Ep25 風牙
士官学校に入学した頃、僕はすごく弱くて学年一のいじめられっ子だった。
同期の不良グループにからまれて殴られたりなんてことは日常茶飯事だったけど、士官学校ってところは反抗する力を持たない“弱い奴”に対して非常に冷たい所だ。
だから教官に告げ口したり彼らを咎めたりなんてことをする奴は一人もいなかった。
けどせっかく入学出来た士官学校、そう簡単にドロップアウトするわけにはいかない。
おかげで、前期の講義が終わる頃には逃げ足だけはものすごく速くなっていた。
『おい、待てよ風牙!』
そんなこと言われて待つ奴はいない、僕は全速力でキャンパスを走っていた。
はずみで入ってしまったのは、中央棟と呼ばれる建物。
その建物は通常の講義に使用される教室はなく、図書室とか資料室とかいった付属的な部屋の集まっている非常に人けの少ない建物なのだ。
・・・まずい。
『おい、あいつ馬鹿じゃねーの!?』
笑いながら追っかけてくる彼らから逃げるため、とにかく上へ上へ駆け上っていく。
『あいつ、あの上・・・知らねーのかよ!?』
『おい、やばいんじゃねえか?』
『・・・やめとこうぜ』
そんなことを言っている奴らの声が小さくなっていく。
『いいんじゃねえの?あいつ』
『・・・ちょっと見ものだけどな!』
くすくす笑っている声。
一体なんだって言うんだよ?
後ろに気を取られていたら、いきなりどん、と人にぶつかる。
『うわっ!!!』
それは制服の、すらっと背の高い青年の姿。
心臓が止まるかと思った。
『何や?お前・・・』
“浅倉愁”だ・・・・・・
この学校を牛耳っていると噂の、4年生グループの一人。
一番逆らってはいけない人物と言っても過言ではない。
どうしよう。
『え・・・・・・と・・・・・・・・・あの・・・』
がちがちになって、何も言えなくなってしまう。
足ががくがく震える。
とにかく・・・謝らないと。
『も・・・申し訳ありませんでした!!!』
思い切り頭を下げて、大声で言う。
屋上に出る扉のある踊り場にその声が響き渡った。
ちょっと頭を掻きながら、彼は別にええけど・・・とつぶやく。
『けど自分、ここから先は行かんほうがええと思うよ?』
『え!?』
ちょっと扉を開いて、ほら見てみ、と僕を促す。
・・・げげっ。
『ここ・・・僕らのたまり場やねん。あんましほかの生徒は立ち寄らんから・・・多分』
『は・・・・・・はい』
あいつら・・・さっき下でこのことを言ってたんだ。
ライオンの檻に自ら飛び込んでいくようなもんじゃないか。
あっちでもこっちでも逃げてばっかりで・・・なんでいつもこうなんだろう。
そう思ったら、思わず涙が溢れてきた。
『お前・・・どないした!?』
僕の顔を覗きこむ、浅倉愁。
『いえ・・・・・・なんでもないです・・・・・・すみませんでした、以後気をつけます・・・』
やっとのことで言いながら、失礼します・・・と深々と頭を下げて立ち去る。
とにかく、彼に殴られたり怒鳴られたりしなくてよかったし、何より屋上に飛び出してしまう前に止めてくれて良かった。そう思いながら。
背を向けた僕に、彼は思いがけないことを言う。
『あいつら、懲らしめたろか?』
ぎょっとして振り返る。
『え!?』
『さっきここ来る途中聞こえたで。ガラの悪そうな兄ちゃん達がなんや色々言っとったの、君のことやろ?』
『・・・そうだと思いますけど』
『僕な・・・ああいう奴ら、めっちゃ嫌いやねん』
ぞっとするほど恐い目で、口元だけで笑って言う。
『い・・・いやいや!結構です!お気持ちだけでその・・・いつものことですから』
『いつもやったら、余計あかんやろ?』
