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柔骨(やわこつ)


場所   奥沢

時間   11月中旬 午後3時ごろ

遭遇者  谷繁 仁美(21才)

妖怪   柔骨やわこつ

     鵜乙女うおとめ



仁美は初めて自由が丘の駅に降りた。

新潟から出てきて江古田にある大学に通う仁美にとって、自由が丘は出にくい街だ。池袋や西武池袋線の沿線には馴染みの店もできたが、自由が丘は敷居が高く感じている。

「同じよ、田舎から出てきた人ばかり住んでるんだから」

駅で待ち合わせした桜子は、自由が丘から歩いて5分のマンションに住んでいる。

「うちの母は長野出身だし、父は名古屋出身。ここはそういう人で成り立っている街なの」

と笑う桜子は、自由が丘で産まれて育っている。

「あなたは違うじゃない。東京のお嬢さんでしょ」

「仁美も暁と結婚したら、こんな街に住むのよ、きっと」

暁と結婚することなど無いと桜子は知っているはずなのに。仁美の気持ちにざらっとした砂が混じる。暁と結婚するのは、私だと思っているくせに。

仁美が対して気も会わない、都会育ちの桜子と「スイーツフォレスト」なるところに出かける気になったのは、暁が不貞を認めたからだ。桜子が相手だ。

待ち合わせた自由が丘のロータリーは、思っていたより田舎くさかった。これまで何でこんなところにコンプレックスをもっていたのだろう、そう思っていた時に、桜子がかけてきた。

二人はごみごみとした通りを抜けて右にある踏み切りへと向かう。狭い通りにスーパーとカフェがある。古ぼけた踏み切りを電車が通る。

その風景を見ていて、暁がなぜ、桜子に惹かれたのか、分かるような気がしてきた。ここは街ではなく人が主役なのだ。ベビーカーを引く若い母親は、ヒールの高いブーツを履きこなし、髪をきれいに整えている。

「この緑道は桜並木なのよ」

マリクレール通りというフランス風の名称が付いた通りからグリーンストリートへと進む道すがら、桜子は自分の名前の由来が春には桜の名所になる、この緑道にあることを話している。仁美は、小さな棘を感じた。地方から出てきたあなたとは違う、そういわれているように感じた。

目的地のスイーツの殿堂は思っていたよりも狭く拍子抜けしたけれど、それでも、たわいない話をしながらケーキを幾つか食べ、2時間ほどの時間をすごして、桜子とは店の前で別れた。

「よい街だし、少し歩いてみたいの」

駅へと向かう桜子とは、反対側に、仁美は歩き出した。せっかく来たのだから、町並みを見て帰ろうと仁美は思っている。緑道はどこまでも続くと見えて、途中で踏み切りに阻まれる。踏み切りの横に小路があった。自転車がやっと通れる路を進んでいくと、突然、道はなくなり、住居が現れる。

「迷路のような街だわ」

「本当に。私も、今だに迷うんです」

男が後ろに立っていた。2つの自転車を持って、苦笑しながら仁美を見ている。

「妻が胃痛を訴えてタクシーで帰ってしまったのです。一人で2つの自転車を持ち帰らなくてはなら無くて・・・」

身なりのよいジャケットにジーンズを合わせている。

「あなたはどちらにお住まいですか?」

男は木漏れ日を避けるように目を細めた。きれいな男性だった。仁美はその顔を見つめた。30歳は超えているのだろう。若さだけの暁とは異なる成熟を感じることができる。適度に日焼けした顔は、端正すぎる顔立ちに適度なしわを与えている。

「私は・・・ここには住んでないんです。池袋の側です。駅は違うんですが・・・今から帰るところで・・・」

しどろもどろになって仁美は答えた。

「では」

男がコホンとせきをする。

「奥沢の駅から電車に乗りませんか。この時間、東横線は混んでいる。目黒線なら空いてますよ」

男は、スーッと妻用の自転車を差し出した。

「ついでに、乗って帰って頂くと助かる」

その率直な物言いに、仁美は笑顔で頷いた。

自転車を連ねて、住宅地を走る。このあたりは、景色が同じでしょう。迷う人も多いんですよ。もともとは農地ですからね、男は自転車を寄せては、街の由来について説明している。奥沢というぐらいですからね、もともとは沢なんですよ・・・話しているうちに仁美は別れがたくなった。

