Ep31 白虎(前)
先日の2匹のオンブラの襲撃以来、紺青にはしばしの平穏が訪れていた。
「嵐の前の静けさ・・・か」
つぶやく来斗さんに、頷いて答える。
「やはり彼らの狙いは霞様だったんですね」
「ベルゼブとやらが『玉』と呼んでいたのは紺青の王家の第一王女である霞姫・・・『三種の神器』にそんな意味があったとはな」
それが判明して以来、霞様には沢山のボディーガードがついている。
「藍も行っているのか?」
「はい。騰蛇隊の隊士達が配備されてかなりの厳戒態勢ですけど、霞様は藍さんをすごく頼りにしてますからね・・・」
「いたほうが心強い・・・とおっしゃったのだろうな」
「藍さんもはりきってたみたいだし、いいことだと思います」
そうだな、と笑う来斗さん。
「不思議な人ですよね・・・藍さんて」
「・・・どういう意味だ?」
藍さんは隊士達に人気があるだけじゃなく、霞様や霧江様からも頼りにされている。
それに、どうやら『花姫』の白蓮さんとも親しいらしいのだ。
ちょっとためらって来斗さんが言う。
「白蓮は・・・・・・孝志郎が相当贔屓にしていたからな」
「そうなんですか!?」
そんなの・・・初耳。
「騰蛇隊の隊長に就任して都をあけることが多くなってからは、藍に色々と世話を焼かせていたようだが」
「それって・・・最近の話ですか?」
頷いて、難しい顔をする来斗さん。
「・・・・・・難しいんですね、色々」
「・・・あの二人に関してはな。白蓮が一夜に惚れていたのは確かのようだが、あいつは・・・」
「一夜さんは・・・・・・違うって言うんですか!?」
だとしたら・・・何故?
これは俺の勝手な推測だが、と来斗さんが言う。
「一種・・・孝志郎へのあてつけなんじゃないかと・・・思うんだ」
「・・・何故、そんなことを?」
「それは・・・まあ・・・・・・なんだ。あくまで俺の妄想だ。聞き流してくれ」
そう言うと来斗さんは奥の書棚の方に入っていった。
「・・・報告は以上。紺青は厳戒態勢を敷いているらしいが、攻める分にはタイミングを計れる分俺たちの方が圧倒的に有利だろう」
藤堂隊長が言うのを黙って聞いている孝志郎様。
少し間を置いて、やれそうか?と聞く。
「ああ勿論!いつでも行けますぜ」
『『チフン』と『ホロウ』はあのような無残な結果になったが、今度こそなんとしても・・・『玉』を手に入れるのだ』
黒水晶からの声に、胸を叩いて藤堂隊長が言う。
「まあこの白虎隊にお任せくださいって!なぁ蔵人」
「はい」
皆のやり取りを隅の方で黙って聞いていた一夜さんが動いた。
隊士達に若干ざわめきが起こる。
「聞いてもいい?」
周囲の様子など意に介さない様子で一夜さんが笑顔で言う。
「覇権を得るには『三種の神器』が揃わないと駄目なんだろ?どうして『玉』ってやつだけをそう執拗に狙う必要があるのかな?」
黒水晶が言う。
『『三種の神器』は・・・『玉』の周りに集まる。よって『玉』さえ手に入ればその他はおのずと手にすることが出来るというものだ』
「ふぅん・・・じゃ霞姫さえ手に入れば、別に紺青に総攻撃しかける必要はないってことか」
『理屈ではな、しかし・・・今すぐになさずとも、いずれはそういうことになろう』
おい、と藤堂隊長が口を挟む。
「まさかお前・・・怖気づいたんじゃないだろうな!?」
前髪をかき上げて楽しそうに言う一夜さん。
「・・・だったら何なの?」
周囲の隊士たちが一斉に武器を構え、一夜さんを取り囲む形を取った。
へえ、と笑った次の瞬間。
一夜さんの周囲に旋風が巻き起こり、隊士たちを吹き飛ばした。
涼しい笑顔で言う。
「いい度胸じゃない?俺に刀抜く・・・なんて」
「てめえ!!!」
ボルテージの上がった藤堂隊長の前に進み出ると、すっと刀を構えて言った。
「今は・・・仲間割れをしているときじゃないでしょう?」
『小通連』をこちらに向ける一夜さん。
向き合ってしばし沈黙が流れる。
『天雷』!
