Ep41 金緑石
それはまだ、十代の学生だった頃のこと。
あの屋上で一人、うたた寝をしている一夜を見たことがある。
あの子はいつも隙がなくて、そういう所をあんまり人に見せないのだ。
めずらしいな・・・と思ってその綺麗な寝顔をしばらく眺めていた。
そういえば一夜に初めて会ったとき、こんなに綺麗な男の人がいるんだなぁって思った。
少し経って目を覚ました一夜は、私の顔を見て本当に嬉しそうな顔をした。
『藍・・・いたんだ』
『あ・・・・・・うん、ついさっきね』
そっかぁ。
やっぱり嬉しそうにつぶやいて、少し端っこにつめると
『ここ、来ない?』
と訊いた。
なんでそんな窮屈な所に座んなきゃいけないのよ、いつもの私ならそう言うところだ。
けど、その日は何故か言われるまま、隣に座り込んだ。
一夜はなんにも言わず、私の肩に持たれかかるとまた眠ってしまう。
さらさらで柔らかい、小さな子供みたいにお日様の匂いのする髪。
長い睫毛。透き通るような白い肌。
目を覚ました一夜に、
『いや〜昨日の夜ちょっと遊びすぎちゃって・・・』
と言われたときは、さすがに持っていた分厚い文庫本で思い切り頭をどついたのだけど。
ごめんね。
本当はずっと前からわかってた。
でも・・・どうしていいか分からなかったの。
出会った時の私はまだ幼くて、あなたはもう大人の男の人だった。
ずっとその頃の気持ちを引きずってしまっていたのかもしれない。
やっとわかった、自分の本当の気持ち。
ねえ一夜・・・・・・
本当にこれでよかったの?
少し眠って目を覚ますと、ベッドの傍の小さな椅子に四之宮さんが座っていた。
すやすや寝息を立てて、うたた寝している様子。
風邪引かないかなぁ・・・
そう思いながらその横顔をまじまじと見る。
長い睫毛、柔らかいロングヘア。ミカさんも美人だけど・・・もっと優しい印象だ。
ちょっと小柄で・・・・・・でも。
なんだろう、この抜群のスタイル・・・・・・
実は結構モテる周平が、一目見て『可愛い』と断言しただけのことはある。
「・・・四之宮さん・・・風邪引きますよ?」
声をかけてみるが、気持ちよさそうに眠っている。
ベッドの傍にあったカーディガンを肩にかけてあげる。
その時。
「あ」
ぱちっと彼女の大きな目が開いた。
超至近距離で目が合う。
「え!?えっと・・・・・・」
思わず仰け反る僕に、真っ赤な顔で四之宮さんが言う。
「ご・・・ごめんなさい!私ってば・・・・・・ついつい」
「いやっ・・・お疲れみたいだったので・・・その」
大きく深呼吸を一回して、四之宮さんが笑って聞く。
「お加減、いかがですか?」
「あ・・・もうかなりいいですけど」
「よかった」
笑顔で言って、もう一度僕に顔を近づける。
「・・・え・・・・・・っと・・・」
綺麗な大きな瞳。
それに・・・
どうしてもその豊かな胸元に目がいってしまう。
ごくん、と唾を飲み込んで、何でしょうか?とつぶやく。
「顔色もいいみたいですね」
「あ!・・・そういう・・・・・・そうですよね!?あはは・・・・・・」
「ずっと思ってたんですけど・・・月岡伍長って女性苦手なんですか?」
不思議そうな顔で言う四之宮さん。
「え!?ああ・・・そんなことはないんですけど・・・朱雀隊って隊士に女性一人もいないので・・・・・・学生時代もあんまり女の子の友達いなくてですね・・・よくしゃべるのって、先輩のミカさんくらいっていうか」
「ミカさん?・・・あ、なるほど。騰蛇隊・朱雀隊合わせて、女の子って三日月さんくらいですね!そっかそっか」
「女性がいると・・・華やかでいいですよね」
「そうですか?でも・・・やっぱり十二神将隊で女性隊士っていうと・・・厳しい世界ですよ」
ちょっと真面目な顔つきで四之宮さんが言う。
