Ep40 水鏡
ベルゼブが去った紺青は雨の日が続いている。
僕は六合隊舎を訪れて、二人の七枝隊長と向き合っていた。
「今の『水鏡』の状態ではベルゼブには敵わない・・・ということか?」
蒼玉隊長が言い、僕は拳を握って頷いた。
「歯が立たなかったんです・・・全く」
『水鏡』を明かりにかざして見ながら、碧玉隊長も言う。
「この刀自体には何の損傷もないようだ。それほどの激しい戦闘に耐えるのだから・・・『水鏡』はやはり名器なのであろうな」
少し微笑んで、碧玉隊長は続けて言う。
「『神器』には色々な特性のものがある。癖、と言い換えてもいいかな?だから三日月のように『神器』を選ばずオールマイティに遣いこなす人間は珍しいのだが・・・」
「それが・・・藍さんの能力なんですよね?」
頷く。
「結論から言うが、『水鏡』はさほど破壊力のある『神器』ではない。片桐の『蛍丸』もそうだが・・・物理的に敵を制するというよりは、水の力で清めるといったほうが近い」
蒼玉隊長も言う。
「破壊力で言うなら・・・お前が知る中では『大通連』が一番だろう」
「・・・一夜さんの?」
「その通り。だがその分あの刀は異常に癖が強くてな・・・古泉はよく扱っていたものだ」
「あれが一番手に馴染む、とは・・・奴らしいと言えば奴らしいがな」
少し寂しそうに碧玉隊長が言う。
「僕に・・・扱えるでしょうか?」
「・・・あまり現実的ではないだろうな」
「なんとか・・・なりませんか?僕のせいで・・・・・・霞様は・・・・・・」
「そう自分を責めるものではないぞ、右京殿」
蒼玉隊長が言う。
「碧、どう思う?」
「・・・・・・そうだな」
碧玉隊長は依然として『水鏡』を丹念に調べている。
「右京殿、『水鏡』を・・・私に預けてはくれぬか?」
「え?」
「何か考えでもあるのか?碧・・・」
「あの勾陣預かりの娘が持っていた『ジェイド』の結晶を覚えているか?蒼」
よく覚えている。杏が以前首から下げていた綺麗な石のことだ。
「ああ・・・」
「あれは・・・こんな輝きをしていたな」
驚いた顔で碧玉隊長を見つめる蒼玉隊長。
そして少し寂しそうに笑う。
「さすがだ、碧。こういったことに関してはお前の方がやはり一枚も二枚も上手らしい」
ちらっと蒼玉隊長を見て、彼女は僕に言った。
「あの『ジェイド』の結晶をうまく使えばあるいは・・・『水鏡』の力を高めてやることが出来るかもしれない」
「本当ですか!?」
「だが・・・一朝一夕に出来るものかどうかは、やってみなければ分からぬからな。あまり過度な期待はしないでいてくれ」
深々と碧玉隊長に頭を下げる。
「よろしくお願いします!」
頼んだぞ・・・『水鏡』。
一緒に霞様を・・・助けるんだ。
あの日僕も含め沢山の負傷者が出たが、その程度は比較的軽いもので済んでいた。
親しい人達の中で入院しているのは孝志郎さんと来斗さんのみ。
病院を訪れると、天后隊の隊士達がばたばた歩き回っているのが目に留まった。
「・・・何かあったんですか?」
月岡伍長の担当医の四之宮さんが僕に気づき、それが・・・とつぶやいた時だ。
「だから、そこを退いてくれと申し上げているのがわからないのですか!?」
院内に響き渡る男性の怒鳴り声。
見ると痩せ型の初老の男性が孝志郎さんの病室の前に立っていた。
その前に立ちふさがっているのは・・・草薙さんと藍さん。
おろおろする天后隊士達の一番前の方で、剣護さんが困った顔をして成り行きを見守っている。
「一目、孝志郎様にお会いしたい・・・お願いはそれだけですのに、どうして聞き入れていただけないのです!?」
「だから・・・孝志郎さんはまだ・・・お体がですね・・・」
困った顔で精一杯の笑顔を作ると草薙さんが言う。
「ほぅ・・・お体が?お体の調子が悪いのですか?あの方は・・・」
馬鹿・・・と剣護さんがつぶやく。
引きつった笑みを浮かべながら、男性は皮肉っぽく言う。
「いい気なものですなぁ・・・孝志郎様は。孝志郎様に従って命を落とした者も数多くいると言うのに・・・」
「古泉卿・・・お気持ちはわかります。しかし・・・」
