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復讐譚と、恋心  作者: ジキル
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introduction

少年がこの世に生を受け、産声を上げて生まれ落ちた場所は、温かく柔らかいベッドの上ではない、小汚い家畜小屋の片隅だった。道半ばで産気づき、身動きの取れなくなったとある娼婦が、必死に辿り着き誰の助けも借りずにそこで産んだのだ。育ちきってもいない筋肉を震わせ、健気に生きようとする彼に娼婦の母親は、侮蔑を込めた目で何度も罵倒をぶつけた。そして、在ろう事か餌のおがくずの中に彼を埋めたのだ。その後、何事も無くその場を立ち去った。振り返る事など一度も無く。翌日、家畜の様子を見に小屋を訪ねた主人の男によって、息も絶え絶えになった赤ん坊が救い出された。


こうして哀れな少年は、悲劇とも言うべきその人生への一歩を踏み出したのだ。


数年後、彼は歩けるようになった二本の足でゴミ捨て場を漁る生活を続けていた。少し前までは家畜小屋の主人のところで世話になっていたのだが、主人の家が強盗に襲われ、彼は殺されてしまった。少年は命からがら逃げ出し野良犬のような生活を日々営んでいる。初めの方は腐ったものを食べ数日動けなくなっていたりもしたが、今は気にならなくなっていた。その内野草などにも手を付けようとしたが運悪く毒を持つ品種を大量に食べてしまい、少年は二度と手を付けないようになった。


背が伸び、知恵がつくようになると、少年は盗みを働くようになった。老若男女問わず押し入り、金品と食料を強奪して生計を立てる。時には捕まり、身ぐるみ剥がされた上で半殺しの目に合う事も多々あったが、持たざる少年がこの世界で生きていくためには、持つ者から奪うしかなかった。


とある日、少年はまた一軒の家に盗みに入った。音も無く窓から忍び込み、あらゆる場所に目を凝らす。あらかたの物を袋に詰め込み、逃げようとした刹那、背後から声が聞こえた。


「あら、可愛い強盗さん。夕食食べていかない?」


誰も居ない筈だった。充分に注意を払い侵入した少年だったが、運悪く家人は部屋にいたのだ。恐る恐る少年が振り返ると、そこには年老いた老婆が立っていた。


「スープ作ったんだけど……ちょいと作り過ぎちゃってねえ……消化するの手伝っておくれよ」


老婆が笑顔で少年にそう語り掛ける。少年は目の前の窓からすぐ逃げ出そうと考えたが、老婆の右手に鋭いナイフが握られているのを見て、途端に考えるのをやめ、びくびくしながら老婆の後を付いていった。階段を降りるごとに、良い匂いが少年の口腔と鼻孔を満たしていく。老婆に言われるがまま、今にも崩れ落ちそうな木製の椅子に腰掛けると、少年の目の前に薄汚れた銀の皿が運ばれてきた。中に薄く茶色な液体と、これまた茶色い塊が真ん中に鎮座している。


「どうだい? 牛の尻尾を煮込んだものさ。あたしの得意料理なんだけどね、塩を多くぶち込んじまったから、その分量を増やしたんだ。そしたら案の定婆一人では到底食べきれない量になっちまった」


老婆が得意げに少年に語る。彼の内心は、美味しそうな匂いがする目の前の液体を飲み干したいという欲と、毒草を食べて死にかけた時の記憶で揺れ動いていた。飲みたい、が、毒かもしれないという疑念が少しでもあると、思わず躊躇してしまう。そんな少年の様子を察したのか、老婆がスプーンで液体を救って飲み、小さく呟いた。


「あら、ちょっと塩多かったかねぇ? ま、良いさ。若いんだからどんどん飲めるだろう?」


老婆が所々歯の抜けた笑顔を見せる。すると、少年は皿に齧り付くようにして喉を鳴らし始めた。


美味い。舌を撫でて胃袋に落ちていく液体に対して抱いた感情はそれだけだった。徐に塊の真ん中目掛けスプーンの先端を突き立て、解していく。ほろほろにしたそれを液体ごと口に含むと、この世ならざる旨みが口中に広がった。


「あーあ……もう、口周りがべたべたじゃないか。どんな教育受けてるんだい……ひひひ……」


老婆が少年の顎を掴み、懐から取り出したハンカチで強引に口を拭う。たったそれだけの行為なのだが、少年の目からは何故か涙が流れた。生まれた時以来の涙だった。なんでもない、ほんの少しの優しさ、暖かさが、少年には堪らなく嬉しかった。