「三日月さんとか源隊長とか槌谷伍長とかはその筆頭ですけど、エリートばっかりじゃないですか!?強いしキレるしって感じで。私なんかこんなんで大丈夫なのかなぁって」
「そんなことないでしょ!だって宇治原さん言ってますよ、あいつは優秀で・・・って」
「・・・ほんとですか!?」
少し頬を紅潮させて嬉しそうに目を輝かせる。
「宇治原伍長普段褒めてくれることなんてないから・・・すっごく嬉しい!そっかぁ・・・案外宇治原伍長ってツンデレなんですね!うんうん」
「ツンデレ・・・それは・・・・・・違うんじゃ・・・」
「頑張ります!嬉しいニュースありがとうございました」
満面の笑顔で言って、窓の桟に目をやる。
「あ!鶴・・・」
僕のほうを見る。
「見てました!?置くとこ・・・」
「・・・いや」
いつの間に・・・また見逃してしまった。
寝たふりをして・・・とか作戦を立てるのだが、いつも一瞬まどろんだ隙に置かれてしまっているのだ。
「しまったぁ・・・」
「そうですかぁ・・・さすがにこうやって続くとちょっと気持ち悪いですよねぇ」
首を捻る四之宮さん。
「いや!そんなことないですよ。むしろ僕には最近・・・相手も僕が知りたがってることに気づいてるんじゃないかって思うんです。それでみつからないように・・・スリルを楽しんでるような気が」
「月岡伍長がいいなら、いいんですけどね」
くすっと笑って四之宮さんはお邪魔しました、と病室を出て行く。
「あ!そうだ」
入り口でくるっとこちらを振り返る。
「何でしょう?」
「月岡伍長・・・この緊急時にこんなこと言うのも不謹慎なんですけど・・・」
少し小声になる。
「元気になったら・・・一緒にお食事とか行きませんか?」
「え!?」
思考停止。
「・・・駄目ですか?」
「ええっ!!??」
・・・・・・・・・どうしよう、愁さぁん・・・・・・
「そんなこと・・・是非!是非是非ご一緒させていただきます!」
ほっとしたように笑う四之宮さん。
「よかったぁ・・・じゃあ、早く元気になってくださいね!月岡伍長」
「わ・・・わかりました!!!」
新しくなった『水鏡』を見せると、草薙さんは目を輝かせて叫んだ。
「すっげえ!!!」
「わかりますか!?前と違うの」
嬉しくなって聞くと、大きく頷いて興奮気味に言う。
「なんつーか、どう違うってうまく言えねえけど・・・わかるんだ、わかってるんだぞ!?」
「わ・・・わかりましたわかりました」
「光り方が違うような気がするな」
隣で剣護さんが刀身を日の光に透かしてみて言う。
「杏の石がこんなに役に立つなんてなぁ」
「すげえんだな!碧玉隊長って」
昨夜碧玉隊長はすがすがしい顔でありがとう、と言って笑った。
『この仕事を生業にしてきて・・・こんなに自分に自信が持てたことは一度もなかった』
蒼玉隊長もその他の六合の隊士達も、比較的軽症で済んだらしい。
「藍さんは?」
ああ、と言って草薙さんは曖昧に笑う。
「あいつなら、見回りだ」
「最近一段と忙しそうですね、藍さん・・・」
「いやぁそれがな・・・その仕事は他の奴にやらせろっていくら言っても、全部自分でやるっつって聞かねえもんだから・・・・・・」
「孝志郎さんのところにも結局あいつ、通ってるんだろ?」
剣護さんが訊くと、草薙さんは難しい顔をして頷く。
孝志郎さんのところには毎日白蓮さんが訪れて、身の回りの世話をしているらしい。
以前はずっと塞ぎこみがちだったという白蓮さんだが、最近見かける彼女の表情はとても明るい。孝志郎さんも穏やかな雰囲気になってきたし、あの時の愁さんの判断は正しかったように思える。
「白蓮も一人じゃ心細いだろうだから、あいつが時々顔出してやればそりゃ心強いんだろうけど・・・・・・なあ」
小さくため息をついて剣護さんが言う。
「藍は結局・・・どうしたいんだろうな」
「そんな難しいこと俺に聞くなよ・・・なあ右京」
