Ep17 常盤
『蛍丸』に意識を集中させる。
水の流れを体に感じる。
剣護、落ち着け。
あれは、一夜じゃない。
目を閉じる。
相手も動かない。
『気』で感じれば感じるほど・・・錯覚する。
大きく首を振って、刀を向ける。
『水刃』!
刀から放たれた水のやいばは“一夜”の左肩を貫通した。
血が吹き出す。
しかし奴は・・・笑っている。
なぜだろう・・・体が震える。
「痛いなぁ・・・」
全然痛そうではない声で、奴は言う。
血は流れ続けて、真っ赤な血に染まっていく薄藍色の着物。
「結構やるじゃないか」
「わかったからさっさと正体を現せ!!!」
「だけど・・・やっぱり優しいな、剣護は」
刀を抜く。二番刀『小通連』
「右腕一本あれば・・・俺は刀が扱えるからね」
少し身を屈めた・・・かと思った次の瞬間。
目の前に奴の姿。
切りつける刀を咄嗟に受け止める。
鋭い金属音が鳴り響く。
立て続けに繰り出される攻撃。なんとか応戦するが・・・速すぎる。
こいつ・・・こんなに速いのか・・・
鋭い突き。
ガードの甘かった脇腹に突き刺さる。
「・・・ぐぁ!」
「お返しだよ、剣護」
『疾風』
竜巻に巻き上げられ、地面へ叩きつけられる。
痛みが全身を貫く。
・・・どうしたんだよ、一体。
傷を押さえて立ち上がり、刀を構える。
しかし・・・
奴は両腕を横に広げて、防御の姿勢をとろうとはしない。
笑っている。
がたがたと刀が震える。
これは・・・多分・・・傷の痛みからじゃない。
これは・・・
「どうした?さっきの威勢の良さは」
睨みつけることしか出来ない。
「かかって来いよ、剣護」
「その名を呼ぶな!!!」
「なるほどね・・・」
再び、『大通連』を握ると、笑いながら言った。
「剣護は・・・一夜くんのことがよっぽど好きなんだね」
「源隊長!!!」
隊士の叫ぶような呼び声と大勢の悲鳴。
走ってテントを出ると、生ぬるく強く吹き荒れる風の中に、真っ黒な闇。
足許に傷ついた隊士が数人、倒れている。
腹部に大きな引っかかれたような傷。
後ろから走ってきた隊士が悲鳴を上げる。
思わず眉をひそめる。・・・出血がひどい。
闇から聞こえてくるサイレンのような唸り声。
隊士達の混乱に若干困惑する。これでは救える者も救えなくなってしまうではないか。
やっぱり宇治原君を連れてくるんだったな・・・
「落ち着きなさい!!!」
一斉に見つめる沢山の目の中、闇に向かってずんずん進む。
「隊長!危険です!!」
誰かがわめくのが聞こえる。
「あなた達は下がって。負傷者の手当てを」
肩にかけていたストールをはずす。
『アムレット』
唱えると隊士たちと自分の間に光のバリアが出来る。
「隊長!!!何を!?」
「いいから任務に全力を尽くしなさい!」
闇の塊の方向から強い風が吹き、体の前で腕をクロスさせて防ぐ姿勢をとる。
その中に見たものは、ぎらりと光る二つの目。
そして、いきなり飛び掛ってくる。
「隊長!!!」
『蜂比礼』で振り払う。吹き飛ばされた生き物は・・・大きな猫のようだ。
「・・・猫又か」
うなり声をあげて、また体勢を低くして飛びかかる。
振り払おうとするが、今度は力が強い。
少し後ろに押し戻される。
うなり声を上げる猫又。
突然目が光ると、突風が吹いた。
「何!?」
大きく後ろに吹き飛ばされ、地面に体を叩きつけられる。
またも隊士の悲鳴。
猫又は私の上に乗りかかると、爪を立てて噛み付こうとする。
肩に焼けるような痛み。
咄嗟にぐっと左手を突き出し、拳を握って唱える。
『ヴォルト』!