『疾風』
二つの『神器』の力がぶつかり合う。
それがまぶしい光を放ってバチン!と大きな音を立ててスパークした次の瞬間。
目の前に『大通連』を構える一夜さんの姿。
・・・しまった!
しかし。
彼はがくっと膝から倒れるようにそこにかがみ込んだ。
刀を支えにしてやっと姿勢を保つような様子。
「一夜さん・・・?」
「・・・・・・なんでもない」
そう言ってふらっと立ち上がると、またさっきと同じ余裕の笑みに戻ってつぶやく。
「怖気づいたとは言わないけど。みんなあまりに強気・・・っていうか、考えが甘いんじゃないかと思ってさ」
みな黙って、成り行きを見守っている。
「じゃあ、あなたならどうするんです?」
「俺?」
笑った一夜さんに、孝志郎様が低い声で言う。
「言ってみろ、一夜」
「そうだなぁ・・・」
「三日月!!!」
怒鳴り声に振り向くと、鬼の形相の草薙伍長が立っていた。
「お前!まーた勤務中に本なんか読みやがって」
騰蛇隊総力を上げて霞様をお守りする・・・ということになって、気合十分に臨んだところまではよかったのだが。
あれ以来、小者のオンブラ一匹現れない。いつ来るかわからない・・・と言ってみるものの、緊張感を持続するのはなかなか容易ではない。
本を開いていると、考え事がまとまったり精神統一になったりいいことも色々あるのだが・・・ことこれに関してだけは、うちの伍長は小うるさい。
「草薙伍長だってタバコ吸うじゃん・・・」
つぶやくと、ぐっと詰め寄ってきて言う。
「俺は少なくとも!時と場合はわきまえてるつもりだぞ!?」
「体に悪いんですよ?肺が真っ黒になっちゃうんですから」
「んなこたぁ・・・お前に言われなくてもわかってんだよ!!!」
背後からくすくす、と笑い声が聞こえた。そして、チャーミングな鈴の音。
「藍と草薙伍長は本当に仲がいいのね」
「霞様・・・誤解です」
「その通り!」
笑いながら霞様が言う。
「藍・・・今日はもういいわ。毎日遅くまで大変でしょうから、帰って体を休めて頂戴」
「・・・よろしいんですか?」
「ええ。皆さんがいてくださるから大丈夫よ」
オンブラの襲撃以来、霞様はきっと毎日押しつぶされるような不安と戦っているのだろう。それなのに・・・なんて出来た方なんだろう。
ちょっと恥ずかしくなったが、今日のところはお言葉に甘えることにする。
「では・・・ありがたく休ませていただきます!霞様・・・くれぐれもお一人で行動されませぬように」
「ええ・・・おうちでゆっくり本でも読んでいらっしゃい」
騰蛇隊が姫の護衛についてから、都の警護は勾陣隊と太陰隊に任された。
遠矢さんはまだ本調子ではないものの、なんとか荒くれ者の集団を束ねられるところまでは回復した様子。しかし・・・・・・
風牙はまだ、眠ったままだ。
愁に様子を尋ねると、宇治原さんから聞いた話を詳細に渡って説明してくれた。
難しいことはわからないのだが、要はいつ目覚めてもおかしくないし、ずっと目覚めなくてもおかしくない・・・微妙な状態らしい。
「あれは・・・やりすぎだよ・・・」
ぽつり、とつぶやく。
完全に遊びの域を逸脱してしまっている。
当たり前といえば当たり前のこと。
けど・・・・・・
「なんか・・・らしくねえんだよな」
「何がだ?」
びっくりして見ると、戸口に龍介が立っていた。
「あーびっくりした・・・お前、いつからいたんだ?」
「つい今しがた」