「僕ですか!?僕だって・・・・・・よくわかりません」
ただ・・・一夜さんがいなくなって以降の藍さんは見ていてすごく痛々しい。
それだけは確かだ。
剣護さんと共に来斗さんの病室を訪れると、知らない女性が花を活けていた。
「あ・・・」
「あ・・・」
来斗さんが珍しく狼狽したように言う。
「お前達、わざわざ来てくれたのか!?悪いな・・・・・・」
「いえ・・・えっと」
女性は来斗さんに向かって言う。
「お邪魔みたいですから私そろそろ帰ります。来斗様、お大事に・・・」
「・・・すみません」
「いいえ!また参りますね」
にっこり笑って彼女は、僕達にも会釈をして病室を出て行った。
彼女の足音が遠くに消えたのを確認して、剣護さんがすごい剣幕で来斗さんに言う。
「あの人・・・真田卿のとこの・・・未亡人だろ!?」
「・・・ああ」
「未亡人って・・・随分お若いんですね?」
僕が聞くと、そうなんだよ、と剣護さんが言う。
「嫁いですぐ、戦乱で旦那を亡くしてな・・・以来ずーっと、子供もいないのに実家には戻らず旦那の方の家で暮らしてるんだと。死んだ旦那が忘れられないのか、ずーっと黒い質素な服着ててさ、滅多に笑ったりもしなくて。せっかく美人なのに勿体ないって一夜が・・・」
「一夜!?あいつ志乃様のことそんな風に言ってたのか!?」
来斗さんが動揺して訊く。
「あ・・・いや。言ってただけだって!別に狙ってたとかでは・・・・・・」
「・・・・・・そうか。ならいいんだ」
「・・・狙ってたとかでは・・・・・・ないと思うんだけど・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
顔を赤らめて眉間に皺を寄せる来斗さん。
こんな来斗さん・・・・・・初めて見た。
「お付き合い・・・してるんですか?」
恐る恐る訊くと、そんなんじゃない!と怒鳴られてしまった。
「ただ彼女は・・・俺を気遣って時々見舞いに来てくれて・・・・・・それだけだ」
「・・・本当にそれだけかよ」
剣護さんがむすっとして言う。
「・・・ったくどいつもこいつもこの非常事態になんだっつーんだよ・・・・・・」
「剣護さん?」
「今の今まで全っ然そんな素振り見せなかったじゃねーか」
「剣護・・・だからそんなんじゃないと言ってるじゃないか!?」
「来斗くらいは俺側だと思ってたのによぉ・・・・・・孝志郎さんもなんかあれだし・・・・・・風牙も風牙だし・・・それに・・・・・・」
「風牙!?何だそれは・・・」
「もー俺は知らん!!!みんな勝手にしろ!」
腕組みして怒鳴ると、剣護さんはそっぽを向いてしまった。
「何怒ってるんですか・・・・・・もう」
どう扱っていいかわからず戸惑っていると、来斗さんがいつもの調子に戻って訊く。
「そういえば右京、『水鏡』はどうなった?」
話題が変わったことにほっとして、これまでのいきさつを話す。
「そうか・・・碧玉にはそんな能力があったんだな。今までどちらかと言うと、兄に隠れてあまり表に出てこないような印象だったが・・・」
「そうだったんですか」
「双子っつってもやっぱ、個性があるんだろうな」
剣護さんもいつの間にか機嫌が直ったらしく、会話に参加する。
「『ベルゼブ』・・・か」
名前も与えられず、暗い地下室で暮らしていた・・・王の双子の弟。
「『妖力』に頼ることで奴は・・・若い躰を維持することが出来るようになったのだろうな」
「霞様を使って・・・一体何をするつもりなんだ?」
「紺青を滅ぼす・・・おそらくはな」
「『三種の神器』を狙ってるんですよね?確か」
はっとした顔をして、剣護さんが言う。
「それってつまり・・・霧江様の『神器』も狙いの一つってことだよな?」
「そうか、『天叢雲剣』は霧江様が持っておられるのだったな」
そうであるとすれば、もう一つ・・・『八咫鏡』は一体どこに?