『いえ!その・・・気にしてませんから僕!』
慌てて言う僕に、ちょっと優しい顔になって言う。
『じゃあ、さっきは何で泣いたんや?』
『それは・・・・・・』
黙ってうつむく。
大きな手がふわっと僕の頭に触れた。
『大丈夫。僕に任しときって』
蛇に睨まれた蛙とはまさにこのこと、という光景だった。
浅倉愁は僕をひっぱって奴らのいる教室にずかずか入っていくと、
『さっきこいつ追っかけてたん、お前らやな?』
とよく通る低い声で訊いた。
しんと静まり返る教室。
一人がやっとのことで答える。
『それは・・・あの・・・・・・ほんの冗談っすよ』
へぇ、とさっきと同じ恐怖の笑みを浮かべる。
『冗談?へぇ〜そうか。いつもこうやって遊んでるんやな?』
『いやいやそんな!たまたま今日だけっすよ・・・なあ、風牙?』
どきっとして固まってしまった僕の肩を、浅倉愁がぽんっと叩く。
そして、じっと奴らを睨みつけて言った。
『いつも・・・見えてんねんで?屋上から、お前らのこと。ちょっと・・・調子乗ってんのとちゃうか?』
真っ青になる不良グループの面々。
お前らよう聞け、と周囲で成り行きを見守っていた生徒達に言う。
『今後、こいつらが月岡に手出すの見たらすぐ僕に報告すること!お前らもよーく覚えとき、逆恨みする・・・いうんは“孝志郎はん”が一番嫌うことやからな』
大ボスの名前が出て、その場の全員が凍りつく。
邪魔したな、と笑って僕を振り返る。
『ほな、行こか』
木陰のベンチまで行ったところで、僕は土下座して感謝の気持ちを伝えた。
『本当に本当に、ありがとうございました!あなたは僕の命の恩人です!!!』
『おいおい・・・大げさやなぁ』
いつも遠目に見て恐い恐いと思ってたけど、こんなに優しい人だったなんて。
また僕の頭を撫でて、浅倉愁は言った。
『僕も・・・1年の頃はお前みたいにチビだったんや』
『うそ!?』
『うそやないよ・・・ああいう連中にからまれたりもしたし。けど体格で負けてもな、気持ちで負けたらほんまに負けやで!』
優しい顔で彼は言う。
『僕もあなたみたいに・・・なれるでしょうか?』
おずおずと聞いてみる。
『それは・・・お前しだいやろな』
『ええー!?そんなぁ』
『そんなぁ、やない!今のまんまじゃ到底無理や』
なんか得意なこととかないんか?と聞く。
一生懸命考えて答える。
『剣術・・・なら、ちょっとだけ得意です』
『ほんなら、まずはそれを磨くことやな。うちの一夜とか、剣護とかに負けへんくらいに』
そりゃ・・・無理だ。
がっくりした顔の僕に、ほらそれが駄目なんや、と言う。
『出来るて思ってやらんと、出来ることも出来るようにはならへんで?』
『さっきから・・・おっしゃることが難しくてよくわかりません』
そうだ!
ひらめいて言う。
『僕を、愁さんの弟子にしてください!!!』
ぽかんとした顔。
『僕はご覧の通りチビで弱っちいですけど、パシリでも何でもやりますから』
この人の近くにいたら、僕もこんな風になれるかも知れない。
この短い時間で、僕は浅倉愁という人に心底ほれ込んでしまった。
ちょっと困った顔をして、彼はつぶやいた。
『まぁ・・・ええけど』
『いいんですか!?』
『お前の好きにし・・・』
いつもの面子が朱雀隊舎に集まることは珍しいことだ。
右京、龍介、藍、来斗、剣護と、加えて師匠までいる。
そして、師匠の隣にニコニコ笑って立っている一人の女性。
「師匠の奥方・・・ですか?」
「そうでーす!花蓮と申しますの。愁くん、よろしくね!」
確かに・・・藍によく似ている。
この事実、先日朔月邸で聞いた話と一致している。問いただす手間が省けてしまった。
