Ep34 一夜(前)
ずっと、そばにいたいと思ってた。
隣で笑っていてくれる・・・ただそれだけでよかったんだ。
全てを思い通りに生きてきた人生の中で唯一、手の届かない存在だって思ってた。
それでも・・・
西での戦闘の疲れが取れず、まだ重い体を引きずりながら隊舎に向かっていると、背後から三日月の声がした。
「おはようございます!お二人とも」
振り返った俺達の顔を見てにっこりと笑う。
「今日はいいお天気ですねぇ」
のんきな声で言う。
きついのは三日月も同じなのだろう。
だけど多分・・・俺を気遣って朝からこんな馬鹿みたいに元気な様子でいるのだと思う。
「こんな朝早くから見回りですか?」
隣にいた右京が尋ねる。
「そうなんです、昨夜は夜勤でしたし」
そう言った後、少し言いにくそうに俺に聞く。
「実は今日、午後からちょっとお時間いただきたいんですけど」
「何だ?用事でもあんのか?」
「来斗のところでちょっと・・・」
「・・・ちょっと?」
「打ち合わせっていうか・・・」
「なら・・・回りくどい言い方しないではっきりそう言えばいいだろうが」
三日月が言いたいのは、俺ら抜きで来斗さん達と話がしたいということなのだろう。
蔵人を失った俺や槌谷のこと・・・きっとこいつは不安なんだ。
これから先、一夜さんや孝志郎さんと嫌でも戦わなきゃならない・・・そんな自分のことが。
「いいけど?」
「ありがとうございます!」
「けど・・・それまでちゃんと仕事しろよ!?」
「そりゃそうですけど・・・今日も夜勤なんですよ?殺人的ですよ、最近の予定表・・・」
・・・しまった。
「お前以外の分も・・・そんな感じなのか?」
三日月はしまったという顔をして、いやそんなことないみたいですよ!と慌てて笑う。
「わりい、調整するから・・・」
「いえ!私夜強いんで・・・余計なこと言ってすみません」
笑ってそう言うと、町の路地へと消えた。
「草薙さん・・・」
右京が心配そうな表情で俺を見る。
「なんだか・・・痛々しいです、二人とも」
「何・・・言ってんだよ?お前」
「気遣いあってかばいあって・・・もっとぽんぽん喧嘩してるほうがお二人らしいと僕は思うんですけど・・・」
「なーに・・・生意気なこと言いやがってガキのくせに!」
ヘッドロックをかけながら言う。
こいつもわかってて言ってるのだ。
最近色々なことがあってみんなの歯車がうまく噛み合っていないこと。
乗り越えるためにはきっと・・・時間が必要だってことも。
でも誰かが言葉にしなきゃ、お互いの複雑な気持ちは全部影に隠れてしまう。
だから、言いにくいことを言葉にするという役を買って出てくれている。
彼が紺青にいてくれることは、俺にとってそんな意味でもすごく助かっていた。
藍さんが見回りに出掛けてしばらくすると、無線から隊士の声が飛び込んできた。
『草薙伍長!城の裏門付近に・・・』
「何だ!?」
無線から声が途絶えた。
不安になって草薙さんと顔を見合わせると、隊舎を飛び出した。
「どうした!?」
先を走っていた草薙さんがそう怒鳴って・・・立ち止まった。
視界の先にあったのは・・・倒れた数人の騰蛇隊士の姿。
そして・・・
「心配いらないよ、峰打ちだから」
笑顔で言う・・・一夜さんの姿。
「あんた・・・一体」
つぶやく草薙さん。
ついに・・・来たのか。
一夜さんと戦わなきゃならないときが。
武器を構える僕と草薙さんを、何気ない笑顔で一瞥する。
「たぁ!!!」
「でぇぃ!!!」
一斉に斬りかかる僕たちの目の前に、瞬時にかまいたちが巻き起こる。
「うわっ!」
慌てて刀で回避する。
咄嗟に抜いたらしい『小通連』を鞘に収めると、一夜さんは穏やかな声で言う。
「違うんだ・・・今日は、君らと戦いに来たわけじゃない」
「じゃあ・・・目的は何なんですか!?」
「ちょっと、忘れ物をね・・・」
「忘れ物!?」
