネだ?」
「それはこっちのセリフ! どうして一般人だった時の可能性を考えないの?」
「最善のケースを考えて全滅するくらいなら、最悪のケースを考えて取り越し苦労になる方が良いだろ?」
「だとしても今回は例外でしょ? もしあなたが彼の首をはねて、それで彼が無実だったとすれば、あなたはギルドの剣を罪のない民に向けたことになるのよ?」
「安全のためにはやむを得んさ」
「その方便は帝国と同じよ!」
「……」
二人は見つめ合ったまま押し黙ってしまった。
風が窓を叩く音だけが響く。
意味が分からない。
ギルド? 評議会? 帝国?
一体何なんだそれは?
真面目な彼らの顔つきを見ていると、とてもドッキリとは思えない。
コレは何なんだ?
疑問はつきなかったが、とても言い出せる空気ではなかった。
俺はどうすることもできず、ただ、彼女の背中を見守った。
「……わかった」
男が沈黙を破った。
剣を鞘に収め、姿勢を崩した。
その様子から、今まで彼が臨戦状態だったことを知った。
もしかして、一歩間違えば殺されてたのか?
おいおい、俺は何回死ねば良いんだよ……。
「そのかわり、そいつはしばらく牢に入れる」
―――
「それじゃあね……。何か変なことされたら、大声出して助けを呼ぶんだよ?」
彼女は檻の中の俺に語りかけた。
「あ、ああ。ありがとう……」
「エリアミス……。キミは誰の味方なんだ……?」
「フリオ。少なくとも今は、あなたの味方になれない」
「そうかい……」
「それじゃあね」
「あっ……」
行かないでよ! すごく心細いんだから……。
こんな狭くて暗い空間に一人きりで……。
「……」
……一人じゃなかった。
フリオと呼ばれた男は無言で椅子を引っ張ってくると、これまた無言で腰掛けた。
じっとコチラを見つめている。
「あの……あなたは行かないんですか……?」
「一人で心細いだろう? 安心しろ。スパイ容疑のあるお前を一人にはしてやらないからな」
彼は無表情で言った。
だが、語気は強かった。
「はあ……そうですか……」
こうして俺がこの世界に来て初めての日が終わった。
―――
翌日、早朝。
俺は狭い部屋で、フリオと呼ばれた男と向かい合っていた。
俺は椅子に座らされ、手には手錠がついていた。
対して、フリオは立ち、手には剣が握られていた。
いわゆる尋問だ。
「名前は」
「仁也で~す」
「どこから来た」
「森で~す」
「森の前はどこにいた」
「渋谷で~す」
「……お前、真面目に答えろ」
「そうは言いますがねぇ……。同じ質問をもう何十回とされてるわけですよ? ちゃんとしろと言うのがすでに無理な話かヒッ!?」
「その三文芝居のようなしゃべり方をやめるか、首をはねられるか。好きな方を選ばせてやる」
「真面目に答えます……」
コイツ……ことある毎に剣を向けて来やがる!
物騒にもほどがあるだろ!
……逆らわないでおこう。
「気がついたらあの森にいて……。その前のことは、何も……」
「何も、なんだ?」
「覚えてません……」
本当は覚えている。
俺は元の世界で車にはね飛ばされた。
そして目覚めたとき、すでにこっちにいたんだ。
しかし、そんなことを言っても信じてもらえないだろう。
「嘘をつくな!」とか言われてまた剣を突き立てられても困る。
そういうワケで、黙っておこうと決めた。
「……まあいい。少し待ってろ」
そういって、フリオは部屋を出た。
少し気が休まった気がする。
「どうだ見……は?」
壁が薄いのか、話し声が漏れて聞こえた。
フリオとその部下が、廊下で話しているらしい。
「そ……すね。使用……語彙からして、どこ…で教育を受けている可能…………」
「……教育機関に準ずる……」
「そ…こそ、帝国の……」
「では……の承認を……」
なんの話をしているんだ?
上手く聞き取れない。
語彙とか帝国とか、所々の単語は聞き取れるんだが……。
聞くことに集中していると、いきなりドアが開いた。
「うわっ!」
「……」
「び、ビックリした~」
「……」
ヤバい。盗み聞きしてたのがバレたか……?