「居ない……親は、死んだ……」


「…………おや、そうかい。それはすまんかったね……。お詫びにパンも付けてあげよう」


ばつが悪そうに老婆が下唇を噛み締めると、何処からかパンをひっ掴み少年の前に差し出す。それをもぎ取るように少年が奪うと、少し匂いを嗅いだ後に大口を開けて噛み付いた。すかすかしていて、決して上等なパンとは言えなかったが、スープと共に食べると抜群に美味かった。あっという間に少年が全て平らげると、老婆が笑いながら少年の頭を撫でた。


「ひひひ……。あたしの分まで食べてどうするよ……。あんた、どうせ身寄りもないんだろう? 明日から夕食でも食べに来な。あたしだって褒められた人間じゃないが、少し夕食を多く作るなんて訳無いことさ」


その日から、少年は毎日欠かさず老婆の元を日暮れ時に訪れ、また、毎日愛想も無くずかずかと家に上がり込んでくる小汚い少年を、老婆は慈しみを持ってもてなす様になった。


「おや、今日も来たのかい。今日はね、あたし特製のシチューさ。ひひひひ…………」


少々不気味に写る老婆の影で、少年が夕食を共に取る。そんな光景が、季節の変わり目まで続いていた。


「……腹、減ったな。そろそろ行こう」


いつもと何ら変わりなく、少年が意気揚々と老婆の家を訪ねる。硬い樫の扉を右手で叩こうとした刹那、ふと思い留まり、忍び足でゆっくりと家の裏手に回った。この家に盗みに入ろうとした時のように。少年は機敏に感じ取っていた。昨日の家の様子とは違うということ、今、この家の中で何かが起こっていると言うこと。


埃が積もった窓辺に指先を引っ掛け、少しだけ頭を出して中の様子を伺う。直後、少年の瞳の中、真っ先に飛び込んできたのは、薄く輝く刀剣だった。この辺りの風景にはとてもそぐわないほど綺麗な短剣。少年は幾ばくか見惚れてしまっていた。


「さっさと帰りな!! 見たら分かるだろう、この家には何も無いよ!!」


少年の耳に、皮肉にも初めて老婆の怒号が轟いた。驚いた少年が更に奥を見やる。すると少年が見つめていた短剣の先は、倒れた老婆に向けられていた。


「はは、元気な婆さんだな……だが、どうも身の振り方を知らないらしい。悪い事は言わないから、俺の気が荒ぶらないうちに金目のものを出すんだ。切っ先を喉元に突き立ててるだけで済ましてんのは、俺なりの敬老なんだぜ?」


真黒いフードをしっぽり被った男が、さも愉快そうに老婆に語り掛ける。完全に顔が隠れているせいか、性別以外、年齢も特徴も何も分からない。だが一つだけ、たった一つだけ少年は知り得た。その形、風貌から、只者では無いと言うことを。男が切っ先を少しばかり上に上げ、老婆の頬を撫でる。それだけの事で、老婆のしわだらけの肌はいとも容易く縦に裂けた。


「ほら見ろ、綺麗な顔が台無しじゃないか」


「こんな年老いた者をいたぶって楽しいかい? はっ、哀れなこった」


老婆が不敵に挑発する。その途中、窓から覗く少年と確かに目が合った。咄嗟に少年が目を伏せる。老婆の視線から、家の中に居る男に気取られては自らが危ないと思ったからだ。石だらけの地面に視線を落とすと、頭蓋の中で老婆との思い出が半数される。野良犬のような少年を、ただ一人、『人間』として扱ってくれた。この世に生まれ落ちた少年を、その優しさで少年を救い上げて。ここで初めての感情が少年に芽生えた。他者を助けたいと思う気持ち。大切な人を失いたくないという気持ち。恩返しに老婆を助けたいと言う気持ちが。


その為には、自らの命など惜しくない、そう少年は覚悟した。


腹を決め、再び内部に目をやる。しかし、こちらをじっと見つめている老婆の瞳には、もう生気など宿っていなかった。


「うわ、汚え……刺しちまった……。めんどくせえな……」


そう男が零すと、ぴくりとも動かない老婆を、まるでゴミでも扱うかのように蹴り、入口から出て行った。出て行く最中に、懐からマッチを取り出し、無造作に投げ捨てる。燃えやすい木材で出来ているその箱は、間髪入れずに赤く染まり始めた。朧げな瞳で老婆が虚空を眺める。