藍さんが言う。
「古泉・・・?」
つぶやいた僕に、ちょっと目で合図をして剣護さんが言う。
「あの人・・・一夜の親父さんだよ」
「私の気持ちが分かるですって!?・・・よくもそんなことがおっしゃれたものですなぁ」
ヒステリックに怒鳴る古泉卿。
「妻に早く先立たれ、せっかくここまで育てた一人息子を失った私の気持ちが・・・あなたにはお分かりになるとおっしゃるのですか!?」
「いえ・・・その」
うつむく藍さん。
「あまりうちの娘を苛めないでいただけますかな?古泉卿」
背後から低い声。
見るとそこには三公が揃って立っていた。
傍らには愁さんの姿もある。
重鎮の登場にややひるんだ様子の古泉卿だったが、開き直ったように言う。
「これはこれは・・・三公お揃いで。孝志郎坊ちゃまのお見舞いでらっしゃいますかな?」
「見舞い・・・ではない。今後の彼の処遇について、彼に申し伝えに来たのだ」
「ほぉ・・・三公のお身内ですと、さぞかし寛大なお計らいがあるのでしょうなぁ」
「古泉卿・・・」
一ノ瀬公が深々と頭を下げる。
「本当に一夜くんには・・・申し訳ないことをしたと思っております。どうか・・・」
「私は何も、あなたに詫びて欲しいとは申し上げておりませんでしょう!?」
甲高い声で怒鳴る古泉卿。
「私は!!!直接一ノ瀬孝志郎に会わせてくれと!そう申し上げているんです!!!」
藍さんが古泉卿の目の前に立ち、微笑む。
「古泉卿?一ノ瀬孝志郎の処遇については、私の父も涼風公もおりますゆえ、どうかご安心ください・・・それに、彼の身辺については我々騰蛇隊が責任を持って・・・」
「三日月さん・・・とかおっしゃいましたかな?・・・よくもまぁぬけぬけと・・・」
古泉卿は藍さんを睨みつけて怒鳴った。
「あなたは一ノ瀬孝志郎と幼い頃から一緒に育った間柄だと伺っておりますが?あなたが彼を逃がさないという保証が一体どこにあるというんですか!?・・・少なくとも私には、疑わしく思えますがねえ」
目を丸くして、硬直する藍さん。
「・・・ひでえ」
剣護さんがつぶやく。
うつむく藍さん。
両拳をぐっと握り締め、小さく震えているように見える。
しばらく沈黙が続いて、草薙さんが藍さんの肩に手を置こうとしたそのとき。
突然、顔を上げた藍さんがくすくす笑い出した。
「・・・何が可笑しいんです!?」
「いやぁ・・・おっしゃるとおりですよね!?考えてみたら私も草薙伍長も、孝志郎とは長い付き合いですもの。それで安心してくださいなんて・・・言ってて気づかなかった自分が恥ずかしくなっちゃって!」
ぽかんとする古泉卿に深々と頭を下げ、もう一度笑顔で言った。
「他の隊の隊長方とも相談の上、体制については再度検討します!ご忠告ありがとうございました。でも・・・孝志郎は怪我人ですし、ぶん殴っても面白くないと思いますよ?」
「なっ・・・殴るだなんて!私はただ・・・」
「回復したらすぐにお詫びに行かせますので、今日のところはどうかお帰り願えませんか?他の患者さんのご迷惑にもなりますし・・・この通り!お願いします」
もう一度深々と頭を下げる藍さんに、真っ赤な顔でもぐもぐと何か言うと、古泉卿はきびすを返して去っていった。
病室に入る。
孝志郎さんは全身に包帯を巻かれた上からパジャマを着て、窓の外を眺めていた。
「・・・ごめんね孝志郎、聞こえちゃった?」
笑顔で優しく言う藍さん。
「具合はどう?」
悪くない、とつぶやく。
「一ノ瀬孝志郎、今・・・聞いての通りだ」
朔月公が言うと、孝志郎さんは三公のほうに向き直り深々と頭を下げた。
「お計らいに・・・感謝します」
「まぁ・・・今は傷を癒すことに専念せよ。処遇については追って沙汰する」
「・・・はい」
「孝志郎・・・」
一ノ瀬公がつぶやくと、孝志郎さんは弱々しく笑った。
三公が出て行った後の病室。
僕と藍さんと愁さんの3人が残った。
「ずいぶん・・・しおらしなったな、孝志郎はん」
愁さんが言うと、寂しそうに笑って孝志郎さんがつぶやく。
「お前にぶん殴られて・・・目が覚めたのかもな」
