塩抜きは塩水でね
朝孝が土浦城へ戻ってきた。
「ただいま戻りました。」
「お疲れ~。」ここ最近は変わり者として認識されているようなので、普段の言動にとやかく言われることはなくなった。「で、どうだった。」
「はい塚原の父上や吉川を含め佐竹にお味方するそうです。」
「そうか、よかったよ。」
「ただ、鹿島などは態度を決めかねております。それでも家臣の松本信政殿がこちらに助勢すると。」
「ま、全部は無理だよね。しょうがないか。そうだ、東海村に前の陸奥磐城の連中との戦功で、だれか知行地を割り当てられたよね。」
「たしか石神に小野崎通老殿が三百五十貫ほど。あとは河合に同じくらいだったかと。」と甚六が答える。
「ふ~ん、そこは今は放置で良いか。じゃ、次は江戸崎土岐だね。年明けにやろうか。それまでは領地の安堵だよね。」
霞浦を眺めながら、ここは確か帆引き船での漁だったと思うけど、実際この時代だと違うみたいだ。まだ投網や棹漁みたいで、ここで底引き網とか指導したら量は取れるけど、根こそぎだし、海底や湖底が砂漠化して、いずれ自分の首を絞めることになるしな。もしやるとしたら刺し網くらいかな。後は定置網かな。
常陸太田と多賀(海岸線沿いの今の日立)のあいだにある神峰山から高鈴山、大室山の谷間地などを利用して、新密宗の大本山を計画しようかな。比叡山や高野山のような参拝観光になるようなもの、リゾートプロジェクトですね。さざえ堂を作ろう。らせん状構造で、百体観音像を参拝できるやつね。回すことでお経を唱えたことになるマニ車とか。お経を書いた祈祷旗を揚げるタルチョーとか。
いけない、密教系を標榜するなら根本大塔作らないと偽物とされちゃうだろうな。金堂も必要ね。
後はおもしろい祈願成就方法とかを考えるか。上からお賽銭を投げると注連縄結界内に入れば成就するとか。胎内洞窟みたいにおばけ屋敷要素を含んだものを作るとか。からくり人形を活用すればよいし。後は高さ系で見晴らしの良い高い塔や回転系の回転木馬とかの施設を作るとか、動力は水車利用でも人力でもよいし、上下動はカムで出来るな。舞浜のような施設化はまずいかな。ゆるキャラはさすがに遊びすぎだからなし。
宿坊もどうするかでしょうね。湯治療法も兼ねて温泉が良いんですが。どうやって掘るかな。ボーリングと言うわけにはいかないし。おっと、井戸掘りにも都合が良い、上総堀で掘削すればよいか。うまくやれば数百メートルまでは行くらしいから。機械も要らないしね。
後はこの時代にはない酵素風呂ですね。米糠を使う方法は勿体ないから、ヒノキのおがくずのほうを使うやつか。これなら温泉掘る必要ないし。大工仕事のあまりを使えば良いし。あまり細かいものは、個人差もあるけれど粉塵として肺疾患を誘発するリスクもあるから注意ですね。ガン化云々は製材での化学処理だと思うから、スルーで。
朝食に干物が出たんだが、何か味が・・・。
「まずい・・・。何でだ。」
「賄い方に大量の入れ替えがありまして、そのせいかと。」
聞くや否や台所へ一目散に駆け出していく。
「干物を作った人誰ですか~。」
「申し訳ありません。わたしですが。」と若いおねえちゃんが名乗りでてきた。
「あのさ干物をどうやって調理しましたか?」
「え~と、塩抜きして、炭火で焼きましたが何かまずかったでしょうか?」
「う~ん。じゃ塩抜きはどうやって。」
「水に入れて。」
「あ、それ!だめだよ水じゃ。だからうまみもなくてまずくなるのね。塩抜きは薄い塩水にしてね。それも半刻か四半刻でね。ついでに貝の砂抜きは金属をいれるのは迷信で、やや多目の塩水でね。これくらいの小さなタライだと(百CCくらいかな)塩抜き用は塩一つまみか、二つまみね。砂抜きだと三から四つまみね。」
「北の地方の棒ダラとか手に入ったら、こちらは米のとぎ汁で二日間は一日数回かえ、その後も数日水につけて数回交換しながら戻してね。食は大事だからね。下処理は重要ですよ。」
一流の料理人がいるほうが良いじゃない、まずい食事だとやる気がおきませんよね。この時代にフランス料理とか出されたら、そりゃテンション上がるわね。マヨネーズやケチャップやドレッシングを作りたくなる気持ちも分かるわ。
まだこの時代だと霞ヶ浦と利根川は繋がってないのかかな。海運利用だと利根川支配すれば武蔵の奥までいけるはずだなんだけど。
「行次、大きな街ってどこ、このあたりだと鎌倉?」
「そうですね、鎌倉もですが、近場だと古河ですか。」
「公方か。」失念していたよ、古河ね。じゃ関宿あたりがポイントかな。
「堀越の方は?」
「堀越公方様は伊豆支配ですので、韮山でしょうか。」平坦なところが少ないのにどうやって領地経営してるんだ。京から来て経済の基盤はどうしてるんだろう。
あれ、一からレクチャー受けないと分からんな。鎌倉狙いだと今一つか。