「そ・・・そうか」
俺の前に胡坐をかいて座ると、ぐっと俺の顔を覗きこむように言った。
「あのさ・・・話があるんだけど」
何だ?と聞くと、深刻な顔になって小声で言う。
「剣護・・・お前、もし次一夜さんが出てきたら・・・どうする?」
どきんと心臓が高鳴る。
しかし、表面上は平静を保ってまじまじと龍介を見る。
龍介は柄にもなく真面目な顔をして、俺の返答を黙って待っていた。
「そりゃ・・・戦わなきゃ仕方がないだろ」
「本当に・・・出来るか?」
返答に詰まってしまう。
こいつは多分・・・蔵人のことを考えているのだろう。
龍介と蔵人は学生の頃、良きライバルであると同時に親友だった。
鈴音ちゃんと蔵人が恋人同士・・・とまではいかないものの、相思相愛だったことに関してはこいつとしても思うところがあったんだろうが。
その件以外は本当に蔵人を信頼していたし、西の最前線にいる彼のことをいつも気にかけている様子だった。
だから・・・今まであまり口には出さなかったが、相当ショックを受けていたのは確かだ。
「偉いよな・・・白さんも遠矢さんも。よくそこまで・・・割り切れたっつうか」
「力哉さんにトドメ刺したのは・・・白さんじゃないぞ?」
そりゃ分かってるけどよ、と腕を頭の後ろで組む。
「仕方ないですよ・・・って、いっつもいっつもあいつが言うんだけどさ」
「あいつって・・・藍か?」
「そうそう。三日月は実際孝志郎様に剣突きつけてるからな・・・・・・あいつが言うと深いぜ」
あの会議の直前の、藍の物思いに沈んでいるような様子。
異変を感じ取って以来、ずっと考えていたのだろう。
俺さ、と龍介がつぶやくように言う。
「実際その場になってみねえと・・・わかんねえや」
そんな悠長な・・・と言ってやらなければならないところだ、本当は。
ただ、俺自身も・・・
確信が持てなかった。
バルコニーから夜空を眺めていると、霧江の声がした。
「お姉さま、また空を眺めてらっしゃるのですか?」
「ええ」
「今日は曇っていて、星も月も、何も見えないというのに?」
「そうね。でも・・・好きなの、こうして見ているのが」
「おかしなお姉さま」
笑って言う霧江の言葉はもっともだ。
こんなに地上は混沌としているのに、空はなんて静かなのだろう。
お父様は・・・あの空で、今度こそ静かに眠っていらっしゃるのだろうか?
・・・・・・人の気も知らないで、と思わないこともないけど。
・・・あの人にはあの人の人生があったのだ。
何も知らないで、非難ばかりすることは違っていると思う。
でも・・・
私が理解することは多分、一生出来ないに違いない。
「霞様ー!」
従者の呼ぶ声がして、バルコニーから部屋に戻ろうとした、その瞬間。
視界が真っ暗になる。
「え!?」
気づいたら大きな麻袋の中に押し込まれていた。
「霞様・・・手荒なことをして申し訳ございません」
・・・内海蔵人?
「ご無礼を承知で申し上げます・・・ご同行願えますね?」
不穏な気配を察した霧江がバルコニーに出て来たようだ。
「あなたは・・・内海!!!」
「これはこれは・・・霧江様もご一緒でしたか」
「お姉さまを・・・離しなさい!」
『天叢雲剣』を構えた様子の霧江に向かって、内海蔵人が言う。
「今日は争うことが目的ではありませんので・・・これにて」
「待て!!!」
ふっ、と宙に浮くような感覚に襲われ、霧江の呼ぶ声が遠くなる。
一体・・・どこへ?