孝志郎、と藍さんが優しく問いかける。
「何か・・・してほしいことない?食べたいものとか、読みたい本とかさ・・・会いたい人とか」
孝志郎さんはシーツに視線を落とす。
「・・・孝志郎?」
再度問いかける藍さん。
孝志郎さんは、聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやいた。
「・・・白蓮に・・・・・・」
その瞬間。
パチン!!!という乾いた音。
藍さんが孝志郎さんの頬を思い切り引っ叩いた。
今まで終始笑顔だった藍さんの顔がみるみる青ざめていく。
「・・・藍さん」
「・・・・・・・・・バカ」
つぶやいて、藍さんは病室を飛び出していった。
居心地の悪い気持ちで、藍さんの出て行った方を見つめる。
「すまないな・・・右京。変なもん・・・見せちまって」
つぶやく孝志郎さん。
「いえ!むしろ・・・僕がこんなところにいて・・・よかったのかなって」
「いい加減な男だって・・・思ったろ?」
返事に困って黙っていると、信じてくれるかわかんねえけど・・・と続けて言う。
「・・・白蓮が初めてだったんだ、俺が心から惚れた女って」
黙って窓の外を眺めている愁さん。
「地位とか権力とか・・・欲望とか・・・どろどろした世界で、あいつは俺が・・・心から守ってやりたいって思える存在だった。代わりにあいつは俺に安らぎを与えてくれた・・・つうか」
こんなこと聞いていいのか・・・わからなかったけど。
「白蓮さんは・・・一夜さんのこと・・・・・・」
「ああ・・・それでも良かった」
「藍さんじゃ・・・駄目なんですよね?」
「藍は・・・前にも言ったろ?大事な妹って」
「妹・・・か」
愁さんがつぶやく。
「僕にとっても舞は・・・そうやな・・・」
頭をかきながら言う。
「仕方ないな・・・わかった!白蓮には僕が話つけてくるわ」
「愁さん!?」
「・・・そんなこと・・・出来るのか?」
「白蓮かて孝志郎はんのこと、嫌いなわけやないやろし。舞にはちょっと可哀想かもしれへんけど・・・あれ、最大多数の最大幸福や」
ぴっと人差し指を立てて僕らに言い放って、病室を出て行った。
「あいつ・・・変わったな」
驚いたように孝志郎さんがつぶやく。
見回りで『花街』の界隈を回っていると、お店の前で白蓮と話している愁が目に留まった。
白蓮は少しうつむいて、深刻な顔をしている。
「浅倉隊長、何してらっしゃるんですか?」
「ああ、舞。どうしたん?こんなところで」
「パトロールです。それに・・・舞はやめてください。嫌なんです、その呼ばれ方」
「ご両親は・・・そう呼んでるやんか?」
「あの二人は・・・あきらめてます」
「あの・・・三日月さん、私・・・・・・本当に・・・いいんですか?」
「えっ?」
「孝志郎様の・・・お世話を・・・なんて」
ぎょっとして愁の顔を見る。
じっと厳しい目で見つめ返され、言葉に詰まってしまう。
・・・・・・落ち着け、藍。
このところ呪文のように唱える言葉を脳裏に思い浮かべる。
大きく一つ深呼吸。
よし、大丈夫。
にっこり笑って言う。
「勿論。あなたがよければ・・・の話だけど」
「こんな私を・・・まだ・・・あの方は?」
「ずっと言ってるでしょ?私・・・あの子は本気なんだって」
「私には・・・」
目に大粒の涙を溜めてつぶやく。
「そんな資格なんか・・・ないんです、とても」
「そんなこと言ったら・・・孝志郎だって罪人なのよ?いいの?」
はっとした顔で私を見る白蓮。
「そんなこと・・・孝志郎様は孝志郎様です」
「じゃあ、一緒じゃない?白蓮は白蓮だわ」
ゆっくりと微笑むと、はい、と頷いた。
白蓮と別れて愁としばらく無言で歩く。
「・・・立派やったで。舞」
「・・・舞じゃないって」
ため息をつく。
「仕方ないでしょ・・・こうなった以上」
少し前を歩く愁の背中に問いかける。
「愁くんさ・・・厳しくなったよね」
「僕はずっとこうやないか?」
「・・・そんなことないよ!もっと優しかったもの、前は」
私・・・何言ってんだろ?