お前知ってたか?という目で来斗を見ると、うなだれて首を振る。
「右京の郷里に潜伏しておられたそうなんだが」
「すいません・・・こんな騒ぎになるなんて思いませんで・・・」
しょんぼりと言う右京。
「あらぁ、右京のせいじゃないでしょ!?」
「右京どの、花蓮の申す通り!全部悪いのは悪ふざけが過ぎるこの花蓮だ!」
あきれたような声で言う師匠。
こんなに感情的になっている師匠を見るのは生まれて初めてだ。
「ひっどーい、そんな言い方ないじゃない秋風!」
ノリまで藍にそっくりだ。
龍介が色々言っているみんなに、いいじゃねえか!と呼びかける。
「三日月が朔月公の娘、なんてびっくりだけどよ。天涯孤独って思ってた三日月に父親がいることが分かって、母上までご健在だったんだぞ!めでてえことじゃねえか。なあ剣護!?」
「あ!?ああ・・・確かにそうだ」
「三日月も笑え笑え!!!よかったな、かあちゃんに会えて!」
「そ・・・そうですね」
認めるのは癪だが、龍介の切り替えの早さと順応性の高さは天下一品だと常々思う。
「僕も同感や」
笑って言う。
花蓮と名乗った女性が、じっと僕の顔を見る。
「な・・・なんですの?」
「いえ、何でもないわよ」
にっと笑って答える。・・・変な人。
「けど・・・なんで今まで黙ってたんだ?」
剣護が言う。
「それは・・・」
ちょっと口ごもる藍。
朔月公に会ったのは、この国に来て一ヶ月ほど経った頃だったという。
父親のほうの反応も薄いし、最初は気のせいだろう・・・と思っていたそうで、言い出しそびれたというのが藍の主張だった。
「それに今更・・・この頑固親父の娘なんて・・・言えるわけないじゃない!」
「藍・・・」
低い声でつぶやく師匠。
「まあそれもだな、きっとやむにやまれぬ事情があったんだろうよ、朔月さまのほうにも」
もっともらしい言い方をする龍介。
「お前って・・・底抜けにポジティブだよな」
剣護がつぶやく。
右京が近づいてきて言う。
「・・・びっくりしました?」
「ああ・・・ちょっとな」
実は盗み聞きしました、とは言えない。
「僕・・・こんなにスムーズに3人を会わせることができてよかったと思ってます」
「そうやな」
花蓮様に振り回されて文句ばかり言っているが、あんなに楽しそうな師匠を見たのは初めてだ。親の記憶も何も無い自分の身の上を考えると、うらやましいことこの上ない。
そういえば・・・
風牙はどうしているだろうか?
無線を手元に引き寄せた時。
どきっとした。
何か音がする・・・
繋がっている?
しかし遠いようだ。
しっ、と皆に合図する。
『どうして、ここがわかったんですか?』
風牙の声。
誰かと話しているようだが、相手の声はよく聞こえない。
『そうか・・・十六夜隊長ですね?』
皆が凍りつく。
孝志郎の手の者・・・誰かと一緒なのか?
その時、楽しそうな笑い声が響いてきた。
同時に、声も少し近づいてくる。
『さすがに鋭いな、風牙は。伊達に朱雀隊の伍長さん張ってるわけじゃないってことか』
・・・一夜!?
「何なの?これ・・・」
低い声で花蓮様が聞く。
おそらく・・・と小声で答える。
「身の危険を感じて・・・無線をオンにしたんやと思います」
「それって・・・やばくない?」
顔が青ざめるのを感じながら、小さく頷く。
「けど・・・あいつは西にいるんです・・・今から行っても間に合うかどうか」
「そう」
皆の視線を一点に集めながら、彼女はついてきて、と同じ調子で言った。
「秋風と剣護くんと龍介くんは留守番。藍と右京と愁くんには、風牙くんとやらの所へ即急に辿り着ける手段、教えてあげるわ」