来斗さんが険しい表情で言う。
「確か・・・朔月公のところではなかったかと思うんだが」
「あの人・・・強いのか?」
「なんと言っても愁の師匠だ。王の血を分けた弟でもあるわけだし・・・」
「じゃあ、大丈夫ですね!」
僕は二人にきっぱりと言う。
「朔月公のところには花蓮様もいますから。彼女の強さは僕が保証します、なんと言っても僕の師匠ですからね!」
来斗さんが僕を見て言う。
「俺はそろそろ退院出来るらしい。孝志郎はまだかもしれんが・・・とにかく早く、霞様を救い出す算段を立てねばな」
僕と剣護さんは顔を見合わせて力強く頷いた。
『もしも俺がいなくなったらどうする?』
それは1年ほど前だろうか。
見回りの途中、勾陣隊舎に立ち寄ったときのこと。
連日のオンブラ騒動と夜勤でくたくたになっていた私は、裏庭に面した縁側に仰向けに寝転がっていた。それは日常の、よくある風景の一つ。
『何言ってるの!?突然・・・』
いつもと違っていたのは一つだけ。
見上げた一夜の横顔は笑っていなかった。
『別に、どうもしないけど。ちょっと聞いてみたくて』
『・・・どうって・・・言われてもねえ』
困ってしまってまた視線を空に戻す。
『泣く?』
『泣く・・・かもね』
そんなこと、考えたこともなかった。
『いなくなるって・・・具体的にどういう風にいなくなるの?』
うーん・・・とうなる一夜。
『十二神将隊を辞める・・・っていうこと?それとも遠方の国に配置換えになっちゃうってこと?それとも突然姿を消してしまったら・・・ってこと?』
一夜は黙っている。
『それとも死ぬってことなのか・・・・・・それによって反応も違うんじゃない?』
しばらく沈黙が続き。
突然一夜は寝ている私の上に覆いかぶさった。
『・・・可愛くないなぁ、藍は』
どきどきする気持ちを抑えて、努めて平気な声で言う。
『だって、わかんないじゃない・・・・・・一夜はじゃあ、どうするのよ?』
『俺?』
『そ。あなたは私がいなくなったらどうするの?』
少し考え込むような表情になる。
『自分だって即答出来ないじゃない?』
『・・・そうだな』
つぶやいて私の唇にキスすると、にっこり笑って一夜は言った。
『・・・探す、かな』
『探す?』
立ち上がって庭に立つと、こちらに振り返ってもう一度言う。
『藍のこと探すと思う。藍自身のことだけじゃなくて・・・なんていうか、藍の痕跡っていうか、ここに藍がいたんだっていう証拠みたいなものとか・・・』
・・・なんだそりゃ。
『探しちゃうと思うな。徹底的にさ』
『・・・ふうん』
起き上がって着物の皺を伸ばすと、私は低い声で言った。
『それはわかりましたけど・・・古泉隊長?』
何?と笑顔で聞き返す一夜。
『前々から何っ回も申し上げている通り・・・軽率にそういうことなさらないでください』
『そういうことって?』
『・・・おわかりにならないならいいです!次は実力行使に出ますからね、私』
一夜がいなくなったらなんて・・・全然想像もつかなかった。
大裳隊の牢獄の中で初めてちゃんとその問いと向き合った。
金緑石の短剣を私に向けた一夜。
その目は・・・どこか哀しげだった。
答えはまだ・・・はっきり出せないままでいる。
『三日月!今どこにいる!?』
無線の声に跳ね起きる。
時計を見ると約30分が経過している。
予定通り・・・休憩時間はおしまいだ。
「自宅で休んでました、すみません・・・」
ほのかに嘘をつく。
あの日の朝。
『・・・そうだ』
扉を出て行こうとした一夜は、振り返って私の手をぎゅっと握った。
『何?』
手のひらには鍵が一つ、握らされている。
『俺に何かあったら・・・好きに使っていいからね、俺の部屋』
『好きに・・・って』
『藍の家より俺ん家のほうが騰蛇隊舎からも近いだろ?』
『そりゃ・・・そうだけど』
『休みたくなったらいつでも使ってよ、ね』
にっこり笑うと、一夜は朝霧の中に消えていった。
何かあったら・・・って、何よ?
