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Ep18 紫苑

「橘紫苑?」

読んでいた本から顔を上げて、聞き返す藍。

うなずく。

「聞いたこと、無いか?」

いいえ、と首を振る。

そういえば、あれはこいつが紺青に来る前のことだ。

だが、この国で生まれ育った一夜や剣護でさえ、知っているとも考えにくい。

当時子供だった俺達の中でそんなことに詳しいのなんて、三公や軍事関係者の周囲のごく限られた人間だけだろう。

簡単に話すと、藍は初めて聞いた・・・とつぶやいて、暗い表情を浮かべた。

何か深く考え込んでいるような表情。

別のことを考えているようでもある。

「どうした?」

「・・・あ、いや。それで当時の青龍隊の人って・・・今、何してるの?」

「今も残ってる人間はほとんどいないな。年齢も階級も上がっているから、現場を離れて事務方の役職に回っているんじゃないか?」

「・・・隊長だった人は?」

「杉浦玄太って知ってるか?」

今度は、知ってると即答する。

「『花街』でバー経営してる人だよね。雰囲気良くてそこそこ人気あるのに、人も雇わないで一人で。あの人って・・・・・・元十二神将隊なの?」

十二神将隊、というのは、案外歴史が新しい隊で、結成されて20年程しか経っていない。

結成を提案したのはあの朔月公。当時20代半ばだった若者の進言によって結成されたその隊は、若く優秀な人材が集められるという伝統がある。

それでも、三公に対して大きな発言力を持つ今の十二神将隊は異色であるらしい。生みの親であるが故に、朔月公が俺達を苦々しく思う気持ちもわからないではないのだが。

「こっち来てから会ったこと、あるのかな?右京・・・」

「ガキの頃の記憶だろうからな・・・覚えてないだろうとは思うんだが、出来たらあまり会わせたくは無いな」


杏は定期便のトレーニングを終えると、元気良く言う。

「で、今日は何するの!?」

「・・・何もしねぇよ」

え〜つまんない!と文句を言う。

こいつはここを、遊び場と勘違いしているんじゃないだろうか。

奥から一夜が出てきた。

「やあ、杏。今日も頑張ってるねぇ」

にこっと笑う杏。

「で、学校の勉強ははかどってるの?」

凍りつく杏。

「頑張れよ〜」

笑顔の最終兵器だ、こいつは。

「んじゃ、ちょっと出かけてくる。あとよろしくな、剣護!」

「・・・おい!どこ行くんだよ!?」

背中越しにばいばーい、と手をひらひらさせながら行ってしまった。

けっ、と毒づきながらそれを見送った杏が思い出したように言う。

「そういえばあの人ってさ・・・白蓮の・・・」

ぎょっとして聞き返す。

「お前、一体何でそんなこと知ってるんだよ!?」

「だって〜・・・有名じゃない」

杏は実家が『花街』近くの小料理屋らしい。

「お客さんたちの噂話とか、耳に入ってきちゃうんだよね。『古泉の若旦那は白蓮にご執心らしい。白蓮のほうもまんざらじゃなさそうだし、この先どうするんだろうなぁ』って」

思わず絶句してしまう。

一夜。

本当にお前・・・女で身を滅ぼすぞ?


夕暮れの『花街』の門の近くで、僕は途方に暮れていた。

見廻りの最中に、草薙さんとはぐれてしまったのだ。

どこ行っちゃったんだろう?