「血は繋がってないかもしれないけど・・・私は妹だって言ってたじゃない!?」
「・・・だから何?」
「だから・・・・・・もっと優しくてもいいんじゃないかって・・・・・・いうか・・・」
くるっとこちらに向き直ると、愁はきっぱりと言い放つ。
「そのブラコン気質、なんとかしたほうがええよ?小さい頃から思ってたんやけど・・・」
「・・・ブラコン!?」
「そおや?別に僕や孝志郎はんに対して恋愛感情どうこうとかではないんやろ?お前」
・・・お前だと?
「いい加減、孝志郎はんから独り立ちせんと・・・孝志郎はんもかわいそうやで?」
「孝志郎は・・・関係ないでしょ?」
「いーや、僕の知る限り関係大ありやな!だって舞は一夜のこと、好きやったんやろ?」
「何・・・言ってるの?」
「孝志郎はんがあんな奴は駄目や言うたから、はなっからそれを否定し続けてきたんやろ、自分の気持ちに蓋して・・・一夜かて、可哀想やったやろ?せっかくお互い・・・」
「うるさいなぁ!!!」
このところ堪えていたいろんな感情を爆発させるように、大声で怒鳴った。
周囲の人々が、目を丸くして二人を見ている。
「僕も・・・案外可哀想やったんやで?お前が・・・はっきりせぇへんかったから」
はっとして、愁の顔を見つめる。
「別に今更・・・もうどうでもええねんけどな」
「・・・ごめん」
「もう二度と・・・こんなみんなが不幸になるようなこと、したくはないやろ?」
頷く。
愁が近づいてきて、私の頭にぽん、と手を乗せる。
「よし!ええ子や」
そう言って、愁くんは『風』の無邪気な顔で笑った。
屋敷の奥の間で、父上は道具を磨いていた。
「碧玉ではないか」
父上は穏やかに微笑むと、傍に座るよう促す。
「実は・・・『水鏡』を手入れすることになりました」
「ほう、それは名誉なことではないか」
「霧江様はすぐに許可をくださいましたし、橘右京殿がどうしてもとおっしゃいまして・・・ですが・・・・・・」
一瞬ためらったが、思い切って切り出す。
「あれは先人の素晴らしい技術の結晶です。私なぞが手を加えてよいものか・・・と」
「・・・迷っておるのか?」
具体的に何を?と父上は尋ねる。
「同じ属性を持つ『ジェイド』の結晶を見つけました。それを使ってみようと思っております・・・今は水も澄んで月もよい頃ですし」
杏という娘は二つ返事で『ジェイド』の結晶を私に託してくれた。
『これで・・・仇討ってください!一夜隊長と・・・お兄ちゃんの』
彼女はそう言って、深々と頭を下げた。
「そうだな、正しい判断だと思うが。後は業師の腕次第・・・であろうな」
「私に・・・出来るでしょうか?」
ふむ、と腕組みをする父上。
「蒼玉には・・・出来ぬかもしれんな」
「・・・・・・・・・では、私には?」
「蒼玉は良い『ジェイド』の原石を見極め、『神器』を無から作り出す技に長けておる。比較的大胆さの要求される技・・・それがあれの良いところであり、悪いところでもある」
黙って頷く。
「一方でお前は繊細すぎるきらいがある。それは『ジェイド』の原石を削っていくような作業には不向きな感があるが・・・一方で『神器』を加工していく過程、改良を加えるような場面では大きな力を発揮する。六合にはそのような性質の業師が少ない、お前の技は六合の人間の中では突出していると私は思っておるが」
「・・・ありがとうございます」
「私は今になって改めて思うよ・・・お前がいてくれてよかった、とな」
はっとして父上を見る。
笑顔で父上はきっぱりと言った。
「六合で『水鏡』の力を高めることが出来る業師がいるとすれば、・・・碧玉、お前だけだ」
「はい!」
迷いは去った。
立ち上がって父の背後に掛かっている家紋に目をやる。
必ず成功させてみせる・・・七枝の名にかけて。
「一ノ瀬公を見ていると、なんともやるせない気持ちになってくるな」
つぶやく師匠。
「それは・・・珍しいこと言わはりますなぁ」
「まぁ・・・私も人の親だからな」
それは・・・本当に珍しいことを言う。数ヶ月で、人は随分変わるものだ。