黒い雲の中から一筋の大きな雷が落ちてきて、猫又の背に命中。
『ギャァァァ!!!!!』
ものすごい叫び声を上げると、獣の肉の焼ける匂いと共に、その姿は消えた。
起き上がると、肩に激痛が走った。
さっきの爪のあとだ。
「隊長!!!大丈夫ですか!?」
隊士が駆け寄ってくる。
「たいした傷じゃないわ、大丈夫」
「さっきのは・・・」
左手の中指の指輪を見せて、安心させるように笑う。
「『薄緑』よ。守りながら攻めるための、私のもう一つの『神器』」
勾陣隊舎へ行くと、一夜さんは中庭で素振りをしていた。
・・・珍しい。
「一夜さん!」
玲央が呼びかけると、その手を止めて振り向いて笑った。
「やあ、右京、玲央。いらっしゃい」
持っていた木刀を置くと、縁側に腰掛け、僕らにも座るようすすめてくれる。
「どうした?二人とも深刻な顔しちゃって」
僕はここ数日思ってきたことを打ち明けた。
「僕ら・・・なんかここのところ、蚊帳の外って感じじゃないですか?北で起こっていること、僕ら何にも聞かせてもらえないし」
玲央も言う。
「一夜さん、何か知ってるなら教えてくださいよ!僕ら・・・あっちのほうだと故郷が近いからなんだか不安で・・・」
「玲央は、もう常盤は良いんじゃなかったのかい?」
はっとした顔をする玲央。
「親父さんと喧嘩別れしてきたから帰るところはない!って常々言ってただろ」
「それは・・・・・・そうなんですけど」
うつむいて、しばらく黙り込んでしまった。
「親は大事にしたほうがいい・・・なんて、俺が言えた立場じゃないけどさ。故郷に未練があるのなら、ちゃんと話し合って理解してもらう努力をする必要はあったんじゃないか?」
一夜さんは諭すように言うと、急に僕と玲央の肩をばん、と力強く叩いて、笑った。
「ま、大丈夫!二人が心配することじゃないさ」
一瞬納得しそうになるが・・・
一夜さん・・・それは答えになってない。
洞窟を一通り回って戻ってくると、入り口付近で遠矢を見つけた。
青い顔をして、倒れている。
右腕に何かが這ったようなあざができている。何かの毒にやられたのだろうか。
早くここから運び出さなければ。
そう思っていると、目の前にいきなり閃光。
遠矢を抱えて飛び退ると、先ほどの足元あたりが黒く焦げ付いたのが見えた。
「・・・雷か?」
何故、こんな洞窟の中で。
と、目の前にいたちのような、ぎらぎらした目の生き物が現れた。
これは・・・ヌエか。あれは雷を操るというな。
遠矢を岩陰に押し込むと、ヌエの前に進み出た。
『何をしにきた、人間ども』
「何、お前達が働いている狼藉を止めに来たのよ」
『お前には私の言葉がわかるのか?』
「わかって何か不都合か?」
低くうなるヌエ。
「言え!誰が差し向けた!?」
『我々の・・・大いなるお方だ』
「何?」
『大いなる妖狐様を眠りから覚ました人間・・・あの方は人間と契約を結んだ。人間の望みを達してやる代わりに、多くの命を我々の糧とすることにしたのさ』
「お前達は・・・人の命を喰ろうて生きているのか!?」
奴は笑ったようだ。
『無論喰ろうてもいる・・・しかし沢山の命と『神力』が手に入るなら、大きな力を得るための足がかりとして蓄える。今回のようなことは・・・非常に都合が良い』
「なるほどな。して、その妖狐とやらはいずこだ?」
低くうなりながら、強い口調で言う。
『これ以上、お前に話す必要はない!』
目から雷の筋が放たれ、横に飛び退って避ける。
よかろう。
『アンスラックス』
呼ぶと、ピアスが赤く光り、やがて私の体を燃え上がらせる。
「多くの命を喰ろうたと言ったな」
手に長い槍が現れる。
「今度はお前が食われる番だ!」
大きな雷をこちらにぶつけてくるヌエに槍を振り回して応戦しながら接近する。