僕は隊士ではないので無線も持っていないし、連絡の取りようがない。

その時、大きく動悸がした。

視界の端っこに飛び込んできた人物の影。

頭がくらくらする。

気づいたとき僕は、刀を抜いて彼に切りかかっていた。

周囲の人々の悲鳴。

キーンという金属音がして、はっと我に返る。

「どうしたんや?右京はん」

僕の刀を浅倉隊長が腕にはめた『螢惑』で受け止め、彼をかばって立っていた。

刀を落とすと、がくっと膝から折れるように倒れこむ。

「おい!どうしたんや!?右京はん!!!」

慌てた浅倉隊長の声を聞きながら、僕の意識は遠のいていった。


目が覚めると、そこは朱雀の隊舎。

浅倉隊長がローブをかけてくれていて、椅子を並べて寝かしてくれていたようだ。

起き上がると、ひどい頭痛だった。

外に出てみると、綺麗な星空。

隊舎の壁に背中を預けて、それを見上げている浅倉隊長が目に留まった。

「ああ。目覚めたんか?」

なんでもなさそうに訊いてくる。

「はい・・・おかげ様で」

隣に座る。

「右京はん・・・あれはあかんで?民間人の前で刃傷沙汰は・・・ちょっと刺激が強すぎるやろ?」

ため息をつく。

「反省してます・・・でも、何で僕・・・・・・」

「条件反射か?」

目の前に来斗さんが姿を現した。

図書館の外で会うのなんて、久しぶりだ。

「あいつ・・・元青龍隊長の杉浦やろ?」

「浅倉隊長・・・ご存知なんですか?」

「・・・愁でええよ?もう」

意外な許可。

「僕の師匠は十二神将隊の初代総隊長やからな。あいつ指名したんも師匠やったはずやし。燕支(えんじ)の事件のときは、師匠はもう十二神将隊外れてたみたいやけどな」

「みなさん・・・ご存知だったんですね。そりゃそうか・・・」

いや、そうじゃないと来斗さんが訂正する。

「俺と孝志郎と愁、三公に近い3人くらいなんじゃないかな。現に藍ですら知らなかったぐらいだから」

「正直何があったかなんて具体的なところまでは僕も訊いてないし・・・」

来斗さんが僕の顔をじっと見て、言った。

「教えてくれるか?あの時、お前の故郷で何があったのか」


紫苑兄さんは、大きくて強くて、ちょっと恐いけど優しい人だった。

僕に最初に竹刀を握らせてくれたのも兄さんだ。

『右京様にはまだ無理ですよ』

笑う周囲に大真面目に言ってくれたのを覚えてる。

『お前らそう言うけどな、右京がやりたいって言ってるんだから今がいいんだよ!笑ってりゃ良いさ、こいつはみるみる上達してこの国一番の剣豪になるんだぜ。な、右京!』

城を出ることのめったに無い他の兄達と違ってよく城を抜け出していたようで、僕は庭で遊んでいて、公務を抜け出す兄さんの姿をよく見かけるものだった。

『紫苑兄さま、どこ行くの?』

ぎくっと振り向いて、しーっと人差し指を立てる。

『右京、俺が通ったことは誰にも言うな?』

『だって・・・こないだ黙ってたら父さまにすごく怒られたんだよ?』

むくれて言うと、わりいわりい、と悪びれずに笑って、少し真剣な顔になった。

『ダチがちょっと困ったことになっててよ・・・俺が行ってやらなきゃならねえんだよ』

堅苦しい城を出ると、兄には沢山の友達がいた。それは高官の子息から一般的な家庭の出身者、国のはずれのスラムのようなところの人間まで多岐に渡っていたが、どの人も兄にとってはかけがえの無い大切な友達だった。

両親や家臣達からは咎められていたが、兄は意に介していなかったようである。

『右京も男だったら・・・分かってくれるよな?』

うん、わかるよ。そう言って見送った。

嘘をついてる時もあったのかも知れないが、大半は真実だろう。

そういう人だった。


ある日、父は最年少の僕まで含めて、10人の息子達を玉座の間に集めて言った。

『紺青という国を知っているか?』

僕は知る由も無い、首を振ったが、他の兄は顔色を変えた。

大きな軍事力を持っていて、隣国を次々と支配していっている。

その力はすぐそばまで迫っていた。

『紺青から使者が来てな・・・“属国となれば、統治は全面的にお前達に任せる、年に決まった量の貢ぎ物さえすれば、今まで通りの生活を保障する”とな』

その貢ぎ物・・・というのも、そんなに非現実的な量ではなかったらしい。

『断ると・・・どうなるのです?』

一番上の兄が訊いた。

『全軍事力を投入して制圧する、と言ってきておる。実際そうやって王族がみな捕虜となった国も近くに幾つもあろう?もっと東に支配を伸ばすには、わが燕支を征服することが不可欠と考えているようだ』