あの時・・・
どうしてそう、聞けなかったんだろう。
『そっか・・・もういいのか!?』
「勿論です!ありがとうございました」
その時。
机の上にちょこんと載った、深い藍色の小さな箱が目に留まる。
何で今まで気づかなかったんだろう?
それに・・・何だろう?これ。
『右京、『水鏡』のレベルアップに成功したらしいぞ!碧玉隊長渾身の作なんだと』
「本当ですか!?」
精一杯楽しそうな声を出しながら、小箱を手にする。
・・・開けちゃ、まずいよな。
でも・・・・・・誘惑に勝てそうにない。
『破壊力は改良前比で倍以上らしい!それにな、とにかくすごいんだ!どうすごいってうまく言えねえんだけど』
まるで宝物を手にした子供みたいに言う龍介を、ちょっとかわいいなぁ・・・と思いつつ、えいっと箱を開けてしまう。
『・・・どした?三日月・・・』
それはダイヤの・・・綺麗な指輪。
傍らに小さな宝石が二つ並んでいる。
サファイアと・・・何だろう?
『・・・おーい、三日月!?』
でも・・・サファイアってことは・・・だ。
息を殺して、左手の薬指にはめてみる。
「・・・ぴったりだ」
『何だ!?どうした!!??』
「あ!!!すみませんなんでもないです!」
どきどきしながら外に出る。
赤っぽく見えていたもう一つの石が、日の光に当たって色を変えた。
・・・間違いない。
アレキサンドライト。
「三日月さん!」
どきっとして振り返ると、騰蛇隊士が立っていた。
しかし・・・
もっと驚いたのは彼のほうだったに違いない。
「ど・・・どうしたんですか!?」
「・・・え?」
その時初めて、頬を流れる涙に気づく。
「えっと・・・どうしよう・・・・・・止まんないや・・・」
「だ・・・大丈夫ですか!?」
「だって・・・反則だよ・・・・・・こんなの」
「何ですって!?」
「もぉ・・・」
石言葉は『秘めた思い』。
天を仰ぐ。
『三日月!?』
無線からは依然、龍介の怪訝そうな声。
「草薙伍長!那智ですけど・・・三日月さん、ちょっと・・・」
『あぁ!?どうしたんだよ一体・・・』
「草薙伍長・・・三日月・・・ゲットしてしまいました」
『・・・何だ???』
左手を空にかざす。
「・・・宝物です」
「剣護!」
杏が勾陣隊舎に元気よく飛び込んできた。
「右京の刀、どうなったの!?」
「ああ」
昨夜のことを話してやると、杏は目を輝かせて言った。
「よかった!これで・・・あいつのことやっつけられるんだね!?」
「そうだな」
満足そうに笑う杏の表情は、出会った頃と比べるとぐっと大人っぽくなった。
「杏・・・ありがとな」
「何が?」
不思議そうに聞く彼女。
「私が持ってた『ジェイド』のこと?」
「それだけじゃなくてさ。お前がいつもそうやって元気いっぱいに笑っててくれるから、なんとかやってこれたのかなって思ってさ。ここも・・・」
そう言って勾陣隊舎を見渡す。
「隊士達も、勿論俺自身もな」
顔を真っ赤にして杏が叫ぶ。
「何言ってんの!?」
「いや・・・お前も辛いこといっぱいあったのになぁって」
「そんな何よ改まって!気持ち悪いじゃない!?いいってばそんなことわざわざ・・・」
立ち上がると、にっこり笑って言う。
「でもそんな風に思ってくれてるんだったら・・・これからもじゃんじゃん遊びに来るからね!よろしくね剣護!」
「遊びってお前・・・・・・やっぱり稽古じゃなくて遊びに来てたのかよ!!??」
「じゃあねー」
手を振って隊舎を出て行く杏。
その時。
外で悲鳴。
「どうした!?」
走って隊舎を飛び出す。
杏が青い顔をして、『ジン』を抜いた。
「・・・『オンブラ』だ」
杏の視線の先。
巨大な蛙のような『オンブラ』。
その表皮はつるんとして、黄色く光っている。
「・・・気持ち悪い」
杏がつぶやく。
「・・・大丈夫か!?」
頷いて杏は『ジン』を構え、唱える。
『ミストラル』!!!