「そ。忘れ物を取りにきたの。それだけ」
驚いてただ見つめる僕らに背中ごしに手を振りながら、一夜さんは城壁の向こう側に消えていった。
「お久しぶりです!今日は何か?」
突然訪ねた僕たちに、白蓮さんは人懐こい笑顔で嬉しそうに言う。
一時期の憔悴ぶりからすると、大分表情も明るくなったようだ。
草薙さんと顔を見合わせる。
「右京・・・」
「僕が・・・言うんですか?」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで、早く言えよ!」
「・・・もう」
僕らの言葉を待ってにこにこしている白蓮さんに、思い切って切り出す。
「一夜さんの・・・ことなんですが」
さっきのことを話すと、彼女は少し表情を曇らせた。
「私は・・・何も存じ上げませんが」
忘れ物って、白蓮さんのことじゃないかと思ったんだけど・・・
ちょっと気まずい僕らに、また最初と同じ人懐こい笑顔を浮かべると白蓮さんは言う。
「それって三日月さんには?聞いてみられたんですか?」
「いや・・・まだですけど」
「いーや、あいつが知るわけねえって!知ってるとしたら後は剣護か・・・」
「聞いてみられたら・・・いかがでしょうか?」
僕らの言葉をさえぎるように、にっこり笑って言う。
何でそう思うんですか?って・・・聞きたかったが、彼女の笑顔に圧されてなんとなく聞けないまま、お礼を言って『花街』を後にした。
図書館では、いつものように来斗さんが一人で本を開いていた。
「どうした?龍介も一緒なんて・・・珍しいな」
「聞きたいことがあって」
さっきまでの出来事を話す。
「・・・一夜が?」
低い声で聞く。うなずく僕達に重ねて尋ねる。
「『忘れ物を取りに来た』・・・確かに、そう言ったんだな?」
「はい。でも・・・白蓮さんも何のことか判らないって言うし・・・ここに来れば何かわかるんじゃないかと思って」
「三日月・・・来てないんすね」
「・・・・・・今日はまだ姿を見ていないが?」
ちっと舌打ちしてぼやく草薙さん。
「ったく・・・どっかで油売ってんだなあいつ・・・」
「だといいが・・・」
低い声でつぶやく来斗さんの顔を、驚いて二人でみつめる。
心地よい風の吹く、城の東塔の屋上。
『・・・そうか。大変やったな』
先日の西での戦いのことを話すと、つぶやくように愁は言った。
『もう後は・・・』
「・・・そうね」
元気そうに日々任務に当たっている龍介だが・・・その姿はあまりにも痛々しい。
だから打ち合わせと称して、今日は剣護や来斗とも・・・ちゃんと話さなきゃと思ったのだ。
あの日の孝志郎の様子を思い出す。
迷いがあるのは孝志郎も同じなのかもしれない。
けど・・・・・・
『今、どこにいてるん?』
無線から聞こえる愁の声で我に返り、慌てて答える。
「・・・えーと・・・いつものとこ?」
ああ、とちょっと笑ってつぶやく愁。
『そんなら藍はんの方が図書館には近いか。じゃ先、行っててな』
「はーい、よろしく!」
無線がぷつっと切れる。
大きく一つ呼吸をする。
一瞬息を止めて。
振り返りざまに抜刀して一閃。
鋭い金属音が鳴り響く。
愁さんは現れるなり、あれ?とつぶやいた。
「藍はんまだ来てへんの?・・・龍介“まで”いてるのに」
「・・・んだとぉ?」
例のごとくけんかを始めようとする二人。
だが、そんな二人をさえぎって来斗さんが愁さんに大声で聞く。
「藍と今まで会ってたのか!?」
「いや・・・つい今しがたまで無線で・・・」
「あいつは今、どこだ!?」
「どこて・・・ここに向かってるのと違う?ただ・・・いつもんとこにいる言うてたから、ちょっと遅ないかなぁと思って・・・」
「・・・・・・まずい」
表情を曇らせる来斗さん。
「一体どうしたって言うんですか!?来斗さん」
「・・・相変わらず」
二つの刀は交差したまま動かない。