兄達は何も答えない。

受け入れる・・・という無言の意思表示のようだった。

『俺は反対だ!』

怒鳴ったのは、紫苑兄さんだった。

やはりお前か・・・という顔をして、一番上の兄が言う。

『しかし、ここで無駄に逆らって死人を出すことは得策ではないんじゃないか?』

『兄貴はあの国がどんな国かわかってんのかよ!?』

国のはずれのスラムの人々。

そこには紺青との戦争に敗れて国を負われ、家族が離散した人々が身を寄せ合って生活しているのだという。

『あの国の王族は自分達ばっかり良い生活して平和に暮らしやがってよ、庶民をどんどん軍隊にとって、死んでも傷ついても平気な連中だぜ!?俺は許せねえ』

父が言う。

『しかし、我々が今戦ったところで勝ち目は無い。それに・・・紺青の民とやらにも無駄な犠牲を強いることになるんだぞ?』

『今あいつらが言ってきてる条件だってひっくり返すことなんか容易いことじゃねえか!いつ燕支の民もそういう目に合わされるかわかんねえんだぞ!?』

紫苑兄さんの言葉ももっともだが、小さな燕支は紺青の大きな軍隊の前にはあまりに無力だった。

従うしかない・・・というのが本当のところだったのだろう。


その日。

仰々しい甲冑を身に纏った紺青の軍隊が城の中に入ってきた。

その軍隊の司令官のような男が、父の前に跪いて挨拶をした。

『紺青国十二神将隊、青龍隊長の杉浦と申します。この度は・・・王のご英断に大変感謝しております』

ふむ、と難しい顔をする父。

彼らは礼儀正しく紳士的で信頼できる様子であり、兄達は安堵している様子だった。

しかしふと、子供心に胸騒ぎがした。

・・・紫苑兄さんがいない。

『あいつ・・・いつものことで、自分の意見が無視されて悔しいからどこかに隠れているんだろうよ』

一番上の兄が他の兄につぶやいているのが聞こえた。

・・・・・・本当に、そうだろうか?

その時。

外で爆発音。

みな窓に駆け寄り、外を見る。

紺青の兵が伴ってきた沢山の馬がけたたましい鳴き声を上げている。

次の瞬間、地鳴りがして、石造りの建物が大きく揺れた。

この場にいない紺青の兵士達が駐留している城下で、更に大きな爆発。

民衆の悲鳴。

『何事です!?これは一体・・・』

杉浦と名乗った男が強い口調で父に迫る。

父はただ、青い顔をしてしどろもどろになっている。

・・・・・・まさか。

ほどなくして、紺青の兵士の一人の持っていた無線機から声がした。

『十二神将隊青龍隊長、杉浦玄太、そこにいるな!?』

その声は・・・

『紫苑!!!お前なんてことを・・・』

『親父は黙ってろ!・・・杉浦、いるんだな!?』

杉浦が兵士から無線機を奪うと、杉浦だ、と答える。

『先ほどの爆発と騒動を見たな?お前の配下の青龍隊士10人をこちらで拘束している。返して欲しくば、全ての兵を引き連れてこの国から出て行け』

少し興奮した様子だが、落ち着いた口調で話す紫苑兄さんに、杉浦も冷静に答える。

『お前・・・この国の第二王子か?』

『そうだ』

『この件は父上や他の兄弟たちはあずかり知らぬことか?』

『当たり前だ。この国にはお前らの力なんか必要ねえ。今までだって、これからだってな!』

『そうか・・・わかった』

無線から顔を上げると、杉浦は言った。

『隊士達の奪還に向かう。反抗するものには容赦するな!』

『どうして!?』

思わず前に出る。と同時に傍にいた兄に後ろに引き戻される。

しかし、声は届いていたようで、杉浦が僕の傍に近づいてきた。

『君も・・・ここの王子か?』

大きな杉浦を首を上げて睨みつけながら、そうだ、と答える。

『君も、お兄さんと同じ意見か?この国は紺青の力など必要ない、と』

難しいことはよく分からなかった。

だが、紫苑兄さんを助けたい一心で言った。

『僕達はあなたたちがいなくても・・・大丈夫だ!』

『本当に・・・そう思うか?』

厳しい口調で言う。

『この国の周りには強い軍隊を持った国が沢山ある。この国は、そういった国々からいつ攻め込まれるかわからないんだ。そうなったらどうなると思う?・・・彼らは我々とは違う。君や、父上や母上、国の人たちもみんな、傷つけられて苦しい生活を送ることだってありうる』