『何!?』
急接近して一突き。
「去ね!!!」
刺さった瞬間、大きく炎上する。
そのまま黒い煙になって消えた。
「剣護さん達から、連絡あったんですか?」
草薙さんに聞くと、いや〜と首をひねる。
「もう着いたころだと思うんだがなぁ。なんか立て込んでんだろ」
「大丈夫でしょうか?」
再度首をひねる。
「実は今回のこの件、俺も休みあったりしてよく知らねえからなぁ。三日月もいい加減な報告しかしねえし・・・おい三日月!!!」
見回りから帰ってきた藍さんに声をかける草薙さん。
しかし・・・返事がない。
難しい顔をして、考え事をしているようだ。
「おい!三日月!!!」
どなる草薙さんに、びっくりした顔をする藍さん。
「はい!?」
「お前大丈夫か?なんか上の空じゃねえか」
「わかります?実は昨夜あんまり寝てなくて・・・」
深刻な顔で続きを促す僕らに、大あくびをしながら付け足す。
「読んでた本が佳境に入っちゃって・・・」
「ば、馬鹿野郎!!!お前みたいな奴はもう一回廻って来い!!!」
藍さんは耳を押さえながら、はいはい・・・とうるさそうな返事をして隊舎を出て行った。
『巴』
『大通連』から繰り出された波動に先ほどより大きく吹っ飛ばされる。
これで何度目だろう、全身を岩に叩きつけられる。
気配で動きが全く読めない。
繰り出す刀の速さ。
それにこの・・・『神器』の力。
これが・・・正真正銘の一夜の力だ。
「ショックだろ?」
相変わらず楽しそうに笑っている“一夜”。
肩は血で染まって真っ赤だというのに・・・
「まさか、こんな北のはずれで一番の親友になぶり殺されるなんて、思いもよらなかっただろうね」
正体が・・・読めないのだ。
“一夜”にしか思えない。
刀を向けても、動けなくなる。
あれっきり一太刀も浴びせることが出来ないなんて・・・
「さっき俺『好き』・・・って言ったけどさ」
にやりと笑う。
「訂正するよ。剣護は一夜が『こわい』んだ」
どきんと心臓が大きく鳴る。
「反論出来ないだろ?」
少しずつ起き上がる。
『蛍丸』を握った・・・と同時に刀で払われる。
強い力で弾かれ、遠くに飛ばされてしまう。
遠くでからん、と音を立てる『蛍丸』。
「丸腰か・・・終わりだね、剣護?」
くそ・・・・・・これまでか。
そのとき。
懐に重みがあるのに気づく。
・・・・・・そうだ。
『剣護いる〜?』
『見りゃわかるだろうが・・・』
常盤へ発つ前日荷造りをしていると、ふらっと一夜が現れた。
『これ、持ってかない?』
『おい・・・だってこれ・・・・・・何言ってんだよ、俺には持てねぇよ』
『大丈夫だよ、こいつはいい子だから』
『いい子って・・・お前』
『大丈夫大丈夫、悪さはしないって。何か剣護の役に立つかも知れないしさ、遠慮せずに持ってけってば!』
懐から取り出したもの。
一夜の三番刀・・・『顕明連』
めったなことではあいつはこの刀を抜かない。
「今度は何?」
首を傾げて笑う“一夜”。
・・・そうだ、こいつは・・・一夜じゃねえ。
『顕明連』を抜く。
まぶしい光を放つ、刀身。
ばっと立ち上がり、最後の力で一太刀。
目の前の“一夜”を一刀両断にする。
「くたばりやがれこの一夜もどきが!!!」
辺りがまぶしい光に包まれる。
敵は・・・真っ赤な血で染まっていく。
やっぱり気持ちのいいもんじゃない・・・
目を背ける。
真っ赤な血。
まるで・・・椿のような。
『年老いた椿の木には妖怪が宿るんだって』
『は?』
以前、生垣の椿を眺めながら一夜が言った。
『藍が言ってた』
『何言ってんだあいつ・・・いくつだよ???』
一夜は楽しそうに笑った。
『とんでもなく子供か、ばあちゃんか、どっちかだよな、そういうこと言うの』
「椿・・・か」