そんなことを考えながら、私は気を失っていた。
『草薙伍長!三日月です!!!』
無線から声。
吸っていたタバコをもみ消して、一つため息をついてから答える。
「もう、報告は受けてる」
『下手人は内海蔵人・・・・・・間違いないんですか!?』
「ああ、霧江様がはっきり確認してらっしゃるからな。もう夜も更けて寝室にいらっしゃるところだったから、一番近くの騰蛇隊士が異変に気づくのにも若干時間がかかったらしい」
すみません、と弱々しい声が響く。
「お前が謝ることじゃねえって。いくらお前でもそんなところまで張り付いてないだろ?」
『ですが・・・』
「霧江様にも三公にも話は通してある。霞様の奪還には・・・この騰蛇隊が向かうぞ」
どんな理由をつけたとしても、騰蛇隊の失態であることには変わりない。
それに。
これは・・・親友の蔵人がやらかしたことだ。
『隊士に・・・召集かけます』
三日月が何かふっきれたような声で言った。
「ああ、頼む」
『右京様は、今どちらに?』
「ああ、来斗さんとお前の母ちゃんのところだ。あの人不思議な力があるだろ?で、何かわかるんじゃないかって言ってな」
朔月邸を訪れると、花蓮様が嬉しそうに笑って言った。
「待ってたわよ。思ったより遅かったじゃない?」
「・・・何でわかったんですか?僕らがここに来ること」
「霞姫の強い『神力』を辿ることが出来るのはおそらく・・・あなただけだ。だから我々はこうやって訪ねたわけだが、あなたもまた・・・霞姫のただならぬ気配を感じたのですね?」
来斗さんが言う。
「その通り。相変わらず来斗くんはお利口ね」
意味ありげに微笑むと、花蓮様は僕らを中へといざなった。
そこには紺青と周辺の国の地図が広げてあり。
「実は・・・目星はついているんです」
来斗さんが言うと、へえ、と感心した様子で花蓮様が聞く。
「それは・・・どこかしら?」
すっ、と来斗さんが指差した先。
そこには『蘇芳』の文字。
「紺青ではこの西の火山帯一帯を『蘇芳』と呼んでいる。西方の説話や伝説の多くにこの蘇芳の地が出てくる、何か得体の知れぬ化け物や、幽霊や・・・だからおそらくここがオンブラの巣窟、あるいは」
僕らを見回すと、続けて言った。
「彼らが『妖力』と・・・ベルゼブと出会った場所なんじゃないだろうか」
「なるほどね」
花蓮さんが顎に手をやってつぶやく。
「詳しいことはよくわからないわ、けど・・・」
来斗さんの顔を見て、はっきりした声で言う。
「お姫様の『神力』を感じ取れる場所は、ここで間違いないと思う」
僕と来斗さんは顔を見合すと、お礼を言ってその場を辞する。
「正念場ね」
僕らの背中に向かって花蓮様がつぶやく。
「・・・そうですね」
「大丈夫?」
振り返ると、少し心配そうな表情で微笑んでいる花蓮様の姿。
「藍さんなら大丈夫です!しっかりされてますし、それに・・・」
「右京、あなたのことを言ってるのよ?」
じっと僕の顔を見つめる。
「玲央と同じであなたも優しいから・・・大丈夫かなって」
「・・・ありがとうございます」
来斗さんが隣にいるので、こんなことを言うのは少しはばかられたけど。
「僕は確かに紺青で沢山の人と出会いましたし、沢山の大事な人が出来ました。でも・・・やっぱり僕はよそ者ですから」
「よそ者って、お前・・・」
「来斗さんごめんなさい、変な意味ではないんです。孝志郎さんのこと一つとっても、僕が知ってる孝志郎さんはごくごく一部分でしかありません。一夜さんとだってすごく仲良くなりましたけど、それでもほんの1年足らずでしょ?知らないこと、たくさんあると思うんですよ。きっと来斗さんや藍さんや剣護さんの思いとは・・・比べ物にならないと思います」
花蓮様は神妙な顔で僕の話に耳を傾けている。