『でも・・・兄さまは・・・・・・』

『君の兄さんは勘違いをしている。我々は・・・君達を傷つけるためじゃなく、守るためにここへ来たんだよ。君の父上のご判断は正しいと思う』

階下から兵士が一人、報告に来た。

『彼らの拠点がわかりました!南の丘の上に簡易の砦を築いているようです』

父は動揺して言う。

『そんな・・・いつの間に』

『この城からは死角になっているようです・・・状況から考えると、やはり彼単独の行動でしょう。協力者はいずれも彼と同世代の民間人のようです』

『そうか・・・』

父のほうを見て、言う。

『申し訳ございませんが、騒ぎが収まりましてから正式な手続きをさせていただくということで・・・』

杉浦はその場を辞すると、謁見の間を出て行った。


『花街』を夜一人で歩いていると、さすがに目立つようで好奇のまなざしを全身に感じる。

まぁ、別に構わないのでそのまま歩いていく。

「あら!?三日月さん!」

黄色い声。

「香蘭!・・・あなた今日はお座敷ないの?」

「いえいえ、今日は遅いんですよ!だからたまには呼び込みに立ってみようかなと思って」

「へぇ・・・意外と仕事熱心なのね」

着物の袖で口を隠すと、媚びるように笑って言う。

「だって、こうやって外に立ってれば、素敵な人に出会えるかもしれないじゃないですかぁ。白蓮みたいに・・・」

ああ、そうか。

あいつ来てるのか。

「三日月さんは何かご用ですか?」

・・・わかってるくせに。

「いいのいいの。仕事中お邪魔しちゃ悪いでしょ?」

お仕事って言っても・・・とくすくす笑う。

「前々から聞いてみたかったんですけど・・・三日月さんて、そういうご趣味なんですか!?」

・・・・・・はぁ。

ため息が出る。

「・・・ち・が・い・ま・す。私はただのお遣いだから」

「けどお土産が無くても、こうやって時々いらっしゃるじゃないですか?」

男っ気がないと、こうまで誤解までされるものか・・・自分が情けないような。

「あなただから言うけど、一種の・・・情報収集よ」

目を丸くする香蘭。

「勿論あの子はちゃんとわきまえてるからお客さんのプライベートについて話したりはしないけど・・・この街はデマから真実まで、とにかく話が回るの速いでしょ?そういうところ、すごく重宝してるの」

「・・・お仕事熱心なんですねぇ」

お仕事熱心ついでなんだけど・・・と訊く。別に白蓮に訊かなきゃいけない話でもないし。

「杉浦玄太ってさ・・・どんな男なの?」


紫苑兄さん達と紺青の軍隊との攻防は7日にも渡った。

丘陵という地の利を活かして徹底的に抵抗する。

しかし、多勢に無勢。しかも大半が正式な戦闘訓練など受けたことも無い庶民の若者達であり、精鋭部隊である紺青の兵にかなうはずもなかった。

やがて、負傷した燕支の若者が町の医院にあふれかえるようになった。

協力した若者だが、その数たるや50人あまり。

紫苑兄さんの“大事なダチ”っていうのは・・・こんなに沢山いたんだ。

そのことにただ、驚いた。

父達は針のむしろに座らされているようで、いつも青い顔をしている。

『あいつ・・・ここまで愚かとは思わなんだ・・・』

つぶやく。

『ですが・・・』

母がかばうように言う。

『わかっておる、あやつの気持ちも・・・だが・・・大勢を考えれば、堪えねばなるまいて』

一番上の兄が、非難するように言った。

『紫苑は・・・自信過剰になっているのですよ!確かにあいつは頭もいいし、力もある。こんな馬鹿なことを企てて、共に戦おうという人間も沢山いる。ですが・・・かなうはずなど無い、分かりきったことではないですか!?』

そんな話を聞いていたくなくて、外に出た。

すると、庭で一人の若者の後姿が目に留まった。

あれは・・・確か、紫苑兄さんの“ダチ”。

偵察にでも来ていたのだろう。小さな僕には気づいていないようだ。

その時、彼は急に物陰に隠れた。

僕も慌てて近くの茂みにしゃがみこむ。

『状況はどうだ?』

杉浦の声。

『制圧まで後一歩というところまでは来ていますが・・・なかなか抵抗が激しく』

隊士の一人の声だろう。

『今宵はいい月だな』

急に、そんなことを杉浦がつぶやく。

何だろう、と思っていると。

『地の利のない我々でも、この明るさがあれば攻め込むことは難くない、と思わぬか』

奇襲!?