「手加減なしなんだな、藍は」
笑顔で言う。
「俺が刀抜かなかったら・・・どうなってたと思ってるんだよ?」
「・・・・・・何しに来たの?」
低い声で訊く私に依然笑顔で答える。
「まあ、そんなこと・・・どうでもいいじゃない」
刀が擦れあう音がして、『大通連』は『氷花』の根元のほうまで滑り、一気に返される。
「あっ!!!」
刀を落とした私の両手首をそのまま強く掴むと、手すりに押さえつける。
「何・・・・・・!?」
唇がふさがれる。
体が硬直して・・・動かない。
「・・・手荒なことはしたくなかったんだけど、そっちがそうなら・・・ね」
一夜は強く私の体を抱きしめると、感極まったような声でつぶやく。
「・・・会いたかった」
『来斗!』
剣護さんの怒鳴るような声が無線から聞こえてくる。
『一夜だ!!!気配がする』
「・・・やはり」
来斗さんは無線に向かって怒鳴る。
「剣護!一夜は城の東塔の屋上だ!」
「・・・どういうことですか!?来斗さん・・・」
「お前が一番近い、急げ!」
『東塔って・・・』
「急がないと・・・藍が連れて行かれるぞ!」
呆然とする自分を奮い立たせて『神力』を呼び起こす。
周囲に巻き起こる炎と旋風。
避けるように後退して言う。
「なるほど・・・それが藍のもう一つの力・・・」
笑う一夜を睨みつける。
「その左腕のブレスレットが、形を変えた『アンスラックス』か」
「・・・そうよ」
ふっと笑ってつぶやく。
「やれやれ。炎の腕輪・・・だなんて」
『大通連』を構え直す一夜。
「・・・気に入らないな!」
『大通連』が大きく振りかざされると、左半身にずん、と大きな風圧がかかる。
「うっ!!!」
えぐられるような強い衝撃を受けて、壁に叩きつけられる。
パリン!という乾いた音がして、『アンスラックス』のブレスレットが砕け散った。
「!?」
間髪をいれず、みぞおちに一夜の拳の一撃。
小さなうめき声を上げて前のめりに倒れる私を抱きとめると、ぞっとするほど優しい声でささやく。
「無駄な抵抗はやめなよ?」
痺れるような痛みで体が動かない。
「さっき、何しに来たかって聞いたね」
私の体を抱く腕に力が加わる。
「迎えに来たんだ、藍を」
「何・・・ですって?」
「俺と・・・一緒に行かないか?」
その時、一夜の背後から声がした。
「一夜!!!」
「・・・剣護」
私を壁にもたれかかるように座らせると、一夜は笑顔で剣護と向かい合う。
「久しぶりだね!剣護。元気そうじゃないか?」
『蛍丸』を構える剣護は一夜を睨みつけて一喝する。
「うるさい!!!藍から離れろ!!!」
「・・・お前たちも、藍・・・なわけ?」
「は!?お前一体・・・」
刀を納めると、じゃあこうしようよ、と笑顔で言って両手を打つ。
「明日の夕刻、藍を賭けて『天象館』で俺と剣護で一騎打ちをやる・・・っていうのはどう?」
面食らった顔の剣護。
「いいかな?藍」
「いいわけ・・・・・・ないじゃない」
苦しい息の中やっとのことでつぶやくと、そりゃそうだよねと笑って一夜が言う。
「・・・わかった」
剣護が意を決したように言う。
「受けてたとうじゃねえか、一夜!藍は絶対に渡さねえぞ!!!」
「良い答えだ」
笑って言う一夜の周りに旋風が巻き起こる。
『大通連』が白く光って、一夜の体が浮上する。
「じゃあ明日!楽しみにしてるよ、剣護!」
笑顔で言って、一夜の姿は上空に消えた。
大丈夫か?と剣護が近づいてきた頃には、麻痺した体に自由が戻り始めていた。
「・・・渡さねえぞ!だってさ」
「ばーか。行きがかり上そう言っただけに決まってんだろうが」
「剣護って・・・いつから私のことそんなに好きだったわけ?」
「そういうくだらねえこという奴は、とっととさらわれちまえばよかったんだよ」
そんなことを言い合いながら、二人とも呆然とした気持ちで虚空を見つめている。