それを、見開いた目で、ずっと少年が見続けていた。


♦︎


「この世界に生まれ落ちた事は幸福である」


どこかの誰かが大きな声でそう言った。柔らかなコートをその身に纏い、煙を燻す嗜好品をその口に咥えて。それにに群がる老若男女が歓声をあげて沸き起こる。手を叩いて、指笛を拭いて、叫んだ男を賛美する。その隣を、小汚い布切れを体に貼り付けた少年が、覚束ない足取りで歩いていた。周囲の大人は見向きもしない。これが『当たり前』なのだ。綺麗なところにだけ視線をやり、汚れた場所など意にも介さない。この世には後者の方が溢れかえっていると言うのに。


富裕と貧困、一概には言えないが、民衆はそれの違いにについて口を揃えてこう言う。


「運が良いか悪いかの違いだ」と。


俗に言うこの少年も、運が悪い人間の一人だった。


群がる運がいい人間に突き飛ばされ、泥水に少年が頭から突っ込んだ。軽く舌打ちを鳴らし、再び列に向き直る。


「この世界に生まれた君達は、それだけで幸福なのだ」


意味の無い言葉の羅列を次々と教祖が口から吐き出した。夢見がちな民衆はそれに聞き惚れ、渡り鳥のように賛辞を浴びせる。少年は、泥の中でそれを聞いていた。


幸福、幸福、幸福、幸福、幸福。


何回も頭の中で反芻する。少年は男が五月蝿く囃し立てる言葉の意味があまり理解できなかった。


残飯を漁り、命からがら生きている今は幸福なのか。文句すら吐くことを許されず、娯楽は耐え忍ぶことくらいしか無い今が幸福なのか。家族や友人など存在せず、ずっと孤独に生きてきた自分は幸福なのか。


「う、う…………」


気付けば嗚咽が少年の喉を鳴らしていた。とうの昔に枯れ果てたとばかり思っていた涙が、両の目玉から零れ落ち、汚泥と混じって土に染み込んだ。


惨めで、悲壮で、残酷で、孤独だとしても、

生きていれば幸福。


「ああああああ…………!!!」


心の底から、雪崩となって言い知れない感情が迫り上がる。少年はずっと考えないでいた事を、考えたく無かった事を、無残にも掘り起こされたのだ。


少年は、何も持っていない事を———


「大丈夫? 」


悲しみと共に溶けそうになっていた少年は掬い上げたのは、少年が嫌う、運の良い人間の少女だった。


「泥だらけじゃない……。ほら、こっちに来なさい」


上等な絹の服が汚れる事も厭わず、少女が少年を抱き上げる。皮肉にも、少年が初めて服に触ったのはそれが最初だった。


「何? 早く着いてきて」


前を歩く少女に警戒しながら、その後を少年が猫のように歩いていく。やがて、二人が辿り着いたのは、聳えるような大きな豪邸だった。少女が重厚な門に手を翳すとひとりでに開いていく。


魔法、それはこの世界に深く根付く技術の一つ。人々の体の中を縦横無尽に駆け回る魔力の粒を一点に掻き集め、何らかの事象を引き起こす。その存在は知っていたが、こんなに近くで見るのは初めてだった。それに、自らと同じくらいの齢の少女が、いともたやすくそれを行使した事に、少年は少なからず畏怖の念を抱いた。


「パパ! パパ!!」


少女がそう呼ぶと、扉のすぐそばのドアが勢いよく開き、初老の男性が音も無く走り寄ってきた。ぴしりと整えられた衣服を見に纏い、首まである金の挑発を、後ろでくくり纏めている。一見、裕福そうな見た目の男性だったが、猛禽類のような眼付きだけが強調されていた。さも心配そうに少女に駆け寄り、全身を撫で回す。


「メディ! どこに行ってたんだ? パパちょっと心配しちゃったんぞ?」


「それはごめんなさい。それとね……」


「ん? ああ、それは……よし、良いだろう。まず、その子を風呂に入れてあげなさい。話はそれからだ」


男性がそう言うと、声を出す暇も無く、少年は白いタイルが光る部屋に連れて行かれた。少女に布切れをひん剥かれ、頭から暖かい雨をかけられる。突然の事に少年は驚き、目を白黒させて部屋から逃げ出そうとした。


「こらっ、暴れないで。私が全身綺麗にしてあげるから」


少女に押さえつけられ、見たこともない白いふわふわに身体中を覆われる。引き剥がそうと噛み付いてみると、異常なまでの苦さが少年の口を襲った。白い何かを再びあの雨で流され、これまた暖かい池に頭から叩き込まれる。初めて少年の身に心地よさが走った。