その時、隠れていた若者が突然飛び出した。

『杉浦覚悟!!!』

手には大きなナタのようなものを持っている。

突然のことに、もう一人の隊士は動けない。

杉浦は懐から小太刀を取り出すと、何かを唱える。

小太刀から青白い光。

それに体を貫かれて、若者はその場に崩れ落ちた。

『刺客か・・・』

つぶやく杉浦。

隊士に命じる。

『余計な犠牲は出したくない。青龍隊のみで行く。隊士を集め、準備をさせよ』

二人は倒れている若者を残し、その場を去った。

誰もいなくなったのを確認して、震える膝で彼に近づく。

かすかだが、息はある。

『お前・・・』

『大丈夫!?しっかりして!!!』

『“右京”・・・だったな。あいつの・・・弟』

途切れ途切れに言う。

『伝えてくれるか?・・・紫苑に・・・・・・頼む』

彼ががっくりと崩れ落ちるのと、僕が城の外に走り出したのは、ほぼ同時だった。


「いらっしゃい」

薄暗い照明と低く流れるムーディーな音楽。

そこには似つかわしくないような、筋肉質の男がグラスを磨いていた。

私の顔を見ると、ちょっと不思議そうな顔をする。

「一杯いただけます?」

勿論、と低い声で答える。

人気店と聞いていたが、今日は客がいないようだ。

「珍しいですね、女性一人なんて」

ひっそりと笑う。

警戒されそうなら一夜を引っ張ってこようかとも思ったが・・・お邪魔するのもなんなので一人で訪れたのだ。

「ひょっとして、十二神将隊の方ですか?」

「そうですけど・・・なんで分かったんです?」

私の腰を指差す。確かに帯刀している女性なんて珍しいだろう。

しまった。

「今日は十二神将隊の人に大勢会う日ですよ。夕刻も・・・」

会った人の風貌を聞いて、どきっとした。

・・・右京だ。

「彼は何か・・・言っていましたか?」

「いえ、特に何も」

グラスを差し出す。

「あなたも・・・いらしたそうですね、十二神将隊に」

グラスを拭く手が止まる。

ちょっとためらうように、つぶやくように言う。

「あの青年には・・・見覚えがあります」

「そうですか」

当時右京はうんと小さかったはずだけど。

「“あの国”の王子たちは、数は多いが愚鈍そうな印象でした。しかし彼は・・・目つきが違いましたからね、強烈に覚えてますよ」

ちょっと戸惑う。

まさかここまですらすら話してくれるなんて、思ってもみなかった。

「彼のお兄さん・・・どんな方でした?」

思い切って尋ねる。

「そうですね・・・直接会うことがなかったので」

少し苦い顔をする。

「ですが、無線ごしに交渉をする中で、正義感の強い真っ直ぐな若者だっていうことは、嫌というほど伝わってきました。しかし・・・若さだったのでしょうが、他人の意見を受け入れない、大変な頑固者だったようですね」

一瞬、背筋が寒くなる。

「彼は紺青にいれば、きっと・・・十二神将隊の隊長クラスになれるくらいの実力の持ち主だったと思います、実際のところ・・・」

グラスを傾ける。

氷のカラカラという音。

「自分でこの国を守りたい、という強い意志は本当に立派だと思いましたよ。だが・・・現実には出来ることと出来ないことがある、それが彼は分からなかった、いや、おそらくわかっていて認めたくなかったんでしょうね。」

じっと杉浦を見つめる。

「本当に・・・惜しい人物だったと・・・今でも思います」


南の丘陵地はよく紫苑兄さんに連れてきてもらう遊び場所だった。

『ちょうど今の右京くらいの年にさ、このへんに秘密基地を作ったんだ』

『秘密基地!?』

目を輝かせる僕に、自慢げに話してくれていた。

『大人には見つからないように、町の仲間みんなで場所決めて、こっそり廃材とか調達してさ。最初はお粗末なもんだったけど、年々でっかくしていってよ!楽しかったなぁあの頃は』