「だから、僕の務めは出来るだけ皆さんの負担を軽くしてあげること・・・それくらいだったら出来るんじゃないかなって、そう思ってます」
「・・・・・・そう」
「玲央はあんな形でも、ちゃんと約束通り戻ってきてくれましたから。僕は大丈夫です!」
笑顔で言う僕に、にっこり笑って花蓮様が言う。
「そう!じゃあ・・・しっかりやってらっしゃい」
その夜、都の騰蛇隊士がみな隊舎に集められた。
「霞姫が連れ去られた」
草薙さんが言うと、隊士達に動揺が広がる。
お静かに、と藍さんが制すと、続けて草薙さんが言う。
「姫を連れ去ったのは前白虎隊伍長内海蔵人だ。賊は西にある蘇芳の火山地帯に潜伏している可能性が高い」
静まり返った隊士達に言う。
「彼らの戦闘能力はおそらく十二神将隊の中でも1、2を争うほど高い。従って万全を期してここは俺たち、騰蛇壱番隊が姫様の奪還に向かうことになった」
皆を見回してにかっと笑うと草薙さんが言う。
「つまり、お前らなら大丈夫ってことだ!案ずるこたぁねえ。それに・・・騰蛇隊が護衛についていながらこういうことになっちまったんだ・・・落とし前は俺たち自身でつける。出発は明朝、いいな!?」
「はっ!!!」
隊士達がそれぞれ帰路に着き、隊舎は僕と藍さんと草薙さんだけになった頃。
そっと聞いてみる。
「草薙さん・・・大丈夫ですか?」
「あ?何のことだ?」
「何・・・って」
「蔵人くんのことですよ・・・伍長」
藍さんが代わりに言う。
「草薙伍長、蔵人くんとはずっと親しかったじゃないですか?あの日・・・彼の離反の時も、相当ショック受けてらっしゃるみたいだったし。右京様心配してくださってるんですよ?」
私だって、と付け加えるようにつぶやく。
草薙さんはいつになく硬い表情で、書類を片付けながら答える。
「仕方ねえって・・・お前いっつも言ってるじゃねえか」
「・・・そうですけど」
「そりゃ積極的にあいつを倒すぞって気分には・・・まだな。けど、あいつ止めなきゃなんねえのは事実なんだからよ・・・他の誰かにやらせるくらいなら、俺がやるよ」
堅い表情のままの淡々と言う草薙さんに、藍さんと顔を見合わせて小さくため息をつく。
その時。
「ちょっと・・・よろしいでしょうか?」
現れたのは・・・天一隊の槌谷伍長だった。
「・・・何か?」
藍さんが優しい声で訊ねる。
「私も・・・一緒に行かせていただけませんか!?」
「槌谷伍長・・・」
「無理なお願いだっていうのは重々わかってます。でも・・・」
じっと草薙さんの顔を見つめて静かに言う。
「じっとしてられないんです。だから・・・」
「槌谷・・・悪いけど」
「草薙くん!」
辛そうな草薙さんと槌谷さんの間に藍さんが入って言う。
「槌谷伍長には・・・別のお願いがあるんです」
穏やかな表情で諭すように藍さんは語りかける。
「騰蛇隊が留守にしている間、紺青の都の警備は手薄になってしまいます。勿論勾陣隊の片桐隊長や太陰隊の遠矢隊長にもお願いはしてありますが、一抹の不安は残りますので・・・天一隊のお力をお借りすることは出来ないでしょうか?」
「でも・・・・・・」
いつも穏やかで冷静で、微笑を絶やさなかった彼女。
それは内海伍長が去ってからの日々も変わらないように見えていた。
「お願いします!」
深々と頭を下げる槌谷伍長。
こんな痛々しい姿・・・初めて見た。
「本当に申し訳ありませんが・・・」
「じゃあ!ミカさんは孝志郎様に何かあったとしても、遠くで成り行きを見守っていることが出来るんですか!?」
「それは・・・」
藍さんの両肩を掴んで聞く槌谷伍長に、優しく言う。
「私なら・・・別に任務があればそれに従います」
「そんな・・・」
「私は草薙伍長を信じてますから」
