雨露草紙
雨の桜と言いまして、ゆらゆらと散りゆく花びらは春の終わりを示します。
茶色の土を明るく桃に染め、木々は化粧落として素顔を見せるのです。
そんな桜道を日傘を差した見目麗しい女性が歩いてきます。
あら、不思議かなその女性、なんと白色の尻尾がありまして頭には狐の耳が付いているのでございます。
彼女の名を雨露と言いまして、これまた化生と呼ばれる妖。
そんな彼女を見る人は、ありがたいと手を合わせるのです。
始まるのは御伽草子。
七尾にして、人と関わった最後の化生、雨露の物語でございます。
1.
男は山道を登っている途中、俯せに倒れた女性を見つけました。
男は最初、行き倒れになった死体と思い、手を合わせてお経を唱えます。
「こんなところに仏が……ナンマンダブナンマンダブ」
そうして念仏を唱えた後、男はそこから去ろうとしたその瞬間、男は足に何か捕まれるような感触を覚えました。
「ちょっと待てい」
そう、俯せだった女は顔をあげます。
「ひぃいいいい、化けて出たああああああ!!!」
顔に土が付いた女の顔を見て、男は大声で叫びその場を逃げ出そうとします。
けれど女の力は強く男を離しません。
「成仏してくれだぁ、ナンマンダブナンマンダブ」
男が怯えるのは仕方ありません、女の頭には狐の耳が、尻には尾が付いていたのですから……。
男は女に向けて手を合わせ念仏を唱えます。
「あては怨霊の類ではない、落ち着けというとるに……。」
そう女は言います。
けれど、男は念仏を唱えるのはやめません。
「ナンマンダブ、ナンマンダブ」
「だから、落ち着けと!」
男が落ち着くのには半刻ほどの時間がかかりました。
場面は変わります。
山道の坂に腰掛ける2人。
狐の耳が生えた女の手には握り飯が握られており、それを美味しそうに口に頬張って、食べています。
女は自分のことを雨露と紹介しました。
それはそれは木々に咲く桃色の桜のような美しい娘でした。
「なんでぇ、おめえ山道で迷って行き倒れたぁ……難儀なことだったなぁ……。」
「うむ、赤根の方に行こうとしていたのじゃがな……山を下りればあとは道なりにいけば辿り着くとふんどったんじゃが、どう歩いても山道から抜けられず、腹は空いて歩く力も失って倒れていたんじゃ……。」
雨露はもらった握り飯を食べながら喋ります。
「赤根?それは赤根の里のことか?」
「おお、お主、赤根の場所がわかるのか?」
そう感心したように雨露は目を輝かせました。
男は首を傾げるようにして言う。
「言いにくいのだが逆側じゃぞ?」
少しの間。
その後、雨露は落ち込んだ様子で頭を抱えました。
「お主、方向音痴の類かの……。」
「ち、違う、違うぞ、決して方向音痴ではないぞ!」
「するとお前さん、この赤上岳の上から下りてきたのか?」
「そんなところかの……。」
狐耳をぴょこぴょこ動かす雨露。
男は狐耳と尻尾を見て
「となると、お主、もしかして化生の里の住人か?」
「化生の里……?」
「赤上岳は昔の名前で赤神と書く、なんでもそこでは化生が住まい不可思議な術を使うのだという。儂はな、その化生様にお願いしたいことがあって山を登ってきたのだ。」
雨露は、首を振りました。
「あー、やめとくがよい。里の化生連中は自分のことにしか興味がない奴が多くてな……何より儂らは人を術に使うのを禁じられておる。何か願い事があったとしても叶えてくれる輩はおらんよ。」
「そうか……。」
そう聞いて男は立ち上がります。
「登るのか?」
「ああ。」
「何を願うつもりなのか知らんが……無駄に終わるぞ?」
そう言われ、男は息を吞んだ後、虚ろな目で語りました。
「もう儂にはそれに縋るしか術が無い。見ての通りたいした路銀もないがな最悪儂の命を代償に嘆願するさ。」
その瞳には力がありません。縋り付くような細い目。
雨露はくしゃくしゃと髪をかいて、言います。
「話してみい、何、握り飯の礼じゃ……便宜を図ってやることぐらいは出来るかもしれぬ。」
「本当か?」
男は驚いて喜びます。
そして、この山を昇ることになったいきさつを語りはじめました。
2.