『それって今でもあるの!?』

『ああ、あるぜ』

それは、丘陵にある遺跡に作った大きなやぐらのようなものだった。

連れて行ってもらったことはなかったが、紫苑兄さんのくれたヒントを元に辿り着くことができたのだ。

僕が走ってくるのを、数人の青年が見つけて駆け寄ってきた。

『お前、紫苑の弟じゃないか!?』

驚き警戒する様子の彼らに、半分叫ぶような声で僕は懇願した。

『兄さまに会わせてください!!!』

彼らの基地に走りよろうとする僕を制して、厳しい口調で言う。

『そんなこと出来るわけないだろ!お前が敵か味方かもわかんねえのに』

『だいたいどうやってここが分かったんだよ!?』

半泣きでお願いします!と繰り返す僕を抱えると、彼らは基地から引き離そうとする。

『やめろ、お前達』

もみ合っている僕と青年達の背後から声がした。

そこに立っていたのは、父の旧友の娘で紫苑兄さんと同じ年の女性だった。

兄と違って真面目でおとなしい印象だったが、今は鋭い眼差しをこちらに向けている。

『放してやれ』

『ですが、安寿さま・・・』

『右京は安全だ。私が保証する』

安寿さんは僕に近づくと、優しく微笑みかけてくれた。

『悪かったな、痛い思いをさせて』

『いいんです、それより・・・』

紫苑なら今出かけている、と言う。

『今日は十五夜だ。月も明るいから“彼ら”が奇襲を仕掛けてくる恐れがあると言ってな。見回りをしているところだ』

基地の中に通される。

木造のそれは少しかび臭かったが見事な建造物だった。彼らが成長するに従って次第に大きく頑丈にしていったのだろう。

僕は紫苑兄さんを待ちきれず、彼女にさっき見た話をした。

『そうか・・・あいつ』

暗く硬い表情で、少し下を向く安寿さん。

じっとこちらを見て、言った。

『教えてくれてありがとう。おかげでこちらも対策が立てやすくなったよ』

『あの人達・・・すごく強いんですよ!!!』

反論して、小さな声でどうしても戦うんですか?と付け加えた。

にっこり笑って彼女は言う。

『大丈夫だ、私達には紫苑がいる』

じっと彼女の目を見る。

それは兄を心から信頼している眼差しだった。

『あいつがいれば大丈夫だ。それにもし駄目だったとしても・・・紫苑のために死ねるのなら、私達は本望だよ』

ぞくっと背筋が寒くなる。

『何ですって!?』

『私達は紫苑以外に従うつもりはない。あんたんとこの親父さんが、もし紫苑以外を次の王にと言うのなら、やはり同じようなことをすると思う。遅かれ早かれ・・・起こりえたことさ』

『そんな・・・』

自然に涙があふれていた。

泣くな、と優しい声で彼女は言う。

『私達は紫苑に自由に生きること、自分の意志を持つこと、夢に向かって努力すること、いろんなことを教えてもらったんだ。そのためにあいつは一人で私達全員のために戦い、助けてくれてきた。だから今度は・・・あいつのために私達が戦う番だ』