何か言おうとする剣護に鋭い視線を送って黙らせると、花蓮様は隊舎を後にする。
慌てて僕達は後を追った。
『青龍偃月刀』を抜いて、構える。
「・・・抜いたね」
楽しそうに笑う一夜さん。
こういう表情は昔から変わらない。
俺は平和主義者なんだよ、と穏やかに笑いながら彼は、自分に降りかかった火の粉は容赦なく振り払っていく。学生の頃に恐いもの知らずの連中が喧嘩を吹っかけたときも、勾陣隊に入隊する時の隊長直々の入隊テストのときも、隊長就任後旧隊長派の隊士達に反発されたときもそうだった。
旧隊長派の一斉攻撃をたった一人で退けた時のことだ。
まだ学生だった僕はちょうど学校帰りに勾陣隊の傍を通りかかり、最初の目撃者となった。
剣護さんは見回りに出ていて近くにいない様子だったので、愁さんに知らせようか・・・と一瞬思ったが、その必要がないことをすぐに思い知ることになる。
抜刀した隊士たちに楽しそうに笑いかけると、彼は言った。
『抜かれちゃうとちょっと・・・手加減は出来ないけど、いいのかなぁ』
それを聞いて頭に血が上った隊士達が一斉に切りかかる。
しかし次の瞬間、彼らは一気に切り捨てられていた。
周囲は血の海となる。
何がどうなっているのか、僕には全然分からなくて・・・ただただ立ち尽くしていた。
白い肌に真っ赤な返り血を浴びた一夜さんは、僕に気づいて振り返ると言った。
『これって・・・正当防衛だろ?』
状況に全く動じる様子はなく、屈託なく笑いながら・・・
「風牙も強くなったね。俺の知ってるお前なら、とっくに逃げ出してると思うんだけど」
「黙れ!!!」
自分の中の臆病風を吹き飛ばすように怒鳴る。
「一夜さん!僕は昔からあなたの剣術に憧れていましたし、すごくお世話になりました。でも・・・こうやってあなたが反逆者となったからには、僕はあなたと戦わざるを得ません」
「・・・言うじゃないか」
すっと重心を落とす。
・・・来る!
と思った瞬間、目の前に一夜さんの顔があり。
慌てて迫る刀を自分の刀で受け止めるが、その重さに少しよろける。
「あなたから仕掛けてくるなんて・・・珍しいですね」
「そうだねぇ・・・これも全て、君に敬意を表してのことさ」
そのまま矢継ぎ早に繰り出される刀。すごいスピード。
「わわわ・・・・・・」
必死で食い止めるが、どんどん壁側に追い込まれる。
「速いね!なかなか」
どんっ、と背中が壁に当たる。
目の前には刃を突きつけた一夜さんの笑顔。
ぞっと背中を冷たい汗が流れる。
「どうする?愁を呼ぶかい?」
「不要です!」
体をぐっと縮めると、刀を横に大きく一閃する。
後退してかわす一夜さんの袖が少し、それに触れて切れたようだった。
ぞっとするほど楽しそうな笑み。
恐怖を振り払って、『神力』を集中させる。
『蒼竜』!!!
青白く光る水の刃が一夜さんに襲い掛かる。
『大通連』でそれを受け止めながら、ズズズ・・・と後ろに押される。
「もういっちょ!!!」
構えなおして、別の角度に繰り出す。
「!」
かっと目を見開くと、一夜さんは第二波の到来より一瞬早く、唱えた。
『烏帽子』
『大通連』から放たれた空気圧が水の刃を押し返し、二つが合わさって僕に向かってきた。
「うわっ!」
『青龍偃月刀』で受け止めるが・・・力が足りない。
「うぐっ・・・」
吹っ飛ばされて、さらに空気圧が刃となって僕の体を切り刻んだ。
どさっと崩れ落ちる僕。全身を貫く痛み。
ひたひたと近づいてくる足音。
「さすが・・・伍長さんだね、風牙」
動じる様子のない、いつもの笑いを含んだような声。
・・・まだ・・・・・・
僕は動ける!
一気に起き上がると、痛みに耐えながら構え、素早く唱えた。
『黒竜』!