杏の構えた透明な刀から巨大なかまいたちが巻き起こり、蛙を直撃。
しかし・・・その皮膚は大きな音を立てて、その攻撃を弾き飛ばしてしまう。
「いっ!!??」
がばっと大きな口を開けて杏に迫る蛙。
慌てて飛び退る杏。
「気持ち悪いってば!!!もう無理無理無理っ!!!」
嫌悪感たっぷりに叫ぶと、杏は周囲に巻き起こった風を使って大きく跳躍する。
『ヴァーユ』!!!
刀を振り下ろすと、幾重にも重なった風の刃が蛙の体を切りつける。
「あいつ・・・すごいな」
突風にあおられそうになりながら思わずつぶやく。
しかし。
蛙はやはり、全ての攻撃を弾き飛ばした。
「何で!!??」
杏が着地した瞬間、蛙は杏の体に体当たりした。
「きゃあ!!!」
「杏!!!」
俺も『蛍丸』を構えて唱える。
『水刃』!!!
蛙はその攻撃も弾き飛ばす。
その突進を避けながら何度も繰り返すが、その光沢のある表皮には傷一つつかない。
「くそっ!」
杏の傍に駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「う・・・ううう・・・・・・」
蛙から目を離したのはほんの一瞬だった。
「剣護!?」
杏が叫ぶ。
「何!?」
はっとして見ると、蛙の赤い大きな口が目の前に迫っていた。
『三日月!勾陣隊舎の傍にでかいオンブラが出たらしい!』
無線から飛んできた龍介の声に応答する。
「了解しました、向かいます!」
『俺もすぐ向かうから、頼むぞ!』
全力疾走で駆けつけたその場所にあったのは・・・黄色く光る巨大な蛙の姿。
「・・・何よ、これ」
勾陣隊士が叫ぶ。
「三日月さん!!!剣護さんと・・・杏が中に!!!」
「中!?」
硬く閉ざされた蛙の口。
「・・・どうしましょう!?」
「ここは・・・私に」
まだ龍介は到着していないらしい。
勾陣隊士たちに町の人々の避難誘導を頼むと、『氷花』を構える。
『スノウイング』!!!
凍てつく空気が刀の先に集まる。
大きく刀を振るうと、それは刃のようになって蛙に向かって飛んでいく。
しかし。
その刃は乾いた音を立てて消え、蛙の表皮に傷一つつけることが出来ない。
「くそ・・・」
蛙は目を一瞬ぎらっと輝かせると。
思い切り口を開いて襲い掛かる。
「うわっ!!!!!」
慌てて飛び退る。
その瞬間に見えた内部の様子。
ぐったりした剣護と杏の、青ざめた顔。
密閉された蛙の内部で、酸欠状態になっているらしかった。
「・・・早く出してあげなきゃ」
またがっちりと口を閉じた蛙。
全身の『神力』を『氷花』に集中させ。
周囲に凍りつくような吹雪をまとって。
目を閉じて・・・
行け!!!
『ダイヤモンドダスト』!!!
大きな氷のつぶてが鋭く蛙に突き刺さる・・・はずだった。
しかし。
ぱらぱらという乾いた音を立て、氷のつぶては全て蛙の表皮にはじかれて砕ける。
「・・・どうして!?」
急な蛙の体当たりを受け、吹っ飛ばされて勾陣隊舎の土壁に叩きつけられる。
「うっ・・・・・・!」
「三日月!!!」
今駆けつけたらしい、龍介の声がする。
『雷電』を構えて唱える。
『タケミカヅチ』!!!