「やられっぱなしだったみたいじゃねえか」
「・・・悪かったわね」
「まあ仕方ねえよ。あいつが相手じゃ・・・本気でやれねえよな」
小さく頷いて、ため息をつきながら言う。
「来てくれてありがとう・・・正直、危なかった」
ああ、と剣護が答える。
「でもさ・・・」
「・・・何だ?」
「ちょっと・・・おかしかったよね、一夜・・・」
「う〜ん・・・・・・」
難しい顔をして剣護。
「俺はほんのちょっとしか見てねえけど・・・大分おかしかったんじゃねえか?」
「・・・そうなんだけど・・・・・・」
そうなんだけど・・・そうじゃなくて。
「藍はん!!!」
その時、血相を変えた愁を先頭に右京達が屋上に飛び出してきた。
「大丈夫か!?」
「あんまり大丈夫じゃ・・・ないかも」
ぎょっとした顔の愁。
静かに剣護に聞く。
「・・・勝てる?」
「・・・決まってんだろ、勝つんだよ」
低い声で答える剣護。
「頼むね、剣護。私の運命・・・あなたにかかってるんだから」
いぶかしげに見ているみんなの表情がふっとブラックアウト。
みんなの呼ぶ声も遠くなり、そのまま気を失ってしまった。
その日、外は雪で、物音一つ無い静かな夕方だった。
ふらっと現れた人影に言う。
『一夜じゃないか』
あ、と小さくつぶやいて曖昧に笑う。
『どうした?珍しいな』
『いや、たまには来斗の顔でも見に来ようかと思ってさ。最近全然ここから出てこないだろ?』
『まあな、ここにいることが俺の仕事でもあるし』
『相変わらず真面目だなぁ・・・お前は』
静まり返った室内に二人の声だけが響いている。
ちょっと口の端を上げて笑顔を作って言ってみる。
『・・・・・・嘘だな』
『何がさ?』
『お前が会いに来たのは・・・藍だろ?』
いつもなら、そんなことないと笑ってはぐらかすのだろうが、その日は違った。
ちょっと寂しげな笑顔を浮かべると、言った。
『来斗には・・・お見通しかぁ』
その反応に少し戸惑いながら言う。
『今日は・・・ここには来てないぞ』
『そっか。さんきゅ』
正直言って、そのことはずっと気にかかっていた。下手すると初めて会ったときから。
藍に対する態度は、彼の女性一般に対する態度とは全く異なるものだ。
どう違うかと問われたらうまく答えられないのだが・・・
強いて言えば、俺達と平等に扱おうと無理をしている・・・そんな感じ。
邪魔になるといけないからもう行く、と言って背を向けた一夜に声をかけた。
『お前・・・何故だ?』
『・・・何故かなぁ』
背中ごしに答える。
『確信があるからかな・・・一番にはなれないっていう』
『・・・一番?』
『敵わないからね・・・孝志郎には』
雪の静けさと清らかさに促された、彼の誰にも言えない本音だったのだろう。
それは最初で最後の告白だった。
そんなことを思い出していると、目の前の3人は不満げな表情を浮かべていた。
「なんで・・・教えてくれなかったんですか?」
右京が言う。
「だって・・・訊かなかったじゃないか」
確かに、とつぶやく。
「そんな剣護も知らねえこと、来斗さんが知ってるわけないと思うもんなぁ」
「知らなくて悪かったな」
ぼやく龍介と剣護。
「・・・ちぐはぐだ」
右京が批判をこめた声でつぶやく。
「一夜さん、ちぐはぐですよ。思ってることとやってることが・・・だってあんなふうじゃ」
「藍が・・・気づいてなかったと思うか?」
目を丸くする3人。
お前達は単純すぎるんだ、と思う。
「ちぐはぐと言うが、好きな女にちょっかいを出すのは・・・普通の反応なんじゃないのか」
「そりゃ来斗、普通っつっても・・・子供の反応じゃねえか」
この件で一番へこんでいるのは、一番近くで一夜を見ていた剣護のようだ。
「藍さん・・・どう思ってたんでしょうか?」
・・・難しい質問をする奴だ。
「さあな・・・気づいてるだろうな、とは思っていたが、訊いてみたことはないからなぁ」