「そういう感傷的なところ、花蓮さんの影響と違いますか?」
眉間に皺を寄せる師匠に面白くなって更に言ってみる。
「だって僕の知る限り、そういうこと言う人やなかったと思いますけど?」
「お前は・・・記憶が戻ってほんとーーーに可愛くなくなったな!?」
怒鳴る師匠にちょっと笑いかえしてから、少しトーンを落として聞く。
「あの『ベルゼブ』とかいう奴・・・何者なんですか?」
「・・・ああ」
厳しい表情になる師匠。
「陛下にとてもよく似ていたと、孝志郎はんが言ってはったんですけど・・・・・・どういうことなんです?奴は何か・・・王家につながりのある人間なんやろか?」
「・・・『ベルゼブ』という名を最初に聞いたときから」
師匠が重い口調で話し始める。
「ずっと気になっていた・・・昔そう名乗っていた人物がいたな、と」
「昔?」
「陛下には双子の弟がいたのだ」
驚いて見つめる僕のほうをちらっと見ると、またためらいがちに言った。
「正室腹であれば粛清の対象にはならん、それが今までの伝統だったようなのだが・・・どちらを長子とするか判断が難しい分、跡目をどちらが継ぐかという問題が複雑になると周囲が判断したのだろうな。彼は生まれてすぐに、城の地下室に幽閉された」
複雑な表情を浮かべながら頭を掻く。
「欲しいものは何でも与えられ、何不自由のない生活を送っていたようだ。ただ一つ・・・外界と接触を絶たれ、名もなく、最初からいなかった人間として世界から抹消されていたことを除けば、な」
「その男のことはごく一部の人間しか知らない・・・と」
「そうだ。そんな日々の中、彼は何か怪しげな学問に傾倒していたという。そしてある日、地下室から姿を消した・・・」
「逃げたんですか?」
「扉は破壊され、見張りは皆焼死していた。おそらく彼は自身の『神力』に気づいてしまったのだろうな。彼は最後の日々、自分のことを『ベルゼブ』と称していたという」
「元は王でありながら、堕天した悪魔・・・ですか」
つぶやいて、僕はずっと聞いてみたかったことを思い切って聞いてみる。
「師匠、その『粛清』というのは・・・一体誰が指揮を執って行うものなんですか?」
「やはり・・・気になったか」
複雑に笑って師匠が言う。
「お前の『父上』の名誉のためにはっきり言わせてもらうが・・・あれは完全に王族の人間の預かり知らぬところで突然行われる。三公も何ら関与していない。王族の近くにそれを専門に行う一族が代々いてな、彼らが秘密裏にやってきたことなのだよ」
「・・・そうやったんですね」
何故か少しほっとしたような感覚にとらわれる。
だが・・・
「その一族は・・・今も?」
「いや・・・それがな・・・・・・途絶えてしまったのだよ」
言いにくそうに言う師匠。
「途絶えた?」
「後継者が死亡したのでな・・・20年ほど前の話だが」
20年?
・・・・・・まさか。
思わず表情が緩む。
「・・・僕、ですか?」
曖昧な顔で師匠も笑う。
「・・・おそらくな。お前は自分自身の手で、その負の連鎖を断ち切ったということだ」
彼らもまた、望んでそのような家に生まれたのではないのだ。
そんな結果になってしまったことは・・・不幸というか、幸いというか。
僕にはよくわからなかった。
門の前で、花蓮さんと会う。
「あら風、来てたの!?」
目を見開いて嬉しそうに言う。
彼女はこれまでの辛い人生、孤独な20年間を微塵も感じさせない強さを持っている。
母さんの『義姉』という女性・・・
「もう一回、寄ってかない!?」
楽しそうに言う花蓮さん。
「いや、仕事もあるし・・・今日は旦那さんもいてはるし、僕いなくてもええやんか?」
「目の保養になるんだもん、風がいてくれると」
じっと僕の目を見る。
僕に残る『小春』の面影を見ているのかもしれない。
「そういえばさ、こないだすごーくかわいい子見たわ」
「へえ、それはよかったやないですか」
真意が測れず適当に答えると、うーん・・・と難しい顔をしてつぶやく。
「なんていうか・・・夏月みたいな感じの子なんだけどね」
・・・何だって?