つぶやいたとき、もうその化け物の姿はなかった。
そして、傍には。
一本の椿の木。
それはほとんど形を失い、朽ちて崩れ落ちていた。
『報告!十六夜だ!』
無線が鳴る。
「お待ちしてました!!!けど今外なんでちょっと待ってください!」
慌てて勾陣へ走る。
『一夜いるか!?』
剣護の声。
「待ってください!今向かってますから」
隊舎に入ると、よお、と右手を挙げる一夜が目に入った。
右手を挙げて返事をしながら訊く。
「皆さん・・・ご無事ですか?」
『大なり小なり負傷はしてるけど・・・まあ、無事だよ』
良かった・・・少しほっとする。
しかし、報告内容は、決して安心出来るような代物ではなかった。
見廻りに出て行く草薙さんと同時に、藍さんが隊舎に戻ってきた。
相変わらず浮かない表情。
思い切って訊く。
「あの・・・一つ訊いてもいいですか?」
びくっとして、顔を上げる。
「なんでしょうか?」
隊舎には二人だけ。
今しかない。
「北陣のことなんですけど・・・」
黙って微笑んで、話の続きを促すような表情の藍さんだが、明らかに無理してる。
「藍さん・・・何か隠してませんか?」
「何を?」
それは多分、玲央と僕に深く関わるようなこと。
戸口から声がした。
「最大当事者が何も知らない・・・なんてどうかと思うけど?」
一夜さんだ。
きっ、と睨む藍さん。
「最大当事者・・・って・・・・・・一体どういうことですか!?」
「玲央の国のことだよ」
「一夜!!!」
一夜さんはいつもの穏やかな表情のまま、言った。
「藍・・・お前、他にも何か隠してるだろ?」
一夜さんを睨んだまま、動かない藍さん。
「この一件は本当に・・・」
藍さんの目の前に進み出て、続けて言う。
「・・・孝志郎の指示なのか?」
藍さんは、動かない。
「こうなんじゃないのか?・・・『藍に任せる』」
沈黙。
いつもの穏やかな声で、一夜さんは続けて言う。
「孝志郎ってさ・・・よくは知らないんだけど、時々そういうこと、するんだろ?」
「一夜さん?」
「俺、腑に落ちないんだよね。兵の配備も何もかも完璧だし、作戦は間違ってないと思う。だけどさ・・・・・・あいつだったら多分真っ先に・・・玲央に言うと思う」
一体何を?
・・・僕が聞こうとしたときだ。
「お前は本当に!これで玲央が救われると思うのか!?」
大声で怒鳴ったのは・・・一夜さんだった。
「あいつは絶対に、遅かれ早かれ真実を知ることになるんだぞ!?」
「でも!じゃあ一体どうしたらよかったのよ!?」
怒鳴りかえす藍さん。
「・・・・・・認めたね」
表情はほとんど変わらない。
ただ、さっきと全く違う、低く冷たい声で一夜さんが言う。
「さっきも言ったけど・・・俺は本筋の作戦自体間違ってるとは思わないよ。だけど、それを全く玲央に言わないっていうお前の判断は・・・間違ってると思う」
堅い表情の藍さんは、何も答えない。
「・・・ただお前が、目の前であいつの悲しむ顔を見たくなかったって・・・それだけなんじゃないのか?もしそうだとするなら・・・」
まっすぐ藍さんの目を見つめ、言い放つ。
「それはお前の自己満足だ」
重苦しい沈黙の中、何から聞いていいのかわからなかった。
かすれた声で、やっとのことで声を出す。
「何が・・・あったんですか?」
一夜さんが僕に向き直り、何か言いかけた。
それとほぼ同時。
玲央がすごい形相で飛び込んできた。
藍さんの姿を見止めると、走りよって行って両肩を掴んだ。
「・・・どうして!?」
大きく揺すりながら言う。
「どうして教えてくれなかったんですか!?」
「一体何があったんだよ!?なあ玲央・・・」
すがるような気持ちで訊く僕に冷たく玲央は言った。
「・・・クーデターだよ」
・・・何?