「一夜さん何で言わなかったんだろうなぁ?だってあんだけいつも一緒にいて・・・」
龍介に剣護が答えて言う。
「それ、一夜もお前だけには言われたくないと思うぜ」
眉間に皺をよせる龍介。
「他のことは置いといたとして・・・言えない理由はわかる気がする。そりゃ孝志郎さんのことが一番だったんだろうけど・・・・・・あいつら・・・小犬のように仲がよかったからなぁ」
「あいつらって?」
「だから、藍と愁・・・」
「・・・誰の話でそないに盛り上がってんの?」
現れたのは・・・愁。
ご他聞にもれず深刻そうな顔をしている。
この大変な時に・・・のんきなものだと思わないでもないが・・・
「三日月・・・どうしてる?」
「どうもこうも・・・」
首を振る。
「やっぱ・・・ショック受けてるんですか?」
いやめっちゃ元気やで、と意外なことを言う。
「道場で杏ちゃん相手にずっと打ち込みしてはるわ」
『会いたかった』・・・・・・か。
「三日月?」
杏をこてんぱんにのしてしまって戻った隊舎でぼーっと頬杖をついて座っていると、横から龍介の声がした。
びっくりして跳ねるように立ち上がり、何でしょう!?と訊く。
声まで裏返ってしまった。
「今日はもう・・・帰っていいぞ?」
恐る恐る言う龍介。
「何おっしゃってるんですか!?今日は私夜勤ですし、その・・・実は昼間もサボってましたし、それに・・・」
「夜勤なら那智が代わるって言ってるからよ・・・」
那智さんがその背後で神妙な顔で頷いている。
「明日は非番ですし・・・」
「それはそのままでいいからよ・・・最近お前、夜勤続いて忙しかったろ?少し休め、な!?」
「そんなぁ・・・」
軽く咳払いして、それに・・・とつぶやく。
「今日のお前は急な出動があっても使いもんにならねーよ。足手まといになるくらいなら、帰って休養とってもらったほうが隊のためだ」
「・・・ごもっともです」
龍介の言葉は深く心に突き刺さった。
それは彼の本心ではなくて、私を帰って休ませたいという気遣いから発せられた言葉であることがわかるだけに・・・
つい最近、大事な友達を目の前で失った彼の言葉であるだけに・・・
本当は一人になりたくなくて・・・邪魔でもいいから居させて欲しかった。
情けないなぁ・・・私。
「三日月藍、帰ります」
これ以上草薙伍長を困らせてはいけない、そう思った。
「お疲れ様でした。後、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をして、隊舎を後にする。
道場の門を叩くと、師匠が不思議そうな表情で立っていた。
「剣護どうしたんだ?珍しいね」
温和な表情、穏やかな物腰。
それは俺が子供の頃から変わらない。
あの頃の師匠は確か・・・今の俺たちと同じくらいの年齢だったはず。
「道場・・・借りてもいいですか?」
外はもう暗く、道場には窓から月明かりだけが差し込んでいる。
「そりゃ構わないけど・・・こんな時間に一体、何する気なんだい?」
師匠にはちゃんと話してもいい、そう思ったが。
「一種の・・・精神統一です」
「瞑想でもするのかい?」
「そんなとこですかね・・・邪念を払うというか、迷いを払うというか」
そんな俺の曖昧な答えに、師匠は何かを悟ったように笑って言った。
「いいよ!盗られるようなものも何も無いし、鍵は開けっ放しで構わないから・・・ゆっくりしておいで」
掛かっていた竹刀を一本手にすると冷たい木の床に腰を下ろす。
瞼を閉じると、浮かぶのはいつものあいつの笑顔。
あいつはいつも俺より少し先を歩いていて言うんだ。
『行こう、剣護!』って。
気づいたら俺は・・・いつもあいつの背中を追いかけていたような気がする。
ガキの頃も、士官学校でも、そして十二神将隊に入ってからも・・・
いつもナンバー2だった俺。
あいつはそれを・・・気にしてたんだろうか?