「花蓮さん・・・それ」
ぐっと顔を近づけて、声を低くして言う。
「絶対に絶っ対に!!!秋風さんに言うたらあきませんよ?」
「え?」
正体見たり・・・か。
勘のいい花蓮さんは何か悟ったらしく、わかった言わない!と明るく答えた。
「また会えるといいなぁ」
空を見上げながら、彼女はなつかしそうにつぶやいた。
風の帰っていった庭で一人空を見上げる。
『小春が姿を消したそうだ』
陛下はここに立って、そうつぶやいた。
『秋風・・・何か知らぬか?』
『・・・いえ。申し訳ございません』
寂しそうに笑う陛下。
『私も・・・父上と同じだな』
『・・・そんなことは!』
あなたは違う。
私は彼がその悪しき慣わしを回避しようと心を砕いていたことを知っていた。
それに、あなたは悼む心を持っているのだから・・・
『霞もまた・・・背負うのだな』
紺青の王家の『宿命』か。
『私は、生涯で心から愛した女が3人いる。王妃と、睡蓮・・・そして、小春だ』
『・・・独り言と受け取ります』
陛下はじっと私の顔を見つめて言う。
『秋風・・・養子を取ったそうだな?』
『いえ・・・養子、というわけでは』
『妻子はどうしたのだ?』
花蓮と舞のことは他の二公にも話していないが・・・陛下には隠すことが出来なかった。
答えに詰まる私に、すまないな・・・とまた寂しそうに笑った。
『お前の養子・・・・・・小春に似ているな?』
はっとして陛下を見る。
やはりそうか、という表情をして、彼は優しく微笑む。
『孝志郎とお前のところの少年が成長して霞を支えてくれるのであれば・・・紺青はきっと、良い国になるであろうな』
私も微笑んで答える。
『・・・仰せの通りです』
また参る、と言って彼は城へ戻って行った。
『お前と話していると心が安らぐのだよ・・・やはり、血を分けた兄弟なのだな』
そんな陛下もおそらく、知らなかったはずだ。
『ベルゼブ』の存在・・・・・・
「秋風?」
花蓮の声。
「風が来てたみたいだけど・・・また何か悪だくみ?」
「・・・人聞きの悪い言い方をするな」
ふふっ、と楽しそうに笑う花蓮の表情は昔と変わらない。
「花蓮・・・ずっとお前に言いたかったことがある」
「・・・何かしら?」
「陛下は・・・・・・お前の思っているような方ではない」
怪訝そうな顔で私を見つめる花蓮。
空を見上げる。
この言葉があの人に聞こえるように・・・と。
「あの方は・・・確かに愛していたのだ。小春のことも・・・風のことも・・・それに、孝志郎のこともな」
六合隊舎の奥で一人『水鏡』と向き合う。
青白く光る刀身。
炉では『ジェイド』の結晶が溶けて液体状になっている。
天秤にかけた細かい粒子の『ジェイド』が、出始めたばかりの月明かりを反射して輝く。
大きく深呼吸をする。
この瞬間が私は一番好きだ。
心を研ぎ澄まして『神器』の声に耳を傾ける。
彼らは自分のなるべき姿を知っている。
声を聞いてやり、形にしてやるのが私の役目だ。
『六合で出来るとすれば、それはお前だけだ』
父上の言葉を思い出す。
「・・・よし」
私はゆっくりと『神器』を加工するための道具に手を伸ばした。
工房で作業の手を休めて窓の外を眺める。
碧が奥の部屋に籠もってもう3時間は経つだろうか?