周囲の青年達も頷きながら彼女の話を聞いている。

僕が見てきた兄さんの背中は、こんなに沢山の人にこれだけの覚悟を持たせるほどの大きなものを背負っていたんだと、初めて気づいた。

彼ら一人一人に何があったかなんて全く知るよしもないけど、それぞれの家柄、家庭環境、経済状況、若いながらに色々な困難を背負ってきたのだろう。

彼らが辛い思いをしたり、いろんな事を諦めたりする姿を、王の息子で権力も財力もあり実行力もあった兄さんは、見ていられなかったに違いない。

それを嫌味なく行動に移してしまえる、そんな人柄でもあったのだろう。

そんな風に考えることが出来るようになったのはつい最近のことで、当時の僕には理解を超えた大きな事であり、僕に彼らを止めることは出来ないという事実だけが身にしみた。

その時、外で大きな音がした。

何かがぶつかる大きな音。沢山の叫び声。

きっ、と外を睨むと安寿さんはつぶやく。

『・・・始まったか』

動揺する周囲の青年達に落ち着け!と怒鳴り、外に走り出ようとする。

それと同時に数人の人影が中に飛び込んでくる。

その中に兄さんの姿があった。

片足を引きずり、その足は血で真っ赤に染まっている。

『紫苑!その足・・・・・・』

青くなって言う安寿さんに、兄さんはにっこり笑う。

心配ない、と言うように。

兄さんは僕に気づくと、そんな状況だというのに嬉しそうに笑った。

『右京じゃねえか!?よくここが分かったなぁ』

前にヒントをくれたから・・・と泣きながら言うと、兄さんは僕に近づき、頭を大きくなでる。

『何泣いてんだ、恐いのか?』

『・・・そんなんじゃない』

何故かよくわからない、だけどすごく悲しかった。

少し厳しい表情になって、兄さんは周囲のみんなに大きな声で言う。

『青龍隊がすぐそこまで迫ってる。下の方で応戦したが犠牲が何人も出たし、俺は情けねえことにこのざまだ。俺はお前らに道連れになってくれ、とは言わない。お前らには親も兄弟もいるんだ、お前らを犠牲にして家族を悲しませるのは俺の性に合わねえ』

みな、黙って兄さんに注目していた。

『俺の言いたいことは一つだ。どうしてもって奴以外は山を降りろ。今んとこ誰が加担してるかなんてあいつら把握してねえはずだ。俺の首さえ取ればそれでおしまいってわけさ』