「今からお前の頭を覗く」
「……は?」
「俺も最初からそうしたかったのだが……承認を得なければならないのでな」
「え?」
「そういうワケで、これからお前の頭の中は、ここにいる者にとって公然の事項となる。だが安心しろ。俺たちはその内容を決して他言しない。プライバシーは保護される」
フリオは言い終わった後、無実であればな、と付け加えた。
「な、何を言って……」
「入ってくれ」
フリオは開けっ放しだったドアから廊下に呼びかけた。
直後、顔色の悪い青年が入ってきた。
「……彼がそうなんですか?」青年は俺を指さして言った。
「そうだ」フリオが答えた。
「見たところ、筋肉も全くついてないし……。本当に彼が?」
「分からない。だからこそ来てもらったんだ」
「なるほど」
会話に混ざれないでいると、青年が俺の顔をのぞき込んできた。
「どうも」
「あ、はい……どうも」
「僕はセンサです。あなたの記憶を見させてもらいます」
「見るって、どうやって」
「いきます」
センサは俺の頭を両手でつかんだ。
「!?」
次の瞬間、視界が完全に切り替わった。
真っ暗闇に赤い炎、黒い煙、次々と倒れていく木。
これは……昨日の記憶か?
目に映る映像はパッパッと変わっていく。
が、シーンで映像は変化しなくなった。
それは、強大な敵と向かい合った記憶。
ドラゴン……。
ドラゴンの攻撃を受けて瀕死になりながらも、ギリギリ生きながらえる俺。
今思い返してみると、異常なまでの生命力と言える。
ドラゴンの攻撃を耐え続け、助けが来たところでブツッと視界が真っ黒になった。
一、二回瞬きをすると、尋問室が映った。
元の視界に戻ったようだ。
「どうだ?」
フリオが尋ねると、センサは振り向いて答えた。
「ビックリですよ。彼の最も古い記憶にアクセスしたんですが……それが、昨日の記憶でした」
「それ以前には何もなかったのか?」
「はい。ロックがかかっている形跡もありませんでしたし……。本当に空っぽです」
「……」
フリオはあごに手を当てて考えごとを始めた。
センサは気にせず言葉を紡いだ。
「それだけじゃありません。昨日の彼の記憶では、彼は死んでいてもおかしくないほどのダメージを受けていました」
「なに?」
フリオが目をかっぴらいて反応した。
「昨日そいつを発見したとき、死に至るようなケガは……」
「ええ。発見時……すなわち傷を確認した時にはそうでした。しかし、傷を確認したのは、ドラゴンを倒して森の鎮火が済んだ頃です」
「……まさか、傷を負ってから俺たちが確認するまでの間で回復したと?」
「そうとしか考えられません」
「だとすればそいつは……」
「ええ。治癒系の能力持ち(ギフテッド)でしょう」
「……帝国のスパイどころか、帝国に追われる側、というワケか……」
さっきから何を話しているのかチンプンカンプンなんだが……。
「もういいですか?」
「ああ、来てもらって悪かったな」
「いえ」
センサはフリオに会釈すると、今度は俺に顔を向けた。
「あなた、お名前は?」
「ひ、ひとなり……」
「イトラリー?」
「いや、ヒトナリです」
「へえ……。難しい名前だ」
それだけ言って彼は立ち去ろうとした。
「あ、あの!」
「はい?」
「なぜ……名前を?」
「それは……」
センサはチラッとフリオを見てから言った。
「これから仲間になるかもしれない相手ですから」
「仲間……」
「あとはフリオさんからお話があると思いますよ」
「あの人から?」
センサから視線をそらしてフリオに向ける。
あごに手を当てて、いかにも「考えてます」というポーズだった。
「でもあの人、俺のこと嫌いみた……あれ?」
元の位置に視線を戻すと、もうセンサはいなくなっていた。
「気づいたらいなくなってるんだ。アイツはいつも」
「! ああ、そうなん……すか」
フリオがいきなり話しかけてきたのでキョドってしまった。
俺は黙って、彼の次の言葉を待った。
「……」
「……」
この男、いっこうに喋らない。
「あの……」
「……あぁ、すまない。なんだ?」
「あの、俺はこれからどうなるんですかね……?」
「そうだな……」
フリオは虚空を見つめた。
また無言で考え始めるのかと思ったが、予想に反して答えはすぐに返ってきた。
「……悪いが、しばらく待ってもらうことになる」
「待つ?」
「キミの処遇を俺一人で決めるワケにはいかなくなった。評議会と議論しなくてはならない」
「昨日からたびたび聞く言葉ですけど……評議会ってなんです?」
「それも含めて、どこまでキミに話すべきか……俺には決めかねる」
「そうですか……」
「なあ! お前達!」
「はい!」
「なんですか? フリオさん」
フリオが部屋の外に呼びかけると、廊下で番をしていた男たちがやってきた。
「彼を開いている部屋に案内してくれ」
「はい。開いてる部屋ならどこでもいいんですか?」
「ああ。かまわない」
「分かりました。お任せ下さい」
「頼んだ」
フリオは俺に向き直った。
そして、「それでは、俺は失礼する」とだけ言って去っていった。
「では、部屋まで案内する。ついてきてくれ」
「あ、はい……」
俺は要領を得ないまま、部屋とやらに行くことになった。