『俺無き勾陣隊・・・お前の時代だ』って・・・あいつはそう言っていた。
わがままで、適当で、どうしようもない奴だったけど・・・
俺にとっては誰よりも大切な、自慢の相棒だった。
「俺には・・・一夜が斬れるのか?」
つぶやいてみる。
古椿の『オンブラ』を斬ることが出来たのは・・・やっぱり一夜のおかげだったんだ。
「とんでもねーよ、そんなこと・・・出来るわけねえだろ」
仰向けに冷たい床に寝そべる。
「だけど・・・やらなきゃ仕方ねえんだよな」
手にした竹刀を天井に高くかざして、眺めながらつぶやく。
「一夜、お前には・・・俺が斬れるのか?」
周囲を包む静寂。
「出来るわけ・・・ねえよな。あいつにだって」
でも、そうだとしたら。
一夜が孝志郎さんと一緒に消えてしまったときから、いつかこういう日が来ることは分かっていた。
「何で・・・行っちまったんだよ、お前」
気づいたら俺は涙を流していた。
「まさか俺のためだなんて・・・お前らしくないこと考えてたんじゃねえよな?」
あいつのためなら、藍の一人や二人、くれてやったっていい。
一瞬そんな想いが脳裏をよぎった。
けど・・・違うのかも知れない。
あいつの『忘れ物』っていうのは・・・多分2つある。
1つは『藍』なのだろう。
そして、もう一つは・・・
「『剣護と決着つけること』・・・か」
それをあいつが望むなら・・・
「やるしかないよな」
起き上がって言う。
「俺が俺自身として、勾陣隊長をやってくためにも・・・あいつは乗り越えなきゃならねえでっかい壁だ」
立ち上がって竹刀を構え、虚空に向かって咆える。
気合が入った。
「楽しみにしてろよ一夜!お前は絶対俺が倒す!!!」
月明かりに照らされた庭を眺めていると、声がかかった。
「何故、許可されたのですか?」
振り返ると、そこには苦虫を噛み潰したような顔の左右輔が立っていた。
「・・・私は・・・・・・納得出来ません」
先刻涼風と燕支の右京殿がやって来て『天象館』の鍵を貸して欲しいと言ったとき、左右輔は烈火の如く反対した。
『あの神聖な場所を半端な気持ちで使用されては困る』というのが彼の言い分だった。
ここへ掛けぬか?と訊くと、結構ですと即答する。
全く融通が利かないのはいつまでたっても変わらない。
「お前は“半端な気持ちで”と申しておったが」
茶を一すすりして言う。
「見なんだか?彼らの真剣な目を」
「それは・・・・・・」
うつむくと、重々分かっております、とか細い声で言う。
「私は・・・正直彼らをうらやましく思います」
意外な告白に若干動揺しながら、彼の言葉の続きを待つ。
「先生・・・彼らはあんなにも堅く信頼し合っていたのに・・・何故こんなことになってしまったのでしょう?」
「左右輔・・・」
「彼らが傷つけあい血を流す場として、『天象館』を選んでは欲しくないと思ったのです」
・・・ほう。
がちがちに頑固な奴だとばかり思っていたが。
「しかし・・・少し違うのではないか?左右輔よ。古泉はおそらく・・・真の意味で『天象館』を使おうという心づもりだと、わしは思うが」
驚いた顔でこちらを見つめる。
湯呑みを両手で弄びながら続けて言う。
「片桐は・・・古泉がいなくなったことで空席になった勾陣の隊長に自動的に就任したようなものであろう。しかし、正当な隊長として周囲から認められ、片桐自身も納得づくで隊長職を続けていくためには・・・『儀式』が必要だと」
左右輔の眼鏡が月明かりを反射してきらり、と光る。
「あれの考えそうなことだと、思わんか?」
左右輔は首をひねるが、古泉は元来頑固なところがあるのだ。
しかし、何故それを・・・今になって思いついたのか。
それだけは考えても考えても、わからなかった。
先生・・・と左右輔がつぶやく。
「私には・・・彼らを裁くことが出来るのでしょうか?」
「真実に耳を傾けることじゃよ、左右輔」
湯呑みを置き、左右輔に向き合って言った。
「心を穏やかに・・・さすれば答えは、自然に見えてこよう」
家に戻ると、扉の鍵が開いていた。
「あれ?」
朝出掛けるときに閉め忘れたらしい。
まあ、盗られるようなものは何も無いけど・・・
そんなことを思いながら中に入る。
月明かりが差し込んでいる部屋。
「十六夜月・・・か」
つぶやいて寝室に入る。
「・・・雅でいい月だよね」
はっとして振り返る。
「いつから・・・いたの!?」
「さあ、ずいぶん前かもね。鍵開いてたからさ、待ってたんだ」
無用心だなぁ、と笑う。
突然強い力で組み敷かれ、声を上げようとする口を大きな手でふさがれてしまう。
「大きな声出さないの。ご近所迷惑だぜ?」
楽しそうな声で言う。
「明日の夕刻・・・じゃなかったの?」
「気が変わった」
「あなたねぇ!!!」
「まぁまぁ、そう興奮するなって」
「・・・その手・・・離しなさい」
「嫌だね」
「ちょっと・・・!!!」
「抵抗してくれて大いに結構だよ。それなら愁にも・・・少しは申し訳が立つだろ?」
「・・・愁!?」
「あいつは俺にとっても大切な友達だからね・・・悲しませるのは本意じゃない」
「・・・何言ってるの?」
「何って・・・藍は全部わかってたくせに。愁の気持ちも・・・俺の気持ちもね」
「あなたねぇ・・・・・・言ってる意味が全っ然わからないんだけど!?」
ごめんね、と突然トーンを落として言う。
「今日は傍に・・・いさせてくれないかな?俺の・・・最後のわがままだと思って」
・・・・・・『最後』って。
一体・・・・・・どういうこと?
