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小篭(しょうろう)


場所   洗足池

時間   11月初旬 午後10時ごろ

遭遇者  水谷 朱理(15才)

妖怪   小篭しょうろう 

     鵜乙女うおとめ

     茨百目いばらひゃくめ





朱理が塾バックを背負って自由が丘駅の改札を通ったのは午後9時だ。高校受験の追い込み時期である11月、通っている塾の自習室は夜10時になっても多くの生徒が残っている。難関都立高校を第一志望にしている朱理も、ほぼ毎日、この自習室に通っていた。この時間の自由が丘は、中学受験専門塾を終えて帰宅する小学生と朱理のような高校受験を控えた中学生であふれていた。夜なのに子どもの多い変なこの街は、昼間はお洒落なエリアとして人気があるらしい。

朱理はふらふらと人並みに流れて、やってきた電車に飛び乗る。電車がいつもと異なることに気が付いたのは、次の駅に着いた時だ。神様のお導きだわ。今日こそ・・・。朱理は滅多にない電車の乗り間違いが今日起こったことに感謝する。この日は、あの日と同じ6日だからだ。次の駅で下車する。


大岡山駅で降りたのは初めてだ。そういえば、以前に駅前に広がる東京工業大学でお花見をしたことがある。中学のクラスメイトと一緒だった。あの時は自転車で来たのだ。今いる場所をiPhoneで確認する。ここが洗足池に近いことに気が付いた。朱理のマンションから洗足池までは、それほど遠くないけれど、子どもも頃に一度訪れただけで朧な記憶しかない。iPhoneで見る洗足池は、住宅地にできた巨大なクレーターのように見える。朱理は、その場所を見たくなった。洗足池に向かって歩くことに決めた。

駅を出て、iPhoneを見ながら、暗い道を進む。大通りではなく、狭い通りを選んで朱理は歩いていく。少し歩くと母親からメールが届いた。

「大岡山で下りたのね。何があったの?」

メールの文面を見て、朱理は少し考えたのち、iPhoneを道路に置かれたゴミ箱に放り入れた。朱理が使っているPASMOは駅の乗り降りをする度に母親にメールが届く設定になっている。iPhoneにはGPS機能があり、母親は朱理がどこにいるか分かるように設定していた。返信を返さないとどうなるだろう。ここに自分を探しに来る母親の姿が眼に浮かぶ。朱理は早足で坂道を下っていく。


到着した洗足池は、既に10時を過ぎているのに、無人でも暗闇でもなかった。池の周囲を走っている人がいるのだ。塾バックを背負った住宅地には馴染んでも、池の周りでは奇異な存在のようだ。ランナーたちは、朱理に何かいいたそうな瞳を向けて走り去っていく。

(お前の向かう場所は、ここにはないよ)

頭の中に声が響いたような気がした。朱理は池に背を向けて、また歩き出す。小さな公園を抜けると、目の前に学校らしきものが見えた。その向かいにはフェンスに囲まれた古い建物がある。周囲に人影がないことを確認して、朱理はフェンスを乗り越えた。枯れた雑草を踏みしめて建物のほうに歩いていく。北風が強くなる。今日も死のうと思ったけど、死ねなかった。洗足池って・・・朱理は自分の無知を思う。思っていたより明るい場所だわ、当たり前よね、住宅地の中にあるんだもの。飛び込んだらすぐに助けが来るわよね、馬鹿みたい、こんなところまで歩いてきて。ここは家なのかしら。ここで一晩過ごせば凍死したりしないかなぁ。建物に背をつけて体を預けると、朱理は目を閉じた。



 人気のない古い建物に幾つもの小さな灯篭が灯っている。その灯りで朱理は目を覚ました。灯篭の一つが朱理の前まで来て、ふわふわと浮かんでいる。

「付いてきてください。建物を案内しますよ。ここにお客様は久しぶりです。」

灯篭から声がする。人影はない。灯りは大きくなったり小さくなったりする。その明るさは朱理にとって心地よいものだった。灯篭に導かれるまま、朱理は歩いた。建物の裏手、地面に大きな穴が見える。