『紫苑!?お前・・・・・・』

『どうするつもりなんだ!?』

口々に言う青年達を制し、兄さんは続けて言う。

『俺か?俺はな・・・』

奥の方に繋がれている捕虜のほうをちらっと見て、またみんなに向き直りにっこり笑って言う。

『派手にやるつもりだ!紺青の奴らが、燕支には下手に手を出すと大変なことになるってことを嫌っていうほど思い知るくらい、派手にな』

『私もやる』

安寿さんがまず最初に落ち着いた口調で言った。

『安寿・・・』

優しい眼差しで兄さんは言った。

『出来たら俺は・・・お前には降りて欲しい』

『それは、私が女だからか?』

それもある、と兄さんは言う。

『だけど、それ以上にお前は・・・俺にとって大事な存在だからな』

はっとした表情の安寿さん。

『降りてくれるか?』

涙がこぼれる。

それを拳でぐいっとぬぐうと、安寿さんは笑って言った。

『それは私にとっても同じだ!一緒に・・・やらせてくれるだろ!?』

兄さんはちょっと寂しそうな顔で笑って、しょうがねえな、とつぶやいた。

『俺もやる!』

『俺もだ!』

そこにいたほとんどの青年達は兄に従うと口々に言った。

病気の母親を残してきている者、妻と幼い子供がいる者、山を降りるという決断をした人々はみな、やりきれない表情をしていた。

その人達一人一人に別れの言葉を言う兄さんは、ずっと笑顔だった。

『お前らに頼みがあるんだ。大事な頼みなんだけど・・・』

『・・・・・・何だ?何でも言ってくれよ!』

『こいつを・・・』

僕の顔を見て、兄さんは続けて言う。

『一緒に、連れてってくれないか?』

『嫌だ!!!』

僕は泣きながら反抗した。

『右京、よく聞け』

兄さんは怪我をした足をかばうようにしゃがみこんで、また僕を撫でながら優しく言った。

『男ってのはな、戦わなきゃならないときがあるんだ』

それは兄さんが口癖のように言っていた言葉だった。

『僕だって男だよ!!!僕だって戦って・・・守るんだ、みんなを』

『・・・お前が守るべきものは、もっと他にあるだろーが』

俺がいなくなったらあの馬鹿兄貴どもがどうやって国を守るんだ?と言う。

『右京、お前に任せたぞ。親父やお袋、こいつらの家族・・・燕支の国は、お前が守るんだ』

その後ろで優しい笑顔で立っている安寿さん。

それに大勢の兄さんの仲間達。

僕は黙って頷いて、数人の青年達と山を降りた。


兄さん達の砦が大爆発を起こしたのは、それから数時間後、明け方近くのことだった。

花火用の火薬が沢山仕込んであったらしい。

その爆発に巻き込まれて、捕虜や一部の青龍隊士が犠牲になった。

そして兄さん達も・・・

「数日後焼け跡に行ってみたんですけど・・・形見になりそうなもの、何も見つけられませんでした。本当に派手に戦って・・・消えてしまったんです、兄さんは」

黙って聞いている来斗さん。

愁さんは少し目をうるませて、空を見上げている。

少し沈黙があって、来斗さんが言う。

「杉浦は確か、爆発に巻き込まれて負傷したんだったかな。命に関わるほどのものじゃなかったが・・・後遺症が残った。それで程なく十二神将隊を引退したんだ」

燕支を去る時の杉浦の顔を、僕は今でも覚えている。

謝罪も僕らに対する言及もせず、ただ父と形式的に誓約を取り交わすと、硬い表情で去っていった。

「右京は・・・うらんでるんか?あいつを・・・」

首を振る。

「でも・・・よくわからないんです」


「彼と・・・話が出来ないでしょうか?」

長く続いた沈黙を破って、杉浦が言った。

「橘右京と、ですか?」

でも一体何を?と聞くと、寂しそうに笑ってわかりません、と言う。

「さっきは突然のことで、それが出来なかった。だがもう一度彼の顔を見たら・・・きっと言うべきことが見つかると思うんです」

その時、ドアの開く音がした。

「あれ?藍はん、こんなとこで何してるん?」

愁の姿。

そして、その後ろにいたのは来斗と・・・右京だった。

ぐっと両方の拳を握り締めて、うつむいている。

「右京様・・・・・・」

意を決したように、右京は杉浦の顔をじっと見つめる。

杉浦も突然のことに動揺したようだが、すぐに平静を取り戻したようだ。

「橘右京どの・・・私は・・・」

深々と頭を下げる。

「あなた達に、本当に申し訳ないことをしてしまいました」

右京は、黙っている。

「古傷が痛むたび・・・いつも考えているんです。何かもっと他にいい方法があったんじゃないか、彼らを思いとどまらせることが出来たんじゃないかと、私は・・・」

かすれた声で、いいんです、とつぶやく右京。

「兄・・・紫苑も、正しかったわけではない。あなた達にも大きな犠牲も出してしまいました。それなのに、ずっと燕支国を周囲から守ってくれていたこと・・・感謝しています」

清々しい笑顔になって、右京は続けて言った。

「そんなことより、先ほどは取り乱して申し訳ありませんでした」

問うように愁を見ると、愁は肩をすくめてちょっと笑った。

「いいんですよ!そんなこと・・・」

「また、遊びに来てもいいですか?」

勿論です、と瞳を潤ませながら杉浦が言うと、二人は固く握手をした。

何が正しいか、どうすればよかったか、なんてきっと誰にもわからない。

でも、それでも・・・二人は決着をつけることができたんだと思う。

それぞれの想いに。


扉を開くと、ちょっとびっくりした顔の草薙さんがいた。

「どうした、みんな揃って・・・何かあったのか!?」

「いえ、別に何も」

僕を居候している草薙さんの家まで送ってくれて、少し立ち話をするとみんな帰っていった。

明かりを消して、それぞれベッドに入ったまま、ふと思い立って聞く。

「草薙さんて、兄弟いるんですか?」

「俺か?ああ。兄貴が一人と姉貴が一人と妹が一人。まあ右京に比べると大したことねえけど、大所帯でにぎやかだったぜ」

「だった、って?」

「いや、だって妹以外はもう親元離れちまってるからよ」

なるほどね。

「いいですよね、兄弟って・・・たとえ遠く離れてても」

「ああ!・・・けど、なんで急にそんなこと聞くんだ?」


夜風を受けながら、すがすがしい気持ちで歩く。

「これでよかったんだよね?」

振り向いて来斗に言う。

「そうだな・・・」

ちょっと難しい顔をして、答える来斗。

「私ね、もっとお互い言いたいこと言い合えばよかったんじゃないかって思うの!」

明るい声で言ってみる。

愁は呆れたように笑うと、藍はんらしいな、と言う。

「まあ、それも一つの答えなんやろな」

「二人が納得したんなら・・・いいんだよね、きっと」

「・・・そうだな」

人生って難しい。

けど右京は立派だったし、すごくかっこよかったと思う。

同じようなことが自分に起こったとき・・・私はどうするだろう?

今は分からないけど。

「何か、考え事か?」

来斗が聞いてくる。

さすが長い付き合いだけに鋭い。

「いーえ!ご心配には及びません」

笑って答える。

ねえ、二人とも、と声をかける。

「これからもずーっと、友達でいようね」

怪訝そうな顔をして、何言ってるんだ?と来斗がつぶやく。

「当たり前やないか!」

明るい声で言い放つ愁。

「孝志郎も一夜も剣護も、みんなずーっと友達だよね!」


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