「常盤で反乱が起きてるんだ・・・王族は皆・・・安否がわからない」
「玲央の・・・国で?」
おかしいと思ったんだよ、と自嘲気味に言う。
「報告のため紺青に戻ったはいいけど、色々用件言い渡されて東には戻れないし、都の太陰隊も勾陣隊も大半が出払ってる・・・一体どういうことなんですか!?」
藍さんと玲央の間に、一夜さんが止めに入ろうとする。
「確かに僕は当事者ですから、戦闘に参加することは出来ないでしょう!でも・・・何も教えてもらえないなんて・・・あんまりじゃないですか!?こうしてる間にも父上たちが・・・どうなってるかわからないんですよ!?」
「・・・ごめんなさい」
うつむいてつぶやく藍さん。
「それは・・・」
「孝志郎の命令だったんだ」
一夜さんが言う。
驚いたような表情の藍さん。
玲央は鋭い視線を、一夜さんに向ける。
「分かってもらえないかもしれないけど・・・俺達だってもっと早く教えてやりたかったよ」
ごめんな。
その一夜さんの言葉に、玲央はうつむいた。
「行かせて・・・もらえませんか?」
涙をこらえて玲央は言った。
「決して邪魔はしませんから!お願いします!!!」
一夜さんは、藍さんの方を向いて、言った。
「事後報告でも・・・いいんじゃない?」
顔を上げる藍さん。
「行かせてやろう?」
そのまま言葉無く、こくり、と大きく頷いた。
紺青も悪天候だったが、常盤は更にひどく、黒い厚い雲に覆われていた。
生まれ育ったその場所。
面影を探すが・・・崩れ落ちた瓦礫、そこは全く知らない場所に見えた。
ふと足元の物が目に留まる。
ほとんどの物が形なく焼け落ちているというのに・・・
それは黒くすすけていたが、赤ん坊をあやすおもちゃだった。
姉が結婚する、と言って紺青に尋ねてきたのは今から1年ほど前だった。
長旅をねぎらうと、何でもないように笑って言ってくれた。
『玲央、青龍隊長になったんだって!?おめでとう』
『ありがと。姉ちゃんこそ、幸せになってよね!』
『そうね・・・』
少し寂しそうな表情を浮かべる。
親父もお袋も元気だと言う。そして兄貴も・・・
『相変わらず喧嘩ばっかりしてるけど・・・まあ、昔に比べると良いほうだわ。ねえ・・・』
言いかけてやめてしまったので、続きを促すと、
『あなた・・・本当に、もう帰ってこないの?』
何かの音を聴いたようなような気がして、以前裏庭だった方へ向かう。
ぎょっとして、立ち止まる。
大きな瓦礫の上に横たわる、土色の顔をした人の姿。
・・・兄貴だ。
『お前、相馬玲央か?』
声がする。
目を凝らすと、兄貴の傍に立っている、真っ白な一匹の狐。
尻尾が二股に分かれている。
「お前がみんなをこんな目に遭わせたオンブラか!?」
細い目を更に細めて笑う。
『私が?馬鹿を言うな。私を呼び起こしたのは・・・この男ぞ?』
「兄貴が!?」
兄貴は息をしていない。
『皆を困らせてやる、自分がこの国の主になるのだと言って私を呼び出しておきながら、今更になって怖気づきおって・・・邪魔になったので、喰うてやったまでよ』
大きく心臓が鳴る。
・・・なんてことを。
『驚いたようだな・・・こやつの心に巣食うておった憎悪に、貴様らは呑気に気づいておらんかったということであろうな。死んだ母、新しい母、出来の良い弟、父親との確執・・・可哀想な男よ』
年の離れた兄貴は、ものすごく恐い存在だった。
でも・・・悪い人じゃなかったんだ。
兄貴が王位を継ぎたがっていることも、前の王妃に仕えていた高官がそれを後押ししていることもわかっていた。それに・・・後押しする声があって引くに引けない状況にある兄貴のことも。だから、僕は国を出ることに決めた。
兄貴なら、絶対常盤をいい国にしてくれる。そう信じたから。
「お前は兄貴の心を・・・利用したんじゃないのか?」
『利用?人聞きの悪いことを。こやつは私のほこらの傍で、何か手は無いものかとぼやいておった。だから手助けをしてやったまでだよ。私を目覚めさせれば大きな力が手に入る、さすればお前の欲しがっているものを手に入れることなどたやすいことだろう・・・とな』
「そういうのを、利用したって言うんだよ!!!」
『何・・・かように弱い心は、私が働きかけずともいずれ壊れよう。それならば、一時でも夢を見せてやっても良いではないか?私達の利害は・・・一致したのだよ』
妖狐は空に浮かび上がり、青白い閃光を帯び始める。
バチバチと電気のほとばしる音。
『ブリューナク』を構える。
『お前も・・・愛する家族の後を追うがいい・・・お前の命と『神力』は我々の大きな糧となろう・・・』
「黙れ!!!これ以上お前たちの好きにさせない!」
構えた槍の刃先一点に、空気中の電気が集まってくる。
『喰らえ!!!』
妖孤から大きな雷が放たれる。
『ユリシーズ』!!!