刀身から水の塊が放たれ、とっさに刀を構えた一夜さんを吹き飛ばす。
反対側の壁に叩きつけられ、ずっ、と崩れる。
・・・まだだ。
流れる血をぬぐい、構えて待つ。
うなだれた彼は・・・突然笑い出した。
「すごいじゃないか風牙・・・なんて愉快なんだろう!?」
ふらふらと立ち上がると、じっとこちらを見た。
楽しそうな声と裏腹に・・・その目は、笑っていなかった。
「こんなに楽しいことは久しぶりだよ」
花蓮様の言う方法とは、またも信じがたいものだった。
城下で一番高い時計塔に登ると、南に向かって両手をかざす。
「一体何をするんですか?」
「・・・黙って、右京」
ぶつぶつと何か言う。誰かと話しているようでもある。
「右京様・・・あの人・・・」
こそっと耳元で藍さんが言う。
「本当に・・・私の母親なの?」
「よく似てるし・・・間違いないと思いますけど・・・」
急に大きな声になる花蓮様。
『5分?そんなにかかるわけないでしょ!?』
エコーがかかったような声。
『君も知ってるでしょ?風牙くん。彼のピンチなのよ?』
低い声で言い放つ。
『10秒で来て』
急に空に暗雲が立ち込める。
「何や!?」
愁さんが叫ぶ。
10秒も経たないうちに現れたのは・・・南の洞窟にいた、あの幼鷲だった。
『いい子ね・・・』
花蓮様の目が、青く光っているのに気づく。
彼を撫でながら言う。
『私の力を貸してあげるから・・・この子達を西へ』
鷲は白く光り輝くと、一瞬で親鷲と同じ大きさになった。
「乗って!」
くるっと僕らに振り返ると花蓮様は怒鳴った。
「この子まだ子供だから15分しかもたないの!」
促されて、鷲に乗る。
鷲は大きく羽ばたくと、猛スピードで西に向かった。
「振り落とされないように気をつけてねーーー!!!」
花蓮様の声が遠く聞こえる。
必死で鷲にしがみつきながら、愁さんもつぶやく。
「右京はん、あの人・・・いったい何者なんや??」
鋭い金属音が鳴り響いて、一夜さんの攻撃をかろうじて受け止める。
スピードだけじゃなく、重さも半端じゃない。
この華奢な体のどこにこんな力があるんだろう。
なんとかついていくのが精一杯。
その時。
一瞬動きが止まった。
今だ!
体をひねって構え直し、反撃に出る。
しかし、動く気配のなかった刀が鋭く僕の刀を払う。
何!?
ぐらっとバランスを崩す。
『巴』
ずん、と空気圧が大砲の玉のように僕の体に突き刺さる。
みしっ・・・とあばらにヒビが入ったような感覚。
壁に叩きつけられて、背中に重い痛みを感じる。
さっきのは・・・罠か・・・
先ほどの傷からは、依然大量の血が流れる。
一夜さんは『大通連』を鞘に収めると、『小通連』に持ちかえ、唱えた。
『疾風』
竜巻が起こり、体が空中に巻き上げられる。
「うわあああ!!!」
『青龍偃月刀』を握る手にぐっと力を込めて、放さないようにするのが精一杯だ。
落ちてくる僕に向かって、再び『大通連』の刃先を向けると、唱える。
『烏帽子』
高圧の空気が右肩とわき腹を貫く。
「うっ・・・!」
「これで決まり・・・かな」
冷静な一夜さんの声。
どさっと地面に崩れ落ちる。
どくんどくんという心臓の音に合わせ、全身を痛みが走る。
薄れていく意識。
ここまでなのか・・・
『泣くな!風牙』
『だって・・・』
剣術の試合で負け、孝志郎様に思いっきり怒鳴られた日のこと。
『僕にはこれしかないっていうのに・・・情けねえぞって孝志郎さんにも言われちゃって』
『あほやなぁ。そのくらいのことで・・・』
『僕、愁さんに見捨てられたら・・・一体どうしたらいいんですかぁ・・・』
嘆く僕に、不思議そうな顔で尋ねる。
『・・・孝志郎はんに怒鳴られたことと僕と、何の関係があるんや?』
『だって・・・孝志郎さんがもうあいつには関わるなって言ったらさ・・・愁さんもう僕と一緒にいてくれないでしょ?』
ぎくっと表情が固まる愁さん。
しかし、すぐに思い直したように笑って言う。
『お前なぁ・・・孝志郎はんが何て言うても、僕はお前の味方やで』
『ほんと・・・ですかぁ・・・?』
『ああ。どこにいたって、どんなことがあったって、お前の味方や。今までも、そしてこれからもな』
感動して、涙をぬぐって言う。
『僕・・・僕も・・・愁さんのために一生懸命がんばります!』
『・・・そやな。僕に恥かかさんように、強くなってや、風牙!』
僕は・・・
愁さんの“舎弟”なんだぞ?