男は農家の出で、麓の農村に妻と息子がいました。
貧しい家庭でしたが子供にも恵まれ幸せな毎日を過ごしていたある日ことです。
息子が田で歪な形をした石を拾ってきました。
それは奇妙な石でした。燃え上がる炎のような赤い色に、中心に空洞が空いた石。
最初は男も、息子が珍しいものを見つけてくるものだと思いました。
息子は石を大事そうに抱えて、ずっとそれを見つめ続けていました。
それから三晩、息子は食事すら取らず石だけを見つめていました。
おかしく思った男は息子から石を取り上げて、外に出るように言いました。
次の日からでした、息子が熱病にうなされるようになったのは……。
触れると火傷するような熱でした。村長に頼みなけなしの金で医者を頼りましたが、医者も病気の息子を見て、手を挙げるばかりです。
男の回りには誰も息子を救ってくれる人はいませんでした。
病状は悪化する一方で、息子は熱にうなされ毎日のように耳を刺すような叫び声をあげます。
男はなんとかして息子を救ってやりたいと思いました。
大切な、大切な息子でした。
目の中に入れても痛くない、それほどに可愛がっていた息子でした。
けれど、息子を治せるものは誰もいなません。
もはや頼れるのは神仏の類いのみでした。
村にはとある言い伝えたがありました、赤上岳の頂上には、この世のものとは思えない桃源郷がある。
なんでもそこには様々な化生が揃い、人に理解出来ない術を扱える者達がいるのだと。
男はその言い伝えを頼りに、化生の里にわらにもすがる思い出登山を始めたのです。
―――
「石というのは今持っておるか?」
そう尋ねる雨露に、男は袋から掌に収まるサイズの石を取り出しました。
炎のような握るだけでやけどしてしまいそうな赤い石でした。雨露は眉をひそめてそれを受け取ります。
(妖力の類いは感じない、既に抜けとるのか……それともこれ自体が触媒になったのか……いや、これはどちらかといえば……)
「お前さんも化生の里の住人なのだろう?何かわかるのか?」
わらに縋るような目で男は雨露を見つめます。
「いや、わからん。」
そう言う雨露、少し消沈したように言う男。
「そうか……。」
男は再び立ち上がって里を目指そうとしました。
「まあ、待て……飯を貰った恩じゃ……こう見えても人の医術はそれなりに心得ていてな、あてが見てやる。」
そう雨露は胸を張って言いました。
「えぇ……いくら化生さんでも腹すかせて倒れてるような化生さんではなぁ……。」
本当に心配そうに男は言いました。
その反応に雨露は大げさに転びます。
「こ、こう見えても、あては凄いんじゃぞ……。」
雨露は目に涙を浮かべてそう訴えます。
しかし、男は信じられないといった風に疑いの眼で見ました。
「本当に本当にじゃからな!ほ、ほら行くぞ……。」
雨露の顔は火でもついたのかのように真っ赤です。
「それにお主、命を賭けるといったが人の命を欲しがるのは堕ちた者どもぐらいよ。そやつらはお主のような人間が泣き叫んで右往左往するのを楽しみとしとる連中じゃ……お主の命ではお主の願いは叶えられん。だから、この雨露様に任せよ。」
それから1日ほど時間が過ぎまして、雨露と男は男の家に着きました。
「母さん、新しい医者を見つけてきたよ。」
そういって木で出来た戸を開けると、中には熱病にうなされ頭に冷えた布をあてられた子供とそれを側で見守る母親がいました。
雨露は家に入り、子供を見て、目を細めます。
(ああ、確かにこれは酷い。)
少年は憑かれていました。黒く淡い怨念に……。
「まずは薬を作る。」
「薬なんてものはどこで……」
問いかける男にため息交じりに返す雨露。
「お主、山をなんだと思っておる。ヨモギ、オオバコ、タンポポ、薬草の宝庫ぞ……。道具はあるのでな、湯を沸かしてくれ。」
少し時間がたちました。
先程までうなされていたのが嘘のように子供は眠っています。
このような事は、子供が病を患ってから初めてだと夫婦は喜びました。
雨露は汗を拭ったあと、夫婦に向けて言います。
「とりあえずの処置はした。」
「ありがとうございます、ありがとうございます。」
男は泣いて礼を言いいます。
「とりあえずの処置と言った筈じゃ、このままでは再び元の状態に戻ってしまう。」
「そうなのですか?」
男は不安そうに雨露を見ました。
「ゆえにこれから少々、術を使う。」