はっとして草薙さんを見つめる槌谷伍長。
突然名前が出て、ちょっと動揺した様子で二人を見てぎこちなく笑う草薙さん。
二人を交互に見て、にっこり笑って藍さんは言う。
「ご安心ください、うちの草薙伍長はこう見えて結構頼りになるんですから・・・蔵人くんは大丈夫です。だから槌谷伍長は、どうかご自分の任務に専念されてください」
二人に歩み寄って、草薙さんが槌谷伍長に笑いかける。
「任せとけって!蔵人は俺が連れ戻すからよ」
「草薙くん・・・」
彼女はちょっとうつむいた後、意を決したように顔を上げると。
「そうね・・・」
そう言って微笑んだ。
目が覚めて、体の感覚がいつもと違っていることに気づく。
見えたのは・・・長い黒髪。
手を目の前にかざしてみる。
「人間の姿に・・・戻ったの?・・・・・・でも、一体・・・何故?」
『お前の力を最大限に引き出すためさ』
はっとして起き上がる。
私がいた場所は・・・大きな白い貝の中だった。
声を発したのはどうやらその貝らしい。
「私の力・・・」
『『玉』の力をもって・・・『三種の神器』を一つに集める。そして、世界を手にするのだ』
「あなたは・・・ベルゼブの手のものね?」
『いかにも』
「私は・・・あなた達には屈しないわ、絶対に」
『・・・どうかな?』
貝が金色に光る。
すると、全身からエネルギーが奪われていくような感覚に襲われた。
「ああ・・・・・・・・・」
『お前の『神力』・・・使わせてもらうぞ』
脳裏に、白くまばゆく輝く虎の姿が現れる。
『紺青へ・・・』
「・・・駄目っ!」
その瞬間、また『神力』が吸い取られていく。
「きゃぁ!!!」
遠のく意識の中、声が響く。
『何、殺しはしないさ。まだまだお前の力、存分に利用させてもらわねばならんからな』
火口に向かう洞窟の入り口に到着すると、そこには沢山のオンブラと白虎隊士の姿。
「あいつら・・・」
草薙さんが苦い表情を浮かべる。
背後には同様に戸惑う様子の騰蛇隊士たち。
平然とめいめいの武器を構える白虎隊士達。
その武器には一様に『妖力』が宿っている、そんな異様な気配がした。
「草薙伍長・・・自分は」
隊士の一人が白虎隊士の一人を指差して言う。
「彼の・・・同期です。とても・・・」
「あいつとは戦えねえ・・・ってか?」
うつむいて、悔やむようにつぶやく。
「・・・すみませんっ・・・・・・」
「だよな・・・」
ポケットからタバコを一本取り出すと、火をつけて草薙さんがつぶやく。
「いざとなるとな・・・」
その時。
冷たい空気が周囲を取り巻く。
青白い光が白虎隊士の両サイドに控えているオンブラ達に向かって放たれた。
「何!?」
凍り付いて、バラバラに砕け散るオンブラ達。
隊士達には直接当たっていないが、一瞬動揺したような様子になる。
そして、意を決したように雄たけびを上げてこちらに向かってきた。
草薙さんが厳しい表情で振り返って怒鳴る。
「・・・三日月!!!」
皆が注目する中、藍さんは隊士達の中から進み出て、僕と草薙さんの前、向かってくる白虎隊士達の最前線に立つ。
「お前なぁっ・・・」
「どうなさったんです?草薙伍長・・・」
背中越しに、表情の読み取れない淡々とした口調で言う藍さん。
「敵が迫っています。応戦せねば」
「・・・ですが三日月さん!!!」
「皆さんも一体どうしたって言うんですか!?」
声を荒げて、そのままの姿勢で言う。
「騰蛇隊の任務は紺青に害を成すもの、姫に害を成すものを征伐することです!今までの血のにじむような訓練は・・・そのためではありませんか!?」
「藍さん・・・」
白虎隊士達に向かって『氷花』を構える。
青白い光が彼女の周りに集まり。
「三日月っ!!!」
『スノウイング』!