「あの・・・あなたのご自宅まで自転車乗っていきます。そのあと、私は駅まで歩けばいいんですから」

先に言い出したのは、仁美のほうだ。

「本当ですか?有難い。妻の腹痛も収まっているころでしょう。お茶をご馳走しますよ」

再び、踏切を越える。

「本当に同じような景色が多いけど…でも、住みやすそうな町ですね」

緩やかに路は下っている。

「坂の多い街ですよ。さあ、この坂を下ると我が家だ」

急な坂道を下った先にある屋敷で、男の自転車は止まった。

「ありがとう。我が家はここです」

木陰に入ったからか、空気がひんやりしている。

「帰りは車で送ります。さあ、どうぞ」

男に言われるまま、玄関の奥へと入る。ここで、仁美の記憶が途切れた。


 


「水の音がするでしょう。ここは先ほどお話しましたけど、奥沢というぐらいで、もともと沢が多いんです。この家はね、建てるとき図面では地下2階だったらしいのですがね、水が出て、地下室計画は頓挫したらしいですよ」

仁美は頭に鈍い痛みを覚えた。

「急に倒れたのは私のせいではありません。何もしてませんよ。恐怖を感じて、あなたの心が閉じたんですよ」

仁美は、手足が椅子に縛り付けられていることに気がつく。

「空き家の、あるはずのない地下室です。だれも来ませんよ」

男はきれいな顔を歪めて笑顔を作った。

「我が館にようこそ。・・・大丈夫、そんなに恐れないで。私がすることはたかが知れています。あなたが新しい喜びを知る手伝いをするだけです。痛いことも怖いこともありません、ただ、快楽があるだけです。ここにいれば、孤独な自室などには戻りたくなくなりますよ。」

話す男の柔和な笑顔は変わらぬままだ。目元にはさっきまで仁美を魅了した笑いしわが出来ている。しかし、違和感がある。何かが異なる。

「目が・・・」

「そう、私には目もないんです。無いのは目だけじゃありませんがね」

男の姿がぐにゃっと歪んだ。

「私の与える快楽は特別です。本当にきれいな乙女だけが受け入れることができるのですよ。選ばれた乙女・・・」

男の体は全ての骨が溶けてしまったかのように体を自在に変化させながら、仁美に近寄ってくる。男の唇が頬に触れた。ねとっとした粘液の感触に仁美の体は硬くなる。

「力を抜いて」

男の唇から舌が現れ、仁美の顔半分を覆った。小さな触手を持った増長した舌が、目を、耳を、唇を、丹念に愛撫する。仁美の体から力が抜けていく。抑えようとしても小さな嗚咽が口から漏れてしまう。

「あなたの乙女は守りますよ」

男の口から、微かに甘い香りが漏れてくる。外の水音が高くなった。男の体が、ぐちゃっと歪み、仁美に覆いかぶさる。衣類を着たままの仁美の首筋に、胸に、みぞおちに、全ての場所に小さな触手が触れている。

「・・・ごめんなさい、助けて下さい。お願いします。ごめんなさい」

触手の流れが、太ももを通じて、まだ誰も触れたことのない内側へと向かっていく。

「なぜ、謝るんですか。あなたは選ばれた乙女なのに・・・」

「ダメ…」

触手は閉ざされた体の内側まで達している。もう、どこが感じているのかさえ分からない。体中の毛穴にいたるまで全ての穴が、撫ぜられ、濡らされ、踊らされている。

「大きな声を出しても、大丈夫ですよ。外には聞こえませんから」

体を覆う触手から男の忍び笑いが聞こえる。

時間の感覚が遠のく。心が消えてしまいそう、怖い。怖い。快楽の波のあいまに、仁美は失われていく自分を感じている。自分のものとは思えない喘ぎ声だけが部屋に響いている。



