33. リュカ ― 葛藤
*少し時間が遡ります。
神龍の聖女のお告げがくだってから、俺は落ち着かない日々を過ごしている。
オデットが聖女の候補になったと聞いて心配でたまらない。
最近ガルニエ領では魔獣が頻繁に発生している。俺も魔獣退治に行くことが多いが、どれだけ退治してもどんどん数が増える一方だ。
ガルニエ領の古い教会に封印されている魔王の復活が近いせいだとサットン先生からも言われている。
何としても教会を守れと指示されているので、俺が手配して修繕をしているが、イザベルはそれが面白くないようで何かと邪魔をしてくる。
しかも、イザベルの動きが不穏だ。
あのミシェルとかいう女と連絡を取っているとジルベールから聞いて、情けないが俺の膝は震えた。
二人ともオデットに対して良い感情を抱いていない。二人が共謀して彼女を傷つけるのではないかと不安で堪らない。
実際、襲撃者が通学路でオデットを襲ったことがあるらしい。
オデットにはアランが付いているし、オデット自身も強いので全く問題なかったですよ、とジルベールはしれっとして報告した。
彼女が自分の身を守れるくらい強いのは分かっている。サットン先生の鍛錬を三歳から受けているんだ。
それでも、万が一オデットに何かあったらと思うと膝の裏に力が入らなくなり、背中に冷や汗が流れる。
サットン先生もイザベルとミシェルが共謀していると知って動揺していた。
「よりにもよって最悪の二人がくっついたわね」
先生の声には焦りの色が濃かった。
「道理で神龍の試練の内容にイザベルが口出ししてきてる訳だわ」
「そうなのか!?」
俺は驚いた。全然知らなかった。
「そうなのよ。試練の内容については私も国王から相談されているんだけど。イザベルの王宮での影響力は大きくて厄介なの。イザベルの我儘を諫めることもできず、イザベルが犯罪をおかしてもそれを糾弾できない今の国王が問題なんだよね・・・」
サットン先生は深い溜息を吐いた。
「とにかくイザベルの動きを詳細に私に伝えて頂戴。下手するとミシェルよりも厄介よ」
俺は「勿論だ」と答えた。
イザベルの恐ろしさは俺も良く分かっているつもりだ。
第一の試練は魔獣討伐だと聞いて、俺もその場に行きたかった。
陰ながらオデットを守りたいと思ったのだが、その日イザベルは友人夫婦との午餐会を予定に入れ、俺も参加するのだと当然のように命令した。
俺はイザベルの交友関係には興味がないし、その友人夫婦とやらも良く知らない。
しかし、イザベルに逆らうという選択肢はない。
内心ではオデットのことを気に掛けつつ、友人夫婦を迎え如才なくホストの役を務めていた時だった。
突然耳につけたイヤーカフが震えた。
周囲に分からないように魔力を使い応答すると、フランソワの声が耳に流れて来る。当然他の人間には聞こえない。
にこやかにイザベルや友人夫婦と談笑しながら、全神経をフランソワの言葉に集中させる。
「・・サットン先生と連絡がつかないんだ。オデットを見失った。嫌な予感がする。ガルニエ領の教会の近くだ!」
焦るフランソワの声を聞きながら、内心の動揺を必死で隠した。
友人夫婦の会話に合わせて「そうなんですか」と声に出す。
フランソワは自分に対する返事でもあると分かったようだ。
「頼む。俺も引き続き探すから!」
その声を最後にフランソワからの通信は切れた。
俺は酒を飲み過ぎて気分が悪くなった振りをして中座した。
イザベルは文句を言ったが「すまない。少し休んだらすぐに戻るから」と彼女の額に口付けをしてその場を離れた。
すぐにジルベールを呼び出す。
二人で俺の部屋の浴室に入り、俺は手早く服を着替えた。サットン先生から貰った真っ黒な装束は顔を隠すこともできる。
そして、浴室の隅に大きな布を掛けて隠しているのが、父さんの作った魔道具のドアだ。
一年以上かかったが何とか修復することができた。大変な苦労だった。
ジルベールにイザベルが部屋に来たら何とか誤魔化してくれと頼んで、俺はドアノブに手を掛けた。
『オデットのところに連れて行ってくれ』
そう強く念じてドアを開ける。ドアから足を踏み入れると薄暗い地下室のようなところに出た。
イザベルの取巻き達が卑しい嗤いを浮かべてオデットを取り囲んでいる。
台に寝かされたオデットは体が動かせないらしい。俺の全身が憤怒の感情で煮えたぎった。
「ひょー、目を覚ましたぜ。極上のいい女だな。処女だろ?やべー興奮する」
「思う存分辱めた後に殺せって命令だよな。最高じゃね?」
「さすがイザベル様、命令も鬼畜だねぇ」
「ほら、可愛がってやるよ!」
一人の男がオデットに触れようとした瞬間、俺はそいつを一蹴りで吹き飛ばした。
汚い手で俺のオデットに触れるな!と心の中で叫ぶ。
俺の体は怒りで猛り狂っていた。半数以上を倒した時、一人の男がオデットの髪を掴み首にナイフを押し当てた。
考えるより先に体が動いて、風の魔法で男をナイフごと吹き飛ばした。
その勢いでオデットも台から床に落ちてしまった。何かが壊れる音がする。
しまった!大丈夫か?