『神器』というものは、実にデリケートなものである。
実際に向き合ってみないことには、作成、加工にどの位時間がかかるものなのか、全く読めない。季節や天候、時間帯にも左右されるし、おそらく業師の精神状態、健康状態といったコンディションも影響するのだろう。
業師のコンディションというのであれば、おそらく碧は最高の状態だ。
取り掛かる、と僕に告げた彼女は気が充実しているように見えた。
あんなに自信に溢れた碧は初めて見た・・・と言っても過言ではない。
紺青は未曾有の危機に晒されている。
僕たちが今、紺青のために出来ることはただ一つ。
『神器』に命を吹き込むことだけだ。
それは、僕たちにしか出来ないこと。
「・・・よし」
再び作業にかかろうとした、その時。
無線が鳴った。
『蒼玉隊長!!!大変です!!!』
見張りの隊士の声。
「どうした!?」
『庭に・・・オンブラが!』
ちっ、と舌打ちして手にした道具を道具箱に戻す。
奥の部屋から碧が顔を出す。
「蒼!」
「・・・お前は作業を続けろ」
『干将』を握って立ち上がりながら、僕は碧を制した。
「お前の仕事は急を要するのだぞ!?僕一人で行く」
「蒼、しかし・・・」
「それは『神』がお前に課した仕事だ」
はっと目を見開いて僕を見る。
「ベルゼブを倒せるのは右京殿だけだ。その右京殿のために・・・出来得る最大限のことを、お前はやらなくちゃならない。そして僕はお前のために出来る最大限のことをやるだけだ」
まるで鏡を見るような自分によく似た妹に、僕はにっこり笑いかけた。
「案ずるな、絶対に神聖なこの場所に化け物など寄せ付けない。だから集中しろ」
「・・・わかった」
「行ってくる」
そこにいたのは、巨大な亀の形をしたオンブラだった。
作業に没頭する僕たちの手を煩わせまいと思ったのだろう。
至るところで隊士達が倒れていた。
「・・・おのれ」
唇を噛む。
『干将』を手にしたまま、空いた方の手で懐から無線を取り出す。
「六合の七枝蒼玉だ」
『どうしました!?』
草薙の驚いた声が響く。
「六合の敷地内に巨大なオンブラが出た。隊士に多数の負傷者が出ている」
『何ですって!?』
「応援を要請したい」
一人でどうにか出来るものか、確信が持てない・・・保険はかけておかなければ。
『僕・・・すぐに行きますから!!!』
右京の声。
「お前は今、『神器』がないのではなかったか?」
『・・・でも!』
「僕がなんとか食い止める。後のことはよろしく頼むぞ、草薙」
『オンブラ』が僕を見た。
目が赤く光っている。
「・・・来い!」
『干将』を構えると同時、巨亀が僕目掛けて突進してきた。
『雷公』!
剣を巨亀に向けて唱えると、その切っ先から雷が飛び出す。
眩しい雷光が直撃し、巨亀の体は大きく後方に吹き飛ぶ。
「・・・どうだ?」
ダメージは与えたらしい。
しかし、巨亀はすぐに起き上がり、ものすごい彷徨を上げて再度突進してくる。
・・・速い!
来る、と思った瞬間に僕の体は大きく跳ね飛ばされていた。
「うわぁぁぁ!!!」
地面に叩きつけられた僕に再度巨亀が迫る。
咄嗟に『干将』を構え、唱える。
雷光が巨亀を襲うが、今度はその硬い甲羅で眩しい光を受け止めている。
バリバリバリという音がして、雷を跳ね返そうとする。
「くっ・・・・・・」
足場がずるずると後退していく。
押し返そうと再度『神力』を集中させる。
が、一瞬巨亀の力が勝り、跳ね返された雷光に全身を打たれた。
「ぐぁっ・・・・・・!」
がくっとその場に崩れ落ちる。
・・・まずい。
僕一人では・・・無理なのか?
そう・・・やはり『莫耶』あっての『干将』なのだ。
しかし今、碧の手を煩わせるわけには・・・・・・
その時背後で声がした。
「蒼玉隊長!遅くなりました!!!」
右京だ。
「お前・・・『神器』がないというのに・・・」
なんとか立ち上がって右京を見ると、手にしていたのは碧の『莫耶』。
「・・・扱えるのか?」
「多分・・・でも・・・やります!」
まっすぐ僕を見つめて言う。
よく知らぬが、韓紅の血・・・というのは、なんともうらやましいものだ。
「では・・・行くぞ!」
全身の痛みを堪えながら『干将』を構える。
僕の様子を少し気にしながら、右京も構えた。
目を閉じて彼の『神力』の流れに自分の『神力』を合わせる。
碧とのようには行かないかもしれないが・・・
いや。
行ける!
目を開いて唱えたのと、右京が唱えたのは同時。
『雷公』!
『風伯』!