バチバチと放電したサーベルから、高圧の電流が蛙に放たれる。
しかし・・・状況は同じ。
きっと『蛍丸』でも、『ジン』ですら・・・駄目だったんだ。
「何なんだこいつは!?」
「何かこう・・・もっと破壊力のあるもの・・・」
はっとする。
全身を貫く痛みに耐えながら、勾陣隊舎に駆け込む。
「三日月!?」
「引き付けててください!!!」
龍介に向かって怒鳴り、奥へと走る。
静まり返った隊舎の奥。
隊長の椅子の更に奥。
刀掛けに置かれた、三本の刀。
大きく深呼吸をして、その一本を手に取る。
「ちょっとだけ・・・借りるね」
つぶやいて、表に走り出る。
「来い!!!オンブラ!!!」
「三日月!それ・・・『大通連』か!?」
龍介の声に頷いて、鞘から刀を抜く。
よく手入れされた美しい刀身が、きらっと光る。
その瞬間。
周囲の気流が変わり、一気に『大通連』の刀身に強い圧力がかかる。
「うっ・・・!!!」
重みに腕が震える。
「無理だ!三日月!!!『大通連』はそう容易には・・・」
「でも・・・これしかないでしょう!?」
「けどなぁ・・・お前!下手すると腕抜けるぞ!?」
吹き飛ばされそうになりながら、つぶやく。
「ねえ・・・あなた・・・・・・いい子だから言う事聞きなさい!!!」
『大通連』が白く光る。
ずん、と更に圧力がかかり。
ドーン!!!というものすごい音を立てて、立っていた地面を深く抉り取る。
・・・暴発!?
「三日月!?」
「こらぁ真面目にやりなさい!!!」
怒鳴ってみたものの・・・・・・状況は変わらない。
落ち着け・・・落ち着くんだ、藍。
大きく深呼吸をして、目を閉じる。
このところいつも心に問いかける、呪文のような言葉。
『一夜は・・・どうしてたっけ?』
こんなとき・・・一夜ならどうする?
『いやぁ・・・すごい威力じゃないか。見事見事!』
明るい笑い声が聞こえたような気がして、はっと目を開く。
そうだ。
あの子はこんなとき・・・まず、笑う。
にっ、と笑顔を作ってつぶやく。
「さぁ・・・仲良くやりましょ」
すっ、と『大通連』を蛙に向ける。
「あなたの力・・・あいつに見せつけちゃってよ」
一夜はいつも片手でその刀を構えていたが。
『腕が抜ける』という龍介の言葉がひっかかったので、左手も軽く沿えて構える。
大きく深呼吸。
そして、落ち着いた声で唱えた。
『巴』
切っ先から放たれた風圧に蛙の頭が吹き飛んだ。
と、同時に。
私の体も後方に吹っ飛ばされて再度隊舎の壁に背中を打ち付ける。
「いったぁ・・・」
背中をさすりながら状況を確認する。
蛙は地面に溶けていくように消え、そこには剣護と杏の姿だけが残った。
駆け寄った龍介がこちらに笑顔で叫ぶ。
「大丈夫だ!!!ちゃんと息してる!!!」
「・・・よかったぁ」
がくっと、体の力が抜ける。
「三日月さん!大丈夫ですか!?」
勾陣隊士が呼ぶ声の中、指輪をじっと見つめる。
見ててね一夜。
私・・・頑張るから。
それから数日。
久しぶりに、来斗さんのいる図書館に集まる。
「・・・心配をかけたな」
来斗さんが言う。
「ま、大丈夫だとは思ってたけどね」
なんだか少し元気になった藍さんが笑う。
「霞様・・・どこにいるんやろな?」
つぶやく愁さん。
「花蓮様は何て言ってるんですか?」
「『何かおかしな感じで気配が読めない』・・・て」
あいつの仕業か・・・・・・
ちっ、と舌打ちして剣護さんがつぶやく。
「何か方法ないのかよ・・・」
うーん・・・とうなる草薙さん。
「霞様が心配だ・・・早く助け出さないと」
そのときだ。
背筋がぞくっと寒くなる。
『心配は無用だ・・・』
何度も聞いたその声が、僕の脳裏に響いた。
アレキサンドライトって市場に出回ってる宝石なのかどうなのかよくわかりません・・・