今までも・・・そしてこれからだって。
こんなところで・・・ちゃんとした報告もしないでくたばるなんて。
きっと・・・愁さんに笑われる。
『青龍偃月刀』・・・力を貸してくれ。
僕の・・・最後の力。
『青龍偃月刀』が青く光輝く。
重い体を持ち上げると、じっと一夜さんを睨みつけ、構えた。
首をかしげて、くすっと笑って言う。
「そんな体で・・・まだやる気?」
『神力』を集中させると、目を閉じる。
腹の底から声を絞り出し、唱えた。
『九頭竜』!!!
水が九つの竜の首となって、一夜さんに喰らい付く。
「何!?」
竜は一夜さんに鋭く喰らい付くと、高く空に巻き上げ、そして地面へと叩きつけた。
鈍い音と共に、地面に倒れる。
・・・やったか。
一夜さんの薄藍の着物が流れる血に染まっていく。
そして・・・かすかに咳き込む声・・・
倒れそうになるのを必死にこらえ、懐の無線機を取ろうとする。
苦しそうに咳をしながら、一夜さんはゆっくりと立ち上がった。
「風牙・・・まだだよ・・・・・・」
「・・・そんな・・・」
彼の抜いた刀は、初めて見る『顕明連』だった。
一夜さんが光のベールに包まれる。
その波長に共鳴して、周囲の瓦礫がカタカタと音を立てて動いている。
まずい・・・
もう・・・防ぎきれない・・・・・・
一夜さんはぐっとこちらに鋭い視線を向けると、刀を両手で構えて唱えた。
『妙光』!
『顕妙連』から放たれた幾つもの光の筋は一斉に襲い掛かり、僕の体を貫いていく。
鷲は私達を地面に降ろすと、また大きく羽ばたいて去っていった。
広がった光景にぞっとする。
夕焼けに染まる要塞。
血に染まって倒れている朱雀隊士達。
「たい・・・ちょう・・・・・・」
足元で、うめくように愁を呼ぶ声。
「大丈夫か!?どうなってるんや、これは」
「こう・・・しろう・・・・・・さまが・・・・・・」
「孝志郎!?一夜やなくて、孝志郎はんなんか!?」
必死に隊士たちに呼びかける愁。
何かに反応したように、びくっと体を硬直させる右京。
「どうしたんです!?」
「僕・・・」
いきなり要塞と反対方向に走り出す。
「どうしたんですってば!!??」
「藍さんはここにいてください!!!」
どうしよう・・・
とにかく、風牙を探さなきゃ。
愁が隊士達を介抱している要塞の裏側に回る。
その時だ。
目の前に人の気配がした。
ぱっと右手を肩の高さに掲げる。
自然と私の右手もそれに合わせて高く上がり、ハイタッチするような形になる。
・・・それは条件反射のようなものだった。
「一夜!!!」
遠ざかっていく後姿に向かって呼びかける。
しかし。
後姿は何も言わずに高く掲げた右手をひらひらと揺らして、そのまま立ち去っていった。
西に沈む夕日に・・・溶けていくように。
「気づいたみたいだな、右京さん」
低い声で笑って言う、孝志郎の姿。
「あなたが出てくるなんて・・・思いませんでした」
「退屈だったもんでな」
『水鏡』を抜きざまに、切りかかる。
大きな刀でそれを受け止める、孝志郎。
「速いな!さすが三国一の剣豪」
「あなた達の好きにはさせません!!!」
次々と刀を繰り出すも、受け止められてしまう。
しかし一瞬の隙を見つけ、右腕に力を込めて鋭く切りつける。
『水無月』!
孝志郎の右腕から血がほとばしる。
少し距離をとって腕をかばってうずくまると、やるじゃねえか、とつぶやいた。
「そんじゃあ次はこっちの番だな!!!」
『火蜥蜴』!
刀から火の塊が放たれ、僕の右手に喰らい付く。
「!!!」
『水鏡』で振り払うが、ジュ・・・と音を立てて焦げた匂いが立ち込める。
火傷の鋭い痛みと、噛みつかれてえぐられるような痛み。
孝志郎は再度構え、唱える。
今度はもう一回り大きい火の塊が飛んでくる。
『水天』!!!