巨大な雷と竜巻が巨亀を襲う。
また奴は甲羅でその力を堰き止めようとする。
先ほどよりも大きな力が掛かる。
「うう・・・・・・」
体の痛みが激しさを増す。
全身の『神力』を集中させる。
僕に出来る・・・最大限。
「うおおおおお!!!!!」
「行け!!!」
二人の声が一つになり、巨亀はものすごい音を立てて吹き飛んだ。
大きな土煙が上がる。
「・・・やった」
右京がつぶやく声が遠くなり、目の前が真っ白になる。
「碧・・・頼んだぞ・・・・・・」
力尽きてその場に倒れる蒼玉隊長を抱き起こす。
「大丈夫ですか!?」
息はある。
おそらく慣れない戦闘に『神力』が尽きてしまったのだろう。
土煙が収まる。
目の前には、ぼろぼろになりながら立つ、さっきの巨亀の姿。
「くそ・・・まだ生きてたのか」
『莫耶』を握り締める。
僕の周囲に風が巻き起こる。
『風伯』!
大きな竜巻が巨亀にぶつかる。
甲羅でその攻撃を受け止め、四肢を突っ張って力を込める巨亀。
歯を食いしばって『莫耶』を握り締める。
まるで・・・・・・力比べだ。
もう少しのはずなんだ、相当なダメージを受けているはず。
だが。
巨亀の目が赤く光り、甲羅が眩しく光る。
「あっ!!!」
竜巻がはじき返されて僕の体を吹き飛ばす。
地面に叩きつけられて『莫耶』を取り落としてしまう。
「う・・・・・・」
まずい。
なんとかしなきゃ・・・なんとか・・・・・・
『水鏡』があれば・・・・・・
その時だ。
「右京殿!!!」
背後から聞こえてきた碧玉隊長の声。
「受け取れ、『水鏡』だ!!!」
放られた『水鏡』はしっかりと僕の手に納まった。
碧玉隊長は憔悴したような様子だったが、その瞳は明るい光を帯びている。
「間に合って良かった!後は頼む!!!」
『水鏡』はまるで僕の体の一部のように手に馴染む。
鞘から解き放たれた刀身は、以前より一層澄んだ青白い光を放っている。
刀を透かして向こうが見えそうなくらいの透明な光。
構えると、足りないパズルのピースがカチッとはまったような感覚。
体の痛みは消え去り『神力』が漲ってくる。
「わかりました!!!」
行こう、『水鏡』!
巨亀をじっと見据える。
力比べの余裕など・・・与えるものか。
ぐっと態勢を低くして飛び込む。
巨亀が突進してくるのもほぼ同時。
「右京殿!」
碧玉隊長の声。
大きく跳躍して、『水鏡』を大きく振りかざす。
『秋水』!!!
刀身が青白く眩しく光り、周囲がその光に包まれる。
そのまま『水鏡』は、まるでケーキにナイフを入れるようにあっさりと巨亀を真っ二つに引き裂いた。
人気のない裏庭のベンチに座り込む。
心地よい風が髪を揺らす。
「こんばんは。いい月夜ね」
背後から声がして、慌てて振り向く。
人の気配なんか・・・しなかったはずだけど。
「えっと・・・どなたでしたっけ?」
確実にぎこちなくなってしまったが、微笑んで尋ねる。
「お行儀がいいのね」
長い髪をかきあげながら笑って、隣に腰掛ける。
「ある人に伝言頼まれたわ」
「・・・ある人?」
「あんまりちょろちょろしてると見つかっちゃうから気をつけなさいって」
どきんと心臓が高鳴る。
「でもね、折鶴いつもありがとうって」
『ある人』の察しがなんとなくついて、何故か少し安堵する。
「僕のこと、ご存知なんですか?」
年齢ははっきりしないが美しい女性だと思った。
どこかで会ったことがある。だけど、はっきり思い出せないのだ。
まあね、と笑う彼女。
「変なこと訊いてもいい!?」
「・・・何でしょうか?」
「『夏月』って・・・どんな人だった?」
本当に変なことを訊く人だ。
しかし、その笑いを含んだ言い方は不思議と警戒心を抱かせない。
「綺麗で・・・優しくて・・・穏やかで・・・でも」
「でも?」
「・・・・・・変な人でしたよ?」
つい本音を口にすると、彼女は弾けるように笑った。
「あの子ったら・・・あなたに言われるくらいなんだから本当たいしたもんだわ!」
月明かりに照らされたその瞳は少し潤んでいるように思えた。
「あの・・・あなた一体」
言葉をさえぎるように立ち上がると、くるっと振り返って言う。
「私は花蓮。きっと長いつきあいになると思うから、よろしくね!」