「それは人に使えないのでは……。」
「ああ、人には使わんさ……奥方様も少し席を離れてくれんか……。人が術にあてられることもある。この子を助けてやる条件だとでも思っておくれ。」
「はぁ。」
部屋から出て行く2人。
それを見計らって、雨露は口を開く。
「さて、起きているのであろう。餓鬼。」
そうすると子供の心臓をわしづかみにしていた悪霊が姿を現します。
「おうおう、これは狐の変化様かぁ……こんな人里に下りてくるとは珍しいことで……。」
「ああ、よかったよ。どうやら話が出来る知性はあるようで……。」
「なんのようだ?取り憑こうというのなら先約は俺様の方だぜ、他の子供を探しな……。」
雨露はくすりと笑います。
「こう見えて力に不足はしておらんでの、お主みたいな小者と同じに扱われるのは少々腹が立つ。」
「はは、そうかい……それで何のようだ?」
「それでお主、その子供から離れる気はないか?」
「無いね、俺を祭っていた細工石を壊して懐に入れたんだ。許せるか?許せないねぇ。死ぬまでこのまま祟ってやるさ。」
「祭るなら別の場所を作るというのはどうじゃ?元のよりも大きなものを作ってやる。なに彼らも悪意は無かったのだ。我ら化生は童と楽しむものだろう?ここは寛容な心を持って化生として務めを果たす気は無いか?」
「許せねぇさ……子供だから?そういう問題じゃないんだよ。こいつらを許すってことは、俺を祭ってくれたら奴らにドロを付けるということだ。許せるか?」
雨露は苦笑いをしました。
「交渉は決裂か……。」
「そういうことだ、里に帰りな……。」
「では仕方ないの……。」
雨露は懐から符を取り出しました。
「おっと、待った俺を滅する気ならば、この子供ごと滅する気でやれよ?俺様がこいつを取り殺す時間なんざ一瞬だぜ?」
そう餓鬼に脅すように言われ雨露はきょとんし、その後、けたけたと腹を抱えて笑いました。
そうして笑い終えたあと、冷たく言い放ちます。
「あてが貴様如きを滅するのに一瞬もかかると思ったか?」
3.
赤根の里の東に1人の老婆が住んでいました。
老婆は地方に伝わる様々な言い伝えや大陸の医学、暦の読み方、字の読み書きまで様々な知識を持っていました。
老婆は決して知識を自慢したり、ひけらかしたりはしません。
求められれば、それに必要なことだけを答えて、事態を解決する。
そういった温かな人柄の老婆でした。
老婆は1人でした。
夫も子供も彼女にはいませんでした。
両親は彼女が子供の頃に先に旅立ち、それから御髪が白くなるまでずっと1人で生きてきました。
ですので、彼女の家には人は誰もいません。
そんな老婆の家、枕を頭に伏せている狐耳の女、雨露がいました。
老婆は縁側に座って、手に持った茶をすすります。
雨露の枕の前にも団子と茶が置かれています。
「それでまたお節介を焼いてきたのかい。」
微笑みながら老婆は言いました。
「お節介言うなー、恩返しだよ、恩返し……。」
雨露は口を尖らせていいます。雨露は老婆の前では取り繕いません。
二人は老婆が子供の頃から付き合いがありました。
「大体、空腹で倒れるとか雨露様、山育ちなんだから少し上手い嘘をつけばいいのに……。」
「五月蠅いなー、あてだって……ちょっと無理があったと思ったよ。」
「食い意地がはってたのは本当だろう?」
雨露は頬を染めて顔を背けました。
「まあ、あんなに臭い人間が山に入ってきたら心配にもなるさ。でもただで助けてあげるわけにはいかないからね。お供えものを先に貰ったんだよ。」
「ものは言いようだねぇ……。他の里の化生様は基本、人に関せずなんだろ?」
「皆はそう。だからあてぐらい外れた化生がいてもいいのさ……こうやって人里に下りてくればおいしいお団子にもありつけるしね。」
「ふふ、雨露様がそういっていつも舌鼓を打ってくれるから、つい腕をふるってしまのかねぇ……。」
雨露は立ち上がって背伸びをします。老婆はずっと付き合い姿が変わらぬ雨露を見て、少し感いったような瞳で雨露を見つめました。
「もう行くのかい?」
「お団子とお茶も満喫したしね……じゃあね、また遊びにくるよ。」
「土産話を楽しみにしていますよ。」
雨露は老婆に別れを告げて、家を後にします。
「さてと、どっちが里だっけな……。」
はてさて道が分からず困る方向音痴な雨露なのでした。