心配したが、オデットは無事なようだ。そのままじっとしていてくれ。
敵を全て片付け終わってオデットを見る。大丈夫か?
オデットの猫のような緑色の瞳が俺を映す。もう二度と彼女の瞳に映ることはないと思っていたのに・・・。
例え彼女が俺に気づかなくても本望だ。
成長して更に美しさを増したオデットを見て、胸が一杯になった。
俺と同じ変な黒装束を着ていてもその愛らしさは変わらない。
・・・愛してる。オデット。狂おしいほどに。いや、俺はもう狂ってしまったのかもしれない。そう感じるくらいの激情が全身を包んだ。
その時、オデットの弱々しい声が聞こえた。
「・・りゅ・・・か・・・?」
俺は驚きで狼狽したが、恋焦がれていたオデットの声に内心歓喜に包まれる。しかも、俺に気づいてくれたのか?!
だが、俺はすぐに戻らないといけない。イザベルにバレたら大変なことになる。
外から声がして、オデットがそちらに視線を動かした隙に俺はドアを開けて自分の部屋に戻った。
ジルベールの「まだ10分しか経っていません」と言う声に安堵して、再び着替えて何食わぬ顔でイザベル達の元に戻った。
イザベルは少し疑わしそうに俺を見たが、時計を見て納得したように会食を続けた。
その夜、俺はイザベルの寝室に呼ばれた。
イザベルは俺の腕の中でニンマリと嗤って言う。
「お前の元婚約者を辱めて殺せと命令したのじゃ」
俺は内心の怒気を押し殺し、冷然と眉を顰めるにとどめた。
「酷いことをする。彼女は何も悪いことをしていないだろう」
俺は多少非難めいた口調で言った。
「それだけか?もっと驚くと思ったが」
イザベルは何故か残念そうに応える。
この女は何を期待しているんだ。嫌悪感と憎悪が最高潮に達した。
「・・・まだ報告は来ていないが、あのオデットと言う女はもうこの世にはおらんだろう」
いや、彼女は生きている。俺が助けたからな。
内心で反論しつつ表面上は冷静に会話を続けた。
「いい加減にしないといつか罪に問われるぞ」
「妾は何をしても良い特別な存在なのじゃ」
嗤うイザベルを見ていると、俺はいつかこの女を殺してしまうかもしれない、といういいようのない不安に駆られた。
翌朝イザベルは謀が失敗したという報告を受け、怒り狂っていた。
狂乱するイザベルを見て、ざまみろ、と内心で快哉を叫ぶ。
その数日後、フランソワからオデットが俺に会いたがっているという連絡がきた。
俺は心の中で喜びに震えた。オデットが俺に会いたがっている。
何度でも言いたい。
オデットが俺に会いたがっている!
俺も堪らなくオデットに会いたい。
昔、オデットを強く抱きしめた時のことを思い出す。彼女のほっそりした首に顔をうずめた時の甘い香り。柔らかな感触。甘美な思い出に居ても立ってもいられなくなる。
でも・・・会えない。俺はもうオデットに会う資格がないと分かっている。
何より俺は汚れすぎてしまって、清廉なオデットに近づくのは許されない。
それに、アランとオデットは良い関係を築いているようだ。
俺の出る幕はない。なんせ俺は既婚者だからな・・と自嘲する。
しかし、フランソワからオデットが俺の住む屋敷にまで来ようとしていると聞いて言葉を失った。
ダメだ。オデットをイザベルに近づける訳にはいかない。危険すぎる。
「フランソワ。すまないが何とかオデットを説得して諦めさせてもらえないか?」
フランソワはしばらく沈黙した後、質問した。
「・・・分かった。だが、お前は一生オデットを避け続けるつもりか?」
俺は迷わず「ああ」と答える。
「俺は一生オデットには会わない」
気持ちと裏腹に言い切ると、フランソワは溜息をついてイヤーカフの通信を切った。