「こんなこと・・・あんまり言いたくなかったんだけどな」
一夜がつぶやく。
「藍は優しいから・・・」
なかなか寝付けずカーテン越しに月明かりの差し込む窓を眺めていると、隣のベッドの右京がつぶやいた。
「藍さんも剣護さんも・・・大丈夫でしょうか?」
眠れないのは、こいつも同じだったらしい。
「優しいからな・・・あいつら」
「草薙さんは・・・剣護さん達と同じ道場には通わなかったんですか?」
「ああ。あそこは・・・厳しいことで有名だったからな」
「・・・草薙さんらしいですね」
「・・・うるせえ」
「でも・・・あんまりですよね、こんなことって」
「・・・そうだな」
出来たらこんなこと・・・俺で最後にしたかった。
『ありがとう・・・』
蔵人の笑顔を思い出す。
夜って長いですね、そうつぶやく右京。
「こんなに夜が長いって思ったこと・・・今までになかったです、僕」
激しく咳き込む声に気づいて目を覚ます。
洗面台のほうから聞こえる苦しそうな声。
足音をひそめ、声のする方へ近づく。
水の流れる音。
そして・・・血の匂い。
「来るな!」
咳き込むのをこらえて、背中越しに怒鳴る一夜。
「・・・大きな声、出さないでよ。ご近所迷惑でしょ?」
近づいて背中をさする。
「まったくあなたって人は・・・人んちに勝手に上がりこんどいて、来るなも何もないわよ」
咳が少し収まったのを確認して、後ろから抱きしめる。
「帰って・・・来ない?」
「何・・・言ってるんだよ」
「私が一緒に行ってあげるから・・・」
「俺は・・・お尋ね者なんだよ?」
「知ってる」
「罪を得て・・・殺されるかも知れないのに?」
「私が守ってあげる・・・それでも駄目なら」
ぎゅっと力を込めて抱きしめてつぶやく。
「私も一緒に逝ってあげるわ」
馬鹿だな、そうつぶやく一夜の声が少し震えていた。
「お互い様でしょ?そんなの」
お座敷が終わってぼんやりと窓の外を見ていると、誰かの呼ぶ声がした気がして外に出る。
『さぞ、憎かろう?』
「・・・・・・そうね」
道に懐刀のようなものが落ちていて、声はそこから発せられていた。
手に取ると、その重みがしっくりと手になじむ。
あの人の笑顔・・・
私を呼ぶ声・・・
今更、何でこんなこと・・・思い出すんだろう。
本当は知ってたの、ずっと前から。
彼は私の前でいろんな話をしてくれた。
でも、彼女の名前を出したことだけは・・・ただの一度も無かった。
三日月さんは何で私の前でだけ・・・『古泉さん』なんて他人行儀な呼び方をしてたんだろう。
そういう優しいところが・・・好きだったのね、きっと。
私は彼女に似ていると、以前誰かに言われたことがある。
代用品なんだって、わかってたけど。
それでも・・・好きだった。
優しいけど、残酷な人だった。
でもそれも・・・私は最初から全部わかっていた。
それなのに・・・なぜだろう。
こんなに涙が流れるのは・・・
「行きたくないなぁ・・・」
「・・・何?」
「ずっと・・・こうしてたい」
「全く・・・しょうがないなぁ」
さらさらの髪をくしゃくしゃに撫でながら笑って言う。
「賭けようか!?この勝負」
「何を?」
「剣護が勝ったら何でも私の言うこと聞くっていうのどう?」
「俺が・・・勝ったら?」
「決まってるでしょ!?私があなたの言うこと何でも聞いてあげる」
「藍の言うことって・・・何?」
「それは今は言えないけど・・・そうねぇ」
おでこをくっつけて言う。
「まずは・・・ちゃんと病院に行きなさい!」
「まずはって・・・他にもあるってこと?」
「それは・・・後のお楽しみ」
こわいなぁとつぶやいて、一夜はゆっくり笑顔になった。
「頑張って出て行く元気出た?」
「・・・ありがと」
外は少し、茜色に明るくなり始めていた。
周囲に人がいないことを確認して外に出る。
変な奴・・・
藍の笑顔を思い出す。
これはおかしなことだって分かってるはずなのに、何故か満たされた気分で歩き出す。