火の塊と水の盾が激しくぶつかりあい、まぶしい光が放たれる。
すごい重さ。
『神力』を集中させ、必死にそれを受け止め続ける。
蒸気が立ちこめ、霧が周囲に広がっていく。
「やるじゃねぇか、右京!」
「・・・黙れ!」
その時、背後から声がした。
「孝志郎・・・何遊んでるのさ?」
一夜さん!?
首に殴られたような鈍い痛みが走る。
そのまま、意識が遠ざかっていく。
「一夜・・・お前はなかなか苦戦したみてえだな」
「ま、ね。ちょっと甘く見すぎてたかもしんないな」
「そうか・・・」
遠ざかる意識の中で、そんな言葉が耳に残る。
月岡伍長・・・
「風牙!!!」
要塞の最上階に倒れていた風牙は、かすかに息をするのがやっとといった様子だった。
全身に無数の深い傷、打撲もひどい。
風牙の周りは一面、血の海だった。
先に来ていた藍は、両手を口にあてて真っ青な顔で立ち尽くしている。
駆け寄って、風牙を抱き上げる。
「風牙!大丈夫か!?」
「しゅ・・・う・・・さん・・・・・・」
かすかに目を開け、震える手を僕に差し伸べる。
「きて・・・くれたんですね・・・・・・」
「そうや!もう大丈夫やから、それ以上しゃべるな!!!」
「すい・・・ません・・・・・・ぼく・・・・・・やっぱ・・・かないません・・・でした・・・・・・」
激痛に顔をゆがめる。
「風牙!」
差し伸べた手を握り締める。
「・・・けど・・・がんばった・・・でしょ?」
周囲の様子からして、“相手”にも相当なダメージを与えたらしいことがわかる。
「ああ!よう頑張ったな!たいしたもんや」
へへ・・・と力なく笑う。
そしてその目から大粒の涙が流れた。
「ほんとは・・・・・・すごく・・・こわかった・・・です」
士官学校の記憶がよみがえる。
チビで泣き虫だった風牙。
桜の咲く季節。
誇らしげに笑って僕の目の前に突き出したのは『恩賜の短剣』だった。
『へえ、すごいやんか』
ちょっと顔を赤らめて、へへへ・・・と笑うと言った。
『見てくださいここ!いちにいさんしいご、5つついてるんですよ!石』
『・・・当たり前やろ?』
何も言わずに嬉しそうにへらへら笑っている風牙。
『お前それ・・・僕より4つ多い、とか言うんやないやろな?』
低い声で訊くと、さっと青ざめて凍りついた。
『僕のこと・・・馬鹿にしてるん?』
ぶるぶるぶるっと大きく首を横に振る。
ちょっと可哀想だけど、相変わらずな様子にちょっと安心する。
『お前が来るなら・・・いよいよやな』
『え!?』
目を丸くして言うが、意図するところは明らかな様子。
あんな隊長を倒すのなど、本当はいつでもよかったのだ。
だが僕には風牙だ、と決めていた。
『風牙、心の準備はええか?』
一瞬顔をこわばらせたが、
『はい!』
笑って力強く答える。
それが始まりだった。
愁さん、と呼びかける弱々しい声。
「何や?」
気づくと、僕の声も震えていた。
一筋の涙が流れ落ちる。
「あさくら・・・たいちょう・・・・・・すざくのみんなのこと・・・おねがい・・・します・・・・・・」
「何言うてるんや!?しっかりせえ!!!」
泣きながら風牙を怒鳴りつける。
またどなる、と弱々しく笑って風牙はつぶやく。
「でも・・・ぼく・・・しゅうさんにどなられるの・・・やじゃなかったです」
かける言葉がみつからない。
その手を強く握り締めるのが精一杯だった。
涙を流しながら風牙は、微笑んで言う。
「あなたに・・・あえて・・・・・・ほんとうに・・・・・・よかっ・・・」
握っていた手が、体が、急に重くなる。
「風牙ーーー!!!」
僕は風牙を抱きしめて、叫んでいた。
僕の記憶が確かなら・・・
こんな風に、誰かのために涙を流したのは生まれて初めてだ。
右京、と呼びかける声に、うっすらと目を開ける。
立っていたのは、草薙さんだった。
「大丈夫か!?」
そこは天后隊の病院のベッドの上。