突然、全ての触手が仁美から離れていった。いつのまにか部屋の中まで外を流れる水が入り込んでいる。

「これ以上、気をやったら、この娘は死んでしまうよ」

女の声がする。

「そうですねぇ。いつの間にか水も増えてきた。あなたに預けて続きは・・・」

男の声が水音に消える。

どうにか目を開けた仁美の目の前には老婆が立っていた。全くねぇ、と呟きながら仁美の体から縄を解く老女の腕には羽が生えている。

「どうするかい?上には人の住める部屋もある。あの男が気に入ったのなら。ここに住むもよし。家に戻るもよし。あんたが決めな。やつの名前は柔骨。いい男だろ。」

ケラケラと乾いた笑い声を老女は出す。

「そんな怯えなくてもいいんだよ。そうかい、ここは怖いか。戻りたいんだね。いいさ、どうせ、あんたはまた戻ってくる。柔骨は気に入った乙女を何度も攫うんだよ。あんたが乙女でいるうちは、柔骨からは逃げられないさ。戻るのなら船に乗るといい。水に触らないように注意するんだよ。腕を伸ばして」

老婆の言葉に従って、両手を伸ばすと何かに手が届いた。「船だよ。もうあんたは船の上だ。また、おいで。待ってるよ」

老婆はひょいっと宙に浮かび、仁美を船に乗せた。

仁美は流れにのって滑る船にしがみつく。



夕闇が街を包んでいる。

眼を開けたとき仁美は、ブロック塀に寄りかかるように座っていた。見たことのない四つ角だ。狭い路地が交差していて、目の前には、コンクリート作りの3階建てのアパートがある。左手にはうっそうとした木々がある。

「ここは・・・」

立ち上がろうとしても、足に力が入らない。体中に残る快楽の余韻が体の力を奪っているあれは本当だ。

携帯電話が鳴った。暁からだ。

「どこにいるの?」

のんきな声が聞こえてくる。

「どこかなぁ」

電話に出た仁美は周りを見渡す。小さなプレートが目に入った。

「・・・洗足池の側。」

「何してるの?」

「ねえ、迎えに来て。・・・そんなこと、言わない。浮気は許す。それに・・・今日は帰りたくないの」

暁の家はここから、それほど遠くないはずだ。少し待っていれば、緑色した天道虫のような愛車で迎えに来てくれるだろう。仁美は目を閉じる。他の女と遊ぶ暁を愛していないことは、さっき分かってしまった。暁の周りの漂う東京の空気に恋していただけだ。しかし、暁とは別れて新しい恋を探すまで柔骨が待ってくれるだろうか。今日、暁に抱かれなきゃ。早く処女を捨てないと、また柔骨がやってくる。仁美の頬に涙が流れる。

もう一度、柔骨に触れたら・・・。

「もう、ここへは戻って来れない」

あの快楽におぼれてしまう。

目の前に車のライトが迫ってくる。暁でありますように。仁美は目を閉じた。



「こんなところでごめんね」

暁は、わざわざ横浜まで車を走らせて、海の沿いのホテルに車を入れた。小さいけれど洒落たホテルでディナーも出た。

月明かりが照らす部屋で暁の指がブラウスのボタンに触れる。それだけで体が震えてしまう。手のひらが髪を撫ぜる。髪が暁の体温に刺激されて、ざわざわした喜びを体中に伝える。

服を脱がされるころには、体に力が入らないほど甘美な刺激に溺れていた。あたしは、もう戻れないんだ・・・

「本当に初めてなの?」

首筋に暁の舌が這うたびに、体が反応してしまう。暁は敏感すぎる反応に戸惑っている。

でも、初めてであることは疑いようがなかった。何度か試みて、やっと暁は仁美の中に入ることが出来た。

「疑ってごめん」

暁が仁美を抱きよせる。仁美は涙を流している。暁はその涙を誤解して、細く柔らかな体を抱きしめる。


もう私の前に柔骨は現れない。私は、これから、いろんな男と寝るんだわ。柔骨を超える快楽が得られるまで。





柔骨やわこつ

骨のない妖怪。処女を好む。気に入った娘は、なんどでも攫って快楽をむさぼる。

容姿は定かではない。小さな触手は皮膚に隠し持つ。体の形を自由に変えることが出来る。


鵜乙女うおとめ

鵜の顔を鳥の羽を持つ。老婆で現れることが多い。もともと鵜飼いの娘であったが、水難に会って鵜に助けられ、交わって変


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