「足元に気をつけて。特別な抜け道があるのですよ。ここからお入りください」

灯篭は、穴を照らす。石でできた螺旋階段が下にと続いているのが見えた。

「物の怪?それともマジック?」

一歩足を踏み出して、朱理は灯篭に向かって言葉を投げた。

「面白い方ですね。あなたは。私の名前は小篭しょうろう。今後何度も会うことになりましょう」

小篭と名乗った灯篭は、先に階段を進んでいく。光を追って、朱理は早足で階段を駆け下りる。地下に向かうにつれ、水音が強くなる。水辺に出た。葦に囲まれた空間には透きとおった水が溜まっている。小篭はその水を照らしている。水の流れる音が聞こえる。近くに川があるのかもしれない。



「どうせなら、腹に子を残したまま来てくれればねぇ」

水の中から羽が飛び出てきた。次に腕。よいしょ、という声と共に葦を割って現れたのは、顔中に深い皺を刻んだ老婆だ。

「子が欲しい女が大勢いるのだよ、ここには。全く勿体無い」

老婆は、朱理の腹を見つめている。

「あたしは鵜乙女うおとめ。あんたは、何をしにここに来た」

「わたしが誘ったのです」

小篭が老婆を照らす。

「復讐かい?それとも死にたいのか?分かっていると思うが、腹の子を殺したのは、お前の母と男とお前。お前だよ」

「知ってる」

朱理の顔は、小篭の灯りを受けて青く輝いている。

「だから、死にたいの」

朱理は搾り出すように小さな声を出した。

「命を粗末に扱うんだねぇ、全く。あたしにとっては有難いがねぇ」

小篭が灯りを小さくした。



「可愛いね。すぐに仕事になるよ」

メガネをかけた痩せた男は、鏡に向かって立つ朱理の背後にいる。白い肌に切れ長の瞳を持つ朱理の頬が高潮している。

「まだ、少し野暮ったいけどね。半年もすれば綺麗になるよ。この頬の輪郭も変わるし、手足ももっと伸びるだろ」

男は背後から朱理の顔を触り、手足の骨格を確かめるように抱きしめる。

「朱理と出会えて嬉しいよ」

体がきしむほど、男は強く朱理を抱く。

ここは男の部屋だ。ホテルのロビーのようなソファーや調度品で飾られている。男は器用に片手で朱理のブラウスのボタンを外して、スカートのファスナーを下ろす。

「朱理は鏡を見ていて。そうだ。鏡だけを見ていればいい」

男の目がメガネの奥で歪んだ。服は全て剥ぎ取られた。全裸の朱理は15才にしては発達が遅い。胸のふくらみもわずかだし、ウエストのくびれもわずかだ。

「大丈夫、少しづつ変わっていくよ。僕といればね」

男は朱理の背骨を指でなぞる。

「綺麗な背骨だ」

それから、数ヵ月後、朱理は妊娠した。



「あの男も、物の怪?」

朱理は男のなすがままに全裸となり関係を結んだ時を思い出して、老婆に問うた。あの時、朱理は逆らうことができなかった。

「パシャ」

っと水音が跳ねる音を出して老婆は大口を開けて笑う。口の中には歯はなく大きな闇が広がっている。

「まあ、あの水の中に横たわれば、全てが分かるさ。どうだね、やってみるかね」

老婆は自分が出てきた水だまりを指差す。

「死ねるの?」

「そうだねぇ。どうなるのかねぇ・・・あたしは若さを・・・若さを少し分けてもらうよ・・・いいかい?」

朱理はくすくす笑う。

「遠慮しないで全部持っていって。妖怪ってもっと怖いと思ってた。いいわ、若さ、あげる。死んだら必要ないもの」

朱理は葦を踏み分けて、水辺へと向かう。

「死んだら、お腹の子どもと会えるのかしら。小篭さん、誘ってくれてありがとう」

小篭が朱理の足元を照らす。

「さよなら」

透き通った水は足を付けると、体にまとわり付くような粘度を持っていた。朱理はゆっくりと体を水に沈めていく。

ゆっくり。ゆっくり。

ぽこっ。ぽこっ。

朱理の手足に小さな茨の芽が生じている。すぐに芽吹き、枝を伸ばし、花を咲かせる。朱理はこの世界がどのようになっているのか、蛇行して流れる川やその周囲に存在する物の怪の姿を見ている。