『氷花』から放たれた吹雪は、先頭を走っていた10人ほどの白虎隊士を吹き飛ばした。
再度構えなおそうとする藍さん。
草薙さんはその背後に歩み寄ると。
思い切りそのポニーテールを引っ張った。
一瞬バランスを崩してがくんと後ろに仰け反った後、態勢を立て直して振り向いた藍さんが怒鳴る。
「いったぁーーーい!何するんですか伍長!?」
「てめえは!さっきの話聞いてなかったのかよ!?」
「聞いてましたけど、だから非常時だって申し上げてるんでしょ!!!」
「頭固ぇなぁ相変わらず!!!」
「草薙伍長は甘すぎるんです!!!昨晩の意気込みは何だったんですか!?」
怒鳴りあう二人を、騰蛇隊士達のみでなく、白虎隊士達も動きを止めて見つめている。
「あのなぁ・・・」
びしっと藍さんを指差して草薙さんが言う。
「三日月は人を何だと思ってんだよ!?ずっと友達だった奴がいきなり敵ですなんつって・・・頭ではわかってても・・・そう簡単にいくかよ!?」
厳しい表情で草薙さんを見つめ、藍さんが怒鳴る。
「だって仕方がないでしょう!?そんな友達持ったのが運のつきですよ!!!」
「血も涙もねえのかてめえは!」
ぐっと唇を噛んで一度うつむき、顔を上げて鋭い視線のまま静かに藍さんが言う。
「じゃあ・・・やっぱり草薙伍長は蔵人くんが霞様をどうにかしようっていうの、止められないっておっしゃるんですね?」
一瞬はっとした表情を浮かべ、再び藍さんを睨みつける草薙さん。
「なら・・・私が行きます」
「・・・三日月!?」
「藍さん!?」
騰蛇隊士達に向かって言う。
「皆さんも・・・どうしても出来ないっておっしゃるんなら、ここに残ってください。私は一人ででも・・・彼らを止めます!」
だって、と草薙さんの隣に立つ僕の顔をじっと見る。
「約束したんですもの、霞様に・・・三日月は霞様を絶対にお守りしますって」
「敵が孝志郎様でも・・・か?」
厳しい表情で、静かに答える藍さん。
「勿論です」
「僕も・・・行きます」
草薙さんが驚いた表情で僕の顔を見る。
「止めてきます、あの人たちを・・・そして」
にっこり笑って言う。
「必ず連れ戻します!霞様だけじゃなくて・・・内海伍長のこともね!」
その時。
『どうした?』
低い声が頭に直接響いてくる。
『皆のもの・・・怖気づいたか?』
この声は・・・・・・ベルゼブ?
白虎隊士達の握っている武器が黒い鈍い光を放つ。
それが収まったとき。
彼らの目つきが変わったのがわかった。
目には妖しい光が宿っている。
「『妖力』で・・・操られてるのか?」
つぶやく僕に、藍さんが言う。
「行きますよ右京様!みなさんどうか援護を・・・」
「待て三日月!」
草薙さんが『雷電』を抜いて言う。
「俺が行く」
「ですが・・・」
「わりいな、やっと腹が決まった!蔵人は俺が止める。だから・・・」
藍さんの肩をぐっと掴んで言う。
「お前は、隊士のみんなと一緒にこいつら止めててくれ」
草薙さんを睨んで、低い声で念を押すように聞く。
「・・・出来るんですね!?」
じっと藍さんの顔を見ると、ああ、とはっきりとした声で答える。
「お前にとっちゃ、俺はいつまでもヘタレの龍介かもしんねえけどな・・・俺だって伊達に騰蛇隊の伍長張ってるわけじゃねえ。部下に一番辛いところ任せて呑気に待ってられるか」
「そんなつもりは・・・ないんですけど」
「何でもいいから待ってろ!俺と右京で姫様は絶対守る」
少し明るい表情になって、藍さんがはい、と答える。
「いいか?くれぐれもやり過ぎんなよ!?お前は加減ってもんがわかってねーんだから」
「・・・はい!」
笑顔で答える藍さんに笑いかけると、草薙さんが僕に言う。
「行くぞ!右京!!!」
「はいっ!」
「橘右京と、騰蛇隊の面々がこちらに到着したようです」
口を閉ざした大きな白い貝の前にたたずむ藤堂隊長に言う。
「そうか・・・やはり、あいつらにはここがわかったのか」
「隊士たちは洞窟の入り口付近に配置しております。私は・・・」
「お前は中に残れ」
落ち着いた声が響く。
「橘右京や騰蛇のアタマの連中は必ずそこを突破してくるだろう。お前は、それを食い止めろ。俺は・・・ここでお姫さんを見張る」