僕が唱えて、いかずちを放ったのと、ほぼ同時。
二つの雷は中間でぶつかり合い、大きな閃光を放つ。
強い力で押される。
ぶつかり合う雷は、だんだん妖狐のものが勝って、僕の方に迫ってくる。
『神力』を集中させるが・・・・・・
ちらつく兄貴の顔。
向こうからすごい速さで雷の塊が迫ってくる。
いけない。
このままでは・・・
『玲央様・・・』
磨瑠の声。
『おいら、お待ちしてますからね』
無言で馬にまたがる僕に、もう一度大きな声で言った。
『おいらの隊長は玲央様だけですから!!!早く帰ってきてくださいね!』
『相馬様!!!』
意外な声に、思わず振り返る。
そこには、めったに城下に出ることの無い、霧江様の姿。
『私・・・お祈りしてますから!どうか・・・ご無事で・・・』
そうだ。
はっとして目を見開くと、ぐっと槍を握る手に力を込める。
「消えろ!!!」
僕の体から雷がほとばしり、『ブリューナク』を伝って、一気に放出した。
せめぎあっていた二つの雷が、一気に妖孤の方に向かって走っていく。
『なんだと!!??』
言うとほぼ同時に、奴は雷に撃たれ、爆発するような音を立てた。
そして、ちりちりと燃えて、生ぬるい風の中に消えた。
兄貴の許に駆け寄ると、その体は急に黄色い光を放つ。
そして、亡骸は光の粒に変わりさらさらと風に溶けていった。
さよならを言う暇もないくらいに、それは一瞬の出来事だった。
常盤の城を見渡すことが出来る高台。
美しい白壁の城であっただろうその廃墟をただ見つめる。
やっと、終わった。
背後から誰かが歩み寄ってくる気配がした。
「相馬か?」
振り返らずに訊く。
「来たのだな」
「・・・全部聞きました」
クーデターの首謀者は、やはり彼の兄だった。当初表向きは被害者を装っていたが、王位継承について父親である王と意見が対立し、周囲の支援者を扇動して起こした反乱だった。
王は王位を・・・次男である相馬玲央に、と決断していたらしい。
「十六夜隊長・・・僕ね」
相馬の力ない声を、背中で聞いている。
「『紺青に留まる』って報告したとき、親父に・・・思いっきり殴られたんですよ。『お前なぞ勘当だ!二度とこの常盤の土を踏むことは許さん!!』って・・・ものすごい勢いでどなられちゃってさ・・・おふくろも泣くばっかりで・・・・・・」
膝から地面に崩れ落ちる。
「まさか本当に・・・あれが最後になるなんて・・・思わなかったなぁ。王位を僕に・・・なんて。勘当とか言っときながらさ・・・意味わかんないですよね・・・?」
「お前は・・・」
振り返って、傍に立つ。
「愛されていたのだよ」
地面に這いつくばるように、彼は声を上げて泣いていた。
「ただほんのわずか・・・歯車がずれてしまった。きっとただ、それだけだったんだ」
それから一ヶ月ほどが経ち、相馬玲央は玉座の前に跪いていた。
「相馬隊長・・・」
声をかけると、はい、と明るい返事をして顔を上げる。
「この度は・・・なんと申し上げたらよいのか・・・」
「いえ!ご心配には及びません。僕はもう、大丈夫ですから」
隣で霧江がためらいがちに話しかける。
「お国のほうは・・・よろしいのですか?」
「・・・はい。両親の望みは・・・もしかしたら僕が戻って国を治めることなのかもしれませんが、昔親しかった人たちもみな・・・犠牲になってしまいましたし」
身を裂かれるほど辛い話であろうに、彼は淡々と話す。
「僕は・・・王子だった身としましては・・・一刻も早く常盤の人たちがこの悲しみから立ち上がって、笑顔を取り戻してくれることを祈るだけです」
「そうですか・・・」
うつむく霧江。
「三公と相談の上、良く国を治めるような官吏を派遣するよう手配しております。どうか、ご安心くださいませ」