そう。見ている。

枝の先にある無数の目が、映像を朱理に届けている。

茨百目いばらひゃくめ、これからどうしますか?」

足元を照らしていた小篭がつぶやいた。

「茨百目?」

「そう。これからのあなたの名です」

「死んだの?」

「そうです」

朱理は起き上がって、水面に移る自らの姿を見た。無数の茨が体を覆っている。その中にある顔は、見慣れたこれまでの顔とは異なっている。

すーっと風が吹いた。

茨の枝は、流れるように朱理の体の中に消えてゆく。20代前半と見られる、美しい女性が水面に残っている。

「鵜乙女はあなたが気に入ったのですね」

ああ、少しだけもらったよ、少しで十分だからね。川のほうから声がする。

「あなたも、水を流れて、好きなところへ行けますよ」

小篭は、少し高く先を照らす。

「ここにいてもいい?」

朱理は小篭に尋ねる。

「ええ。でも。あなたが今の形に変化へんげしたのには、理由があるはずです。まずは、流れてごらんなさい。その後に戻っていらっしゃい」

小篭は、灯りを小さくした。



 目覚めた時、朱理は学芸大駅の高架下にいた。見知った景色だ。朱理の家はこの高架に沿って歩いたところにある。

腕時計を見ると、11時を回ったところだった。投げ出された足には、朝から履いているローファー。服も丈の短いピーコートとジーンズで塾から出た時と変わっていない。傍らに投げ出された塾バックを持って、朱理は立ち上がった。夢だったのかも、歩きながら朱理は考える。しかし、歩きながら見たコンビニエンスストアのウィンドウには、20代後半の恐ろしく綺麗な女性が移っている。

「もう、何が本当で、何が嘘でも・・・」

朱理は小さく呟いた。とにかく家に帰ってみよう。母は私を見て、どう思うだろう。それに、あの男は。男のことを想像すると、体中から小さな芽が息吹くのを感じる。この芽に咲く茨の花は種を欲していた。新しい種を作ろう。あの男を使って。男はきっと私を抱くだろう。男はわたしの中に種を植え付け、わたしはその種をまた男に植え付ける。茨でがんじがらめになった男の姿を想像して、朱理はクスッと笑った。

マンションの前に来た。部屋には灯りが着いている。朱理は茨百目となって、部屋の様子を盗み見る。母はボーっとリビングの椅子に腰掛けている。茨百目はそのままベランダへと移動した。あなたの娘は物の怪に変化したの、お母さん。朱理が心の中で呟く。

母が顔を上げる。ベランダに妙齢の美女が立っていることに気が付く。母はその顔を知っている。自分の大切な一人娘に似ている。

「朱理・・・戻ってきたのね」

母がベランダの窓を大きく開けた。風と共に外の冷気が暖かい室内に流れ込む。

「朱理・・・」

朱理の体から、百を超える茨の枝が芽吹き、母の体を包む。

「朱理・・・ごめんなさい・・・あなたを追い詰めてしまった・・・」

茨の棘が母に刺さる。母は痛みの中で朱理を思う。風が強く吹き込んだ。全ての気配が消える。

室内には、母のみが残されていた。


小篭しょうろう

小さな灯篭の形をした妖怪。気に入った人間を地下へと誘う。古い洋館を住まいとしている。


鵜乙女うおとめ

鵜の顔を鳥の羽を持つ。老婆で現れることが多い。もともと鵜飼いの娘であったが、水難に会って鵜に助けられ、交わって変化した。


茨百目いばらひゃくめ

妙齢の美女で、手足から茨の枝が出ている。茨は目を持ち、遠くを見とおせる。男に寄生して種をまく。



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