「んふふ、気持ちいい? 良いなぁ。君、名前は?」


少女の問いに、少年は、知らない、と答えた。事実、少年には名が無かった。いつもあれとかそれとか呼ばれていたのだ。無くても不自由は無かったし、欲しいとも思わなかった。


「ふぅん……。ねえ、私がつけてあげよっか?」


脈絡も無く、少女がそう言った。少年は素っ気なく、要らない、と答える。会話はそこで途切れた。煙立ち上る池から抜け出し、これまた柔らかい白い何かで体を吹かれ、少女と同じような絹の衣服を身につける。べたべたしていない、それでいて軽いそれを着て、少年は気分が良かった。


「パパ、終わった」


「ああ、それじゃ夕食にしようか」


男性が引いてくれた椅子に少年が腰掛ける。すると、鼻孔をくすぐる芳しい匂いを立ち上らせた皿が運ばれてきた。


「あら、どうしたの? 可愛い坊や」


「その子は今日のうちのお客さんだ」


「ああ、そうなのね。今日の夕飯は賑やかだわ。待ってて、今君の分も持ってくるから」


女性が鼻歌を歌いながらキッチンの奥へ歩いて行き、湯気立ち昇る皿を持って再び帰ってきた。ことりと手に持ったそれをテーブルに置いて少年の頭を軽く撫で微かに笑った。


「今日のご飯は牛の尻尾を煮込んだスープよ。沢山あるから一杯食べてね」


皿の中身を少年が覗き込む。すると過去に見たことのある光景がそこに広がっていた。あの老婆と、初めて一緒に食べたもの。細部は違うが、確かにあれと同じだった。食べ始める前に、テーブルについた全員で祈りを唱える。無宗教且つ、宗教自体を知らなかった少年は、隣に座る少女の真似をした。数十秒後にそれは終わり、皆が一斉に食べ始める。恐る恐る少年がスプーンを持ち、中の液体を口に運んだ。


「う、う……」


気付けば、少年の頬を熱い何かが伝っていた。懐かしいこの味。あの老婆のたまに見る笑った顔が滴になって後から後から流れ落ちる。少年の心に走ったのは、とてつもない後悔の念だった。あそこで気にせず入っていれば、少なくとも老婆は助けられたのかも知れない。老婆がこちらを見た時に、すぐ窓ガラスを割って助けに入れば良かった。そんな情念が、奔流となって少年の身体中をごうごうと流れる。そんな突如泣き出した少年を、隣に居る少女が優しく抱きしめた。


「大丈夫。大丈夫。怖くないよ」


少し見当外れな慰めをかける少女。怖がってなどいない少年だったが、他者の慈愛に触れ、また嗚咽が止まらなくなった。


「なあ、君。家族は居るのか?」


唐突に男が少年にそう訪ねた。涙を袖で拭いながら少年が首を横に振る。


「い、居ました……! けど、もう……」


「そうか、君。名前はあるのか?」


「……ありません……」


少女の胸辺りは、少年の涙でぐしょぐしょに濡れてしまっていた。


「どうだろう。私たちと共に暮らさないか? 家族として。ちょうど男の子が欲しかったんだ」


「あらあら! 良いわね、ちょうどこの子可愛いし。息子が出来るなんて嬉しいわ」


あっけらかんと男と女性がそう言い放つ。未だだらだらと涙を流し続ける少年は、驚きのあまりむせ返りそうになった。そんな少年に少女が優しく語り掛ける。


「どう? 私、弟が欲しかったの。ずうぅっとお姉ちゃんが君の事を守ってあげるし、ずううぅっと君のお世話をしてあげる」


蠱惑的な声色で少女が少年の耳元で囁く。


「よし、決まりだな。君は今日から私たちの家族だ。何でも言って良いし、何でもして良い。私のことはパパと呼んでくれ」


「もちろん! 私はママよ! 夢だったの、息子にママって呼ばれるのが」


強引に話が進んでいく。しかし、その強引さが、弱り切った少年には心強かった。


「やったぁ! まず名前を決めないと! そう……貴方はドイル! ドイルよ! 宜しくねドイル!」


少女が少年の頭を抱え、頬擦りを繰り返す。こうして、運の悪い側の少年は、運の良い人間側に足を踏み入れた。それが間違いだったのかもしれない。少年はいずれ思い知る事になる。


『この世に生まれ落ちた事は幸福である』と。



タグ付けが苦手なんですね

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