私が言うと、ほっとした表情を浮かべる。
「霞様、ありがとうございます。よろしくお願いします!」
強い若者だと思った。
謁見が済み、城を出て行く相馬隊長と、それを見送る霧江。
「あ、そうだ!」
霧江の方へ向き直り、じっと見つめる。
「霧江様に言いたかったことがあるんです」
「・・・なんでしょうか?」
優しく微笑む霧江。
「僕、守るものも何もかもなくしちゃったんです。だから・・・」
にっこり笑って言う相馬隊長。
「霧江様、僕はあなたのことを全力でお守りします!これからもずーっと!」
びっくりして言葉が出ない。
それは霧江も同じだったようだ。
しばらく沈黙した後、言った。
「では・・・相馬様」
はい?と笑顔で聞き返す相馬隊長。
「その件につきましては・・・城下にいらっしゃる沢山のかわいいお友達のこと、きちんとご説明いただいてから伺うということで、よろしいですか?」
「・・・・・・え〜とぉ・・・」
笑顔のまま冷や汗をかいている相馬隊長。
「・・・では、お仕事頑張ってくださいね!」
にっこり笑って言うと、霧江は奥に戻っていった。
がくっと肩を落とす相馬隊長。
あの子ったら・・・
ここって時にはすごいこと言うんだから。
図書館の傍の木の下に座り込んでいる藍を見つけて、声をかけた。
ぼーっとしているようで、こちらに気づいていない。
こないだのショックからまだ立ち直れていない様子。
玲央だってやっと元気になったっていうのに・・・
いや、藍もがんばってるのだ。
何事も無かったように、毎日笑顔で忙しく立ち働いている。
・・・タイミング悪く、立ち直れてない証拠を掴んでしまった・・・というだけで。
目の前にしゃがみこむ。
本当に気づいていなかったらしく、びっくりして持っていた何冊かの本をどさどさっと地面に落としてしまった。
「何!?」
こんなに驚かれるとちょっとショックだ。
「何回も・・・呼んだんだけど?」
「そ・・・そうだった!?」
焦って笑顔を作って平静を装おうとする姿はなんだか痛々しい。
「・・・こないだは、怒鳴ってごめんな」
小声で言うと、は?と間の抜けた声で聞き返す。
「びっくりしたんじゃないかと思って、気にしてたんだよ」
我ながら柄にもないことをしたな、とずっと思っていたのだ。
「何言ってるの、そんな・・・悪いのは私なんだから、気にしないで」
落とした本を拾い上げて草を払うと、つぶやくように言う。
「一夜、私・・・十二神将隊、やめようかな」
は?と、今度は俺が聞き返す番だった。
「こういう仕事向いてないのかなぁ・・・と思って」
「何言ってんだよ・・・失敗とか判断ミスとかは誰にでもあるって。藍はよくやってると思うけどなぁ」
「・・・あの時、あなた何で『孝志郎が』って言ったの?」
あの日以来、この話をするのは初めてだった。
お互い、何となく話題にするのを避けていたように思う。
「だって、あいつが藍の隊長なんだから」
隣に座る。
「責任取るのがあいつの仕事だろ?だいたいお前にやれっつったのはあいつなんだし」
「そういうもの?」
頷く。
「そうかぁ・・・」
少しほっとしたような表情を浮かべる藍。
「だいたい、こんな面倒臭い仕事、先にやめるなんて抜け駆け許さないよ?」
「・・・そういうもの?」
そう、と言って立ち上がる。
「ま、藍が俺のお嫁さんになってくれるって言うなら、許してあげてもいいけどね!」
「・・・」
返事が無い。
振り返って見ると、藍は腕組みして考え込んでいる。
「いや・・・冗談だぞ?」
「わかってるけどさ・・・・・・その条件じゃ何があってもやめられないよなぁ、と思って」
「・・・・・・悪かったな」