寝言は寝て言え!
8つ年の離れたお兄ちゃんは今年から新社会人。でも社会の荒波に揉まれて疲れ果てているせいかしら?毎朝なかなか起きてこない。
「もう7時過ぎね。夏菜。お兄ちゃん起こしてきて」
「え〜。また私が起こすの〜。私も急いでるのに」
「お兄ちゃんが会社に遅刻しちゃったら大変でしょう。アンタもう制服に着替えてるから大丈夫」
台所のお母さんに言われて、渋々ながら私は2階のお兄ちゃんの部屋の前へ。とにかく、さっさと起こすしかない。
「朝だよお兄ちゃん」
ドア越しに優しく声をかけても返事がない。やむを得ずドアをノックをしてみたけど全く起きてこない。もしかしたら疲労の蓄積で死んでしまってるのかしら?そうなると一大事なのでドアを開けて、静かに部屋の中に入る。
「スーッ。スーッ」
なんのことはない。お兄ちゃんは普通にベッドで寝ていた。腹立たしいのでカーテンを開けて太陽の光を入れ、掛け布団を剥ぎ取ってみる。すると光を避けるように体を横向きにして寝続ける。
「うへへ……。このドーナツを……全部食べていいの」
その寝顔はまるで幼稚園児のように無防備。
「なんて安らかな寝顔なの。とても社会人とは思えない」
体を揺すって起こすしかないな……と思ったその時。お兄ちゃんは信じられない寝言を発した。
「そうです……。勇者さんは庶務課の角を曲がって……タイムカードを押してください……」
「!?」
何、その寝言!?どんな異世界な夢を見ているのお兄ちゃん?寝台の傍らで見守っていると寝言はさらに異次元の世界へ飛躍する。
「経理部長は……エネルギー聖徳太子に……レベルアップしますから」
私の目は点になった。これは聞き捨てならない。
「ちょっ……ちょっと起きて、お兄ちゃん!今の説明して!」
体を揺すると、お兄ちゃんは驚いて目を覚ました。
「ふぁ〜っ」
酷い寝癖のついた頭をかきながら半身を起こすも、まだ状況を理解できていない模様。
「なんだよ夏菜〜。なんでお前が部屋に入ってきてんだ」
「ねぇ今の寝言何!?どんな夢みてたの、お兄ちゃん」
「夢なんて覚えてないよ。俺は寝るから……」
再び床につこうとしたお兄ちゃんだったけど、時計の表示に気づいて慌てはじめる。
「ちょっ!7時過ぎてる。もっと早く起こせよ!これギリギリだぞ」
起きたお兄ちゃんはパジャマ姿で洗面所に駆け込む。エネルギー聖徳太子の謎は放置されたままだ。
「もうっ。だからお兄ちゃん起こすの嫌なんだよ」
食卓で何度か尋ねたけれど、忙しいからと相手にしてくれない。こっちはすごく気になるのに。頭に来るので、玄関から出ようとするお兄ちゃんの背広の袖を引っ張って引き止める。
「責任とってよ!すごい気になってるんだから」
「なんで俺が寝言の責任取らなきゃならないんだ。俺はもう行くぞ!」
突然、お兄ちゃんは『はぅわ!思い出した!』という表情を浮かべる。
「そ……そうだ、俺は転生人だったんだ。魔王打倒のために勇者が会社で残業する世界で俺は労働に勤しむ日々だった」
「はい?」
想像もしてなかった答えに私は困惑。お兄ちゃんの額に汗が浮かび、切羽詰まった表情で私を見つめる。
「夏菜。『エネルギー聖徳太子』は職業名なんだ。この職を極めるとスキル「17条拳法」を取得できるんだよ。でも時系列を誤解するな。この世界の聖徳太子は異世界からの転生者だということだ」
これ以上は時間の無駄だ。寝言の謎は解けたので私はスクールバッグを担いで靴を履いた。
「お母さん、行ってきまーす」
「魔王との戦いに敗れた俺は、気づけばこの世界のイケメンに転生……って聞けよ夏菜!」
お兄ちゃんを無視して走り出した私。
それにしてもお兄ちゃんがあんなに想像力豊かだったとは意外だなあ。でもスキル「17条拳法」って何なの?また気になってきたから夕食の時に聞かなきゃ。
……と道を走りながらお兄ちゃんの残した戯言について考えていると、突然に暴走ワゴン車が私めがけて突っ込んできた。
「うわぁ!どけどけどけえ」
「きゃああ!」
ワゴン車が私を跳ねようとする寸前、ビジネスバッグ片手のお兄ちゃんが一瞬で暴走車を追い越し、体の向きを変えると私を守るように車の前に立ち塞がる。刹那、ワゴン車に勢いよく蹴りを入れた。
「お前がどけぇっ!」
「どわぁぁぁぁ!」
運動量保存則で考えると、お兄ちゃんが跳ね飛ばされてしかるべきはずなのに、逆にワゴン車の方がふっ飛ばされてしまう。軌道が豪快にそれてしまったワゴン車は勢いよく田んぼに落下。暴走運転手は車から飛び出し、稲が刈り取られた跡の田んぼの上にポヨンと投げ出された。震える私はスクールバッグを抱きしめたまま、駆け寄ったお兄ちゃんを見上げる。
「お……お兄ちゃん」
「大丈夫か夏菜!無事か」
「私は無事。でも……」
信じられない。体重57キロのお兄ちゃんがワゴン車を蹴り飛ばすなんて。突然の出来事に、野次馬が集まってくる。
「今の男をみたか!?」
「なんなの。スーパーマンかしら」
お兄ちゃんはしばしバツが悪そうに鼻を手でこすっていたが、すぐに鞄を振って野次馬に向かって叫んだ。
「え〜皆様〜。これは撮影ですので、ご安心を〜。6月公開の映画『運命のディスティニー』お楽しみに」
口からデマカセなのだけれど、野次馬達は納得しちゃった。
「ああ映画の撮影だったのか」
「朝からビックリするわねぇ」
私は後ろからお兄ちゃんの背広を引っ張った。
「こ……これお兄ちゃんがやったの?」
「ああ。内緒だけどこれがスキル『17条拳法』だ」
「お兄ちゃん凄い!全然意味が分かんないけど!」
お兄ちゃんの凄さに痺れた私は、明日からはもっと優しく起こしてあげようと心に決めたのでした。