「おはよーさん。早いやないの?」
背後から声がかかる。
動揺を抑えるように一つ大きく息をして、笑顔で振り返る。
「愁・・・あれぇ、いつからいたの?」
「さあ。いつからやろなぁ」
民家の塀にもたれ、冷たい視線を俺に向けている。
「何か・・・誤解してない?」
楽しげに笑ってみる。
「お前をここで殺してやりたいのは山々やけど・・・剣護のためや、後にとっといたるわ」
俺の言葉など聞こえないようなそぶりで愁は冷たく言い放ち、去っていった。
明るくなっていく空を見ながら、冷たい枕に顔を押し付ける。
「馬鹿だなぁ・・・私」
自分で自分がわからないと思った。
本で読んで分かるほど・・・単純なものじゃないんだな、人に気持ちって。
それは本当に、一夜の言うとおりだった。
「一夜・・・死なないでね・・・・・・」
つぶやいたのは・・・・・・この長い長い夜の間じゅうずっと言えなかった言葉だった。
川沿いの道で、見慣れた人影が近づいてくるのが見えた。
「白蓮・・・」
呼びかけると同時に懐に飛び込んでくる彼女。
懐かしい香水の匂い。
そして・・・
強い衝撃と鋭い痛み。
はっとして俺から体を離す白蓮の目は、最初近づいてきたときとは違っていた。
腹部に刺さった短い刀を抜く。
鈍い光を放っているその刀身。
『妖器』か・・・
直接頭に響く声。
『・・・勝手な真似を・・・・・・』
「・・・・・・勝手はお互い様だろ」
『貴様・・・誰のおかげでそうしていられると・・・』
「黙れ」
妖刀を地面に叩きつけ、『大通連』で妖刀の束に埋まっている黒い宝石を貫く。
パリン、というガラスの砕けるような音を立てて、妖刀は空気に溶けるように消えた。
正気に戻っておびえたように立ち尽くす白蓮に呼びかける。
「・・・行きな」
「で・・・でも・・・私」
「こんな明け方だ、誰も見てなかったし・・・君は操られてたんだもの、気にすることはない」
激しい痛みをこらえて必死で笑顔を作ると、もう一度言った。
「行くんだ、白蓮・・・」
「一夜様・・・・・・私・・・私・・・・・・」
「行け!!!」
怒鳴る俺に背を向けて、ごめんなさいと涙声でつぶやく彼女。
「・・・白蓮?」
「・・・はい」
「ごめんなさいは・・・俺のほうだ」
はっとした表情で一度振り返ると、白蓮はまた俺に背を向けて泣きながら去って行った。
『いつか女の人に刺される』って・・・
藍がいつか言っていたっけ。
あいつの言うとおりだったな。
血が流れる傷口を押さえながら、つぶやく。
「どうしたもんかな・・・これは」
その時、見覚えのある家が視界の端に飛び込んできた。
激しく戸を叩く音に目を覚ます。
「誰や?こんな早くに・・・」
つぶやいて戸口に近づく。
「そないに叩かんでも聞こえてるわ!一体・・・」
扉を開けた瞬間、寝ぼけていた五感が一気に研ぎ澄まされるのを感じた。
首元に突きつけられた、冷たい金属の感触。
「おはようございます・・・宇治原さん」
「お前・・・都に戻ってたんか?」
「黙って。抵抗しなければ手荒なことはしませんから」
笑顔で言う彼の服は血で真っ赤に染まっている。
「怪我・・・してんのか?」
刀をぐっと近づけると、そのままの笑顔で言う。
「治して・・・くれますよね?」
「目当ては『ケリュケイオン』・・・か?」
傷は相当深いように思われる。
よく見ると彼の顔は蒼白に近い。
それなのに何事もないような笑顔で、刀を突きつけている彼の姿は・・・
異常としか言いようが無い。
「分かってると思いますけど・・・これはお願いじゃありません」
低い声で言う。
「・・・脅しです」
「わ・・・わかった・・・・・・敵でも味方でも・・・目の前の傷ついてる人間を助けるのが俺たちの務めや。せやから・・・その物騒なもんをとっとと仕舞え」
「そうですか・・・」
カチンと刀を鞘に納める。
「良かった・・・」
そうつぶやくと同時に、彼は意識を失って倒れこんだ。