聞くと、花蓮様がさっきの鷲の力を借りて、何往復かさせたらしい。
倒れていた隊士の大半は病院に運ばれたそうだ。
息のあるもの・・・という意味だが。
「月岡・・・伍長は?」
「・・・・・・」
「ねえ、草薙さん!?」
「まだ・・・わかんねえ」
「!?」
「あいつ・・・一夜さんとガチンコやったらしいんだけど・・・宇治原さんが『ケリュケイオン』を使って蘇生を試みてるが・・・重体らしい」
「そんな・・・」
「でも、ラッキーだったんだぜ?ほんとに心臓が止まる寸前っていうか。そこに宇治原さんが駆けつけたんだからよ」
「でも・・・助からなければ・・・・・・ラッキーでもなんでもないでしょ?」
「・・・・・・まあな」
深刻な顔で頭をかいて、つぶやく。
病室の前のベンチで片膝を抱えて座っている愁をぼんやり見つめる。
一夜・・・
昔からそうだった。
教室で次の講義の準備をしていると、突然立ち上がってつぶやく。
『・・・決めた!さーぼろっ』
『えっ!?』
そしておもむろに右手を出すと、思わず差し出してしまった私の右手にぱんっとハイタッチをして、教室を出て行ってしまう。
士官学校のキャンパスでも、卒業したあと街を歩いていても、すれ違う時必ず一夜はそうやって右手を掲げて、ハイタッチを交わすのだった。かわいらしいお嬢さんと街を歩いているようなときでさえ、あの子は私の姿を見つけると、右手をぽんっと合わせて、すれ違った。
ごく自然なことのように、さりげない様子で。
私もそれはほとんど条件反射になってしまっていた。次は絶対やらない!と決心していても、すれ違いざまにそうやって右手を挙げられるとついつい、調子を合わせてしまうのだ。
すれ違った後ひどく後悔したこともたびたびある。一緒にいたお嬢さんの鋭い視線とか、教官の厳しい目つきとか・・・
だけど・・・
こんなに後悔したのは初めてだよ。
あの子・・・何てことを・・・・・・
「待たせたな」
宇治原さんが出てきた。
駆け寄る愁に、まあ落ち着け、と低い声で言う。
「一命は・・・とりとめた」
がくっと膝の力が抜けて、崩れこむ愁を支える。
「大丈夫!?愁くん」
「・・・ああ」
けどな、と依然低い声で言う宇治原さん。
「昏睡状態であることには変わりない。いつ目が覚めるかも正直分からん状態や」
「そんな・・・・・・」
「けど、風牙のやつよう頑張りおったで。『神力』も生命力も、もう消えかけのところを一生懸命踏みとどまったんやからな」
「・・・ありがとうございました!宇治原はん」
「まあ・・・感謝されるような状況かは、まだようわかれへんけどな」
他にも重症患者は沢山いるのだ。タフな宇治原さんは、次の患者の元へ去っていった。
無理を言って、風牙の病室に入れてもらう。
点滴や機器の沢山のチューブに繋がれて、風牙は眠っていた。
さっきより、わずかだが顔色はいいように見える。表情もずっと穏やかだ。
「風牙・・・大丈夫だよね?」
つぶやく私に、愁はきっぱりと言った。
「当たり前や!・・・僕の舎弟なんやから、こいつは」
「風牙、一命を取り留めたそうですよ?」
十六夜隊長の仕入れてきた情報を、窓際で頬杖をついてぼんやり夜空を見つめていた一夜さんに伝える。
あ、そうなの。
彼はこっちをちらっと見て、そうつぶやいた。
「瀕死の重傷だったらしいじゃないですか。・・・驚かないんですか?」
「だって・・・手加減したもん、俺」
ほんのちょこっとだけねと付け加えて、へへっと笑う。
「あなた・・・こうなること分かってて・・・・・・?」
ぞくっと背筋が寒くなる。
「だって、蔵人。ギリギリのところでやらないと、面白くないだろ?」
いつものように、にっこり笑って一夜さんは言った。
「これもあなたの言う“酔狂”・・・ですか?」
でも、ちょっと危なかったな。
僕の言葉が聞こえなかったように空を見ながらつぶやく。
「もう少しで・・・手加減できなくなっちゃうところだったからさ」