「・・・はい」
「昔っからな、下っ端は入り口、中ボスは中盤、大ボスは奥と相場が決まってるもんだ」
妙な物言いをする藤堂隊長に背を向けて歩き出そうとしたとき、蔵人、と声がかかる。
「・・・後悔はないな」
「何ですか?」
「都には・・・未練はないなと聞いている」
ふっ、と天を仰いで笑う。・・・何を今更。
「勿論です。僕には親も兄弟もいませんし・・・真に恩義を感じているのは藤堂隊長と孝志郎様、ただお二方のみですから」
「そうか、お前は・・・・・・戦災孤児だったな」
紺青が周囲の国々と戦い、その結果家族を失って難民となった人間は数多い。
その大半は行き場所を失って、紺青のはずれにスラム街を形成して身を寄せ合って生活している。そこは日々犯罪の横行する、希望も夢もない世界・・・
「お任せください、藤堂隊長。彼らは・・・僕が止めてごらんにいれます」
回想を断ち切り背中越しにそう言うと、僕は藤堂隊長と霞姫を飲み込んだ巨貝のいる奥の間を後にした。
蔵人から霞姫を手中に収めた、という報告が入った。
「蘇芳の火山に入ったらしいけど・・・右京と龍介を始めとする騰蛇隊伍長隊の人間がその奪還に向かっているらしい」
『右京・・・『水鏡』の皇子か』
それに、と黒水晶がつぶやく。
『韓紅の娘もその中にいるのだな?』
「藍のこと?・・・・・・ああ、おそらくね。彼女は騰蛇隊の人間だし、何といっても霞様の腹心だから」
『予断ならんな』
孝志郎と二人、じっと黒水晶を見つめる。
『今までの連中はいわば捨て駒だ。今後のお前たちの命運は・・・彼らに掛かっていると言っても過言ではないからな』
ベルゼブの声に、色をなす孝志郎。
「捨て駒・・・だと?」
『そうだ。『竜生九子』も然り・・・最後の総攻撃に向けて紺青の戦力を削ぐこと、それがあくまで今までの連中に課せられていた役割と言ってよかろう。そしてそれは・・・十分に達せられてきている。次は・・・『玉』だ』
「そう・・・だな」
顔を強ばらせて、なんとか笑って孝志郎が言う。
「藤堂と蔵人なら大丈夫だ。白虎隊は他の隊と違って常に最前線で実戦経験を積んでいる。隊士達もおそらく・・・紺青でのんべんだらりと暮らしている騰蛇隊の連中なんかよりずっと洗練されてるよ」
『だと・・・よいな』
ちっ、と舌打ちすると、コートを羽織って出て行く。
「蘇芳に行ってくる!一夜、留守は任せたぞ」
その背中を見送りながらつぶやく。
「まったく・・・熱いんだから孝志郎は」
その場には俺と『ベルゼブ』と名乗るオンブラの宿る、黒水晶のみが残った。
黒水晶に向かって話しかける。
「あんたさ・・・本当は最初から分かってたんじゃないの?こういう展開になること」
黙っている黒水晶に向かって続けて言う。
「孝志郎を味方につければ、あいつに心酔する人間があんた側につくだろう、そして・・・その連中と十二神将隊を戦わせることで更に紺青の戦力を削ぐことが出来る。最後に例え孝志郎が右京達に負けたとしても、その時の紺青はおそらく裸に近い状態になっているだろう。そこをあんたとあんたの最終兵器で総攻撃をかけるわけ。違う?」
『面白い考えだな』
「まぁね。天邪鬼だから、俺」
ふっ、と笑って言う。
「悪い奴だね、あんた」
『お前は・・・どうなのだ?』
何気なく、言葉を発する黒水晶を見つめる。
『『神器』に『妖力』を付すること、更なる力を得ること・・・紺青から来た人間どもの中で、それを望まぬのは・・・・・・お前だけではないか』
「・・・そうだねぇ」
笑って言う。
「『大通連』の力にはかなり自信があるからね」
『力が欲しいとは・・・思わぬのか?』
「力ねえ・・・」
その時、突然の発作。
満足そうにベルゼブがささやく。
『力が必要なのは『神器』ではなく・・・お前自身のようだな』
「・・・・・・どう・・・・・・かな?」
『強がりおって・・・お前もまた・・・・・・最初からそのつもりだったのではないか?』
発作が収まって、大きく一つため息をつくとつぶやく。
「それは違うな。けど・・・」
かすむ視界の中、手のひらを見つめる。
「・・・もう・・・・・・少しだけ・・・」